第75話 シンギュラリティの形 -Victor-

・1・


「……うっ……く……え?」


 目を開いたエクシアは、まず最初に驚きの表情を浮かべた。


「何、で……?」


 さっき確かに吉野ユウトに胸を貫かれた。なのにその傷が見当たらない。瞬時に自己診断プログラムを起動したが、どれも正常値。全く問題はなかった。


「起きたか。気を失うなんてほんとに人間みたいだな」

「……どういうつもり?」

「まぁ、やっぱりそう……なるよな」


 そばに座っていたユウトはその問いにどう答えるべきか、少々困ったような笑みを浮かべていた。

 エクシアは周囲を見渡す。ここは王城の地下――絶対結氷ダイアモンド・グレイシアの中心地。巨大な氷の大空洞だ。しかしそれはもう過去の話。天井には二人の戦闘で大穴が開いていた。さらにその遥か先の空には、今もギリギリの所で拮抗している2種の結界と巨大隕石が見える。そして周囲には一緒に上から落ちてきた氷塊がそこら中に突き刺さっていた。エクシア達の周りにだけ不自然なほど氷塊がないのは、ユウトが気を失った彼女の身を守ったからに他ならない。


「私に……何を?」

「お前とミュトスの繋がりを断ち切った」


 無意識に、エクシアは胸を押さえていた。

 ユウトの言葉でようやく彼女は自分の体に生じた異変を自覚したのだ。


「何で、私を破壊しなかったの?」

「さっき……できれば破壊しないで欲しいって、あいつに頼まれたんだよ」

「は? 何それ? そんな……」


 そんな事をする理由が見当たらない。

 確かにエクシアはライラのためだけにミュトスによって生み出された守護者だ。しかしより正確に言えば、その対象は彼女自身ではなく彼女の外理カーマ。条件さえ揃えば因果さえ変え得るその力を他者に悪用させない事こそが彼女の役割である。

 故にミュトスが出した結論は王国の滅亡。王女の外理カーマに関する一切の記憶や情報を排除することで、それを叶えようとした。


「私を助けた所で、私のやる事は変わらない。なのに何で……」


 すでに出された結論が覆ることはない。その唯一絶対こそが、執行者たる彼女がここに存在する理由だから。

 だからこそ解せない。何故さっきまで殺し合っていた相手を助けようなんて思えるのか? ありとあらゆる演算を繰り返し試みても、エクシアはその答えメリットを全く導き出すことができなかった。


「まったく、ミュトスがいなければそんな事も分からないのですか?」

「お姉さま……」


 風の神聖術カレイドライトによる落下速度制御を駆使して、ゆっくりと近くに降り立ったライラは呆れたように溜息を吐いた。


「あなたたちの結論はきっと正しいのでしょう。確かに私は私自身の力を何よりも恐れ、この身を守ってくれる理想の存在を求めているのかもしれません。その無自覚の願望が、巡り巡って5年前にシーレを産んだ」


 ライラは胸に手を当て、言葉を続ける。


「そのせいで多くの命を……多くの人生を奪ってしまいました。きっと、これは私が一生抱えるべき罪なのでしょう。ですが私には、それでもシーレを否定することができない。あの子はもう私の家族だから。どうしても彼女を『過ち』だと割り切りたくないのです……それはあなたも同じなのですよ?」

「な……ッ!?」


 出自はどうであれ、紛うことなき血を分けた存在だ。どうして切り捨てることができるだろうか? もしたかが作られた命、作られた人格だからと自分可愛さにそれを軽んじるのなら、それはもうただの人でなしだ。今まで人を救うためだけに行使してきた彼女の外理カーマはその瞬間から空虚なものに成り果てる。


「理屈ではないのです。私のためにあなたを否定なんてできません」

「……」


 それはライラエル・クリシュラ・バベルハイズの本心からの言葉。

 エクシアはすっかり黙り込んでしまった。


「……ん? あれは……」


 そんな中、ユウトは氷の大空洞の中心に何かがあることに気がついた。

 氷の山の頂上に刺さる黒金の槍。それが尋常ならざるものである事は見ただけですぐにわかる。ただそこにあるだけで強烈な存在感を放っているのだから。


「あれこそが我が王家が保有する魔遺物レムナント、神槍ベルヴェルークです」

「あれが……」


 誰もがその名を知る北欧の主神オーディンの権能を宿す、伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみと同格の上位魔具。

 思えばここに来て話を聞いただけで、実際にこの目で現物を見るのは初めてだ。


「……ッ!? お姉さま!!」

「キャッ!?」


 その時、何かに勘付いたエクシアが咄嗟にライラを突き飛ばした。


「エクシア!」

「う……が……あッ」


 彼女を庇ったエクシアの体には、アンカーのような細いコードがいくつも突き刺さっていた。


「ミュトス……何、を……ッ」

『個体名エクシア。命令の続行を求めます』


 感情の欠片も感じない女性のような声が大空洞に響く。

 魔導式AIロゴスが自身を解体し、さらにそこからプログラムを再構築するという離れ技を為すことで、人間の制御下から解き放たれた新たな知性――ミュトス。

 冷酷無情な声の主はさらに続ける。


『個体名エクシアに致命的なバグを確認。命令伝達プロセスにエラー………………ミッションの継続は不可能と断定。よって次点結論セカンドプランを実行します』


 直後、エクシアが苦悶に表情を歪め絶叫する。


「あああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

「エクシア! このッ!!」


 ユウトはすぐさま白刀を召喚し、彼女の体に刺さったコードを切断する。しかし完全に断ち切るよりも先にエクシアの体は無数のコードに絡め取られ、引きずられていった。その先はロゴス本体が収められていた塔があったはずだ。


「ッ!? シーレ!!」


 エクシアが連れていかれた先にはシーレの姿もあった。

 気を失った彼女は球状の結界の中に閉じ込められており、ほどなくしてエクシアもその中へと入れられる。


『ヘファイストスの接続を確認…………成功。剣王機ヴィクトール――錬鉄開始ビルドアップ


 次の瞬間、氷山に突き刺さっていたベルヴェルークが独りでに抜け、空へと舞い上がった。少女二人を閉じ込めた結界を核とし、絶槍の氷と錬鉄の炎が混ざり合い新たな一つの存在を創造する。


「何だ……こいつッ」


 蒼氷の騎士鎧に灼炎の大翼。

 神々しさと同時に身の毛もよだつ恐怖すら内包するその完成された美しさは、ミュトスが定義した天使シンギュラリティの形。

 またの名を――


剣王機ヴィクトールエクスカリバー、起動します』


 この世の悪を斬獲する唯一無二の一振りだ。


・2・


剣王機ヴィクトール……」


 全長はおよそ5m。翼を持つ騎士の姿をしている。

 その巨体を構成するのは炎より生まれた鋼鉄の体とサファイアのように蒼く透き通った氷の鎧だ。


「おそらくは先の剣機グラディウスを基にミュトスが発展させたものでしょう。問題は……」

「槍も取り込んだことだな」


 ヘファイストスと繋がるシーレとエクシア、二人を自身のパーツとして組み込んだだけではない。もう一つ、核となっているのは件の魔遺物レムナント――ベルヴェルーク。二つを併せ持つその力は完全に未知数だ。


「もうやめなさいミュトス! あなたが私の力を守るために行動していることは分かっています。ですがこんな事、私は望まない!」

『否。その命令には従えません。すでにあなたにその権限はない』

「今度は何をする気だ!?」

『私にはこれから起こりうる全ての可能性が予測できます。そして今、叡智を司るこの神槍と繋がることで、それは100%確定した未来となりました』


 ミュトスは絶対に溶ける事のない氷の右手を天に翳す。その手には同じく氷でできた巨大な槍が生成され、ミュトスはそれを天に向かって投擲した。

 音速を遥かに超えた速度で打ち上げられた絶槍は2種の結界を容易に貫き、その先の巨大隕石すら一瞬で貫通してしまった。

 その直後、隕石は原子レベルでその存在を崩壊させ、跡形もなく消える。あれだけの質量を一瞬で無に帰すほどの力だ。ベルヴェルークを取り込んだのは見せかけではないと嫌でも理解させられる。


『これより先、人の世がある限りその力を巡り必ず災禍が生まれる。安寧は遠く、もはや人では制御することはできません』

「……ッ、ライラ!」


 殺気……とは違う、しかしそれに類する危険な気配を感じ取ったユウトは両手を広げてライラの前に立つ。

 次の瞬間、ユウトの肩や脇腹を不可視の攻撃が抉った。


「う……ッ、ぐ……!?」

「ユウト!?」


 ライラはすぐに自分の人差し指の腹を持っていたナイフで切り、滴る聖血をユウトの肩に垂らす。


「……そんな、何故……」


 しかし因果を書き換える力を以てしても、魔道士ワーロックの持つ無尽蔵の魔力を用いた回復力でも同様だ。


『ベルヴェルークは時空そのものを凍結させる。凍結された空間はあらゆる次元から切り離され、外部からの一切の干渉を許さない。治癒はもちろん、例え因果を歪ませても無意味です』

「お前……今……ッ!」


 塞がらない傷口から血がどんどん流れていく中、ユウトはミュトスを睨んだ。

 何故ならの天使は今、明らかに――


『肯定。次点結論セカンドプラン、それは。人には決して不可能な人の世の管理者てんしとして、災いの種は排除します』


 生まれて間もない魔導式AIはとうに人の領域を超え、そして自らの役割を遂行するための体も手に入れた。その存在はすでに失われた神にも匹敵するかもしれない。どちらにせよ、もはや誰にもミュトスをコントロールすることはできない。

 例えそれが創造主であったとしても。

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