第84話 命の調べ -Despair for one, hope for one-

・1・


「フム……これはまた随分と荒れたご様子だ」


 燕尾服を纏う初老の男——魔人シャルバは困ったような表情で自分の屋敷のを眺めていた。

 何も残っていない。

 あらゆる物質は分子レベルで崩壊し、跡形もなく消失している。ただ一人、それをやった張本人だけが呆然とその中心で立ち尽くしていた。


「もう少し頑張ってくれると期待していたのだがな」


 シャルバは足元を見下ろしてそう言った。


「……無茶、言うな……ガハッ……」


 ぼろぼろのタウルが自身の体の再生を待ちつつ、彼の皮肉に対して吠える。


「クソ……ッ、完全にとばっちりだ」

「まぁ、屋敷一つで済んだだけ増しというとこか」


 死の外理カーマの副作用。生の逆流とも呼ぶべきそれはザリクから理性を奪い取る。襲い掛かる不可避の苦痛に対して彼女が取れる唯一の防衛行動は『狂う』こと。

 なまじ力を持つが故に、箍の外れた彼女はまさに天災そのものへと変貌する。先のバベルハイズでの一戦でもたった一人で国を相手取ってなお余りあるほどだ。それを考慮すれば被害が屋敷一つで済んだのは間違いなくタウルが暴走した彼女を抑え込んだからと言える。


「やれやれ。ご苦労だったなタウル。後は私に任せてもらおう」

「あぁ……頼む」


 シャルバはザリクのもとへ歩を進めた。あくまで普段と変わらぬ穏やかな歩調で。


「……シャルバか」

「気は済みましたかな?」


 シャルバは胸に手を当て、優しく尋ねる。長年住み続けた屋敷を破壊されたというのに、彼は一切ザリクを咎める様子はない。


「……」


 しかし正気に戻り、辺りの惨状をようやく認識した彼女は逆に眉間に皺を寄せた。


「すまない、苦労をかけた」

「あなたの相手をしていたのはタウルです。その言葉は後であいつにかけてあげてください」

「……わかった」


 ザリクは素直にシャルバの進言を了承した。


「委細を話せ」

「仰せのままに」


 シャルバは立ち上がると、バベルハイズを離れて以降の各勢力の動きを説明し始めた。彼がこの場を離れていたのはこのためだ。


件の神槍ベルヴェルークはエクスピアが譲り受け、やつらの本拠地へ移送されています。今頃はすでに……」

「英国か」

「左様。しかし故意ではないにせよ、あなたは吉野ユウトの記憶と経験を得た。ならば今はくこともないでしょう」


 実際、バベルハイズの抵抗はザリクの想像以上だった。それでも依然彼女の絶対的優位に変わりはないが、あのまま続けてもベルヴェルークを奪取するまでにそれなりの時間を要していただろう。

 それに比べ吉野ユウトの記憶と経験を得た今の彼女はエクスピアの内部事情に精通している。敵の保有戦力をある程度把握している分、攻略難易度も下がるわけだ。


「それよりも一つ、早急にお伝えしなければならないことが」


 むしろこっちが本題だとでも言うように、シャルバの表情が陰る。


「何だ?」


 それを聞いたザリクは目を見開き、信じられないといった表情で固まっていた。


「……ない……」

「?」


 ようやく出てきたのはポツリと呟いたそんな一言。

 しかし次の瞬間、ザリクは頭を抱えて蹲った。


「ありえない……そんなこと、あるわけない……!!」


 途方もなく永い時を生きた彼女の知る限り、そんな前例は一度として存在しない。

 いや、そうじゃない――のだ。絶対に。


「ザリク様!?」

「今更そんな奇蹟……ッ、そこまで私を虚仮こけにして楽しいか!!」


 顔の左側。眼帯の奥が熱い。それが悲しみによる涙だと、彼女は気付かない。

 そんな中一瞬、ザリクの脳裏にユウトの顔が浮かび上がった。それはさっき彼女が体験ひていしたもしもの未来。

 ザリクは立ち上がり、拳を強く握る。爪が皮膚を裂き、血が滲み出るほど強く。


「……殺す」


 これは決意だ。今更のこのこ目の前に現れた奇蹟を殺すための決意。

 この手であの男を殺す。この身に宿る呪いに例外などない。あってはならないから。


「……殺してやる」


 でなければ今まで死んでいった罪なき者たちは一体何だったのか?

 仕方ないと諦めていた数百年これまでは何だったのか?

 全て無駄だったと、全て無意味だったとでも言うのか?


「吉野ユウト……お前だけは絶対、私が殺してやる!!」


 この身に宿る死を回避した。その事実が魔人の眼光にドス黒い殺意を宿らせる。

 そんな冒涜きせきを彼女が許容できるはずがなかった。


・2・


「というわけで改めてまして。久しぶりね、アリサ」

「お、お久しぶりです……」


 研究所の前で偶然再会を果たした遠見とおみアリサと賽鐘さいがねミズキは、施設内のカフェスペースに移動していた。


「アンタ、ちょっと背伸びた?」


 ミズキはニコリと笑い、オレンジジュースを一口飲む。

 賽鐘さいがねミズキ。

 彼女は3年前、伊弉冉いざなみが創り上げた海上都市イースト・フロートで共に戦ったユウト達の仲間だ。


「そうでしょうか? 自分ではよくわかりません」

「まぁそうよね」

「ところでミズキさんは何故こちらに?」


 確かあの戦い以降、もう一人の仲間――皆城かいじょうタカオと行動を共にし、世界中を回っていると聞いている。そのついでに宗像冬馬むなかたとうまの依頼で未回収の魔具アストラの情報提供をしているそうだ。

 そんな各地を転々としている彼女との再会は果たして偶然なのだろうか? もちろん否定もできないが。


ニューヨークこっちに来たのは3ヶ月くらい前よ。まだしばらくは滞在する予定。ていうかここに入院中なのよ、私」


 ミズキはテーブルを人差し指でトントンとつつく。


「え……どこか悪いんですか!?」

「悪いっていうか……その……」

「?」


 視線を逸らし、何故か語尾も小さくなっていくミズキにアリサは首を傾げた。心なしか頬も赤くなっている気がする。


「……ん……のよ」

「えっと、何ですか?」

「だから、してるのよ!!」

「……」


 予想外の答えにアリサの表情が無になる。しかししばらくして、足の爪先からゾワゾワとしたものが一気にせり上がってきた。そして――


「えええええええええええええええええええッ!?」


 カフェスペースに少女の声が響き渡った。

 驚いたミズキは素早くアリサの口を塞ぐ。休憩していた周囲の職員たちが何事だとばかりに視線をこちらに向けているが、彼女は笑顔で誤魔化した。


「しーっ!」

「に、にん」

「はぁ……いいから落ち着きなさい。何でアンタが狼狽えてんのよ」

「だ、だって……ッ」


 ようやく少しは落ち着きを取り戻したと判断したミズキはアリサの口から手を放し、小さく溜息をつく。


「えっと……つまり、その……」

「そうよ。タカオアイツの子供」

「~~ッッ!!」


 アリサの表情が再びボッと真っ赤に染まる。そんな彼女の分かりやすい機微にミズキは小さく微笑んだ。そして自分のお腹を優しくさする。


「今だいたい妊娠4か月ってところ。これからお腹が大きくなってくるらしいから、しばらくはどこにも行かないわ。ここも宗像君が手配してくれたの」

「男の子ですか!? 女の子ですか!?」

「え……い、一応医者の話では男の子って聞いてるけど……」


 気圧されたミズキは正直に答えた。


「男の子……」

(この子、こんなキャラだったっけ?)


 まるで普通の女の子のように目を輝かせている。昔は色々あって喧嘩したこともしばしばあるミズキとしては、以前より格段に柔らかくなったその変化が好ましく見えた。


「あれ? でもタカオさんはどこに?」

「あー、アイツは――」


 一瞬、表情を暗くするミズキ。でもすぐにアリサに向き直ってこう告げた。


「アイツは海上都市に向かったわ。私とアイツがやり残した事を片付けるために」

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