行間2-5 -此処は最低で救いのない世界-

「面倒な事になったな」


 魔人ザリクは遥か上空からユウト達を見下ろしていた。

 上空の巨大隕石は機械の巨人アレに破壊された。もう一度隕石を引き寄せることは可能だが、アレがいる限りもう意味はないだろう。

 さらに問題なのは、あの巨人が槍を取り込んでしまった事だ。しかもその権能を僅かばかりではあるものの使いこなしている。


(インドラの力が強まりすぎた今の状態ではマズい……か)


 彼女は自身の両手を見つめる。

 死の外理カーマは未だ活性状態が続き、体を縛るヴリトラの封印力が弱まっているのもあり、彼女の周囲にはまだ黒い瘴気が漂っていた。

 インドラとヴリトラは対極に位置する魔具アストラ。先の魔装強制解除でインドラの力が不自然に強まっている今、その力を行使すればヴリドラの封印力はさらに弱体化する恐れがあった。そうなればこの瘴気はさらに勢いを増すだろう。

 触れた者を等しく、無慈悲に殺すこの瘴気。武器として使うならこれ以上ないものと思うかもしれないが、実際はそんなに都合のいいものではない。


 この呪いは他者の死と引き換えに、その人間が辿ってきた過去、そしてこれから辿るはずだった未来全てを経験させられる。


 詰まる所、この力で殺した人間の数だけその者の人生を共有させられるのだ。

 それがどうした? と思うかもしれないが、それは経験したことのない輩が吐く愚言だ。正直言って、人生の共有など最悪以外の何物でもない。

 人が一生の内に獲得する数多の記憶、感情、知識。それらを一瞬の内に脳髄に叩き込まれる感覚など分からないだろう。喜ぶ暇も、悲しむ暇もない。あるのは毒薬が喉を通るような地獄の苦痛。そしてそれが過ぎ去った後に訪れる強烈な虚無感だけ。それが複数人ともなればさらに惨い。

 その昔、一つの街を丸ごと死滅させたことがあった。あの時は発狂して壊れた自我を取り戻すのに1年以上を要したものだ。その間、食事はおろか人としての最低限の尊厳さえ失っていた。当然、周りに生きている者などいないから助けなど期待できない。

 徐々に増す死臭に肺を壊され、疫病が体を蝕み、体の内外をウジ虫に蹂躙される。いっそ死んでしまいたくなるほどの飢餓感が絶えず意識を覚醒させ、地獄を余すことなく味わった。

 だがこの外理カーマのせいで死ぬ事は許されない。彼女にとって『死』とは与えるものであり、自らが享受するものではない。『死』という概念がそもそも存在しないのだ。


「……」


 あの時の感覚を思い出したのか、気付けばザリクの指は小刻みに震えていた。彼女はゆっくりとその指をもう片方の手で抑え込む。


(神、奇蹟……そんなくだらないものさえなければ……)


 こんな苦しみを味わう必要はなかった。だから彼女はそんな世界を自分の手で創ると決めた。『特別』を許さない不動の世界を。

 唯一幸いにして、知識と経験だけなら腐るほど持っている。


「まぁいい、せいぜい足掻けばいいさ。どうせ此処は最低で、救いなんてない。だから――」


 祈るように。

 魔人はそう言って隻眼を開く。


「足掻いて足掻いて足掻ききって…………そして私のいない場所で勝手に満足して死んでくれ」


 眼下に広がる無辜の地獄いのちたちを見下ろしながら。

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