第99話 影狼 -The faith of shadows-

・1・


 ――斬。


 さらに一拍遅れて景色が斬れた。

 遠方では高層ビルが一刀両断され、ガラス片を撒き散らしながらゆっくりと崩壊を始める。


「ぐ……ッ! うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 黒き襲撃者の一太刀に間合いは無意味。

 どんなに離れていても刃の軌跡にあるもの全てを等しく斬るからだ。カインと飛角は何とかその斬撃に捕まらないように建物の上を移動し続けながら考えを巡らせていた。


「何なんだアイツ!? いくら何でもデタラメが過ぎるぞ!」

「海上都市にいた頃、あいつとよく似たネフィリムがいた。確か名前は……そう、ロウガだ!」


 かつてロウガと呼ばれた上位魔獣ネフィリム。狼の顔と人に近い巨躯を持ち、巨大な長刀を唯一の得物としていた強者だった。

 だが彼は3年前にこの場所で消滅している。今、目の前にいる黒い敵は彼に非常によく似た別の何か。


「名前なんてどうでもいい! 何か弱点とかねぇのか!?」

「ない……というかそういうのが通用する相手じゃない。あぁもう! 一周回って厄介なタイプだ!」


 飛角の知る限り、ロウガにはあの距離を無視した斬撃以外に特筆すべき能力はない。こちらの攻撃も当たれば効果はあるだろう。

 ただ問題は単純に強いということ。小細工を弄してもあの達人級の剣術には届かない。故に一番妥当な攻略法は正攻法以外にありえない。


「……やるしかないね」

「あ?」


 嵐のような斬撃が収まった折を見て、飛角はカインの近くに着地するとそう言った。


「見た所、あの黒い影に意思みたいなもんはない。差し詰めこの世界ゆめの防衛装置かなんかだろ」


 飛角が体内に貯蔵した魔力を解き放つと、龍化によって額に二本の角を生やし、背中に龍の翼を展開した。


「勝てんのか?」

「勝つんだよ。私らで。てことでちょいと耳貸しな」


 手招きする飛角にカインは少し訝しんだが、耳を傾ける。そして彼女の策を聞いて目を見開いた。


「マジで言ってんのか!?」

「マジもマジ、大マジだよ。ぶっちゃけこっちのアドバンテージは数だけ。長引けばそれもなくなる。カイン、魔装は使える?」


 飛角はカインの異形の右腕に視線を移す。


「あぁ、ご丁寧に戦う力だけは残してくれたみてぇだからな」


 そもそもここは伊弉冉いざなみが創り上げた夢の世界。その所有者であるカインには本来、この世界における絶対的な優先権が与えられるはずだった。それこそ目の前の敵を存在ごと消去することくらい朝飯前。言ってしまえば何でもありのチートに他ならない。

 しかし、今の彼にそんな真似はできない。伊弉冉いざなみの意思がこの世界への道を示したあの時、何らかの細工をしたらしい。残っていたのは戦う力のみ。要は自力で何とかしてみろという事らしい。


「上々。どうせアレを倒さないと先には進めないんだ。覚悟決めろよ後輩」

「上等だ。そっちこそ足引っ張んなよ先輩!」


・2・


「タカオ?」

「……ッ、あぁ……」


 どうやら呆けていたらしい。

 気付けばガイが心配そうな表情をタカオに向けていた。

 タカオとミズキ、そしてガイの三人は久々に中心街に出て適当な喫茶店で昼食を取ろうとしていた。


「どうかしたのか?」

「いや、今なんか外ででかい音がしたような……?」


 しかし店の外を見渡しても、目に入るのは通りを歩く人込みだけ。。何一つ。


「どうせ風の音とかでしょ」


 カウンター席でタカオとガイの間に座るミズキは特に気にする様子もなく、スプーンでマンゴーパフェをつつく。


「いやもっとこう……ドンガラガッシャーン! みたいな?」

「何その大惨事……」


 タカオのオーバーリアクションにミズキの訝しむような視線がさらに強くなった。


「だいたい、そんな状況ならいの一番に私が気付くわよ」


 ミズキは魔法で人の思考を読むことができる。もし近くで何か異常が起き、その事実を大勢の人間が認知しているのなら、そこに生まれた感情の大波を彼女が察知しないはずがない。


「大丈夫だ。ここでそんな事件は起こらない」


 ガイもミズキの言葉に頷きながらそう言うと、運ばれてきたステーキ定食を食べ始めた。


「まぁ……それもそうだな。お、来た来た俺のハンバーグ定食♪」

「ちょッ!? 馬鹿、立つな!!」


 待ちに待った自分の料理をカウンターの向かい側の店員から受け取ろうと席を立って身を乗り出すタカオ。だが隣に座るミズキのパフェに彼の服が接触しそうになったので、ミズキは慌てて自分のパフェを横に移動させた。しかしその方向と強さを誤った。咄嗟の判断だっただけに……。


「「あ……」」


 ミズキとタカオは揃って唖然とする。

 ミズキがパフェを避けたと同時に中のクリームが勢いよく飛び出したのだ。しかもその先にいたガイの顔面にクリームがぶちまけられるというおまけつき。


「ご、ごめん、ガイ!!」

「……問題ない」


 ペロっと一口クリームを舐めるガイ。彼のあまりに動じぬ態度からか、それとも滅多に見ない珍事故か、事態を飲み込むのに僅かばかりの時間を要した店員たちはようやく慌てふためき始める。


・3・


 カインの横で膝を地面に付け、クラウチングスタートから一気に加速した飛角は一直線に敵を目指した。当然、ロウガの影はそんな彼女に対し横一文字の容赦ない斬撃で迎え撃つ。


「フンッ!!」


 地平線の先まで走る斬撃。だが飛角はそれを

 本来であれば『景色を斬る』という概念が内蔵されたロウガの斬撃は絶対だ。彼にとっての『斬る』とは実際にそこに刃が通っているわけではなく、『そうなる』と決められた現象。横から干渉することはできない。


 しかし飛角だけはそのルールに当てはまらない。


 彼女の魔法は魔力や霊体といった本来物理的に干渉の叶わないものに対して、触れることができるというもの。

 詰まる所、飛角の目には例え次元を切り裂く刃であっても認識可能な物体として映るのだ。そうなるとあとはそれを壊せるか壊せないかの問題になる。


(……ッ、つーッ! さすがに硬いか)


 彼女が砕いた斬撃は拡散し、大小様々な高層ビルを切り刻んでいく。だが崩壊したビルの下敷きになった人々からは悲鳴の声さえ上がらない。彼らにはそうした機能がそもそも組み込まれていないのだろう。潰されて動かなくなるまで決められた行動を続けている。

 飛角はすぐに敵に注意を戻した。倒壊で発生した煙に紛れ、自分の姿を敵の視界から消す。


「ッ!?」


 しかし相手の感知能力はやはり大したものだった。狼由来の嗅覚か、影はいつの間にか背後の粉塵から高速で飛び出した飛角に二の太刀、次いで三の太刀を放つ。

 だが一定以上の距離を保って横に避け続ける限り、そう簡単に飛角が捕まることはない。そう、むしろここからが本番だ。


「あらよっと!」


 さらに速度を上げ、すれ違いざまに一撃。

 だが魔具アストラガルムによる冥爪は大太刀によって防がれた。


(やっぱ中途半端な出力じゃダメか)


 彼女の魔具アストラは対象を巻き込んで空間ごと切り裂く強力無比な鉄爪だが、それ故に一度で消費する魔力も相当なもの。斬撃に捕まらないよう常に高速で移動し続けるための体力を当たるか分からない一撃のために消費することはできない。


「ガルルッ!!」


 攻撃を防いだほんの一瞬、彼女の動きが止まったその刹那を敵も見逃さない。目にも止まらぬ速さで繰り出される返しの刃による一閃は飛角の髪を僅かに撫でた。


(っぶな!?)


 再び距離を取る。敵を中心にして飛角は周囲を旋回した。その間も再び近づいて一撃入れる隙を探るのだけは忘れない。


(ダメだ、それじゃ生温い!!)


 だがここで敢えて彼女は安全策を捨てる。

 速度は落とさず強引に90度曲がり、再び敵を目指して距離を詰める。両足に魔力を溜め、そのまま全体重を乗せたドロップキックをお見舞いした。


「おおおおおおおおおおおおおおお!!」


 身を貫く衝撃波は周囲を破壊し、敵を吹き飛ばす。飛角はここで逃げずにさらなる追撃を敢行した。縦横無尽に駆け回る事で的を散らし、三次元的に敵を追い詰める。その際、周囲の建造物を破壊しながら煙を発生させて視界も奪っていった。


「ウオォォォォォォォォォォォン!!」


 耳をつんざく咆哮と共に、飛角の位置を完璧に捉えた一閃が炸裂する。


「ぐ……ッ!」


 攪乱も空しく、右の翼を持っていかれた。しかし足だけは絶対に止めない。彼女は落下する建造物の上を走りながら、同じく並走するロウガの影と激しい交錯を続けていく。


***


 ――遠方のビル屋上。

 カインは激しい攻防を続ける飛角と影の戦闘を凝視していた。彼女の合図を見逃さないために。


(……まだか)


 逸る気持ちを押さえていても、彼は自然と右の拳を強く握っていた。時間の経過はそのまま作戦失敗へのカウントダウンだからだ。1秒も無駄にはできない。

 飛角の作戦は実にシンプルなものだ。

 彼女一人がロウガの影と真っ向から対峙し、その動きを封じた瞬間にカインが魔装でトドメを刺す。そもそも隙が無いならどうにかして作るしかない。要は役割を明確化させることが大事だった。

 だがシンプル故に難易度も相当高い。二人でも一杯一杯だった相手を一人で圧倒しなければこの作戦は成り立たないのだから。


 ゴ……ッ!!


 大気が震える。

 こんなに離れていても自分が立つこのビルを含めた周囲の建造物が揺れている。それだけ二人の戦いが激しいということだ。


「ここは遠い」


 そう判断したカインは一つ隣のビルに飛び移った。

 敵にカインの存在を気取られたらその時点でこの作戦は終わり。だが同時に一歩でも近くに位置取る事は作戦の成功率を上げる事に繋がる。


「ハッ……まるでチキンゲームみてぇじゃねぇか」


 不敵に笑うカイン。こういう時にこそ――


「なら俺の取る選択肢は一つだ」


 彼はその真価を発揮する。


***


 落下の最中でも飛角と影の攻防は続く。

 もはやどっちが上でどっちが下なのかさえ分からない。とにかく少しでも足場になる場所に足を付け、視覚で得た情報から敵以外の不要な情報を全て削ぎ落す。

 状況はどんどん悪くなっている。相手に大振りの一撃がある以上、いくらそれを壊せるとはいえ飛角の不利は覆せない。剣士相手に白兵戦という最も危険な手法を取る事でしか勝機を掴めないのだ。


「こ、の……ッ、いい加減へばれよ!」


 滑るようにガラスの上を駆けながら、高速で上下左右と敵に冥爪を走らせる飛角。


 パキッ!


「……ッ!?」


 その時、妙な音を耳が捉えた。

 ガラスが割れ、コンクリートが砕け、炎爆ぜる囂々ごうごうとした戦場の中で確かに、はっきりと。

 この透き通る……けど芯のある音は――


(ダメだ……先に私がへばる……なら一か八か!!)


 飛角は龍の角と翼を引っ込め、残った魔力を全てガルムに注ぎ込んだ。

 先に大地に足を付けた敵も強力な一撃が来ることを察したのか、それに見合う大技を繰り出そうと大太刀を上段に構えていた。

 僅かな勝機に賭けた飛角は持ち得る最大の一撃を放つ。


「ガルム!!」

「ウオォォォォォォォン!!」


 『空間を引き裂く爪』と『空間を断つ刃』が衝突する。


 今にも引き千切れそうな右腕を力任せに前へ押し込みながら、彼女は声にならない叫び声を上げた。




 だがその最中、




 万物を断ち切る大太刀が半ばで折れたのだ。

 もしロウガが本物なら、ここで驚いたことだろう。だが形を借りただけの影は状況を理解できていないといった感じだった。


「カインッ!!!!」


 仲間の名前を叫ぶ。それが勝機を見出した彼女の合図。


「あと、よろしく……」

「任せろ」


 漆黒の大鎌を携えた死神はすれ違いざまにそう呟くと、次元と次元の衝突をさらに引き裂いて、その嵐の如き黒刃を敵の喉元に突き立てる。

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