第95話 代償 -Scar-

・1・


「うっ……はっ!!」


 うなされていたユウトが勢いよく上体を起こした。


「はぁ……はぁ……さっきのは……」


 暗い闇の中、その一番奥に何かを見た気がする。

 けど思い出せない。思い出そうとすると途端に思考に靄がかかる。

 酷い倦怠感で考えがまとまらない中、ユウトの鼻腔を潮の香りがくすぐった。


「……海?」


 意識を取り戻して最初に彼の視界に入ってきたものは、青い海とそれが反射する太陽の光。どうやらここはもうあの真っ黒な世界ではないらしい。


「目を覚ましたか」

「……神凪かんなぎ滅火ほろび


 滅火ほろびはユウトのすぐ側の木に背中を預け、タブレットを操作しながら何かを見ていた。


「……ここは」

「再構成された海上都市イースト・フロートだ」

「なら、無事に辿り着けたのか」

「無事かどうかは自分の体に聞くんだな」


 滅火ほろびはタブレットの電源を切り、ユウトの方を向いた。


「……」


 先程の彼の言葉。その意味にユウトはもう気付いている。

 ユウトは恐る恐る左腕の袖をめくった。


「これは、冬馬と同じ……うっ……」


 指先がほんの少し触れただけで激痛が走った。


「あれだけの力をただの人間が行使すれば当然だ」


 そこには亀裂のような痛々しい傷が刻まれていた。

 かつて宗像冬馬むなかたとうまが彼の父による実験の果てに負った傷と同じもの。人の身に過ぎる魔力に体が悲鳴を上げた証。

 亀裂はユウトの左手首から肘にかけて伸びている。幸い……とはとても呼べないが、ユウトの傷は冬馬のそれより小さいものだった。


(けどたったこれだけでこんなに痛いのか。ならあいつはもっと……)


 冬馬の場合、夜白による献身的な治療のおかげで進行はほぼ止まっている。しかし3年経過した今でも完治はしていない。彼が最前線に立てない大きな理由の一つだ。


「……?」


 ふと、ユウトは側に落ちていた短剣に気付く。


「これは、あの時の」


 禍々しい魔力に満ちた黒い刃。

 それに触れた瞬間、閉じていた記憶が一気にフラッシュバックした。


(……ッ!?)


 自分の意志とは関係なく、それは頭の中を蹂躙する。

 黒衣を身に纏い、無慈悲に敵を狩る殺戮者。

 およそ吉野ユウトという人間からは想像できないその相貌は、ユウト自身を震え上がらせた。


「あれが……俺?」


 やったのは間違いなく自分だ。未だ手に残るこの感触が否定を許さない。

 だが本当は自分ではない何者かなのではないか? そう思ってしまいたいほど、記憶の中のユウトは対極の存在だった。


「それは外神機フォールギアだ。いや、正確には、か。今はもうお前にしか扱えない代物に成り果ててしまった」

「……どういう意味だ?」

「言葉通りの意味だ。ワーロックの力を失ったはずのお前に触れた瞬間、それは再構築リビルドされた。そのティルヴィングは私の知らない外神機フォールギアの形だ」

「ティルヴィング……」


 ユウトは自分の手の中にある短剣に視線を落とす。

 力を失い、ただ人となった今の彼にとってこれは唯一とも言える『武器』だ。だが――


「欲しいなら好きにしろ。ここまで辿り着けた報酬だ。だがこれ以上の使用はお勧めしない」

「……」


 滅火の言葉はもっともだ。言われるまでもなく、この短剣が相当危険な物だという事はユウト自身が一番理解している。

 一度使っただけでこれだけの反動。もしこれをもう一度使えば、さらに悪化の一途を辿るのは明らかだ。


「さて、お喋りはここまでにさせてもらおう」

「ッ、どこへ……っ……」


 立ち上がった滅火に伸ばした左腕が激しく痛み、ユウトはその場で蹲る。


「私は私の目的のためにここへ来た。ここから先、お前の助力は必要ない」

「待てよ……まだ、話は……」


 滅火は彼に背を向け、この場を立ち去る前にこう言った。


「せいぜい足掻くことだ。ここは文字通りの泡沫うたかたの夢。残された時間はそう多くはない。この機を逃せばお前の大切な存在を救い出す事は二度と叶わなくなるかもしれないぞ?」

(大切な……存在……)


 頭の中でその言葉だけが何度も反芻される。

 朦朧とする意識の中、彼女の顔が浮かび上がった。


「……伊紗那いさな


 しかしそこでユウトの意識はプツリと途切れてしまった。


・2・


「はぁッ!!」

「ハッ!!」


 二つの銀閃が交わるように走る。


「甘い!」


 しかしそれをたった一振りが征した。


「……ッ、ダメか」

「万事休す、だよもう……」


 勝敗は決した。

 膝は付かずとも、御巫刹那みかなぎせつな橘燕儀たちばなえんぎにはもう打てる手が残されていないのだ。


「今日はここまでとしましょう」

「「ありがとうございます!」」


 御巫零火みかなぎれいかが木刀を納めそう言うと、刹那達もそれぞれの得物を納めて一礼した。


 零火れいかからこの時代の御巫みかなぎについて教わる一方、彼女の発案で二人はこうして剣の稽古をつけてもらう事になった。

 稽古は実戦方式で基本は二対一。

 零火れいか五指まほうを使わず、木刀と片手のみ。

 対して刹那と燕儀に縛りはなく、真剣を使う事も許されていた。燕儀えんぎ神機ライズギア伊弉諾いざなぎを持たない刹那は零火れいかから私物の業物を貸し与えられている。

 にもかかわらず――


「もう5日……一太刀も与えられないどころかあの木刀何であんなに無傷なの?」

「流石に私も自信無くすわ……」


 二人は揃って深く溜息を吐いた。

 零火れいかの扱う木刀には魔術による材質強化は一切施されていない。魔術のエキスパートである燕儀えんぎの目にもそれは明らかだった。あれは正真正銘、どこにでもある普通の木刀だ。傷つかないのはひとえに彼女の剣捌きがそれだけ卓越している証拠。真剣相手にまともに打ち合えば脆い木刀でも、いなし方一つでああも化けるとは思いもしなかった。


「二人共とても良い太刀筋です」


 息一つ乱さずに水筒の水を飲んだ零火れいかは二人を褒める。


「刹那さんの太刀はもう達人級と言っても過言ではないでしょう。魔法に驕ることなく、その若さでここまで上り詰めたのは称賛に値します」

「ありがとうございます」

燕儀えんぎさんも同じく。特に対人戦を熟知したあなたの戦い方には正直驚かされました。魔を狩ることを主とする御巫にしては珍しい剣技ですね」

「アハハ。まぁ私の場合、ちょっと色々ありまして……」


 魔獣ではなく、人を相手としてきた断刃無たちばなの暗殺術。その特性を零火れいかはしっかり見抜いている。



「お、何やら楽しそうだと思って来てみれば、綺麗所が揃ってるじゃねぇか」



 その時、修練場の入り口から男の声が聞こえてきた。


「なっ……なつめ様!?」

「おう」


 無骨ながらもどこか飄々とした雰囲気の大男が入ってきた途端、零火れいかの態度が一変する。


((あ、これは……))


 実は数日前にも一度、この光景を二人は見ていた。


零火れいか、ズルいじゃねぇか。俺に執務を押し付けてこんなカワイ子ちゃんたちと遊びやがって」

「も、ももも申し訳ありませんなつめ様!」


 零火れいかはほぼ90度腰を折り曲げ、平謝りを続けた。先ほどまでの凛とした立ち振る舞いが嘘のように消し飛んでいる。


(刹ちゃん刹ちゃん、どう思う?)

(どう思うって……どう考えても、ねぇ?)


 大男の名は竜胆棗りんどうなつめ。刹那達の時代では竜胆司りんどうつかさの祖先に当たる人物だ。

 竜胆家は数ある分家の一つ。なのに何故本家の人間である零火れいかがここまで謙っているのか? それにはちょっとした理由があった。

 言うまでもなく本来の当主は御巫本家の末裔であり、術技共に最強と名高い零火れいかだ。だが棗は政治に疎い零火れいかの代わりに御巫一族を統治し、また国との交渉事も彼が表に立っている。武人としても零火れいかと並び立つほどに強く、彼女と同じくアベル・クルトハルの眷属の一人として須佐之男スサノオを所持している。

 まさしく文武両道の傑物。いわゆる影の当主といった役所やくどころを担っているわけだ。そんな彼を見る零火れいかの視線はいつも決まって他の者に向けるそれとは全く違っていた。


(恋する乙女でしょ)

(恋する乙女だねぇ)


 敬愛。明らかにそれだけでは説明がつかない熱い視線を見るに、ほぼ間違いないだろう。その証拠に、


「まぁいいや。零火れいか、今晩ちっと付き合え。久々の晩酌だ」

「ぜ、是非! 不肖、この零火れいか。全力でお相手いたします!!」


 めちゃくちゃ目を輝かせていらっしゃる。


「未来のご客人たちもどうだい? 酒、もう飲める歳だろ?」

「い、いえ……今日は遠慮しておきます。もう少し調べ事もありますし」

「わ、私も」

「そうか? まぁそれなら仕方ないか」

((だって零火れいかさんめっちゃこっち睨んでるんだもん!!))


 あれはここに来て初めて感じた魔獣を狩る時の彼女の殺気。

 要するに、本気マジだ。


・3・


「申し訳ありません。先程は取り乱しました」

「あはは……」

「あれが少し……」


 修練場を後にし、渡り廊下を歩いて客間に戻る途中で零火れいかは二人に謝罪した。


「そんな事より今晩、頑張ってください!」

「……」

零火れいかさん?」

「……あの、折り入ってお二人に質問なのですが」

「「?」」

「先の世で私と……その……棗様は……め、め……」


 零火れいかにしては珍しい酷く煮え切らない問いに刹那と燕儀は思わず首を傾げる。


「め、夫婦めおとの契りを結んだのでしょうか!?」

「「!!?」」


 その瞬間、二人は凍り付く。

 対して零火れいかはというと、本人としてもかなりの一大決心だったのだろう。言い切った後は瞼をギュッと閉じてプルプルと震えていた。


(刹ちゃん! めっちゃ乙女だ!! 紅の斬姫めっちゃ乙女!!)

(姉さん、茶化さないの)


 刹那は燕儀を静かに窘める。ここまで分かりやすいほど一途な彼女を見ていると、もう全力で応援したくなるというものだ。たが実際問題、二人は彼女の問いに答える事ができない。

 御巫零火みかなぎれいかの伝説は後世でも広く伝わっている。現代においても御巫の人間であれば彼女の名を知らない者はいない。だが当然、それでも彼女の全てが語り継がれているわけではない。彼女の武勇伝は数え切れないほどある一方で、彼女個人についての情報はあまりに少ない。


 紅の斬姫。

 歴代最強。

 伊弉諾いざなぎの最初の資格者。


 それが彼女を表す皆の共通認識。皆にとっての強さの象徴だ。

 本家の人間である刹那でさえ、零火れいかがこんなにも恋する乙女だとは露ほども思っていなかったくらいだ。


「えーっと……」

「すみません。今のは忘れてください。こんな事を聞かれても迷惑ですよね」

「いや、そうじゃなくて――ッ!?」


 突如、刹那達の目の前に広がる庭園の中央が爆ぜた。


「「ッ!!」」


 三人はそれぞれ反射的に刀を取る。零火れいかとの稽古でさらに研ぎ澄まされた剣はいつでも振るえる状態だ。


「何者ですッ!?」


 零火れいかの鋭い一声に爆発の中心に立つその男は酷く満足げな笑みを漏らした。


「はて、よもや私の名前を忘れたわけではあるまい。我が最愛の斬姫――御巫零火みかなぎれいか

「あ、あんたは……ッ!?」


 粉塵の中からその姿を現したのは、灰色の肌を持つ燕尾服の初老の男性。

 以前、未来のこの地で刹那を助けた魔人――シャルバだった。

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