第82話 居場所 -Past and Now-

・1・


 ――次の日の早朝。王国大正門前にて。


「なんていうか……いざ離れるってなるとちょっと感慨深いな」

「だね。たった数日の滞在だったはずなんだけど、まぁそれだけデカい事件が目白押しだったって事でしょ。一回死んだヤツもいるし」

「アハハ……」


 氷の大門を見上げながら呟くユウトに、飛角は冗談交じりに返した。


「あら、いいのですよ? いつでも我が王国に戻ってきても。ユウトは私の伴侶となるのですから。むしろもうしばらく療養してみては?」

「ッ!? え、ちょっ……それまだ続いて、う……ッ!?」


 背中に刺さる鋭い視線。

 もう何度目か数えるのも恐ろしいそれを感じたユウトはそっと背後を振り返る。


「じー」

「……後でアリサさんと刹那さんに報告しますから」


 案の定、真紀那とレイナは二人揃って訝しむような視線をユウトに注いでいた。レイナはともかく、最近は真紀那も時折あのような不満そうな表情を見せることがある。それが地味に心に突き刺さる。


「……勘弁してくれ」


 そう言って項垂れるユウトだが、ふと視界の端に御影の姿を捉えた。


(……御影)


 ユウトは咄嗟に今朝の事を謝るために近づこうとするが、それを察知した御影は逃げるように遠ざかる。そしてそのままエクスピアが寄越したイギリス行きの高速ジェット機にそそくさと乗り込んでしまった。


「……」

「うーん、こりゃ重症だ」


 明らかに避けられている。然しものユウトも理解するほど露骨に。


「まぁ心配しなさんなって。戻ったら私がそれとなく諫めておくから。だからユウトもその時はちゃんと謝ること。いい?」

「わかってる……ありがとう、千里ちさと

「……ッ……(ったく、不意打ち……)」

「? 何か言ったか?」

「いやいや、何でもない」


 普段は口にすることのない本名で急に呼ばれてドキッとした飛角だが、すぐに任せなさいと言わんばかりに自身の豊満な胸に手を当てて笑う。対してユウトは自分でも驚くほどに疲れた笑みを返すことしかできなかった。


(わかってる。戻ったら絶対——)


・2・


「待て、一心のガキ」

「冬馬です。宗像冬馬むなかたとうま


 王国から譲り受けた神槍ベルヴェルークを格納し、御影と同じくイギリス行きのジェット機に搭乗しようとしていた冬馬をライアン王が無愛想な声で引き留めた。正直、この王様がここまで見送りに来るとは思っていなかった。すでに形式的な挨拶は早朝に済ませている。


「で、俺に何か用ですか? ライアン王」

「フン、用がなければわざわざ引き留めはしない」

「ごもっとも」


 相変わらず口は悪いが、嫌われているとは思わない。ただ必要以上に馴れ合いを良しとする性格ではないのだと冬馬は理解しているからだ。


「此度の報酬だ。受け取るがいい」


 そう言って王は一冊の分厚い本を冬馬に差し出す。


「……これは?」

「私が一心に提供した情報をまとめてある。必要なのだろう?」

「ッ!?」


 冬馬はそれを聞くとすぐに目の色を変えて本を開いた。


魔遺物レムナントに関する研究資料に魔術の基礎理論。それにこっちはルーンの腕輪……ユウトが持ってたオリジナルか?)


 実際に父の計画の一部だったからこそそれら点と点を線で結びつけることは可能だが、あくまで想像。確証はない。だが少なくとも一心はこの国で得た情報を使い、あの夢幻の世界を独自の手法で掌握しようとしたことは間違いなさそうだ。


「私もあの男が最終的に何を求めていたのかは知らない。そもそも興味がなかったからな。後は自分自身で答えを見つけるがいい」

「情報提供、感謝します」


 冬馬は本を閉じ、ライアン王に頭を下げた。

 この本をさらに読み進めれば、父の真意に辿り着けるかもしれない。ようやく手に入れた手掛かり。そう思うと自然と本を握る指先に力が入った。


・3・


「カイン」


 一行とは離れた場所でただ一人、出発の時を待っていたカインのもとにシルヴィアとシーレがやってきた。


「シルヴィ、それに……」

「シーレ。シーレ・ファルクス。ちゃんと挨拶してなかったね」

「カイン、以前も説明しましたが彼女は――」

「分かってる。別に恨んじゃいないさ」


 カインは包帯を巻いた右腕でシルヴィアを制止した。

 シーレ・ファルクス。

 かつて『天使の成り損ない』という烙印を押された失敗作。そしてカインの目の前でリサ・ストラーダの命を奪った少女だ。もちろん当時の彼女に明確な殺意があったわけではない。天使製造計画の首謀者のミスによって不完全な形で覚醒し、暴走していたのはカインも知っている。

 何より過去とは決着をつけた。今更彼女を憎むつもりはない。問題なのは――


「ねぇ……行っちゃうの?」


 シーレはカインの腰に腕を回し、上目遣いで見つめてくる。


「……ッ」

「……コホン」


 目で訴えかけるような青年の視線に対し、シルヴィアは咳払いで誤魔化す。

 あの一件が終わって以来、シーレに異様に懐かれるようになった。シルヴィア曰く、どうやら彼女にはカインが自分を救ってくれたヒーローに見えているらしい。


「カイン?」

「あ、あぁ……そう、だな」


 純粋無垢な瞳を直視できない青年は顔を逸らしながら答えた。


「シーレ、その辺りにしなさい。カインが困っています」

「むぅ……」


 諫めるシルヴィアに、シーレは少しだけ頬を膨らませる。

 元々5年前に暴走を止めた時から恩義を感じていたようだが、当時カインはすでに国外。そして想いだけが膨らんでいく状態で今回の鮮やかな救出劇。騎士とはいえまだ幼い少女の恋心を奮起させるには充分だった。


「私も……付いて行く」

「「……は?」」


 突如、予想だにしなかったシーレの言葉にカインとシルヴィアは揃って呆気にとられた。


「……今、何と?」

「私もカインと一緒に行く」

「は? お前、何勝手に!?」

「いやいやいや待ちなさい! あなたは誇り高き三剣の一振りなのですよ!?」


 珍しく動揺したシルヴィアはシーレの肩を掴み、目を覚ませと言わんばかりに強く揺さぶった。しかし、恋を知った少女の暴走は止まらない。


「じゃあ、三剣ファルクス辞める」

「シーレ!?」


 早速この場で騎士の制服を脱ごうとするシーレをシルヴィアは何とか押し留める。そんな彼女たちを見ていると、ふとカインの瞳にリサとシルヴィア――かつて3人で過ごした情景が重なり、自分でも気付かないうちに口元を綻ばせていた。


「カイン、笑ってる?」

「ッ……笑ってねぇ。そんなことよりシーレ、付いてくるのはダメだ」

「どうして? 私、役に立つよ?」


 そう言ってシーレは自身の体に寄生する魔具アストラ――ヘファイストスの炎を右手に灯し、目の前で魔剣を錬成してみせる。


「そういう問題じゃねぇ。お前には王女を守るっていう大事な仕事があるだろ」

「それは………………困った……」


 誰に似たのか奔放すぎる彼女もさすがに自分の優先すべきことは弁えているようだ。制服にかける指先がピタリと静止した。

 カインは一瞬躊躇ったが、意を決して包帯を巻いた右手をシーレの頭頂部に置く。


「あ……」

「俺にも、リサあいつにもできなかった事だ」


 騎士として民の手本となり、時には守護する剣となる。

 この国では至極当然で、至高の誉れ。

 元よりカインには理解できない思想だが、それでも……ほんの少しだけ憧れのようなものが胸中にあるのも事実。あの時何かが狂いさえしなければ、彼女が今立つその場所には自分が立っていたかもしれないから。


「だから……頼む」


 言葉にしなくても右腕を伝って思いを受け取ったシーレはそっと彼の右腕に触れる。そしてこう言った。


「うん、任せて」


・4・


「先程は助かりました」

「気にすんな。ああいうのは慣れてる」


 うちにも無鉄砲な馬鹿がいる、とでも言わんばかりの含蓄に思わずシルヴィアは微笑む。


「何だよ?」

「いえ、やはり今はそこがあなたの居場所なのですね」

「?」


 首を傾げるカイン。シルヴィアは小さく首を横に振ると、腰に差した細剣をゆっくりと抜いた。

 法と掟の女神テミス。その名を冠する魔具アストラは彼女の手の中で待機状態ロストメモリーの形状に変化する。


「これを」

「ッ!? どういう風の吹き回しだ?」

「私よりあなたの方が必要だと判断したまでです」


 王の許可はすでに貰っていると彼女は付け加えた。さすがにその辺りは抜かりない。


「用が済んだら返すぞ?」

「フフ、そうしてください。あなたに女神テミスの加護があらんことを」

「生憎、神様は信じねぇ事にしてるんだ」

「構いません。私が信じているので」

「……」


 やはり口では敵わないことを痛感したカインは、観念して彼女のメモリーを受け取った。

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