第88話 紅の斬姫 -The legend slayer-
・1・
「騙された……」
「あはは……やっぱりねー」
まず結果だけ述べると、
「あいつ、何が『都合のいい嘘だけを信じろ』よ。そもそも行き先の時点で嘘っぱちじゃない!」
別れ際に
しかし、今いるこの場所が全く知らない土地かと問われると実はそうでもなかった。
「ここ、
「えぇ、私もそれは思ってたわ。もちろん、
木々の生い茂る森。その中心に続く一本の細い道。
一見何の変哲もない場所だが、そこら中に張り巡らされた多種多様な魔術は彼女たちの知るそれに非常に近いものだ。
「うーん、でもこれ――」
「姉さんッ!!」
突如叫んだ刹那とほぼ同時に、燕儀は後ろへ大きく跳躍する。次の瞬間、彼女が立っていたその場所が破裂した。
「ッ!!」
燕儀はすかさず自身の
ガキッ!
直撃。
同時に何か硬いものに衝突したような音。そしてあらぬ方向へ飛ばされていく剣。
敵が彼女の剣をいとも簡単に弾いたのはすぐに分かった。
「よっと」
だが宙を舞う剣はまるで引き寄せられるように再び彼女の手の中に収まった。あらかじめ魔力を練って紡いだ糸状のワイヤーを柄と自分の腕に巻き付けておいたのだ。手繰り寄せればこうして武器を即座に回収できる。
「刹ちゃん! 魔獣、数1!」
「分かってる」
刀を置いてきた刹那には今、戦うための武器はない。しかし彼女にはもう一つ、他を圧倒する類まれな才がある。
「これでも喰らいなさい!」
右腕から迸る蒼電。それは光の槍となり瞬時に敵を貫く。さらに周囲の粉塵に着火し、魔獣を爆炎が飲み込んだ。
だが――
「「ッ!?」」
炎を突き抜け、その魔獣は空を舞った。巨大な翼から迸るエネルギーが火を噴き、魔獣はさらに加速する。そうして大きく旋回し、ロケットのようなでたらめな速度で刹那達に再び襲い掛かった。
対する刹那は雷の槍を放つが、赤き流星と化した魔獣はそれら全てを弾き返す。
「く……ッ、何あいつ!」
さすがにあれだけの重量、あれだけの加速を正面から受け止める事はできない。そう判断した二人は左右にそれぞれ回避した。直後、再び地面に巨大なクレーターが穿たれる。
「うっ……あああああああ!!」
直撃は避けた。だが衝突による余波は彼女たちの体を容易に吹き飛ばした。
「……ッ、姉さん無事?」
「あはは……誰に言ってるのかな?」
「大丈夫そうね」
実際、受けたダメージは大きくない。だが問題はそこではなかった。
「私たちが知ってる魔獣より明らかに強い」
二人はいつでも動けるよう戦闘態勢を維持したまま、その魔獣を観察する。
魔獣もまた、彼女たちを爬虫類のような切れ長の瞳で睨みつけていた。
「うん、それに見たことない種類。でもネフィリムって感じでもなさそうだね」
巨大な黒い翼。剣山の如き突出した硬い鱗。そして長い牙と尾。
ドラゴンのようなその魔獣はあれだけの速度で突進しても一切ダメージを負っている様子はない。燕儀の剣を容易に弾いたのも納得がいく。
「一旦引く? 今の私たちの装備じゃあれは無理だよ?」
「分かってるけど……」
燕儀の提案はもっともだ。彼女の剣はもちろん、刹那の魔法をもってしてもあの硬度を超えられない。より強く、より鋭い雷撃ならあるいは届くかもしれないが、あの魔獣はジェットエンジンのような翼を駆使し高速で移動する。それを正確に捉えるのは極めて困難だ。かといって、
「あの速さ、振り切れると思う?」
「ちょっと……無理かな。私の魔術もあんまり効かないと思う」
魔法さえ弾く圧倒的な防御力に加え、高速移動時はさらにその硬度を増す。
背後の森で身を隠せばあるいは撒けるかもしれないが、御巫の里にこの化け物を招き入れてしまう。だから当然、選択肢としては除外される。
「姉さん、10秒……いや5秒でいいわ。私の合図であれの動きを止めて」
「えぇ……簡単に言うなぁ」
「できないの?」
「あ、その言い方ちょっとムカつく。はいはい分かりましたよやりますよーだ」
刹那の挑発的な物言いにぶつくさ言いつつも、燕儀は即興で最適な魔術を構築し始めた。刹那もまた、一撃に特化した雷を放つため右手に意識を集中させる。
魔獣はその魔力の変化を察知したのか目の色を変え、再び大空へ飛翔した。そして太陽を背にして翼を広げる。次の瞬間、その両翼から赤い炎が迸った。
「来るわよ!」
刹那の周囲を漂う稲妻がより一層勢いを増した。それは彼女の右拳に収束し、その度に莫大な破壊力へと変換されていく。
「今!」
「了解!」
刹那の合図で燕儀は拘束魔術を発動した。魔獣の行く手に展開される無数の魔法陣。それらは幾重にも折り重なる鎖となり、魔獣に絡みついてその速度を徐々に削っていく……はずだった。
「嘘……ッ!?」
何と魔獣はきりもみ回転してその鎖を強引に全て引き千切ったのだ。そればかりでなく翼の炎をさらに強めて加速する。
(この……ッ)
想定より早く間合いに入られた刹那が焦りながらも雷撃を放とうとしたその時――
「伏せなさい!!」
突然響き渡った第三者の声に背筋が震えた二人は、気付いた時には防御の構えを取っていた。あの魔獣の突貫に対しては最悪の悪手だと理解していながら。
次の瞬間、激しい爆音と光が刹那達を包み込んだ。
「いったい、何が……」
恐る恐る閉じた目を開くと、目の前に人が立っていた。
(……誰?)
焔のように赤く艶やかな長髪。
そして白く汚れのない巫女衣装と、右手に握っているのは黒い刀身の刀。
(あれは……
「よく持ち堪えました、と言いたいところですが、勇気と蛮勇は違うものと知りなさい」
謎の巫女はそう言い放つと、結界で押し留めていた魔獣の突貫をただの一振りで叩き落した。
絶叫と共に沈む魔獣。だがまだ終わりではない。長い首をもたげ、新たな獲物に向け魔獣は火を吐いた。
「なかなか頑強な魔獣ですね。ですが――」
巫女は
振り下ろされた刃は火球を切り裂き、その先の堅牢な魔獣の体さえも一刀両断してしまった。
「……ッ!?」
「わぁお……」
あまりの事態に声が出ない。あれだけ強かった魔獣は今度こそ動かなくなり、その存在を霧散させていく。
「あなたたち」
刃に漂う炎雷を払い、ゆっくりと刀を鞘に納めた紅の巫女は刹那たちの方へ振り返った。
「見ない顔ですね。ここは
「え……それは、えっと……私たちは……」
「やっぱり
直後、二人の背筋が同時に凍り付いた。蛇に睨まれた蛙、いやそれ以上の圧倒的な威圧感が指の一本さえ動かすことを許さない。
「私の質問にだけ、正直に答えなさい」
鋭い眼光と言葉が彼女たちの胸を貫く。
相応の武の心得がある者ならすぐに理解できるだろう。刹那達とそう歳は変わらないであろうその女性から放たれるオーラは、今まで戦ってきたどんな相手よりも強い。むしろ強すぎた。赤子が飢えた虎に挑むようなものだ。例え奇蹟が逆立ちしてもなお足りないほどの実力差がある。
だからなのか、全く同じ人物が二人の脳裏をよぎった。
そう、彼女たちはそういうでたらめな存在を知っているのだ。幼子の時よりずっと言い聞かされてきた。
千の魔獣を刀一本で屠り、一夜にして数多の屍山血河を築いた赤髪の巫女の伝説を。
紅の斬姫、
彼女は
里の人間でその名を知らぬ者は一人としておらず、その圧倒的な武と才は未だ超える者なしとされる最強の退魔士。
いや、だが……そんなまさか――
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