第102話 命 -Trajectory-

・1・


 壁を突き破り、突如タカオとガイの前にその姿を現した黒い敵。その敵は左腕で一切の躊躇なくガイの首を掴み、そのまま彼を壁に押し付けて火花を散らしながら容赦なく引き摺り回す。


「グ……ッ、おお!!」


 ガイは叫びながら右手の炎の剣を襲撃者に叩きつける。そしてほんの一瞬その動きが止まったのを見逃さず、彼は敵の胸板に強烈な蹴りを喰らわせ何とか拘束から逃れる事に成功した。


「ガイ!? テメェ、いきなり何しやがる!!」

「……」


 この世界ゆめではまだルーンの腕輪を持つタカオは即座に魔法を発動し、右腕を硬質化させて襲撃者に拳を放つ。しかし敵は最小の動きでそれを躱し、さらに金剛の右腕をいとも簡単に素手で掴んだ。


「な……ッ!?」


 そのまま強引に腕を引かれ、正確無比の回し蹴りがタカオの側頭部を狙う。彼は咄嗟に左腕でガードしたが、敵の狙いはまさにその左腕――ルーンの腕輪だった。

 黒の襲撃者はさらに体を逆回転させもう一撃、今度はタカオの横腹に喰らわせると、態勢を崩した彼の左腕から銀の腕輪を奪い取る。


(こいつ、最初から腕輪を……ッ!)


 ルーンの腕輪がなければタカオは魔法を使えない。

 つまりこの敵は腕輪の魔法使いを最も効率良く無力化する方法を知っているのだ。


「……返し、やがれ……ッ!」

「……」


 しかしそんな言葉も虚しく、タカオの腕輪はギチギチと不気味な音を立てながら襲撃者の手中で呆気なく砕け散ってしまった。


「このッ!」


 瞬時に背後を取ったガイが炎の剣を再び振りかざした。だが襲撃者は振り返らない。


『――Bl&$a'#d%e』


 耳障りな電子音が空気を凍てつかせる。

 その直後、ガイは真横から強烈な衝撃に襲われた。


「ぐあ……ッ!」

「何だ……あれ?」


 ガイを吹き飛ばしたのは獅子のような見た目をした『何か』だった。それは明らかに生物ではない。だが金属のような無機物とも違う。まるで生きているかのように絶えず躍動する銀色の結晶で構成された巨躯には蒼い稲妻が猛り狂っていた。


「なぁガイ、ここはお前の世界ゆめなんだろ? だったら何だってあんなヤベーやつがいるんだ!?」

「俺にも、わからない。たがあれは、タカオと同じ……」


 箱庭の住人ではない。であればタカオと同様に外からやってきたこの世界における『異物』ということになる。


「ッ……待て、あの籠手……」


 しかしそんな中、ふとタカオは黒の襲撃者の左腕に目が留まった。その籠手にどこか見覚えがあったからだ。


「あれは……理想写しイデア・トレースか!?」

「なら、こいつは——」


 吉野ユウト。

 だが二人とも断言まではできなかった。まず黒い仮面で顔が見えない。そして扱う魔法も戦い方もタカオの知る彼とはまるで違っていたから。加えて正確に急所を狙い、命を奪うことに一切の躊躇いがない。そこも彼とは程遠い。そもそもユウトは魔人の首魁との戦いで魔道士ワーロックの力を失い、今現在検査のためにアメリカへ向かっているはずだ。こんな場所にいるはずがない。


「ガイ、続きは後だ。とにかく今はこいつを何とかしねぇと」

「……わかった。けどタカオは下がっててくれ。腕輪のないお前ではあれは倒せない」

「……ッ」


 確かにガイの言う通りだった。さっき腕輪を破壊されてしまったせいでタカオはもう魔法が使えない状態。当然、魔力による身体強化も望めない。


「……」


 黒の襲撃者が動いた。真っすぐ、タカオを狙っている。


「ハッ……俺の方が弱そうだからか? 舐めやがって!」

「させない!」


 タカオを庇うように前に立つガイ。だが敵は速度を緩めない。いや、むしろ――


『Crash ...... Stampede!!』


 籠手に突き刺さった短剣をさらに押し込むと、それまでの迫力がまるで子供騙しであったかのように決壊した。


「Graaaaaaaaaaaaaaaaa!!」


 雷の獅子が雄叫びを上げる。次の瞬間、蒼い稲妻がガイの体を貫いた。


「う……ああああああああああ!!」

「ガイ!? ぐ……ッ」


 だが心配している余裕はない。動きを封じられたガイの横を通り抜けた襲撃者は即座にタカオの首を掴むと、ゆっくりその体を持ち上げる。


「ユウト……なのか?」

「……」


 返事はない。代わりに未だ膨張を続ける魔力が黒い瘴気となって襲撃者の体から排出されていた。そしてその瘴気は左腕に集い、まるで炎のように熱を発し始める。


「……やめ、ろ……ユウト!!」

「……ッ」


 しかしガイが叫んだ瞬間、僅かにその動きが鈍った。


「……う……や、め……ッ」

「ッ!?」


 明らかに様子が変わった。

 突然苦しみ始めた襲撃者――ユウトはタカオから手を離す。それに連動するようにガイを拘束していた獅子の稲妻も消失した。

 ようやく生まれたチャンス。タカオはここで引き下がらず、むしろ前へ出た。


「タカオ!?」

「ガイ! お前も来い!」

「……ッ、ああああああああああ!!」


 さっきまでの無機質な殺意は完全に消えた。今はただ、本能のままに暴れているだけ。そして本人はそれに抗っているのか、動きが極端に悪くなった。


(これなら行ける!)


 タカオとガイは暴走するユウトの攻撃を掻き分けながら、連携して全力の拳を次々と叩きつけていく。


「うおおおおおおおおお!!」


 ガイの跳び蹴りで態勢を崩したユウトにタカオは勢いよく飛びつく。そしてそのまま彼の頭を後ろから掴み、タックルの勢いを利用して黒い仮面を壁に叩きつけた。

 直後、まるでガラスが割れるような音が鳴り響く。


・2・


「エトワール!!」


 公園から出てきた電動式の車椅子に腰かける少女の背中を男が止める。


「……あ、教授」


 エトワールは振り返って自分を呼び止めた声の主を確認すると、まるで花が咲いたような幸せそうな笑みを浮かべた。


「いったいどういうつもりだ? 何故君はこんな所に……」


 探し求めた人物をようやく見つけた神凪滅火かんなぎほろびは言葉に怒りを含ませないように気を付けながら、ゆっくりと彼女に尋ねた。


「……ごめんなさい」


 対してエトワールはそんな彼の様子から自分が心配をかけてしまったことを理解しているようで、申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする。

 その上で、彼女はこう答えた。


「……どうしても、欲しかったから」


 欲しかった。それが何を指しているのか?

 滅火ほろびの脳裏にある答えが浮かび上がった。


「まさか、君は……」


 滅火ほろびは彼女が今しがた出てきた公園の方に視線を移した。しかしそこには何もない。


「うん……」


 エトワールは自分のお腹を愛おしそうに撫でながらコクッと頷く。


「私と、教授の——」


・3・


「う……ッ」


 タカオとガイの健闘の末、正気を取り戻したユウトは膝を付いて倒れた。同時に彼の体にずっと纏わりついていた黒い瘴気は霧散し、虚空へ溶けていく。


「ユウト! おいユウト! しっかりしろ!!」

「タ……カオ……、よかった」


 安心するユウトの顔を見て、タカオは何となくだが察した。

 大方タカオの危機を目の当たりにしたユウトが彼を助けるためにあの制御不能の力を使った、という所だろう。あの時点では魔法の鎧を纏った敵をガイだと認識することもできなかったはずだ。


「ったく、無茶しすぎだ。さっきの力とか、何でお前がここにいるのかとかは後できっちり聞かせてもらうからな?」

「アハハ、お手柔らかに……ぐっ……」


 突然、ユウトは顔を歪める。そして自分の左腕をギュッと押さえた。


「ちょっと腕、見るぞ?」


 タカオはとりあえずユウトを落ち着かせるため、彼の左腕の袖をめくった。そしてその亀裂きずを目の当たりにする。


「お前、これ……」

「大、丈夫。心配ないよ」


 ユウトはゆっくりと上体を起こしてタカオの手を優しく払う。だが実際の所、本人が口にしないだけで痛みは以前より確実にひどくなっている。手首から肘に伸びていた亀裂も肩口まで成長していた。外神機ティルヴィングの力を使うたびに侵食が進んでいるのは明白だった。


「……ッ、ガイ」


 ユウトは一人その場を立ち去ろうとするガイを呼び止めた。そしてタカオの方を向いて小さく頷く。


「ガイ、俺は——」

「俺は、命が欲しい」

「……ッ」


 そのたった一言に、タカオは返す言葉を失った。


 命——すなわちガイとして生き、そして死ぬこと。


 この世全ての憎悪の塊。命の概念がそもそも存在しない彼に『ガイ』という自我が芽生えたのは奇蹟以外の何ものでもない。時が経てばこの小さな奇蹟も消え、やがて新たな災厄として再臨するかもしれない。それはもはやガイではない。ガイという存在は何の意味もなく消失してしまう。だからこそ、彼は命に焦がれた。


「俺は、ここで終わる。終わらなきゃならない。そのためなら……」


 その先の言葉を彼は口にしなかった。

 ガイはタカオ達の方を振り返ることなく、静止した人混みの中へと消えていった。

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