第69話 刃神 -Crazy Edge-

・1・


 全てを白に染め上げる閃光。


(……ッ、何が)


 堕天の影響で体の自由は完全に持っていかれた。僅かに残る意識の中、リサが見たのはまるで骨のような無骨さを感じさせる漆黒の大鎌。それは光を引き裂き、一直線にこちらへと伸びてくる。

 しかし、ワーロックの魔力を全て身体強化に振った彼女にとって、それはあまりにも遅すぎた。そもそも例え不意打ちで反応が遅れたとしても、今の彼女なら余裕で回避できるだろう。だが――


「な……ッ!?」


 その常識は魔遺物いざなみの前では無意味と化す。

 リサは確実にカインの斬撃を避けた。にもかかわらず、変異した彼女の右腕はバッサリといとも簡単に切り裂かれたのだ。それも一度や二度ではない。何重にも折り重なった不可視の斬撃は、彼女から右腕が切断された後もなお蹂躙を続けた。

 その先で見たカインの姿。それはまさに死神と呼ぶに相応しい禍々しき純黒の鎧。口元は髑髏のフェイスプレートで隠されている。全身には血管のような赤い線が走り、その根源たる右腕には先ほど目にした漆黒の大鎌が握られていた。

 新たな力を手に入れたカインは地面を蹴る。

 もはや自分の意志とは無関係に動く体でも、リサは思わずたじろぐ。

 ワンテンポ対応が遅れたのは、目の前にいるのに殺意どころか気配さえ感じないからだ。

 そこにいるのに、そこにいない。

 どこにもいないのに、どこにでもいる。

 五感の内、頼れるのは視覚だけ。目で追いきれなくなったら最後、例え目の前にいてもそれは風景の一部としてしか捉えられない。敵を認識することは永遠に不可能になる。そんな予感があった。

 瞬きをすればカインとの距離はおよそ1m。すでに間合いに入っていた。


(マズいッ、距離を……)


 先ほどの斬撃の正体が分からない。いつ、どうやって斬られたのか?

 故に自分が今立つこの場所に留まるという事に強い危機感を感じたリサは、視界の中心にカインを捉えながら、全力で彼から距離を取ろうとした。


「逃がすかよ!」


 しかし、不可解な事は再び起きる。


(速い!?)


 気付けばカインはリサの目の前に立っていた。それも彼の武器が最も威力を発揮するであろう完璧な位置に。


(いや、これは――)


 カインが近づいたのではない。


「ちっとばかし我慢しろ。その鎧、すぐに剥ぎ取ってやる!」

「く……ッ」


 無限に等しい魔力を消費し、瞬時に右腕を再生。しかしそれではもはやどうにもならない。この領域を抜け出せない。

 次の瞬間、不可視の刃が彼女の全身を貪った。


・2・


 体が軽い。思考が冴え渡る。

 神喰みぎうでを媒介とした事で発現した新たな魔装――刃神Crazy Edge

 以前の半魔装とは比べ物にならないほど『力』が全身に馴染んでいる。それはある種の全能感にも似た不思議な感覚だった。

 伊弉冉いざなみが持つ二つの権能。その一つ――『侵食』による一定範囲内の完全空間掌握能力。半径およそ10m。この領域は余さずカインの『目』であり『刃』だ。故にいかなる術を用いても彼を欺く事はできず、またいかなる強者つわものであろうと彼の意志に逆らうことはできない。


(切り裂け!)


 そう念じるだけで、空間そのものが無限の刃と化す。


(来い!)


 そう念じるだけで、問答無用で敵を引き付ける。

 領域内において絶対の優先権を持つのはカインの意志ただ一つ。

 夢幻の支配者たる伊弉冉いざなみの力は今、彼の手の中に――


・3・


「ぐあああああああああッ!!」


 黒き一閃が堕天の鎧を断つ。

 リサの左腕に巻き付いた外神機フォールギアは砕け散り、あの黒いメモリーファロールを残して消滅した。


「リサ!」


 その場で膝を付き、倒れ伏した彼女にシルヴィアはすぐさま駆け寄った。その体を抱き寄せ、涙ぐみながら師の名を叫ぶ。


「う……ッ、ギャアギャアうるせぇ……ちゃんと聞こえてるって……

「……ッ! 分かるのですか!? 私が!」

「へへ……まぁな。すっかり美人になりやがって。なんか、変な気分だよ……ついこないだまで青臭ぇガキだったのにな」


 リサ・ストラーダを完全再現した機械人形オートマタ。その記憶もまた当時のまま。彼女にとって、自分が死んだ5年前はつい最近の出来事なのだ。

 彼女はシルヴィアの頬に手を当て、涙を拭う。どうやら堕天の解除と共に、体の自由を取り戻したようだ。


「……」


 リサは自分に背を向けているカインへと視線を移す。


「……カイン」

「……ッ」


 カインはほんの一瞬、肩を震わせた。そこにいるのはただの紛い物。本物の彼女は当の昔に死んでいる。それは分かっている。分かっていても、どんな顔で彼女を見ればいいのか分からなかった。


「なんつーかその……悪かったよ」

「……は?」


 リサの突然の謝罪に思わず振り返ったカイン。そして彼女の目を見てしまい、言葉を無くす。


「だから……私がヨハネの戦士だってお前らに黙ってたことだよ」

「……そんなこと俺はッ!」

「でもよかった」

「……」


 リサは右手をカインに伸ばす。届かないが、愛おしそうに。


「これが夢じゃないなら……あの時、私はお前を守れたってことだろ?」

「……あぁ」

「なら、いい。私にとってはそれで充分だ」

「……ッ」


 込み上げてくる何かを、カインは歯を食いしばって耐える。

 ずっと赦しを求めてきた。自分のせいで死んだ彼女に償うために、果てのない贖罪を続けてきた。なのにもう絶対に聞くことがないと思っていたその一言が……たった一言が、己を縛り続けていた鎖をいとも簡単に引き千切ってしまった。



『な、何……こ、この茶番? 絶望たつものシナリオとち、違う!』



 その時、再びどこからか神凪絶望かんなぎたつもの声が響いた。本人の顔が見えなくとも、声音だけで彼女が酷く憤慨しているのが分かる。

 同時にリサの胸のあたりが赤く輝き始めた。


「ッ!? テメェ、何しやがった!!」

『クヒ……クヒヒ、や、やっぱりワーロックの再現は難しい、みたい……外神機フォールギアである程度は制御できてたけど……今はもう、それもない……もうソレは……まぁ、それもまた一興……だね』

「貴様!」


 シルヴィアは虚空を睨む。だが結局、絶望たつもの居場所が分からない以上、打つ手は何もなかった。


「シルヴィ、ちょっと下がってろ」

「カイン、何を――」


 彼女の言葉を待たず、カインは


「ッ!?」

「とっとと出てこい!」

「ひぎゃッ!?」


 空間の裂け目から首根っこを掴まれ引っ張り出されたのは、小さな少女だった。

 ダボダボのパーカーに中心で白と黒に分かれた髪の毛。まるで死んだように光のない赤と青のオッドアイ。その両手で熊にも狼にも似た紫色の奇妙なぬいぐるみを抱きしめていた。


「な、何で!?」


 絶対に見つからないと高を括っていたのだろう。少女――神凪絶望かんなぎたつもは酷く狼狽えていた。


伊弉冉こいつは空間を完全に制御できる。どうやってるかはさておき、お前が別の位相に隠れてるのは魔装した時すぐに分かったよ」

「あひッ! こ、今度こそ生カイン様ッ!! 嬉し恥ずかしでもでも超ピンチ!」


 嬉しいのか慌てているのか、もはや彼女の感情はごちゃまぜになっていた。


「カイン、彼女をどうする気ですか?」


 シルヴィアはカインに問う。彼女の腕の中にいるリサの胸では、行き場を失った膨大な魔力が今にも破裂しそうな危険な輝きを放っていた。


「造ったのはコイツだ。なら直せるんだろ?」

「ひぃー、で、できますぅ!!」

「ならとっとと――」


 カインがリサの前に絶望たつもを投げ出そうとしたその時、何者かが間に割って入り、同時に激しい衝撃がカインの体を後方へ吹き飛ばした。


「が……ッ!?」

「何者だ!!」


 絶望たつもを傍らに抱き抱えたその男は、シルヴィアの細剣テミスによる高速刺突を簡単に避け、彼女のみぞおちに掌底を喰らわせる。


「……ッ、がは!?」


 その威力はあまりにも絶大で、魔術で強化された鎧を容易く破壊した。


テミスこれは我らがこの実験のために貸し与えたものだ。回収させてもらうぞ」


 謎の男は倒れたシルヴィアの手から魔具を奪おうとした。しかしその手が触れる直前、カインが横から伊弉冉いざなみの大鎌を振り上げる。


「何ッ!?」


 気配を完全に消した上での不意の一撃。あのリサでさえ一瞬反応が遅れていた。にもかかわらず、その男はまるで最初から分かっていたように反応してみせたのだ。

 男は大鎌の柄を左腕で握り、カインと顔を突き合わせる。


「テメェは昨日の!?」


 その男は昨日、魔人タウルと一緒にカフェテラスにいた時、後ろの席に座っていた青いスーツの男だった。


「フン、少しはその腕を使いこなしたらしいな」

「何?」

「うきゅぅ……滅火ほろびお兄ちゃん……ナイスタイミング」

「だがまだ不十分だ。それでは単なる兵器にすぎない」


 眼鏡の男――神凪滅火かんなぎほろびは大鎌を掴むその左腕を青く発光させた。


「な……ッ!?」


 カインは言葉を失った。

 。男の左腕はカインの右腕と――神喰デウス・イーターと全く同じ姿をしていた。

 左の神喰デウス・イーター。唯一違うのは赤ではなく、青く発光している事。だがそんな事今はどうでもいい。


「テメェ、何で俺と同じ腕を持ってやがる!!」

「答える義理はない」

「ふざけんな!」


 魔装で強化されたカインの身体能力を以てしても、滅火ほろびを押し切ることができない。それどころか押し負けている。


「ぐ……ッ」

「所詮、この程度か……ッ!?」


 滅火ほろびがトドメを刺そうとしたその時、リサが横から割って入った。

 左腕を大鎌から離した彼は絶望たつもを抱えたまま大きく後退する。


「こいつに……手を、出すな!!」


 未だ彼女の胸には赤い破壊の光が灯っている。全身に亀裂が走り、もうこれ以上まともに動けないのはカインの目でもすぐに分かった。


「……ここまでか。引くぞ絶望たつも。異論はないな?」

「りょ、了解……ぐすん」


 彼らは足元に謎の魔法陣を展開すると、その体は徐々に虚ろへと変わり始める。


「待ち、やがれ!!」


 声を張り上げるも、魔力切れを起こしたカインは魔装を解除し、膝を付いた。


「私達に構っている暇があるなら、その女を何とかすることだ。このままではこの国が吹き飛ぶぞ」

「ぐ……ッ!」

「だが今のお前ならあるいは――」


 何かを言い終わる前に滅火ほろび絶望たつも、二人の神凪かんなぎは完全に姿を消した。


「クソがあああああああああああああああああああああああ!!」


 後に残されたカインは、ただ叫ぶ事しかできなかった。

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