第94話 車椅子の女 -Teacher & Student-
・1・
「はぁ……もうこんな時間……」
ガックシと肩を落としながら、レイナは校門を出て溜息を吐く。
今朝、盛大に遅刻した彼女は罰として教師から特別課題を課せられた。別段分量が多かったわけではないが、科目がレイナの苦手な数学だったことが災いした。結局全てをきちんと片付けるのに放課後から約1時間ほどかかってしまった。
「ううん、頑張れアタシ! 期末テストも近いしちょうどいいじゃん!」
それでも持ち前のポジティブ思考を強引に引き出し、レイナは自分を鼓舞する。確かに課題は大変ではあったものの、教師はしっかり傍に付いてくれるし、分からなければ丁寧に解説もしてくれる。考えようによってはとても恵まれた環境と言えなくもない。そう、きっとそうだ。
金網越しのグラウンドからはまだ部活中の生徒たちの声が聞こえてくる。レイナはそんな彼らを背に帰路についた。
しばらく歩いていると、何やら声が聞こえてきた。
「……いて」
(ん、話声?)
女の人の声だ。誰かと話している?
それだけなら特にどうという事はないが、何故だかその会話が妙に耳に入ってくる。
(あっち……公園の方かな?)
それに何となく――
(……ちょっと、覗くだけ)
放っておけない感じがした。
・2・
「お姉さん、俺たちと遊ぼうぜ?」
公園では5人の男たちが車椅子に乗った銀髪の女性を囲んでいた。男たちは全員揃いも揃って軽薄が服を着たようななりで、まるで獲物に狙いを定める獣のように徐々に彼女に詰め寄っていく。
「……」
しかし細身の女一人では怯えてもおかしくない状況にあっても、車椅子の女性は全く反応を示さなかった。男たちのことなどまるで眼中にないかのように、ただ虚ろな目で虚空を眺めている。
「お姉さん、お姉さ~ん。ねぇ聞いてる?」
「……」
男の一人が女性の顔を覗き込み、小さく手を振る。だがやはり返事はなかった。
「おい、コイツ大丈夫なのか?」
「さぁな。けどかなりの上玉だぜ? 据え膳食わぬは何とやらだ」
それに車椅子なら例え強引に攻め寄っても逃げられる事はない。そう確信している男は下卑た笑みを浮かべた。
「お姉さん一人? 俺たちもちょうど暇してたんだよ。だからさ――」
「……いて」
「あ?」
ようやく女性が口を開いた。しかし男たちは誰一人、彼女が何と言ったのか分からなかった。それくらい消え入りそうな小さな声だったのだ。
「何? 悪ぃけどもうちょい大きな声で――」
「あーーーーーー! 先生ここにいた!!」
その時、公園の入り口の方から突然大声が飛んできた。男たちは思わず一瞬怯む。その隙を付くように、制服姿のポニーテール少女は一気に車椅子の女性の後ろに回ると頭を下げた。
「すみません! 急にいなくなっちゃった先生を探してたんです! 見つけてくれてありがとうございます!」
「え? あ、うん……」
予想外の乱入に状況を理解できずたじろぐリーダー格の男。周りの男たちも揃って顔を見合わせている。
「という事でご迷惑をおかけしました! 失礼します!!」
そんな彼らに有無を言わせず少女は車椅子の取っ手を握り、全速力でその場を後にした。
***
「はぁ……はぁ……はぁ……ここまで来ればとりあえず大丈夫かな」
気付いたら体が動いていた。男たちにナンパされていた車椅子の彼女を連れて半ば強引に公園を脱出したレイナ。彼女は車椅子を押しながらとりあえず人通りの多い場所に出た。ここなら人の目がある。もしあの男たちが後を追ってきても、早早下手な事はできないだろうと考えたのだ。
「ご、強引に押してごめんなさい。大丈夫でしたか?」
とにかく逃げることを優先して、ここまでがむしゃらに車椅子を押してきた。かなりガタガタ揺れたし、座っている方からしたらきっとたまったものではなかったはずだ。だからレイナはまず女性に謝罪した。
「……」
しかし車椅子の女性から返答はない。それどころかジッとレイナの方を向いて首を傾げていた。
「えっと……」
「……私、先生?」
「そ、それは、何というか……あなたを助けるための口実っていうか……」
正直、何も考えず勢いだけで押し切ったので、いざまともに聞かれると自分の浅はかさに恥ずかしくて顔が熱くなる。もっとスマートな方法はいくらでもあったはずだ。
「……勉強、教えてあげようか?」
「……へ?」
けどそんな少女らしい羞恥を全て吹き飛ばすような予想外の言葉に、思わずレイナは素っ頓狂な声を漏らす。
「先生……生徒……」
車椅子の女性はまず自分を指差し、そして今度はその指をレイナに向けた。
・3・
(え……これ一体どういう状況なの!?)
レイナは自分の置かれた状況を自問した。
公園で男たちにナンパされていた車椅子の女性を助けた。そこまではいい。けどそうしたら何故か勉強を教えてあげると言われ半ば強引に近くのファミレスに連れ込まれてしまった。
気付けばテーブルの上には各科目の教科書がズラリと並べられ、正面には件の彼女が座っている。あれから約2時間、レイナのためだけの個人指導が今もなお進行中だ。
「あ、あの~」
「……そこ、違う」
「あ、はい」
ノートに綴った因数分解の間違いを指摘されビクっとするレイナ。そんな彼女を見て、車椅子の女性は小さく微笑む。
「って、そうじゃなくて!!」
「……何?」
「何で私、お姉さんに勉強教えてもらってるんですか!? いやとっても分かりやすくてありがたいですけど!」
「だって……私、先生?」
「??」
女性はコクリと小さく首を傾げる。レイナの方も同じように首を傾げていた。
こうなるともはやお互いに次の言葉が見つからない。数秒間、二人の間で無言の時間が続いた。
「……あなた、誰?」
(えー……)
先に相手が口を開いたかと思えば、本当に今更な質問が飛び出してくる始末。
「私はレイナ。レイナ・バーンズです。えっと……これも何かの縁です。お姉さんのお名前も聞いていいですか?」
「……エトワール」
車椅子の女性――エトワールはそう名乗って少し前にウェイターが持ってきたコーヒーを一口飲んだ。
「エトワールさん。素敵なお名前ですね」
確かフランス語で星を表す言葉だ。
その名の通り儚くもどこか神秘的な輝き、と言えばいいのだろうか? 意識しなくても思わず目に留まってしまうような不思議な魅力を持つ彼女にはピッタリだとレイナは素直に思った。
「ありがとう……教授がくれた大切な名前なの」
自分の名前を褒められて相当嬉しいのか、指先でコーヒーカップの縁をなぞりながらエトワールは幸せそうな笑みを浮かべた。
「教授? ということは本当に学校関係者の方なんですか? 大学とか」
「ううん……私は教授のお手伝いをしているだけ」
レイナの質問にエトワールは首を横に振った。
「意外だなぁ。エトワールさんの教え方すっごく分かりやすいからてっきり本職の方なんだと思っちゃいました」
「教えるの得意だったって……教授が言ってたから」
(……得意だった?)
ふと、レイナはその言葉に少しだけ引っ掛かりを覚えたが、すぐに新しい指摘を受け注意が手元の問題に戻された。
「そこはまずこの公式を当てはめて――」
「ふむふむ」
「これをここに移項して――」
「おぉ……」
「最後にこの共通因数でくくるの」
「あ、すごい! 解けた!」
指示通りに手を進め、見事美しい解答を導き出したレイナは喜びのあまり思わず声を上げる。エトワールはそんな彼女の頭に手を伸ばし、優しく撫でた。
「……いい子」
「エヘヘ。あ……もうこんな時間」
しかし喜びも束の間、携帯端末のディスプレイに表示された時刻を見たレイナはハッと思い出した。もうすぐ近場のスーパーに特売商品が並び始める頃合い。彼女のような一人暮らしの身には何よりも優先すべき時間帯の一つだ。
「……どうしたの?」
「えっと、そろそろ今晩の買い物に行かないと……」
エトワールはそれを聞くと少し残念そうな表情を見せたが、すぐに首を横に振って微笑んだ。
「すみません! よかったらまた教えてください!」
「うん」
「あ、これ私の連絡先です。今日は本当にありがとうございました!」
「……こちらこそ、楽しい時間をありがとう」
「失礼します!」
レイナはコップに入った水を全部飲み干し、自分の鞄を持って席を立つ。そしてエトワールに深くお辞儀をしてファミレスを出ていくと、一直線に次の目的地へと駆けていった。
窓越しからそんな彼女の姿が見えなくなると、エトワールはまた小さく笑みを浮かべてコーヒーを飲む。
「……楽しかった」
胸を押さえ、その鼓動を一つ一つ確認するようにエトワールはそう呟いた。
彼女にとって何かを『教える』という初めての経験はとても新鮮なものだったようだ。
「せ~んせい♪」
しかし心地よい余韻に浸っていた彼女の背中に、またもやあの不気味な声がかけられる。
「……」
エトワールはゆっくりと声の主の方を向いた。すると今度は彼女がすぐに反応してくれた事がお気に召したのか、さっき公園で絡んできた軽薄そうな男たちのリーダーはニヤリと笑みを浮かべた。
「さっきは虚を突かれちまったが、今度は逃がさねぇぜ?」
そう言ってまずリーダー格の男がエトワールの正面に座る。続いて二人が彼女の両脇に。残りは近場の空いた椅子を持ってきて退路を完全に断った。
「……何?」
「ハハ、やっと俺たちとお喋りする気になってくれたかよ」
リーダー格の男はゆっくりとエトワールに顔を近づける。そして周りからは見えないようにひっそりと、その白い喉元に小さなナイフを宛てがった。
「ここじゃ何だ、場所を変えようぜ? なぁに、アンタもすぐにその気になるさ」
・4・
日が落ちて辺りが暗くなってきた頃、この海上都市では珍しくない所狭しと並ぶビル群の壁に赤い光が明滅していた。それは警察車両が放つ赤色灯。多くの車両がとあるビルとビルと間――裏路地へと続く入り口を封鎖するように配置されていた。
「こりゃあひでぇ……」
今夜、現場を担当することとなった警部の男がブルーシートを払ってそんな声を漏らした。仕事柄、この手の惨状にはある程度耐性がある。しかしそれでも思わず言葉が出てしまうほど、今目の前に広がる光景はまさに地獄絵図そのものだった。
「マル害は?」
「どうやらこの辺りを拠点にしている不良グループのメンバーのようです。こちらがその五名のリストです」
部下からリストがまとめられたタブレットを受け取ると、警部は一人ずつ経歴を確認しながら右へスライドさせていく。こう言っては何だが、全員いたって普通の不良たちだ。
「グループ間の抗争……にしてはちょっとやりすぎだよな」
一通りデータの閲覧を終えた彼は、今度は変わり果てた本人たちを見た。
まず目に飛び込んでくるのは視界を埋め尽くす赤だ。壁が血で真っ赤に染まっている。そこには全身が不自然に折れ曲がり、まるで十字架のように張り付けられている男が三人。下半身が無くなって地面に転がっている者が一人。さらには手足をもぎ取られ、壁にめり込んでいる者もいた。
「どう考えても人間の仕業じゃないぞ……」
重機に轢かれたと言われればまだ納得はできる。しかしそもそもここはビルとビルの間にできた僅かな隙間。そんなに大勢の人間がたむろできる場ではない。当然、重機は入ってこられない。
ならばこれは個人による犯行か?
それも考え難い。もしそうならそいつはとんでもない化け物だ。人間の手足を引き千切るなんて例え刃物を持っていても簡単な事ではない。しかし検死結果を見るに、被害者はどれも高い確率で即死。裂傷痕も刃物で時間を掛けてつけられたものではない。つまりこの地獄絵図は一瞬の内に生み出されたという事になる。
「まるでちょっと前に世間を騒がせたジャック・ザ・リッパーみたいだな」
「ヤツが再び動き出したのでしょうか?」
「分からん。あれ以来それらしい事件報告はないし、上も犯人を捕まえてもいないのに捜査を完全に止めちまってる」
警部は周辺を見回す。当然、こんな場所に監視カメラはない。
「ここの入り口を映しているカメラはあるか?」
「1件ヒットしました。映像を出します」
部下がそう言うと、警部の持つタブレットの映像が切り替わる。しばらくは早送りで景色が流れていくが、やがて殺された男たちが画面中央に映ると映像はピタリと止まった。それは間違いなく彼らがこの裏路地に入り込む直前の瞬間だった。
「ひー、ふー、みー……ん? 一人多いな」
「これは……車椅子でしょうか?」
残念ながら映像の解像度が低いせいで正確に顔を判別できない。
「犯行後にここから誰か立ち去った記録は?」
「いえ、ありません」
ここには間違いなく六人の人間がいた。なのに死体は五人だけ。
「すぐに該当する人物を洗い出せ。車椅子ならマル被をかなり絞れるはずだ。あとこの映像は解析班に回しとけ」
「はい!」
警部は部下に指示を出し、懐から煙草を一本取り出して火をつける。
(ったく、最近は妙な事件が多すぎる)
警察内でも化け物を見たと言う輩がちらほら増え始めている。そして決まってそういう事件は上から情報規制という名目で自分のような現場の人間は遠ざけられる。ジャックの時もそうだった。
「いったいこの街で何が起こってやがるんだ……」
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