第103話 反転 -Return to Nightmare-

・1・


「なるほど……話はだいたい分かった」


 そう言ったカインは小さく溜め息を吐いて椅子に腰を下ろした。

 ここは街はずれのホテルの一室。ガイと別れたすぐ後、ユウトとタカオは飛角とカインの二人と合流することができた。ユウト達がガイと対峙している一方で、二人もこの世界ゆめがおかしい事に気付いていたようだ。それを明確に認識した直後、彼女たちは黒い影のような刺客に襲われたらしい。


「あれは3年前私たちが戦ったネフィリムの一体、ロウガだった。さすがに本人って事はないだろうけど、強さだけは本物に限りなく近いやつだ」

「さっき伊弉冉いざなみの防衛機構って言ってたけど、要するにガイに近しいあいつらネフィリムがそれに使われてるってことか」


 タカオの言葉に飛角は頷く。実際、ここがガイのために創られた世界ゆめだというなら、その可能性が高い。


「ロウガってヤツはさっき俺たちが片付けた。で、実際の所あと何体いるんだ? その防衛機構とやらは」


 カインの質問に対し、飛角は天井を眺めながら当時の記憶を掘り起こす。


「確かガイを筆頭にルナとナナ、それにジャタと……あー、あと二体くらいいたっけ?」

「マジかよ……あんなのがまだ六体もいんのか」


 カインは息を呑む。彼がネフィリムを相手にするのはこれが初めてではない。ヴィジランテが発足する以前にも何体か戦ったことがある。だがいずれも人語を話すだけの知性は持っていたものの、今回戦ったロウガの影とは比較にならない。


「いや、この世界ではガイは人間だ。当の本人がそう言ってたからな。ならあいつ自身はこの括りには入らねぇ」

「俺もそれには同意見だ。ただ……」


 その先の言葉を躊躇った。

 ユウトはそっとタカオに視線を送る。それに気付いた彼は——


「あー、まぁ心配すんな」


 少し困ったような笑みを浮かべていた。


「ガイが助からないって聞いたあの時、正直動揺しちまった」


 タカオは拳を強く握る。奥歯を噛み締め、湧き上がる衝動に耐えるように。強く。


「ここがガイの終わる場所だって言うなら、俺たちはどこまで行ってもアイツにとって邪魔者でしかない。でも……俺たちが助けに来たのはガイだけじゃない」

「……タカオ」


 それは彼にとって最もつらい選択のはずだ。

 親友を天秤に掛け、あまつさえその最後の望みさえ踏みにじろうとしている。


「みんなが全員幸せになれりゃいいと思う。けど、俺がここで目を瞑ったら助からねぇ命があるんだ」


 祝伊紗那ほうりいさな、それにロシャード。

 悪夢に囚われ続けた彼女達を未だユウト達は見つけることができていない。しかし確実に近づいている。あと少し、ほんの少し手を伸ばせば届く。そんな距離まで。この機を逃せばもうきっと次はない。それはここにいる誰もが感じていることだった。


「だからアイツとのは俺がつける。俺がつけなきゃならないんだ」

「あぁ、わかった」


 彼の覚悟を見たユウトは小さく頷いた。他のみんなも。

 万が一の場合は――そう考えていたがどうやら杞憂だったようだ。もはやどう足掻いてもガイとの衝突は避けられないだろう。タカオが言ったようにみんなが納得できる結末はおそらく存在しない。それでも、彼の想いに真正面から向き合うことのできる人間はタカオだけだ。


「はいはい、そんじゃガイの件はタカオに任せるってことで。んじゃ次の話題いくよ。ユウト、ここに正座」

「え……?」

「せ・い・ざ!」


 急にそう言われ戸惑うユウト。しかし飛角はいつにも増して圧をかけ彼に詰め寄った。


「はい……」


 仕方なくユウトはその場に正座した。


「ユウト、まーた無茶したって?」

「うッ……それは……」


 正面で仁王立ちする飛角。表に出さないがユウトには珍しく彼女が怒っているように見えた。


「はぁ……まぁ来ちまったもんはしょうがないし、今更そこを責めたりしないけどさ——」


 直後、飛角はユウトに正面から抱きついた。


「ち、千里!?」

「それ……二人きりの時だけ」


 思わず彼女の本当の名を口走ってしまうユウト。飛角は不満そうに彼の耳元で小さく注意する。


「いやぁ……御影のことをとやかく言えないな、私も」

「……」


 言葉を失った。

 自分だけに聞こえる彼女の囁き。こんなにも弱々しい彼女の声をユウトは聞いたことがなかったから。


「頼むから……あんまり心配させないで。お前にもしものことがあったら、私は……」


 抱きしめる彼女の腕に力がこもる。震えていた。

 何度も、何度も考えた。自分の行動がどれだけの人達に心配をかけることになるのか。ザリクの外理カーマに触れ一度死んだ時、その答えを痛感した。

 そして今回、ユウトはまた同じことをした。


「……」


 今度は何も言えなかった。ここで謝ってもきっと自分はまた同じことをする。今回がまさにそれだ。いつだって……手を伸ばせば届く。そんな状況を前にした時、彼の目に映る選択肢は一つしかない。

 ふと、御影と真紀那、彼女達が自分を心配する顔が脳裏をよぎった。


「俺は——」


 その時、空気が凍りついた。否、


「「ッ!?」」


 視界全ての明暗が逆転し、世界には黒い背景と白い線だけが残る。


「いったい何が……ッ!?」


 やがて世界が色を取り戻した時、そこに広がっていたのは悪夢ディストピアだった。空は赤く染まり、太陽は黒き輝きを放つ。決められた通りに動く夢の住人NPCたちは影へと変わり、その場で停止していた。


「……ガイッ!」


 何か良くないことが起こっている。それを瞬時に察したタカオが部屋を飛び出そうとしたその時、扉の方が先に開いた。


「ッ!? テメェ……ッ」


 カインは即座に銃型神機ライズギア・シャムロックの銃口を来訪者に向けた。


「こちらに戦う意思はない。もっとも、戦っても無駄だとは思うがね」

「……神凪かんなぎ滅火ほろび


 扉の先に見えたのはユウトをこの世界に連れて来た男と、その傍に寄り添う車椅子の少女の姿だった。


・2・


 ——世界が悪夢へと反転する数分前。


「……どうすればいい」


 川沿いのベンチに座ったガイは許容量を超え、止まってしまった世界を眺めながら苦悩していた。

 この世界を元に戻す方法はただ一つ。それは許容量を超えてしまった原因を取り除くこと。つまり、この箱庭に入り込んだタカオ達全員を抹殺することだった。

 この世界の核であるガイは伊弉冉いざなみの分体を持っている。だから幸いと言っていいのかわからないが、彼らをこの世界で殺してもその死を無かったことにして現世に送り返すくらいの権限は持っていた。問題は——


「クスクス、苦悩、葛藤。やはり甘美」

「ッ!? 誰だ!」


 全く気づかなかった。その声を聞いて隣に目を向けた時、そこに初めて怪しげな少女の姿をした『何か』がいることに気がついた。


わらわ世界ゆめを勝手に使うなど万死に値します。本来なら永遠とわの地獄を味合わせてやるところですが……まぁいいでしょう」

「お前の世界ゆめ? お前、伊弉冉いざなみなのか?」


 いかにも、とでも言うように黒装束の少女はニヤリと不気味な笑みを浮かべた。


「ここはわらわであっても干渉できない夢でした。今までは、ね。フフ」


 伊弉冉いざなみの意思は持っていたアイスバーをペロペロ舐めながら言葉を続ける。


「しかし今代の資格者を得たわらわであれば道を開けることくらいはできます故」

「ッ……お前がタカオ達をここへ!」


 真実を知ったガイは即座にネビロスリングを取り出した。だが、装着しようとしたその腕がまるで金縛りにあったかのようにピタリと止まる。


「……ッ!?」

「不敬者。誰に刃を向けている」


 次の瞬間、何の予兆もなくガイの全身がズタボロに切り裂かれた。


「ぐ、あ……ッ」

「フフフ」


 その場に崩れ落ちるガイ。そんな彼をまるで害虫を見るような目で伊弉冉いざなみは見下ろす。


「お望み通り人間になって、弱くなりましたね。人類悪ワイアームが聞いて呆れます」

「……だ、まれ」

「クスクス、ここはすでにわらわの領域。お前の箱庭ではない」


 理屈はまるで分からないが、彼女の言葉は真実だ。

 先程の不可視の攻撃。物理法則を無視し、強引に結果だけを捻じ込む。そんな芸当この世界を掌握していなければできはしない。


「今更……何が目的だ?」

「? はて、何でしたか?」


 余裕綽々に惚けてみせる伊弉冉いざなみ。徐々に強まる痛覚がガイの精神を蝕む様を明らかに楽しんでいる。

 そうしてしばらく楽しんだ後、彼女は指をパチンと鳴らした。


「……ッ!?」


 ガイは言葉を失った。一瞬で自らを蝕んでいた痛みが消えたのだ。しかも先程付けられた切り傷も全て無くなっている。そしてそれらの原因――自分に起きたある変化にも気付いた。


「お前……ッ!!」


 一瞬で傷が治る再生力。そして体の奥底から湧き上がる底なしのドス黒い力。


「やはりあなたにはそっちがお似合いです」


 


「心配しなくてもまだあなたは人間ですよ? かろうじて、ね。直にその身に宿る邪竜の力が本来のあなたを呼び覚ましてくれるでしょう。望もうが望むまいがですけど。クスクス」

「く……ッ」


 体が熱い。今にも全身燃えてしまいそうなほどに。細胞一つ一つが悲鳴を上げて崩れていく。それは彼女が言うように、自分という存在が内側から作り変えられているような気分だった。


「さて」


 伊弉冉いざなみはベンチから立ち上がり、持っていたアイスバーをバキッと噛み砕く。そしてこう告げた。


「あなたに残された選択肢はそう多くない。どうでしょう? わらわと取引などしてみては?」

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