第86話 幽世の扉 -A tiger at the front gate, a wolf at the back gate-

・1・


「じゃあカイン、頼むわね」

「あぁ」


 刹那の指示で、カインは右腕を解放した。

 包帯の中から姿を露わにしたのは、およそ人間のものとは思えぬ悪魔の如き赤腕。

 カイン・ストラーダが持つ外理カーマ——神喰デウス・イーター

 赫い光を放つその腕は文字通り、神さえ喰らう捕食者だ。今、その中には一柱の神が宿っている。


「おい出番だ。力を貸しやがれ」


 カインが右腕に意識を集中すると、腕の光が躍動を始めた。それを見て彼は自らの右腕に展開した大剣を突き刺す。直後、カインを中心に眩い光が爆発した。


「……ッ、あれが……カイン君の新しい力」


 完全な伊弉冉いざなみの力を目の当たりにするのは初めてだったレイナは思わず息を呑む。やがて光が収まると、カインの姿は変わっていた。


 魔装・刃神Crazy Edge


 カインの右腕カーマを依代に伊弉冉いざなみの力を解放して生まれた亜種魔装。


(なるほどね)


 周囲を見渡したカインはすぐに理解した。魔装したことでより伊弉冉いざなみの力を感じ取れるようになった今の彼には見えているのだ。この海上都市跡地を……いや、この海域全土を覆う膨大な神気の欠片が。

 伊弉冉いざなみの世界はユウトたちの手で確かに一度崩壊した。しかし、この場にはまだその残滓が色濃く残っている。一つ一つの神気は弱く、それ単体では全く機能しない。だが今、この場には完全な形で復活した伊弉冉いざなみがある。ならばその全てを統合・再構築することなど造作もない。


「ちょっと離れてろ、危ねぇぞ」


 カインは皆にそう警告すると、右腕を天に掲げた。すると腕を中心に空気の流れが変わった。まるで全てを飲み込むブラックホールのように、神喰デウス・イーターが周囲の神気を余さず喰い尽くしていく。


「こんなもんか」


 全ての神気を収集し終えたカインは、その力を右腕から黒き大鎌の刃へと移動させる。そして何もない空間をゆっくりと十文字に切り開いた。


「開いたね、裂け目ゲート

「えぇ、ここまでは予定通り。問題は……」


 刹那は燕儀と目配せを交わす。そして後ろにいる飛角、タカオ、レイナにも。

 ここから先はもう後戻りできない。覚悟の有無を彼女は今一度皆に問わなければならない。しかし、それは刹那の杞憂だった。なんせ誰一人として彼女から目を逸さなかったのだから。


「いえ、何でもないわ」


 刹那は腰に差した伊弉諾いざなぎに手を添え、幽世かくりよへ続く扉に向き直る。


「行きましょう、伊弉冉いざなみの中へ」


 刹那とカインを先頭に、一同は夢幻の世界へ足を踏み入れた。


・2・


「りょ・う・がぁーっ! まるモンしようぜ! お前ボール——」

「断る」

「即答!?」


 言い終わるよりも先に神座凌駕かむくらりょうが高山篝たかやまかがりの誘いを断った。

 ちなみにまるモン――『まるっとモンスター』は今全世界で大流行中のスマホゲームアプリだ。GPSを活用することで現実とゲーム空間を連動させ、各地にランダムで現れる様々なモンスターをまるっと捕獲テイムする。さらに捕まえたモンスター一匹一匹に独自のAIが組み込まれており性格は千差万別。利用者はモンスターとペットのように交流するもよし、バトルさせるもよし、あるいは交換することも可能だ。そんな簡潔かつ日常生活に溶け込みやすい設定がお年寄りから子供まで幅広い層の支持を得ている。

 当然、初めは凌駕は興味など持っていなかった。しかし知らない内に篝が彼のスマホに侵入してアプリをインストールし、加えて度重なる布教活動の末、ようやく彼も時々利用するようになったのだ。


「……あ、あのぅ……ちょっとくらい」

「断る」

「な、何でだよー!? ユウトの野郎が来るまでまだ時間あんじゃん! てめー暇だろ! お暇さんだろ!?」


 篝は地団駄を踏む。その度に白衣の裾から伸びるカラフルなコード群がジャラジャラと絶妙に集中力を妨げる音を鳴らして鬱陶しい。


「ハッ、さてはアレだな? この前私に対戦で負けたの根に持ってるんだろ?」

「……くだらない」

「いや……そんな冷めきった目で見んでも……」


 冗談抜きでゴミを見るような凌駕の視線に、さすがの篝も萎縮してしまった。


「だいたい高山篝、お前は不正にゲームデータを改竄しているだろう?」

「ッ!? ば、ばばば馬鹿言うなよ! な、何を根拠に――」


 篝は明らかに動揺している。それだけで十分な根拠に思えるが、凌駕はさらなる追い打ちをかける。


「これは先日、お前とトレードした際に私のモンスターに忍ばせておいた鑑定プログラムだ。これによるとお前のモンスターは全ての個体値が限界以上に設定されている」

「て、テメェいくら何でもそれは反則だろ!?」

「ちなみにそろそろ運営に連絡が行っているはずだ」

「ハッ!? ちょ……ッ、マジか!? マジだ!! 私のアカウント凍結されとる!!」


 その事実を知った篝は流れるように崩れ落ちた。

 ハッキングが感知されないように特製のプロテクトをかけていたようだが、そのプロテクトごと内部情報を運営にバラされたため、不正が発覚してしまったのだ。


「ふざけてないで仕事をしろ。吉野ユウトは今どこにいる?」

「……わかったよ、この鬼! 悪魔!」


 ブツブツ文句を垂れ流しながら、篝は凌駕の背後にあるPCの前に座ってカタカタとキーボードを打ち始めた。


「ん? んーーー??」


 しかし、椅子の上で安座している篝がほどなくして妙な疑問符を浮かべ始めた。


「どうした?」

「あー……何ていうか、その……」


 当の彼女もよく分かっていないのか、首を傾げて言葉を探している。


「事実を正確に言え」

「どこにもいねぇ」

「……は?」


 返ってきたその回答をさすがの凌駕もすぐには理解できなかった。


「吉野ユウトを乗せた輸送機が消えたロストした


・3・


「ユウト様、飲み物をお持ちしました」

「あ、あぁ……ありがとう」


 吉野ユウトと夜式真紀那やじきまきなの二人を乗せた輸送機はグリーンランドを発ち、南西方向に向かって飛行していた。目的地はアメリカ合衆国ニューヨーク州。エクスピアが提携している先端医療技術研究所——通称、ターミナル・ワン。


「どうか、されましたか?」


 ユウトの様子がいつもと少し違うように感じた真紀那はコクリと首を傾げた。


「いや、これから俺たちが行く場所に久々に顔を合わせる友達がいるみたいなんだ」

「友達……」


 冬馬の話では神座凌駕かむくらりょうががそこで医師兼研究者として勤めているらしい。彼とはかつて海上都市で敵対した過去もあるが、今ではユウト達の頼れる仲間だ。伊弉冉いざなみから解放されて以降、彼とは会っていないので実に3年ぶりになるだろうか。


「まぁ、向こうは俺の事嫌ってそうだけどな」

「敵ですか? 処しますか?」

「いやいや! 違う! 違うから!!」


 急に瞳から光が消え、愛刀『輝夜かぐや』に指を掛ける真紀那をユウトは必死に押し留める。


「ま、まぁちょっと……いやかなり気難しいヤツだけど、悪い人間じゃないよ」


 あるじの表情から敵意がない事を察した真紀那はそっと刀から指を離す。

 ふと、ユウトは自分の座っている隣の座席をポンポンと叩く。真紀那はそれをキョトンとした目で見つめるが、すぐにその意図を理解すると彼の横にゆっくりと腰を下ろした。


「…………あの……」


 しばらく無言の間が続き、真紀那はそれに耐えられなくなったのかユウトの方を向いた。ユウトはそんな彼女を優しく諭す。


「いいよ、気を張り続けなくても。どうせニューヨークに着くまで結構時間はあるんだ。今のうちに真紀那は休んでて」

「でも……」

「主の命令、ってことでここは一つ」

「……わかりました」


 真紀那はしぶしぶ了承すると、座席の上に体育座りして大人しくなった。


(レイナとは友達になれたみたいだし、少しずつでも普通の女の子でいられる時間をあげないとな)


 魔道士ワーロックの眷属である真紀那には、ユウトとの間に明確な主従関係が存在する。しかしそれはユウトにとってはあくまで建前だ。別に彼女にかしずいて欲しいわけでも、ましてや依存して欲しいわけでもない。アリサや刹那、燕儀や飛角と同じように対等な立場でありたい。今すぐには無理でも、徐々に真紀那にも自分の足で歩いて欲しいとユウトは願っている。


(ま、こればっかりは見守っていくしかないか)


「……ッ」


 そんな時、ふと真紀那の猫耳がピクンと跳ねた。彼女は瞬く間に飛び起き、ユウトの前で輝夜かぐやを構える。


「ユウト様、私の後ろに下がってください!」

「真紀那、何を――」

『ほう、なかなか良い感知能力だ』


 突如、


「……ッ!?」


 ワーロックの力を失ったユウトはここで初めて機内に起きた異変に気付く。


裂け目ゲート……」


 伊弉冉いざなみの世界で度々発生した異界へと続く道。その中から一人の男が姿を現した。


「誰だ、お前……?」

「初めましてだな、吉野ユウト。私は神凪滅火かんなぎほろび天上の叡智グリゴリのメンバー、と言っても理解は無理か」


 滅火と名乗る青いスーツの男は眼鏡をクイッと中指で持ち上げる。


「あなたは……あの神凪明羅かんなぎあきらという女性の仲間ですか?」

「あぁ、その認識で構わない」

「あの子の敵討ちにでも来たのか?」


 ユウトの言葉に滅火は首を横に振った。


「馬鹿な。そんな義理はない。そもそも彼女はまだ生きている」

「そんな……ッ、でもあの時俺は確かに――」


 彼女がぬえに喰い殺される瞬間を見ている。間違いなく、この目で。


「些事だ。悪いがこちらも急いでいる。早速だが本題に入らせてもらおう」

『そのお話、私も混ぜてもらってよろしいですかな?』


 どこからともなく聞こえてくる新たな声に、ユウトだけでなく滅火まで表情を強張らせた。

 次の瞬間、ユウトの背後の空間に亀裂が走る。またしても裂け目ゲート。つまり、誰かがこの機内に乗り込んでくるということ。


「魔人か……」


 灰色の肌に燕尾服を纏う初老の男性。その手には見るだけで全身鳥肌が立つほどの存在感を放つ大剣が握られている。たしか伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみと同じく魔遺物レムナントの一つに数えられる一振り――須佐之男スサノオだ。


「ホッホッホ、とても興味深いお話のご様子。是非私にも聞かせていただきたい」


 魔人シャルバは温和な表情でそう言った。




 ――これはレーダー上からユウト達の乗る輸送機がロストするほんの数分前の出来事。

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