第96話 須佐之男 -Zenith of the swords-

・1・


「久しいな、斬姫よ」


 爆心地の中心にありながら、魔人シャルバは優雅に好敵手に向かって挨拶する。


「……何の冗談ですか? あなたは先のいくさで私が封じたはず……」

「ホッホッホ、そんな事もありましたな。しかしそのような些事を考える余裕があるのかね?」

「ッ!?」


 次の瞬間、魔人が動いた。


((速いッ!!))


 刹那と燕儀。二人を以てしても反応が遅れた。

 たった一歩。その一歩でシャルバは零火れいかとの距離を一気に詰めていた。




 ガキンッ!!




 刀身同士の激突が重厚な音を奏でる。

 強すぎる力と力の衝突は衝撃波となって周囲の屋敷を跡形もなく吹き飛ばしてしまった。


「さすがですな。それでこそ私に勝利したただ一人の人間だ!」

「う……ッ、その剣……何故あなたが……ッ!」


 零火れいかが驚くのも無理はない。

 彼女の伊弉諾いざなぎと相対するのは、同じく魔遺物レムナントである須佐之男スサノオ。この時代せかいにおいては本来、原初の魔道士ワーロック――アベル・クルトハルの眷属である竜胆棗りんどうなつめただ一人のみが持つはずの武具なのだから。


「まさに僥倖! もう一度君と切り結べるとは。なかなかどうして夢も悪くない」


 そのままさらに三……いや五度。目にも止まらぬ速さで刃を交えた二人の剣士は最後の一撃で互いに大きく後ずさる。


「……ッ」


 ここに来て何度も目にした零火れいかの剣捌き。その速さと正確さは尋常ではない。しかし驚くべきことに刀より明らかに重いはずのシャルバの大剣はそれに拮抗していた。本来なら速さを犠牲に一撃に特化したはずの大剣を彼は軽々と操っている。


「あの敗北から私は考えた。考え続けた。そして一つの結論に至ったのです。あの時の私はその伊弉諾かたなに見合うだけの得物を持っていなかった、と。然らば此度はどうかな?」


 シャルバの右肩から光が溢れる。さらにその光が紋様を形作ると、彼の手にある須佐之男スサノオに莫大な魔力が注がれ始めた。


聖刻クレスト、でしたか」

「いかにも。我ら魔人の根源よ」


 聖刻クレスト

 話には聞いていたが刹那自身は初めて見る。ユウトの報告では魔人一人一人が体のどこかに異なる紋様のそれを持ち、魔力を吸収する力を備えているという。それが魔具アストラなど一部の例外を除き、魔人に魔力由来の攻撃が効かない理由だ。


零火れいかさん!」

「加勢するよ」


 刹那と燕儀はそれぞれ刀を構え、零火れいかの隣に並び立つ。だが彼女は首を横に振った。


「下がっていなさい。あの者の強さは規格外。せめて相応の得物を持たない限りかえって足手まといです」


 彼女の言葉に二人は反論できなかった。今の刹那は伊弉諾いざなぎを持っていない。零火れいかから借り受けた刀がいくら業物といえど、須佐之男スサノオの前では小枝にも等しい。おまけに雷の魔法は魔人の能力で無効化される。燕儀も同様だ。魔具アストラの力を引き出せる神機ライズギアは確かに有効打を生むかもしれないが、それは彼女がシャルバと同等以上の技量を持って初めて成立する話だ。


「でも……」

「大丈夫です。私は一度あの者に勝利している。負ける道理などないと知りなさい」


 零火れいかは刹那に小さく微笑むと、シャルバを睨んだ。


「良いのですか? せっかく蓄えた魔力をそんなに消費して」

「目の前に極上の魔力があるのだ。帳消しどころかお釣りがくるというものだよ」


 以降二人の間に会話はなく、互いに少しずつ間合いを詰めながら勝機を見極めている。全く入り込む余地がない。刹那は思わず息を呑む。ただ零火れいかを見ていることしかできなかった。


「……参ります!」


 最初に動いたのは零火れいかだ。

 左右に不規則に跳躍し、シャルバの視界を乱しながらまず一閃。当然、シャルバはそれを正面から受け止める。零火れいかの攻撃は終わらない。すかさず三度、炎雷を纏った刃を高速で走らせるが、やはりその全てを魔人は難なくいなしてみせた。


「次はこちらの番だ」


 今度はシャルバが須佐之男スサノオを大きく振りかぶる。零火れいかは左手に魔力を収束し、五指ごしの一つ――水の魔法で足元から水流の壁を発生させた。構わず振り下ろされるシャルバの一刀。だがその刃が零火れいかを捉える事はなかった。


「そこか!」

「……ッ!」


 水壁を利用しシャルバの視界から消え、彼の背後に回った零火れいかの奇襲は失敗に終わった。だが彼女の狙いはそこではない。零火れいかはさらに五指ごしを発動する。直後、大地の槍がシャルバの足元から剣山のように襲い掛かった。


「ッ!?」


 それを見て一瞬目を見開いた彼は零火れいかとの鍔迫り合いを止め、すぐに後方へ跳んだ。


「危ない危ない。聖刻クレスト頼りで無視していれば串刺しになるところでしたな」


 シャルバは愉快そうにそう言った。


***


「何で避けたの? 魔法は効かないはずよね」


 後ろで二人の戦いを見守っていた刹那が疑問を口にする。


「違うよ刹ちゃん。たぶん、あいつが吸収できるのは刹ちゃんの雷みたいな純粋に魔力で構成されたものだけなんだよ。攻撃は吸収できないんじゃないかな」


 燕儀の予測はこうだ。

 まず零火れいかは土の魔法で地下に複数の起点を発生させ、その後水の魔法で周囲の土を固めた。その際水魔法が大地の温度を奪い、土魔法はそれを限界まで圧縮したはずだ。そうして氷河のような硬度を持つ下地が彼女たちの足元で完成した。最後に起点から土を隆起させ、固まった大地を一直線に押し出したのがあの大槍というわけだ。


「魔法はあくまで起点トリガー。実際武器になったのはもともとそこにあったものだから聖刻クレストでは吸収できない。そういう事ね? 姉さん」

「見たまんまの事実だけ言えばね。ただ実際、そんな複雑な処理をあの短期間かつ完璧に。しかも戦いながら複数で実行するのは私なら準備なしでは無理だよ。あとさっきから疑問なんだけど……」

「何?」


 燕儀は零火れいかとシャルバの剣戟から目を離さずにこう言った。


「何で零火れいかさん、あんなに


 その言葉を聞いた刹那は改めて二人の戦いを観察した。


(確かに……いくらシャルバが強いからって、あの零火れいかさんが小細工を織り交ぜて隙を付く戦い方をするなんて)


 卑怯だとは思わない。だがらしくない。彼女の性格を考えればなおさら。

 あれではまるで打ち合いを望んでいないように見える。あるいは――


須佐之男スサノオの何かを警戒してる?)


***


「どうした? 夢幻とはいえ全盛期の御巫零火みかなぎれいかがこの程度とは言うまい」

「……ッ」


 伊弉諾いざなぎ須佐之男スサノオが交差する。

 零火れいかは刀を返し、須佐之男スサノオの表面を滑るように刃を走らせる。狙うは魔人の首。横一文字に思いっきり振り抜いた。

 しかしシャルバはそれを紙一重で躱し、さらに彼女との距離を詰める。


「ハッハッハ! 心が躍るな斬姫よ!」


 魔人は笑う。そこにあるのは悪意など微塵も感じない純粋な歓喜。

 彼はこの戦いを心から楽しんでいる。


「やはり私と君は運命の赤い糸で結ばれている。数多の敵を屠ってきてなお、一度として感じることのなかった生と死が交じり合う刹那の感覚。たった一つのミスで泡沫と消えるこの狂おしい時間を味わえるのは君とだけなのだから!!」

「戯言を!」

「笑止! そのような言葉で片付けられるほどこの戦い、安いものではない!」


 シャルバは剣を払い、零火れいかのみぞおちに回し蹴りを放つ。


「ぐ……ッ!?」


 彼女にとってシャルバが剣以外の攻撃手段を用いたことが相当意外だったらしい。防御が間に合わず、直撃を許してしまった。


「私にとって勝利とは常なるもの。いくら繰り返してもそこに喜びなどない。だがそれを変えたのは君なのだよ。君に勝利すること……それが私の生きる意味となった。そのためならプライドも、過去の研鑽さえ全て捨てる」

「……私に、勝つことだけのために……生きるというのですか?」

「その通り。ただそのためだけにこの生き恥を晒してきた!!」


 シャルバが須佐之男スサノオを再び振りかざす。


零火れいかさん!!」

(早く、動かなくては……ッ)


 零火れいかには背後の刹那達の声が聞こえていない。それほどまでに彼女は追い詰められていた。


(早く……ッ)


 達人同士の戦いにおいて一撃は致命と同義。

 最初に攻撃を受けた時点で零火れいかの敗北は目前にまで迫っている。


「これで終幕かね? 違うというなら全力で抗ってみたまえ」

なつめ、様……)


 振り下ろされる神の剣。勝敗は決し――




「だから言ったじゃねぇか」




 その時、達人同士の死合に何者かが割って入った。


「何……ッ!?」

「あ……」


 刹那達でも間に入る隙を見つけられなかった。常人であればまず間違いなく死ぬ。

 しかし男は生きていた。しかもシャルバの一撃を真正面から受け止め、その上で零火れいかを守ってみせた。

 その男の名は、


「な、なななな……」

「楽しそうな祭りだな、零火れいか。俺にも一枚噛ませろよ」


 竜胆棗りんどうなつめ

 もう一人の須佐之男スサノオの資格者だ。

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