第81話 無力の歩み -Nevertheless, no one stops walking-

・1・


 応接間で開かれた朝食には日本の伝統的な料理が出された。白米に味噌汁、焼き魚、お漬け物など、栄養バランスが偏らないようにしっかりと考えられた構成だ。どうやら客人の多くが日本人という事もあり、王家お抱えの料理長が気を利かせてくれたらしい。特にユウトの料理には滋養強壮効果のある食材がふんだんに盛り込まれていた。

 御影だけは自室で朝食を取っている。あんな事があったばかりだ。皆、仕方がないと納得していた。


「んー、美味しかったぁ♡」

「はい」


 頬に手を当てながら満足げな笑みを浮かべるレイナに真紀那は同意する。


「ロンドンにも日本料理と銘打つ店は多くありましたが、これはそのどれよりも日本のものに近い味です」

「マキにゃん、あっちのお店行く度に渋い顔してたもんねー」

「別にそんなこと……ただちょっと、個性的すぎるというか……」

「確かに海外の日本料理は何か違うとこあるよな。ま、あれはあれで否定するつもりはないけど」


 そう評する飛角に真紀那はコクコクと小さく頷いていた。


「フフ、喜んでいただけて何よりです。後で料理長に伝えておきますね」

「よし、全員食べ終わったな? ユウトも目を覚ました事だし、改めて今の状況を整理するぞ」


 箸を置いた宗像冬馬むなかたとうまがまず最初に口火を切った。彼は全員が頷いたのを確認して続ける。


「まず結果オーライだが、俺たちは魔人を退けた。ライラエル様、貴国の当初の依頼は達成できた、そう考えてよろしいですね?」


 投げかけられた冬馬の問いにライラは深く頷いた。


「えぇ、我が国の危機は回避されました。父……いえ、王に代わりこの場で皆様のご尽力に感謝の意を表します。特にカイン・ストラーダ。戦時中に発生したロゴスの暴走、及びそれに伴い発生した製造元不明の機械人形オートマタによる大規模暴動。それらの鎮圧を成し得たのはあなたのおかげです」


 彼女は席を立ち、深く頭を下げる。その先には気まずそうな表情で席に座るカインがいた。


「だとよカイン。大手柄じゃないか」

「俺は別に……」

「フフ、此度の人的被害は決して少なくはありませんが、それでもあなたのおかげで可能な限り抑えることができました。本当にありがとう」

「……フン」


 カインはそっぽを向いて見せるが、もはやそれもご愛敬。ライラの言葉をキチンと受け止めていることはこの場の誰もが理解していた。


「まぁそれでも勝手に行動した件については後でしっかり報告してもらう。お前の処遇はその後だ。ユウトもそれでいいな?」

「あぁ」


 どんなに結果が良かろうと、単独行動や命令無視を許していい理由にはならない。組織に属する以上、ルールを逸脱する者に社長である冬馬は罰を与える必要がある。


「分かってる。今回の件、全ての非は俺にある。悪かった…………ん? 何だよ?」

「カ、カカカ、カイン君が……ッ」

「謝っ……た、だと……」


 彼の殊勝な態度にびっくり仰天したのは他でもないレイナとユウトだ。普段の彼の素行を誰よりも近くで見てきたからこそ、素直に謝罪するカインの姿は2人にとって衝撃的に映っていた。


「テメェらな……」

「はいはいそこまで。話を戻すぞ?」


 冬馬は手を叩き、緊張感の緩んだ空気をリセットする。そして神妙な面持ちで次の話題に移った。


「さて、こっからが本題だ。今回の件で俺達には二つの大きな変化があった。一つはユウトだ。皆も知っての通り、こいつは魔道士ワーロックの力を失った」


 全員の視線がユウトに向けられる。彼は小さく頷き、それが紛れもない事実であることを認めた。


「ま、生きてるだけ儲けもんだけどな。色々疑問はあるが、原因は間違いなくザリクと接触しちまったことだ。ユウト、確認だが本当に魔法は使えないんだな?」

「あ、あぁ……理想写しイデア・トレースの籠手は出せない。そもそも瞳の色も昔に戻ってる。少なくとも今の俺が魔道士ワーロックじゃないのは間違いないと思う」

「それなんだけどさ、私との間に繋がってる魔力パスはまだ生きてるよ? 魔力もちゃんと供給されてる。真紀那も同じだろ?」

「はい、ユウト様との繋がりはまだ確かに感じます」


 飛角の言葉に頷きながら、真紀那は胸に手を当てる。2人はユウトの眷属だ。ワーロックとその眷属の間には常に魔力の通り道——パスが形成される。眷属はそのパスを通して主の魔力を分け与えられているのだ。それは基礎能力向上から固有性質強化に至るまで、眷属ごとに様々な恩恵をもたらす。

 特に真紀那の場合、その身に宿るぬえの完全制御をユウトの魔力に依存している。だからもし本当にユウトとの繋がりが切れているのなら、彼女の中の鵺が暴れ出してもおかしくない。


「楽観視すべきではありませんが、そのお話が事実なら力そのものを失ったのではなく、何らかの理由で封じられている可能性はありそうですね」


 細く白い人差し指を伸ばしたライラがそんな推論を立てる。彼女が言いたいのはつまりこういうことだ。

 今も変わらず眷属に供給され続ける高純度の魔力。それは普通の人間が持ち得るものではない特別な力だ。そしてそれを分け与えることができるのは唯一、眷属の主であるユウトだけ。であれば、彼の中に今もワーロックの力が残っていなければ理屈に合わない。


「とにかくユウトは検査を受けろ。推測通りならまだワーロックの力を取り戻す方法があるかもしれないからな。すぐに手配させる。イスカちゃん、神座かむくらに連絡しておいてくれ」

「ん、ラジャ」

「助かる。ところで冬馬、もう一つの変化っていうのは——」


 ユウトの言わんとすることを理解している冬馬は小さく頷いてみせる。


「あぁ、お前の考えてる通りさ。今まで誰も成し得なかった伊弉冉いざなみの魔装をカインが会得した件だ」


 直後、皆の視線が一斉にカインに注がれた。


「俺?」

「そうだ。この事実は俺……いや、特別大きな意味を持つ。なんせこれで3年前から考案されてたが一度も実行に移せなかった計画をようやく動かせるんだからな」

「あぁ、なるほどね。そりゃあ張り切りもするわけだ」

「え、何? 計画って何ですか!?」


 レイナは首を傾げるが、飛角は合点がいった様子だ。

 皆各々異なる反応を示す中、冬馬はその計画について語り始めた。


「その刀は3年前、俺たちが閉じ込められていた夢の鳥籠。あの海上都市イースト・フロートにもう一度足を踏み入れるための通行手形ってことさ」


・2・


「待ってくれ冬馬!!」


 一通り計画の概要を話し終え、部屋を後にしようとした冬馬をユウトが止めた。


「お、さっそく来たな聞かん坊」

「茶化すなよ。答えてくれ。どうして俺を海上都市イースト・フロート組に入れてくれなかったんだ!」


 先の話し合いではエクスピアとしての今後の動きについても冬馬の口から直接伝えられた。その内容はこのバベルハイズを発つにあたり、三つのグループに分かれるというもの。

 冬馬、イスカ、そして御影。ロンドン支部に戻る帰還組。

 ユウトと真紀那。アメリカにあるエクスピア系列の研究機関へ向かう検査組。

 そして最後の一つが海上都市イースト・フロート組——日本近海、旧海上都市跡地へ向かうグループだ。メンバーにはカイン、レイナ、飛角が選出された。


「どうしてって、当たり前だろ。今のお前は万全の状態じゃない。はっきり言って何の力も持たないただの人間だぞ? そんなやつをあんな場所に送り出せるかっての」

「でも——」

伊紗那いさなを救い出すチャンス、だろ?」

「ッ!?」


 まるで心を読まれたかのように、ユウトは一瞬息を呑む。対して冬馬はさも当然と言いたげだった。それもそのはず。


「分かるさ、お前の考えてる事くらい……俺も同じだからな」


 ユウトは冬馬がきつく拳を握りしめていることに気付く。


「冬馬、お前……」


 どうしてこんな当たり前の事を失念していたのだろう? 彼もまた思いは同じなのだ。むしろ自分の無力さを理解している。

 3年前、海上都市で行われていた人工的にワーロックを生み出す研究——『ワイズマンズレポート』。実の父親が強行した数々の非人道的な実験、その被験者だった冬馬の体は不適合者の烙印として魔法に蝕まれていた。そして海上都市あの場所で全てに決着をつけ、それでもなお互いがお互いを思うが故に親友ユウトと争った末、限界ギリギリだった彼の体は致命的な一線を越えた。


「別にお前が気に病む事じゃねぇよ。俺が自分で選んだ結果だ」

「……」


 冬馬は全く気にしていないように笑う。

 あの日から続く神凪夜白かんなぎやしろの献身的な治療の甲斐もあり、今でこそ日常生活に支障がないレベルまで回復したとはいえ、数ヶ月前に焔の魔人タウルを相手に共闘した時のような無茶はもうできない——いや、そんなこと絶対にさせない。

 冬馬がユウトを海上都市に向かわせないのは、まさに今ユウトが冬馬に抱いている感情と全く同じもの故なのだ。


「……はぁ……なぁユウト、勘違いするなよ?」

「え?」

「例え力を失ったからって、俺はお前を『使えない』なんて思ちゃいねぇ。今はただ、やるべきことが変わっちまっただけだ。立ち止まってるわけじゃない」


 冬馬の言う通りだ。

 確かにワーロックの力を失った事自体はユウトにとって大きすぎる痛手だが、それで目的が果たせなくなったわけではない。そもそも今までだって自分一人の力で全て解決してきたわけじゃない。親友と、あるいは部下と。それにエクスピアという会社も共に。常にユウトの周囲には仲間がいた。

 歩幅が変わっただけ。今も尚、目的に向かって進み続けている。


「お互い、やるべきことを見失わないようにしねぇとな。あいつが帰ってきた時、ちゃんと居場所を用意するためにも」

「……あぁ、そうだな。肝に銘じるよ。ありがとう、冬馬」

「いいってことよ」


 あの日から変わらず目的は同じ。しかし昔と違い、今度はお互いに納得する方法で。

 それを再確認した二人は、コンッとお互いの拳を付き合わせる。

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