第78話 最善ではなく -Choose what you want truly-

・1・


「……カイン!」


 突如現れたのは漆黒の衣を纏う青年。その肩にはまるで死神が持つような禍々しい大鎌を担いでいた。形は違うがそれが伊弉冉いざなみである事は何となく分かる。むしろ日本刀の形をしていた頃よりも遥かに強い力を感じるほどだ。


「………………悪ぃ、迷惑かけた」

「え?」

「……ッ、何でもねぇよ! それよりあのデカブツが元凶でいいんだな?」

「あ、ああ……けど気を付けろ。あいつは――」


 ユウトの言葉を待たず、カインは大鎌を縦に振り上げる。

 すると剣王機ヴィクトールエクスカリバーの残った左腕が宙を舞った。


「じ……か、ん……を……」


 思わず呆気にとられるユウト。今まで攻撃を当てることさえ叶わなかった敵の能力を全く意に介さず、不可視の刃は敵を切り裂いたのだ。


「怪我人は引っ込んでろ。後は俺がやる」

「カイン……もしやあなたはストラーダ卿の」


 カインは振り返らない。その背を見て一瞬、続く言葉を無くすライラ。しかし彼女はキュッと拳を握ると、意を決したようにこう言った。


「カイン・ストラーダ。あの機体の心臓部にはシーレと、彼女を模して生まれたエクシアという少女が囚われています。虫がいいことは重々承知しています。ですがどうか……どうかお願いします。あの子たちを――」

「勘違いすんな王女様。別に俺はアンタを恨んじゃいない」

「え……」


 彼女が直接カインに何かをしたわけではない。しかし5年前、そして今回の事件の中心にいるライラは彼の人生を大きく狂わせた。それは疑いようのない事実。法で裁かれる事はないにせよ、責められても仕方がないと覚悟していたのだろう。


「アンタの力がどうとかそんなのはもうどうでもいい。むしろ感謝してるくらいだ。俺なりに過去と決着を付けられたからな」


 後悔、無知、そして無力。

 結局、どこをどう思い返しても、何度たらればを並べても、望む結果は得られない。当時のカインではどうしようと救えない。抗いようのないクソッタレな運命だ。けどそんな運命は再びこの地で機会をくれた。彼女リサと再会して、今度はちゃんとその最後を看取ることができた。例えそれがただの自己満足でも、その事実は彼の心にとても大きな変化を与えた。


「なるほど」


 自身の能力で機体の再生が完了したミュトスを見上げ、カインは不敵に笑う。


『カイン・ストラーダ。あなたの介入は予測していました。あなたが極限状態の中で魔遺物レムナントの魔装を発現させ、特例個体リサ・ストラーダを討ち果たすことも――』

『……』


 ミュトスは答えない。それが偽りようのない事実故に。


「御託はいい。要はただお前が俺より弱いってだけだろ?」


 カインは左指で挑発するような仕草をする。機械に挑発が効くかどうかは定かではないが、彼らしいと言えば実に彼らしい。


「とっととかかって来い。スクラップにしてやるよ」

『愚かな……そんな未来は存在しない。先ほどの攻撃が苦し紛れである事は明白。度重なる戦闘でもはやあなたにこの剣王機ヴィクトールを倒す力は残されていない』


 ミュトスは再び巨大な光剣を錬成し、それを天に掲げる。


『凍てつく時の中で死に果てよ』





 刹那、世界が再び凍り付いた。





 時間という概念が静止した世界で、ミュトスは次の最善手を演算する。

 しかし――


『……何?』


 人を遥かに超えた叡智の結晶が導き出したのは、というたった一つの解だった。

 次の瞬間、止まっていた時間が動き出し、剣王機ヴィクトールの四肢と炎翼が今度はまとめて粉砕された。


『理解、不能……私の予測を――』


 翼を失い、地に堕ちる天使。鉄の塊に表情はないが、こうしている今もいったい何が起きたのか……不意の事態にミュトスは再演算を繰り返している。


「何も不思議なことじゃねぇよ」


 シーレ達を閉じ込めたコアを踏みつけ、カインがミュトスを見下ろす。


伊弉冉いざなみの空間支配……だが何故?』


 ベルヴェルークが時を支配するように、伊弉冉いざなみは空間を支配する。魔装によって進化したカインの刃は見えないのではない。刃は空間そのもの。その全てなのだ。1ミリでも動けば斬られるのは必定。時を止めた所で回避できる道理はない。問題なのはその力を行使するだけの余力が彼に残されているはずがないという事だった。


『まさか、魔人と組んだのか!』


 そのまさかだ。ここへ来る前、カインはタウルからあるものを借りていた。それは彼がクルトに勝利し手に入れた力――アレス。己の力を何倍にもブーストする能力を持つ魔具アストラだ。カインは神機ライズギアでその能力を引き出し、この場で戦えるだけの体力を取り戻していた。


「……返してもらうぞ」


 カインは異形の右腕を開く。そして赤黒いオーラを纏うその爪で、剣王機ヴィクトールのコアを貫いた。


・2・


 暗く閉ざされた空間。

 外界からの光は一切届かない。魔力で構築された壁の中には無数の冷たいコードがひしめき合い、二人の天使しょうじょたちの体に絡みついている。だが彼女たちの体はここにあっても、意識はここにない。さらに深い場所に囚われていた。


「……だ、れ?」


 そこは0と1のみで構築された世界。上も下も、右も左も存在しないその場所で、シーレはふと目を覚ます。誰かに呼ばれているような気がして。


「ようやく起きたのね。出来損ないおねぇちゃん

「私……?」


 同じ顔、同じ声。

 目の前に立っていたのはシーレと瓜二つの少女だった。


「私とあんたが同じ? 冗談言わないでよ。私は完成された天使の器。失敗作のあんたとは違う」

「……む」


 その失礼な物言いにシーレは思わずムッとする。自分が5年前の事件で生まれ、天使実験の被験体だった事は知っている。当然、その実験の首謀者が望んだ結果を出せなかった欠陥品だという事も。

 今こうして『シーレ・ファルクス』と名乗れるのは、ひとえに自分がライラエル・クリシュラ・バベルハイズのDNAを基に製造されたクローンであったから。そしてもう一つ、彼女を守る騎士としての役割を与えられたからだ。


「ううん。やっぱりあなたは私」

「……」


 成り立ちは違えど作られた命。結局、生まれたのが早いか遅いかの違いでしかない。もし彼女が――エクシアが先に生まれていれば、彼女が『シーレ・ファルクス』だったかもしれない。


「……ッ、何?」


 ふと、不穏な気配がした。全てがデータで構築されたこの電子の海の中にあって気配とはおかしな話だが、それでも間違いなく誰かに見られているような視線をシーレは全身で感じた。


「来たわね」


 2人の前に青白い球体が姿を現わす。

 ミュトス。ロゴスが自身を分解し、その後再構築することで生まれた魔導式AI。第三者の介入があったとはいえ、もはや完全に人の制御を離れたシンギュラリティの産物だ。


剣王機ヴィクトールが許容を超えるダメージを受け再起不能。これより速やかにコアデータの転送を開始します』


 それは温度のない、しかしまるで呪詛を振り撒くような言葉を発した。


『個体名エクシア。一時的にこのミュトスの器となることを要請』

「承認するわ」


 一つ返事で応えるエクシア。了承を得たミュトスはその形を崩し、速やかに彼女の中へと流れ込んでいく。


「ッッ!」


 シーレはそれを止めようとしたが、一瞬こちらに視線を向けたエクシアを見てその動きを止めた。


『同調完了。これより再起動を――』


 その時、ミュトスの言葉が止まった。


「エクシア……?」

『個体名エクシア。


 エクシアのデータが一瞬揺らぐ。明らかに何か異常なことが起こっている。


「うっ……この時を、待ってたのよ。お前が私の中に入り込んだこの瞬間だけは……私の方が権限が強い……ッ」

『ッ!? 何を考えている?』


 彼女がミュトスを受け入れたのは、命令通り体を明け渡すためではなかった。むしろその逆。どこにも逃げられないように自分の中に閉じ込めるため。


『理解不能……そんなことをしてもあなたに何も――』

「お前はお姉さまを殺そうとした」


 エクシアはミュトスの呪詛ことばを切り裂く。


「私は……私達はお姉さまの幸せを守るために生まれた存在。だからそれ以外はどうなっても構わない。けれど、お前が最後に導き出した結論だけは容認できない!」


 その言葉と同時に、彼女の体が本格的に崩れ始める。全身に亀裂が走り、白亜のように白い右腕は地に落ちて砕けた。


「自己崩壊プログラム!?」


 現実世界で体を失っても、機械である彼女たちが死ぬ事はない。魂に相当するコアデータさえ残っていれば、新しい体を調達して復元できる。しかしここは電脳世界。ここでは現実と異なる法則が働く。機械の魂はいわば剥き出しの状態になるのだ。


『馬鹿な……こんな予測みらいはありえない。私を殺すために自ら死を選ぶというのか? 私に作られた存在であるお前が!?』

「やめてエクシア!」

「来ないで……ッ!」


 自らの崩壊に苦しむエクシアは、シーレを拒絶した。


「……いいの。これがお姉さまを守る最も確率の高い手段……というかどの道、出来損ないのあんたじゃ私の代わりは務まらない。ハハハ……お生憎様ね」


 彼女は最大限の皮肉を込めた笑みを向けるが、そんな事を気にしている余裕はシーレにはなかった。敵とはいえ、相手は自分の半身とも言える存在。素直に喜べるわけがない。


「でも……」

「あんたは、戻って……確かにこれは、最善じゃない……けど私も、あんたも……ライラお姉さまを守りたいというその一点だけは……同じでしょ?」


 エクシアはシーレの背後を指差す。すると何もないその空間に突如として直径1mほどの穴が出現した。その穴はこの暗い世界から抜け出す唯一の出口。一時的にミュトスが持つ権限を掌握した今の彼女ならそれを作り出すことができる。


「ッ……ぐっ、何……?」


 シーレはとてつもない力でその穴に引きずり込まれた。


「エクシア!!」


 咄嗟に彼女の名を叫んだが、そうしている間にもどんどん距離が離れていく。


「――――――」


 だから彼女が最後に何と言ったのか、それを聞き取ることはできなかった。


・3・


「……やった、のか?」


 カインが右腕で剣王機ヴィクトールエクスカリバーのコアを穿ち、そこから囚われていたシーレの体を引きずり出す姿を見ていたユウトはそんな言葉を漏らした。


「隊長ーッ!」


 次いで頭上から声がした。見上げるとそこにはレイナ、そして背中から翼を生やした飛角と真紀那もいる。3人ともゆっくりと高度を下げながらユウト達のもとを目指していた。


「あ、カイン君もいる!!」

「ようレイナ。随分ボロボロじゃねぇか」

「フフン、名誉の負傷だよ♪」


 胸を張ってしたり顔で答えるレイナ。どうやらそれぞれ剣機グラディウスとの戦いを制したらしい。


「さて、確か王女様の話じゃもう一人……ッ!?」


 シーレを抱えたまま咄嗟にその場から離れるカイン。すれ違いざまに極熱の柱が天より降り注ぎ、剣王機ヴィクトールの残骸を跡形もなく消し去った。


「ザリク!」


 ユウトはすぐさま空を見上げた。

 そこには未だ黒い死の瘴気をその身に纏う魔人の姿があった。少し離れた場所には焔の魔人タウルもいる。まだ戦いは終わってない。


「フッ、機械仕掛けの巨人を倒したか。タウルの言う通り、右腕の小僧も少しは腕を上げたようだな」

「誰が小僧だ! テメェこそ貧相な体で偉そうにしてんじゃねぇよ」

「痴れ者が……次にその口を開いたら跡形もなく燃やし尽くすぞ」


 ギロリとザリクの隻眼がカインを睨みつける。実際の所、これ以上戦える余力のある者はこの場にいない。ザリクがもう一度、先のインドラの光を放てば全滅は必至だ。


「槍は回収させてもらう。本来なら弱り切ったお前たちをここで確実に潰しておきたいところだが……そこの王女に免じて今回だけは見逃してやる」

「……」


 一瞬、ザリクとライラの視線が交わった。彼女たちの間で何があったのか、詳しい事は分からない。だがどうやらこれ以上戦う意志はないらしい。

 ザリクはゆっくりと高度を下げ始めた。彼女が向かう先は先ほどまでカインが立っていた場所。そこには焼失した剣王機ヴィクトールが取り込んでいた叡智の絶槍――ベルヴェルークが突き刺さっている。

 驚くべきは分子レベルで対象を焼き尽くす彼女の極熱を受けても、その槍は全くの無傷だったことだ。まるで時が止まっているかのように外部からの一切の干渉を受けていない。


「させ、ない!!」


 ユウトは軋む体に鞭を打って立ち上がる。ここで槍を奪われるわけにはいかない。今は助かったとしても、もし槍が敵の手に落ちれば今後の戦いで必ずその代償を支払うことになるから。

 彼は足元の氷塊を掴み、ザリクに向かって全力で投げる。


『Trick』


 そして置換魔法で自分とその氷塊の位置を瞬時に入れ替えた。それが走る力さえも残されていないこの状況で、彼女に届く唯一の方法だった。


「ッ!? 馬鹿が!!」


 ザリクもまさかこの状況で向かってくるとは思っていなかったらしい。そしてユウトの予想通り、自身の死の外理カーマそのものである黒い瘴気に触れられたくない彼女は大きく姿勢を崩した。


(届け!)


 まっすぐ左手を伸ばす。槍までの距離はわずか1m。

 状況を察したカインはすでに動き始めていた。今の彼なら数秒の時間稼ぎは望めるはずだ。槍を掴んだ後はその隙に全員を転移魔法で移動させる。我ながら無茶な策だとは思う。それでもやらなければならない。


(あと、少し……ッ!?)





 だがその時、全身を名状しがたい悪寒が駆け抜けた。





(な……に、が……)


 それはまるで心臓を直接手で撫でられたかのようなひどく悍ましい感覚。直後、全身が硬直する。ユウトの時間も止まる。


(まさ、か……)


 その真偽を確認することはできない。だが予想は付く。


(みんな……)


 そしてそれがである事も。


(……ごめん)


 痛みはない。

 静かに、眠るように、ユウトの視界はゆっくりと黒に染まっていく。

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