第100話 箱庭の守護者 -Those who want what if-

・1・


「あー、美味しかった。この店、当たりね」


 昼食を済ませ、喫茶店から出たミズキは開口一番にそう言うと、両手を頭の上で握りながら背伸びをする。


「あぁ、店主の入れるコーヒーには学ぶものがあった。豆にこだわりがあるのか? いやそれだけじゃない、水……あるいは焙煎ロースト時に何か――」


 会計を済ませたガイはそんな彼女の後ろで何やら真剣な面持ちで思案していた。


「はいはい、ガイって本当にそういうの好きよね」

「コーヒーには作り手の心が写る。味の深みはその人が試行錯誤を繰り返した歴史。そう考えると楽しいんだ」

「ふーん、そういうもんなのね。ならまた三人で来ましょ? ウチのコーヒー強化のためにも」

「あぁ」


 ミズキの提案にガイは喜んで頷いた。


「そういえばタカオは?」

「ん? 先に外に出たはずだけど」


 しかし辺りを見回してもタカオの姿はない。ガイはしばらく考えて、ミズキにこう提案した。


「ミズキ、先に店に戻っててくれ。俺は材料調達がてらタカオを探してから戻るよ」

「はぁ……了解。なら私の方は夜の開店準備しとく」

「助かる。じゃあまた後で」

「うん」


 お互い、多くを言わずとも求めるものが分かっている。とんとん拍子で役割を決めた二人はそのまま背を向け、別々の方向に歩きだす。


・2・ 


「……やっぱり、ここで何かあったんだ」


 タカオはとある裏路地に辿り着いていた。

 先程、喫茶店で聞こえた大きな音。あの時は周囲の反応もなく気のせいかと思ったが、そもそも事故でも起きなければあんな音そうそう聞く機会はない。しかしどれだけSNSを調べてもそんな情報は影も形もなかった。


 だが、果たして本当に何もなかったのか?

 だとしたら目の前のは何だ?


 音の出所が気になって先に喫茶店を出て探し歩いていたところ、タカオはこの妙に目を引くブルーシートを見つけた。

 誰が設置したにせよ、普通に考えればこの奥に人目を避けたい何かがあるという考えに行き着く。しかしその割には誰一人、タカオの進行を阻む者がいない。仮に警察が設置したものだとしたら、警備の一人や二人いなければおかしい。加えて後ろの通行人たちも不自然なほどこの場所を避けているように見えた。


(あの時聞いた音はもっと……それこそビルが倒壊するような音だった。少なくともここじゃない。けど――)


 全く関係がないわけではないはずだ。何となく、彼にはそんな確信めいたものがあった。その根拠として挙げられるのは、この夢の世界で『過去の自分』として日々を過ごしていく中で強まるある違和感だ。


「……ッ!?」


 ブルーシートを避け、奥へと進んだタカオはその光景を見てゾッとする。

 そこにあったのは壁一面にびっしりと飛び散った赤い血。死体は見当たらないが、間違いなく誰かがここで殺された現場だった。


「やっぱりな……いくらなんでもと思ってたんだ」


 そしてそれこそがタカオの中でずっと燻っていた違和感――その疑念を確信へと押し上げるものだった。


「俺たちは……大きな思い違いをしてる」


 そもそもの前提が間違っている。

 この世界ゆめは単に過去を再現しているのではない。おそらく、誰かが筋書きシナリオを書き換えた結果だ。少なくともこの現在かこはタカオの知らない現在いま。この点から見てもこの推測はほぼ間違いないだろう。となるといつまで経っても『過去の飛角』がタカオたちの前に一向に現れない理由にも納得がいく。

 ではその筋書きシナリオを書き換えたのは一体誰なのか?

 それについて、タカオは一つ思い当たる節があった。


 戦いとは無縁の平穏で満ち足りた日常。

 より正確には、何者にも干渉されることのない静止した世界だ。


(まるで俺たちにとって都合のいい世界……)


 海上都市での生活ははっきり言って全てが全て順風満帆だったわけではない。タカオたちにとっては戦いの連続で、一歩間違えれば死んでいたかもしれないなんてことはごまんとある。だからこそ、タカオは今味わっているこの幸せな時間に強い違和感を感じていた。

 そしてその違和感の中心にいるのは――


「タカオ」


 その時、まさにがタカオの背後で口を開いた。


・3・


 静寂の中、電動式の車椅子の駆動音が鳴り響く。

 エトワールは再びレイナと最初に出会った公園に訪れていた。


「……」


 彼女はゆっくりと辺りを見回す。しかし、周囲に彼女以外の人間は一人として存在しない。それなりに大きな公園だが、子供の一人さえ。


「……」


 感情の起伏に乏しいエトワールだが、今だけははっきりと落ち込んでいるのが見て取れる。

 そもそも何故、彼女はわざわざこの夢の世界に足を踏み入れたのか?

 それが分からないからこそ、神凪滅火かんなぎほろびは今回のエトワールの独断を予期できなかったわけだが……。

 実際、彼女と海上都市の間には何の縁も所縁ゆかりもない。しかし、それでもエトワールには目的があった。どうしても彼女自身がこの世界に足を運ばなければならない理由が。


 そんな時、彼女の正面――公園の中心に円状の黒い影が発生した。


 エトワールはその気配に気づき、ゆっくりと顔を上げる。

 大きな影は二つに分裂し、沸騰して泡立つように徐々に膨れ上がると、やがて人のようなシルエットを形成していく。


「……あ」


 左右対称の二匹の影。

 片腕だけが異様に大きい、一翼一尾の異形。しかしながら同時に人間の少女に非常に近い姿も有している。

 それはこの世界ゆめを守るために作られた防衛機能。別の場所でカイン達が対峙したものと同種の存在だ。

 エトワールはそんな双子の影を目の当たりにして、恐怖するでもなく――


「……みつけた」


 ただゆっくりと、口元を綻ばせた。


・4・


「ガイ、何でここに……」

「それはこっちのセリフだ。もう行こう。ミズキが心配してる」


 ガイはゆっくりと右手を伸ばす。しかしタカオはその手を取ることにどこか躊躇していた。


「……?」

「あ、いや……なんつーか――」



「そうか……



「ッ!?」


 その時、瞬時に危険を察知したタカオは考えるよりも先に後方に大きく跳んでいた。


「ガイ……お前、今何て……」


 十分に距離を取ったタカオはゆっくりと、そして震えるような声でそう言った。だが彼の答えを待たずとも分かる。タカオの推測は概ね的を射ていたのだ。


「お前が、この世界の核なのか!?」

「核……か。まぁ、その認識で間違いないよ。ここは祝伊紗那ほうりいさなが最後に俺のために残してくれた小さな夢。俺が邪龍ワイアームではなく、人間ガイとして終わることができる箱庭だ」


 ガイはあくまで敵対の意思は見せず、いつも通りの雰囲気でそう答えた。


「どういう意味だよ?」

「何てことはない。例え伊弉冉いざなみであっても、俺の死はもう覆せない。ただせめて邪龍としてではなく、人間として死にたい。ここはそんな俺の我儘を叶えてくれる世界なんだ」


 ガイは人間ではない。

 どこか別の世界。そこで人間の悪意が一つに統合し、形と意思を得たもの。言い換えれば世界一つ分の負のエネルギーを凝縮した災いの龍。それが彼――ワイアームという存在だった。3年前、自分が人の皮を被った怪物であるという記憶を失っていた彼はある戦いを機にそれを思い出した。

 しかしこの世界では違うという。確認のしようがないが、言葉通りの意味なら今のガイは人間ということらしい。


「タカオ、この世界ゆめは直に終わる。なのに何で今更ここに来た?」

「俺は、お前を……ッ」


 助けに来た。そう言うつもりだった。

 だがタカオの口からその言葉が出ることはなかった。

 もう覆せないと、他ならぬガイがそう言ったから。

 人間として終わりたいと、他ならぬ彼がそう願ったから。


「他にも数人紛れ込んでいる。さっきも言ったがここは限りなく小さな箱庭せかいだ。外から新たに受け入れる容量なんて微塵も残されていない。だから――」


 だから、分かってしまう。


「悪いけど、強引にでも追い出させてもらう」


 どこまで行っても、どんなに取り繕っても。


『Ready ...... Lost Lucifer Open』


 自分たちが邪魔者だという現実あくむを。

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