行間3-4 -顛倒-

「クスクス。愉快愉快。えぇ、実に愉快」


 黒装束を纏う少女の姿をした伊弉冉いざなみの意思は生気のない白い指で自身の頬に触れ、恍惚とした表情で嗤う。


「……」


 伊弉諾いざなぎはそんな彼女の傍らで、二つの世界ゆめを静かに見守っていた。


「あら、お気に召しませんか? 旦那様」

「お前は皆の行先に干渉していないと言った。あれは嘘だな?」

「フフ、何のことでしょう?」


 彼女はあの時こう言った。

 各々『必要な場所』へ向かったのだと。

 刹那と燕儀だけを過去の御巫の里へ送り、そこで伊弉諾いざなぎにとっては最初の所有者である御巫零火みかなぎれいかと引き合わせたこと。

 そして祝伊紗那ほうりいさながガイのために残した極小の特異点にその他全員を送り込んだこと。

 おそらく彼女は嘘は言っていない。問題はそれが本人たちではなく、『必要な場所』だったという事だ。

 前者はおそらく嫌がらせ。刹那に対して御巫零火みかなぎれいかという圧倒的な超越者を見せることで、お前は伊弉諾いざなぎに相応しくないと知らしめたかったのだろう。要するに嫉妬である。

 後者にいたってはさらに醜悪だ。


「元よりあの邪龍ワイアームに命という概念はない。よしんばあったとしてもそれは我らの理の外にある」


 あれはいわば自然現象。その本質は台風や地震と同じだ。

 人の悪意がより集まり大きな力となって存在するもの。生まれた理由などなく、たまたま人間に近い意思が芽生えたに過ぎない。そんな訳の分からないものだからこそ、夢で捕らえた魂を管理する伊弉冉いざなみであっても好きにはできない。

 彼女はそれを分かっていて敢えてタカオたちに道を示したのだ。


「こうなる事は分かり切っていた」

「えぇ、えぇ! さすがは旦那様。招かれざる客人達は想定外でしたが、大方わらわの目論見通り。だって腹立たしいでしょう? わらわの夢で好き勝手に希望を謳うわらべたちなど。憎悪と悲哀、尽きぬ絶望こそがわらわ世界ゆめ。悪夢は巡り、そして終わらないものでしょう?」


 伊弉冉いざなみは暗い笑みを浮かべる。彼女にとって吉野ユウトを始めとする多くの者達が抗い勝ち取ったあの結末は相当気に入らないものだったようだ。

 しかし――


「フッ」


 伊弉諾いざなぎはそんな彼女の嘲笑を一蹴する。


「……何か?」

「確かに人間は愚かで身勝手な生き物だ。己の欲望を満たすためなら我らが定めた理さえ破壊する。その姿は醜悪に過ぎる。だが――」


 彼が言葉を一度止めたのとほぼ同時に、片方の世界ゆめに亀裂が走った。


「何……ッ!?」


 亀裂が生じたのは刹那達がいる方だ。大昔の御巫みかなぎを映したその世界ゆめが今まさに崩壊しようとしていた。もちろん、それは伊弉冉いざなみの意図するところではない。


「忘れたのか? 我らはその『人間』に討ち滅ぼされたのだぞ?」


 次の瞬間、一つの世界ゆめが砕け散った。

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