第105話 過去を今に変えて -Turn weakness into strength-
・1・
「ギギッ、ギ……ッ!」
上空を旋回していた鳥人型の魔獣は地上数メートルまで高度を落とし、周囲を見渡した。逃げるレイナが建物の影に隠れたことでその姿を見失ったからだ。
「……」
かつて『
しかしだからこそ、レイナにも打つ手がある。
ガン、ガシャーッ!!
突然、ハルピュイアの頭上で大きな音が響いた。
「ッッ!?」
反射的に上を見上げたハルピュイアの視界を一瞬の内に埋め尽くしたのは、3階建ての建物の屋上から降り注ぐ大小様々な鉄骨。レイナは建物の影に隠れたそのすぐ後、近くにあった窓から建物に侵入。そのまま持ち前の運動神経で階段を全力で駆け上がり屋上へ移動していた。そしてそこに積まれていた鉄骨の留め金を外し、下のハルピュイア目掛けて落としたのだ。
彼女は二体の魔獣に追われるこの絶望的状況下にあっても、周囲の観察を怠らなかった。反撃の糸口を探し続けていた。それがこの逆転の一手に結びつく。
「ギィィィィィィィ!!」
しかし相手は腐っても魔獣。しかもその上位種であるネフィリムを模した存在だ。当然これで決まったりはしない。ハルピュイアは両腕の翼を広げ風を操り、脅威的な身のこなしで鉄骨の雨の中を潜り抜ける。
「そうくると思ってたよ!!」
だが対するレイナの作戦もまたここからが本番。彼女はあらかじめ拾っていた折れて先端の尖った鉄パイプを握ると、そのまま勢いよく3階から飛び降りた。
「ハァァァァァァァッ!!」
そのまま両手で鉄パイプを強く握りしめ、その先端を下に向けてハルピュイアの首を貫く。
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!」
喉を潰されてなお、絶叫が木霊する。
先に現れたセンティコアの鎧のような筋肉と比べ、機動力に特化したこの魔獣の体はそこまで硬くない。一か八かの賭けではあったが、落下速度と一点集中を合わせた一撃が功を奏した。
首に突き刺さった鉄パイプを握り、レイナは魔獣の背中にピッタリ張り付いた。彼女が操縦桿のように鉄パイプを傾けると右へ、左へと壁にぶつかりながらハルピュイアはさらに高度を落とし始める。
「く、この……ッ!?」
「――――――――――――ッ!!」
しかしこのタイミングでセンティコアが前方の壁を突き破って再び現れた。獣の雄叫びを上げながら振り下ろされた大斧はハルピュイアの右翼をバッサリと切断。レイナは咄嗟にハルピュイアから飛び降りていたので戦斧の餌食にならずに済んだ。
「うっ……痛た……」
受け身を取って落下の衝撃を最小限に留めたはいいものの、ここまで絶えず全力で走り続けたことによる体力の消耗は大きい。加えて今いるこの場所も最悪だ。おそらくこれから開発が始まる予定の区画。障害物が一切ない平地だった。
完全に逃げ場を失ったレイナの前に立ち塞がる二体の黒い魔獣。センティコアの攻撃を受けたハルピュイアの右翼はすでに再生が完了していた。
(やっぱり……)
それを見たレイナは確信する。
(ここは夢の世界……だから普通ではありえないことも起こり得る)
3年前は考えもしなかった。自分が立つこの場所が――この世界が精巧に創られた偽物だったなんて。だが今は違う。今のレイナはここが
だからこそそれを利用した。
たまたま逃げ込んだ建物の屋上に鉄骨が積まれていた事。
たまたま掴んだ何の変哲もない鉄パイプの先端が尖っていた事。
そしてその鉄パイプにたまたま魔獣の体を貫通するだけの強度があった事。
これらは決して偶然ではない。全てレイナが強くイメージし、望んだものだった。
「私……やっぱり後悔してたのかな……」
レイナは小声で呟く。
この世界に来て、彼女は記憶を失い当時の自分に戻ってしまった。そうなったのはきっと、他でもないレイナ自身がそれを心のどこかで望んでいたからだ。
魔法や魔獣なんてない。
強くある事を求められない。
何事もなくこの海上都市で平穏に生きる
「ううん……」
それでも彼女は小さく首を振り、自分の頬をパンパンと両手で叩く。そして――
「行くよ、スレイプニール。私はヴィジランテのレイナ・バーンズ! そうありたいって自分で決めたんだから!!」
永い夢から覚めたレイナの声に呼応し、突風が吹き荒れた。やがてそれは彼女の両足に収束し、彼女が望む神速の魔靴へと姿を変えていく。
・2・
「ッ!」
その瞬間、レイナの姿が消えた。
魔具スレイプニールによる超高速移動。今までの狭い場所とは違い、ここならその速さを最大限活かすことができる。四方数十メートル。そして天上のない空。今やその全てが彼女の間合いだ。
「一気に決める!
紅蓮の炎がレイナの両足で猛り狂う。それは防御を捨て、攻撃のみに最大特化したレイナだけのスレイプニールの形。
次の瞬間、たった1秒の間に100を超える炎撃が二体の魔獣を襲った。さらに両足に展開された
「ハァァァァァァァァッ!!」
そして一切減速することなく、むしろさらにその速度を上げたレイナの一撃がハルピュイアの体を貫いた。ハルピュイアの影は声を上げることはおろか、再生すら許されずに消滅する。
「もう、一体ッ!!」
苦しそうに呻くレイナ。
レイナの炎撃とセンティコアの戦刃が激突する。
「ぐぅ……ッ、きゃあああああああああああああ!」
直後、爆発の衝撃で二人の体は弾き飛ばされた。
「う、うう……」
咄嗟に風の結界を再展開したおかげで大きな怪我はない。だがそれでも高熱に晒され続けた両足にはジンジンとした痛みが残っている。
大斧は破壊した。だが肝心の本体まで貫くことはできなかった。
レイナは自分の体に鞭を打って何とか立ち上がる。対するセンティコアもゆっくりと立ち上がり始めた。レイナと違い爆炎によって砕けた刃が無防備な体のいたる所に突き刺さっていたがそれでも致命傷にはならない。確実に倒すには再生すらできないほど一瞬で焼き払う必要がある。
「もう、一回……ッ!」
「いや、これで終いだ」
「!?」
その時、声がした。
刹那、一発の弾丸がセンティコアの脳天を貫く。
「
たった一発の弾丸。しかし黒き魔獣は何故か再生を始めることはなく、静かにその巨躯を崩壊させていく。そしてその奥から見知った少年が姿を現した。
「もういいのか? レイナ」
「……カイン君」
その問いかけの意味をレイナは何となく理解していた。カインは何も言わないが、きっと彼はこんな自分をずっと見守ってくれていたのだろう。ある意味では幸せな日常を生きるレイナ・バーンズを。
「レイナ!」
「た、隊長!? え……何で!?」
遠方からレイナの名を呼んだのは吉野ユウト。その背後には飛角とタカオもいる。おそらくさっきの爆発音で気付いてくれたのだ。
「……ん」
「……ッ」
いつの間にかへたり込んでいたレイナに魔装を解いたカインは何も言わずに左手を差し出した。レイナはその手を掴んでゆっくりと再び立ち上がる。そしてこう言った。
「ありがとカイン君。私はもう、大丈夫だから」
真っすぐ、彼女はそう告げる。
「フン、ならせいぜい当てにさせてもらうさ、寝坊助の副隊長様」
「一言多いよ!? もー、だいたいカイン君はいつも――」
「あー、はいはい分かった分かった」
「いや絶対分かってないよね!?」
自分の弱さを受け入れた、迷いのない笑顔で。
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