第89話 都合のいい嘘 -A lie, but truth for someone-

・1・


「なるほど、概ね事情は理解しました」


 御巫本家離れ、修剣場にて。

 御巫零火みかなぎれいか刹那せつな燕儀えんぎの話を聞き、特に疑う様子もなく納得してくれた。


「え……いいんですか?」

「私たちが言うのもなんだけど、かなり荒唐無稽な話だと思いますよ?」


 戸惑いを隠せない二人とは対照的に、道着姿で冷たい板張りの床に正座する零火の姿勢は僅かも揺らがない。


「ここが創られた夢の世界。確かに馬鹿げた話ですが、伊弉冉いざなみの力ならばそれも可能でしょう。そもそも事実ならばにそれを見極めることは不可能。信じて話を進めた方が良いと判断しました」


 刹那達にとってここは間違いなく夢の中。それは世界に入り込んだという明確な認識があるからだ。しかしこの世界の創造物オブジェクトの一つである零火は違う。彼女にとっては今こそが紛れもない現実であり、生まれた時から途切れることなく続いている。


「それにあなたの『雷』をこの目で見た以上、信じないわけにはいきません」

「私の?」


 零火が指すのは刹那の魔法のことだ。彼女が生まれつきその身に宿す特異な才能。


「それは私の『雷』と同じものです」


 そう言うと零火は自身の右手から刹那のそれと全く同じ性質の雷を迸らせた。


「「ッ!?」」

「御巫の姓を名乗り、一端とはいえ私と同じ魔法を使う。であるならば、あなたの体に私と同じ血が流れていることは疑いようもないでしょう」


 零火は優しく微笑む。つい先ほどまで感じたあの身を刺すような殺気は嘘のように鳴りを潜めていた。


「なるほどねぇ。才能お化けがこんな形で役に立つとは」

「姉さん?」


 そこはかとなく馬鹿にされたようで思わず顔を引きつらせる刹那だったが、彼女はふと零火のある言葉に引っ掛かりを覚えた。


「あの、零火様――」

「零火で結構。見た所今の私たちは歳もそう変わりません。過度な礼節は時に不快と知りなさい」

「えっと、じゃあ零火さん。さっき言ってた『一端』ってどういう意味ですか?」


 改めて問う刹那に零火はキョトンとした表情を向ける。しかししばらくすると、


「あぁ、そういう事ですか。いえ、失礼。そのまま言葉通りの意味ですよ」


 何やら合点がいった彼女は右手の甲を刹那達に向け、五本の指をピンと上へ向ける。


「ちょ……ッ、嘘!?」


 さすがに予想外すぎたのか、目の前の光景に燕儀でさえ身を乗り出して驚いた。


「これが私の持つ魔法です」


 そこにあるのは雷だけではない。

 炎、風、土、水。

 零火の細い指先には合計五つの属性が具象化し、渦巻いていた。


「……魔法が、五つ」


 驚くのも無理はない。原則、一人の人間に複数の魔法は宿らない。命が一つしかないのと同じ理屈だ。唯一例外中の例外として殺した者の魔法を奪い吸収する魔道士ワーロックが挙げられるが、彼女は違う。となると考えられるのは――


「いや違うよ刹ちゃん。たぶんそうじゃなくて、全部で一つの魔法ってことじゃない?」

「いかにも。私はこれを『五指ごし』と呼んでいます」


 そうだとしても珍しいなんてレベルの話ではない。

 確かに海上都市でも数種類の魔法を扱う者はいた。その中にはユウトの理想写しイデア・トレースも含まれる。しかしそういった者達は複数の魔法を所持しているのではなく、自身の魔法を状況に合わせて変換しているに過ぎない。根っこの部分では一つの魔法だった。

 だが零火はそうではない。



 彼女のそれは5なのだ。



「さすが歴代最強……設定がでたらめだ」

「こればかりは姉さんに同意するわ」

「フフ、今度から『御巫の神童(笑)』って呼んであげよっか?」

「神童にこれっぽっちも興味はないけど……呼んだらぶっ飛ばすわよ?」


 実際、刹那と零火の魔法にはそれだけの格差がある。

 刹那が未熟なわけではない。そもそもルーンの腕輪なしで魔法が使えるという時点で奇蹟と言われるほどだ。事実、御巫零火の死後にそのような才を持つ者は記録上刹那しかいない。


「五指を知る者は里でも限られていますので、なるべく他言無用にお願いします」


 もっとも公には炎以外は魔力を抑え魔術と明言していると付け加え、零火は自身の魔法を引っ込めた。


「おそらく刹那さん達の時代でも五指を知るのは当主のみでしょうね」

「そうなの?」

「うーん、母様から零火さんの伝説はよく聞かされてたけど、魔法の話は聞いたことがないわね」

「死後、私の亡骸を悪用する者が現れないようにするためです。お母上は聡明ですね」


 思いがけず母親を褒められた刹那は僅かに頬を赤くし、軽くお辞儀をする。


「さて、お互いに疑念も晴れたことですし、そろそろ本題に移りましょう」

「というと?」


 首を傾げる燕儀。零火はそんな彼女の質問に答えるように隣に置いていた妖刀――伊弉諾いざなぎを手に取り、二人の前に置いた。


「この世界……いえ、この時代にあなた方が来たことには何か意味がある。そう考えているのでしょう?」

「「……ッ」」


 その問いかけに、刹那と燕儀は揃って目の色を変えた。

 彼女の言う通り自分たちが海上都市ではなくこの場所で、しかも御巫零火に出会った事に意味がないとは到底思えない。

 別れ際の伊弉諾いざなぎの言葉を借りるなら、今この瞬間こそが存在するはずのない『都合のいい嘘』なのだから。

 そんな二人の表情を見て肯定と受け取った零火はゆっくりと立ち上がる。


「ならばまずはこの時代について知りなさい。不肖この私が指南いたしましょう!」


 何故か上機嫌な彼女は胸に手を当てそう言うと、刹那達に手を差し伸べる。

 1000年以上語り継がれる最強の斬姫。その伝説故に常に畏怖の対象だった彼女がこうして目の前にいる。それだけでも胸がいっぱいになる凄い事だが、今は感慨に浸っている場合ではない。


「はい、よろしくお願いします、零火さ……零火さん」

「フフ、承りました」


 だから刹那はその手を取る。

 まずはこの嘘の世界において何を為すべきか。それを見極めるために。


・2・


 吉野ユウトを乗せた輸送機がシグナルロストして約二時間が経過した。

 では当の本人はというと、


「ここは……」

「私が須佐之男スサノオの権能で作り上げた亜空間、とでも思ってください。伊弉冉いざなみの夢を経験したあなたなら似たようなものをご存じなのでは?」

「……」


 そう、ここは魔遺物レムナント――須佐之男スサノオの力で開かれた空間。つまり魔人シャルバの領域だ。


「……ユウト様、決して私から離れないでください」

「あ、ああ。でも真紀那まきなも無理だけは――」

「今回ばかりは……意に沿えないかもしれません」


 正直に答える真紀那。実際、『無茶をするな』なんて命令こそ無理な話だった。

 今から約二時間前。輸送機内に突然現れた神凪滅火かんなぎほろびとシャルバ。両名共に戦う意志はなかったものの、だからと言って何もないはずがない。あっという間に輸送機は丸ごとシャルバの亜空間に飲み込まれ、文字通り世界から切り取られてしまった。幸い無人機だったこともあり、この空間に連れこまれたのはユウト達だけだ。


「そろそろ着きますな。少し下がっていてください」


 穏やかな声でそう言うと、シャルバは再び須佐之男スサノオを取り出す。そしてユウトの目にはどこを見ても同じにしか見えない空間の一面を綺麗に切り裂いた。

 彼が突然現れた時同様、それは裂け目ゲートとなり外へと繋がっている。ユウトはシャルバに促され、恐る恐る外の世界へと足を踏み入れた。


「ッ……ここは、海の上?」


 視界を塗り潰す眩い光の先には、見渡す限り青い海が広がっていた。しかし足元には広大な鉄のプレート。さながらここは海に浮かぶ鋼鉄の島といったところだろうか。


「ようやく来たか」

「ッ!?」


 声の主は神凪滅火かんなぎほろび

 彼は輸送機がシャルバの亜空間に飲み込まれる直前、自分の裂け目ゲートを生み出してそれから逃れていた。


「ホッホッホ、せっかちなお人だ。私が繋げた道を使ってもよかったのですがな」

「敵の用意したものをおいそれと使うわけがないだろう。そんな奴の気が知れないな」

(うぐ……ッ、言われてみれば確かに……)


 ユウトの場合、それ以外の選択肢がなかったというのが本当のところだが、もしシャルバが外へ続く道を閉ざしていれば、ワーロックの力を失ったユウトには為す術がなかっただろう。


「さて、それでは始めましょうか」

「ちょっと待て、何をする気なんだ?」


 まだ状況を読み込めないユウトは二人の敵に尋ねた。真紀那はユウトの前に立ち、もしもの場合に備えている。


「これから伊弉冉いざなみの世界への扉を開く。お前にはかつての海上都市イースト・フロートへ案内してもらう。そのためにここへ連れて来た」


 滅火ほろびの話では、数多に存在する伊弉冉いざなみの世界の中で確実に望んだ場所に辿り着くためにはその場所に関する記憶を持つ者が必要なのだという。だが問題はまだある。


「待て、そもそもあんたは伊弉冉いざなみを持っていない。あれがないと道は開けないだろ?」


 現在、あの世界にいるはずの刹那達もカインが伊弉冉いざなみの力を掌握したからこそ潜入できた。鍵となる魔具がない自分達ではどうすることもできない。


「確かに、一理ありますな。私の須佐之男スサノオでも伊弉冉いざなみの世界に干渉することは不可能だ。だけならあるいは可能かもしれんがね」


 しれっと恐ろしい事を口にするシャルバ。しかし彼でも無理となると、いよいよ読めない。滅火は説明するのが面倒だと感じたのか、懐から黒いメモリーを取り出すと、何も言わずそれを起動した。


Pharolファロール


 次の瞬間、滅火の手には全身真っ黒の刀のような物が収まっていた。彼はそれを使い、シャルバの時と同じように何もない空間をゆっくりと十字に切り裂く。するとほどなくして夢幻への扉が開通した。


「な……ッ!?」


 いったい何が起こったのか、聞いても彼は答えないだろう。少なくともあの黒い刀には伊弉冉いざなみと同質の力が宿っている。それだけは間違いなさそうだ。

 滅火は眼鏡の位置をクイっと片手で直すと、シャルバにこう言った。


「今あの世界を破壊されるのはこちらとしても困る。貴様の要求は呑もう。何が望みだ?」

「ホッホッホ、いや失敬。脅すつもりはなかったのだがね。道を繋げてくれただけで充分だよ。あとはこちらの事情だ」

「そうか」


 滅火はそれを了承すると、シャルバに道を譲る。

 しかし伊弉冉いざなみの世界への門を潜ろうとしたシャルバはふと足を止めた。


「吉野ユウト……だったかね?」

「……だったら何だ?」


 終始、このシャルバという魔人からは殺気を感じない。

 それが逆に彼の得体の知れなさに拍車をかけていた。


「いやなに、本当にザリク様の呪いカーマを受けて死なない者がいたのだと驚いてね。随分と永い時を生きてきたがそんな人間は初めてだ。ついちょっかいを掛けたくなってしまったのだよ。まぁ老人の戯れとでも思ってくれ」

「……ッ」


 今の彼に敵意はない。だがそれでも真紀那はユウトの前に立って刀を握る。

 シャルバはそんな彼女に笑みを向けた。


「良い従者だ。私の殺気に反応してからでは遅いと理解している」

「……」


 額から汗を流しながら、真紀那は動かない。正確には動けないのかもしれない。

 敵に背中を見せ、かつこんなに離れて臨戦態勢を取っているにもかかわらず、次の瞬間には問答無用で斬られている。そんなビジョンがユウトでさえ浮かぶ。


「まぁいい。また会えることを期待している。今代の魔道士ワーロックよ」


 そう言うと、シャルバは今度こそ光の先へ消えていった。


・3・


「では我々も向かうとしよう」


 滅火はユウトの前に立ち、彼を見下ろした。


「言っておくがこれはお願いではない。お前に拒否権はないぞ?」

「分かってる。けど、真紀那は連れて行かない」

「ッ!? ユウト様何を!!」


 真紀那は力を失ったユウトの護衛としてここにいる。その自分を側に置かないという事は彼女にしてみれば最もありえない選択肢だ。


「フン、好きにするといい」


 だが予想通り、滅火はその条件を了承した。


「ユウト様!」

「落ち着け真紀那。大丈夫だから」


 ユウトは真紀那の頭を優しく撫でながら、ゆっくりと宥める。


「君はこの事を冬馬たちに知らせてくれ。今はそれが何よりも優先すべきことだ」

「ですが……」

「このままあいつやシャルバの好きにさせてたら、先に中に入ったレイナたちも危ないかもしれない。でも冬馬ならきっと何か打開策を思いつく」

「……」


 真紀那の瞳は揺れていた。今の彼女にとって、どちらもかけがえのない存在だからこそ。自分の意志で何かを決めることを知らなかった彼女にとって、それはただただ苦しいだけの時間だった。


「俺は大丈夫だよ。こういうのは慣れてる」

「……わかり、ました。ユウト様の意のままに」

「あぁ、頼むよ」


 真紀那はユウトの手を離れ、ぬえの能力で背中から翼を広げる。そして周囲を大きく旋回し、ゆっくりと高度を上げて飛び立った。


「話は済んだのか?」

「あぁ、待たせたな」


 この神凪滅火かんなぎほろびという男。カインの報告にあったバベルハイズの裏で暗躍していた一人で間違いないだろう。


(俺に利用価値があるうちに、できる限りこいつに探りをいれてやる)


 確かに今、ユウトには戦う力はない。非力でちっぽけなただの人間だ。

 しかしだから何もできないわけではない。まだ戦える。戦い方が変わっただけだ。

 目の前の脅威に対し、今自分ができる最大限のことをする。

 牙はまだ、折れていない。

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