第110話 誤算 -Stay true to myself-

・1・


「ぐ……ッ!」


 右の脇腹から胸にかけて鋭い刃が抉り、迫り上がる。

 今までのネフィリム同様、ただ本人を模倣しただけの影だと思い不覚を取った。


「こ、のッッ!!」


 飛角は自身に深く刺さり、心臓を目指すロシャードの刃を右手で掴むとガルムの爪で半ば強引にそれをへし折った。そしてそのまま彼に回し蹴りを喰らわせ、大きく距離を取る。


「はぁ……はぁ……ッ……」

「飛角! 大丈夫か!?」


 霞む視界で前方を見る。愚かな願望が生んだ勘違いなどではない。そこには紛れもなくかつての相棒が立っていた。


「ロシャード……何で……」

「気を抜くな! まだ終わりではない。この仮初の体は……私の意思に反して動く」


 その言葉通り、ロシャードの体は折れた刃をパージして次の攻撃のために新たな武装を展開し始めていた。何の躊躇いもなく、飛角を殺すために。


「私が躊躇すると分かってて……あいつロシャードの魂を植え付けたのか……ッ」


 この世界は常に彼女の管理下。ここでは死した魂すらあの世に行くことはない。ただ覚める事のない悪夢を永遠に漂い続けるのみ。魂だけの無防備な存在など伊弉冉いざなみにとっては傀儡も同然というわけだ。


「いえいえまさか。むしろその逆。あなたは必ずその傀儡を乗り越える。だからもう一手、保険を掛けただけのこと」

「「ッ!?」」


 気付けば飛角とロシャードの間に黒装束の少女――黄泉津大神よもつおおかみが佇んでいた。遠方で今まさにカインが三体のネフィリムを操る彼女と相対しているのを見るに、ここにいるのはおそらく分体か何かだろう。


「ですが思わぬ感動の再会、嬉しいでしょう?」

「は? どこが? こちとらいきなり腹を掻っ捌かれそうになったんだけど?」

「す、すまない……」


 操られているにも関わらず律儀に謝るロシャードを見て、相変わらずだなと飛角は小さく笑う。敵の策略というのは癪だが、ほんの少しだけ胸が熱くなったのも事実だった。


「……死した魂と再び相まみえ、あまつさえ言葉まで交わさせてやったのだ。せいぜい怨嗟と懺悔を響かせてわらわを楽しませろ」


 そんな彼女たちを不快に思ったのか、黄泉津大神よもつおおかみは冷たい表情で吐き捨てるようにそう言ってその姿を消した。


「……さてと」


 飛角はゆっくりと立ち上がり、服についた埃を掃う。すでに先程の深手は癒え、きめ細かな白い肌には傷跡の一つさえ残っていない。つい数分前まで常人なら即死クラスの裂傷がそこにあったなど誰も信じないだろう。


「相変わらず常識離れした再生能力だ。ことこの場に関して言えば、簡単に殺してしまう心配がないのが救いだな」

「は? おいおいロシャード、寝言は寝て言えって。お前は私より弱いんだから私が殺されるわけないでしょ?」


 心外だとばかりに不満そうな顔をする飛角。


「フッ……私が死んだあの日からどれだけの月日が経ったのか知らないが、そうでなくては困る」


 ロシャードにしてみればつい数分前まで一緒だった彼女が見違えたように成長していたのだ。それは浦島太郎もびっくりの妙な感覚だが、同時に嬉しく思う。なんせ全てを乗り越え、仲間と共に明日への一歩を踏み出した彼女の姿を見れたのだから。だから――


「怨嗟も懺悔も必要ない! 全力でかこを超えろ! その方がお前好みだろう?」


 背を押すちょうはつようにロシャードは構える。


「よーく分かってんじゃんか、相棒!」


 対して飛角は両の拳を突き合わせ、まるで憑き物が落ちたような晴れやかな笑顔を見せる。この感覚、今の今まですっかり忘れていた。

 操られているとはいえ、鋼鉄に宿った彼の熱い魂に偽りはない。


(……感謝するよロシャード)


 ならば全力で応えるのがいきというものだろう。


・2・


 カイン、レイナ、飛角がそれぞれの戦いを繰り広げる一方、ユウトとタカオはとある場所を目指して走っていた。

 ただ、一つ問題があった。


「だーッ! 畜ッ生! 分かっちゃいたがふざけんな!!」


 タカオの叫びが路地裏に木霊する。それに群がるように背後から獣の怒号が鳴り響いた。


「こけるなよタカオ!」

「わーってる!」


 二人は全速力で背後に迫る魔獣の影たちから逃げていた。相手は黄泉津大神よもつおおかみが放った雑兵。ネフィリムほど強くはないが、それでも生身の人間が相手にするにはかなり分が悪い。現状、まともに戦う事のできない彼らではとても倒せる敵ではなかった。


「一応釘刺しておくが、間違っても外神機フォールギアを使うなよ? 雑魚は倒せても今の俺じゃお前を止められないからな!」


 外神機フォールギアでユウトが手に入れた魔法とは別種の力は確かに強力だ。だがまともに制御ができないことが致命的だった。実際、ユウトは二度の使用で共に敵のみならず味方にまで襲い掛かっている。そのせいでタカオはこの世界ではまだ持っていたルーンの腕輪を失った。


「善処はする……正直、俺だって怖いからな。けどどうしようもなくなったら俺を置いてでもモノリスタワーに向かってくれ!」


 二人が目指す漆黒の塔――イースト・フロートの中心にそびえ立つモノリスタワーを見てユウトはそう言った。

 以前の世界ゆめではあの塔には重要な意味合いがあった。そしておそらく今回も。この世界ゆめを維持するための核。そこにはまだ解放されていない魂もあるはずだ。祝伊紗那ほうりいさなの魂が。


「馬鹿野郎! お前が行かなきゃ意味ないだろうが! こちとら最初から犠牲を前提に動いてないんだよ!」


 そう言ってタカオは周囲のゴミ箱やドラム缶を倒して後続に対する障害物を作る。大きい魔獣には効果はないが、動きの速い小型の魔獣に対しては多少有効なのだ。


「確か突き当りを右に曲がればタワーの正面玄関が見える。気張るぞユウト!」

「ああ!」


 体力を度外視してとにかく両足を動かす。止まればそこで即ゲームオーバーだ。そしてようやく突き当りに到達し、右を向いたところで二人は絶句した。


「おいおい……おいおいおい!」

「道が、ない……ッ」


 物の例えや記憶の齟齬などではない。

 直線距離でおよそ100m。そこにモノリスタワーは浮遊していた。周囲の地面はごっそり繰り抜かれ、底が見えない。これでは空でも飛べない限りどう頑張っても向こう側に辿り着けない。


「すっかり忘れてたぜ……ここが何でもありの夢の世界だってことをよ」

「いや、でもこうまでして俺たちを近づけたくないって事は、見立ては正しいってことだ」


 この先に伊紗那いさながいる。その可能性が一気に跳ね上がった。まだ絶望するには早い。無理矢理にでも己を鼓舞しながらユウトは周囲を見渡した。何か、この断崖絶壁を超えて向こう側に辿り着く方法を探す。


「来るぞユウト!」

「……ッ」


 しかし時間は決して待ってくれない。打開策を見つけられないまま、背後から迫っていた魔獣の影たちが二人に追いついた。


「チッ……いったん場所を変えるしかねぇ。建物を渡って――」




 その時、轟音と共に上空から炎が降ってきた。




「「ッ!?」」


 灼熱の炎は魔獣たちを飲み込み、速やかに灰へと変える。


「な……んだ?」


 突然の出来事に状況を正確に把握できないユウト。しかしタカオは違った。彼だけは空を――炎の使い手を見ていた。


「……ガイ」

「タカオ……」


 その名を呼ばれた命なき青年は、ゆっくりと灰の大地に降り立つ。

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