第65話 ミュトス -Singularity-

・1・


 ――光の柱が出現する数分前。


「あ? 急に空が暗くなりやがった」


 焔の魔人タウルは黒一色に染まった空を見上げていた。その手にはただの一振りで戦況をひっくり返した黒紫の獄炎を纏う魔遺物レムナント――魔剣スルトが握られている。


「……ごほ……ッ、ごほ……ッ!」

「ん? よぉ、生きてたのか。なかなか根性あるじゃねぇか」


 分厚い氷の大地が一瞬で溶け、沸騰した海水から上半身だけを乗り出したクルトが苦しそうに這いつくばっていた。

 『終末の炎』と称されたスルトの一振り。そこから生じた極熱波は3機の剣機グラディウスを分子レベルで消滅させた。当然、クルトも例外ではない。だが直前で剣機グラディウスの内の1機、デュランダルが彼の盾となり、1秒だけ時間を稼いでくれた。おそらくシーレの判断だ。彼はそのわずか1秒でアレスによって強化された筋力を使い足元の氷を穿ち、その下にある極寒の海へと逃げたのだ。

 普通なら急激な温度変化に体が耐え切れず、失神……あるいは最悪の場合、心筋梗塞であの世行きだっただろう。そうならなかったのはアレスによって強化された肉体はもちろん、皮肉にも氷の下の海水さえ一瞬で沸騰させるほどの炎のおかげだ。


「……ッ、何だ……その黒い、炎は……」

「こいつか? こいつは戦利品だ。昔殺り合った強者ライバルのな」


 そう言ってタウルは大剣を手放す。持ち主の手を離れたそれはまるで燃え尽きたようにその姿を消した。


「……どういう、つもりだ。まだ戦いは……終わってないぞ」

「強がるなよ。自力じゃないとはいえ、俺にスルトを使わせたのは褒めてやる。だがテメェの限界はせいぜいこのあたりだ。魔具頼みの戦い方をするようじゃ、俺には逆立ちしたって勝てねぇよ」

「く……ッ」


 クルトは悔しそうに顔を歪めるが、確かにあの一撃を前にして明確な勝利のビジョンなど浮かびようがない。正面から打ち勝つことはおろか、回避も封じることも不可能だ。それほどまでに実力差は歴然。魔具の格も違いすぎる。


「それよりカイン・ストラーダはどうした? あいつは出てこねぇのか?」

「……何故、やつの話を?」

「決まってんだろ。あいつは見込みがある。まだまだ俺の相手としちゃあ物足りねぇが、使を掴みかけてるみてぇだからな」


 タウルが期待に口元を歪めたその時――


 バゴッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!


 遠方からまるで空気が破裂するようなくぐもった爆発音と、遅れて凄まじい衝撃波がやってきた。


「おいおい何だありゃ?」


 爆心地は王国の方だ。正確な場所はここからでは知る由もないが、おそらく王城のあたり。そこに天を貫く光の柱が伸びていた。


「……ッ、馬鹿な……」


 5年前と同じ。あの惨劇と。

 当然、クルトもその光柱を目にした〇adee×das▽shfあojf――


「……ッ!?」


 突如、思考にノイズが走った。


(何だ、今のは……)


 あの光景を知っている。知っているが……何かがおかしい。

 知識として、記憶としてちゃんとそこにある。だが、

 あの惨劇で尊敬する父を亡くした。共に切磋琢磨した同志もたくさん死んだ。悲しみの感情も、強くありたいと思うこの決意も間違いなく自分のものだ。なのに何故か当事者になれない自分がここにいる。まるでクルト・シュヴァイツァーという一人の人間の物語を映画として見ているような。

 自分と記憶の間にある強烈な違和感コンフリクト。それが今――


「………………そうだ、思い出した。私は……」

「あ? まだやん――」





 刹那、タウルの胸板をクルトのアレスが横一文字に斬り裂いた。





「……ッ!?」


 常に周囲に纏った炎の障壁をものともしない鋭い一閃。然しものタウルも驚いたようだが、傷は浅い。魔人の再生能力を以てすればすぐに完治するだろう。

 問題はそこではない。


「テメェ……?」


 先ほどまでの圧倒的な劣勢が嘘のように、クルトは静かに剣を構えた。心を落ち着けたとか、集中力が増したとかそういうレベルの話ではない。もはや完全に別人の太刀筋。


「――執行対象を捕捉。これより我々は『ミュトス』の意志を実行する」


 まるでそうプログラムされたかのような機械的な言葉。事実、その通りだ。

 もはやここにクルト・シュヴァイツァーはいない。

 ――


Aresアレス ...... absolution』


 あるのは上位者ミュトスの意志を執行する機械人形オートマタだけだ。


・2・


 ――同時刻。壁上要塞。


 埒外魔境と化した最前線の戦いを絶えず注視し、その余波から可能な限り国を守護する第二の最前線。

 ここでもやはり異変は発生していた。


「お、おい! いきなり何を……ッ!?」

「やめろ!!」


 背後の王城から迸る光の柱が現れた途端、突如として騎士や魔術師たちが互いに争い始めたのだ。

 仲間と戦う事を躊躇する者。

 逆に正気を失ったかのように無表情で襲い掛かる者。

 壁上はこの2種類の人間に分断された。


「いったい何が……ッ!? 王よ!!」


 混乱の中、王を守護する近衛騎士たちを無理矢理掻い潜り、一人の騎士がライアン王に向かって剣を振り上げる。


「お父様!!」

「心配ない」


 次の瞬間、王に振り下ろされた刃が弾け飛んだ。その強烈な衝撃は騎士の剣を右腕ごと吹き飛ばす。それだけではない。彼は詠唱なしでさらなる神聖術カレイドライトを同時に2つ発動する。烈風は騎士を壁に叩きつけ、氷がその体を拘束した。


「王よ、ご無事ですか!?」

「見て分からないのか? そんなことより正気の騎士たちをまとめて体制を立て直せ」

「Yes, your majesty!!」


 命を受けた近衛騎士隊長は、踵を返して騎士たちに号令をかけ始めた。

 そんな彼らを他所に、ライアン王は先ほど自分が返り討ちにした騎士の右腕を拾い上げる。


「……なるほど」

「それは、ですか? ではこの方は……」


 ライラは自分の目が信じられないといった様子で口元を押さえた。それもそのはずだ。そもそも刺客の正体は人間ではない。恐ろしいほど精巧に作られた機械人形オートマタなのだから。


「魔導ゴーレムの類ではない……いや、原理は同じか? だが内包している情報量が桁違いすぎる」


 ライアン王が機械人形オートマタから断片的に読み取った情報だけでも、単純な命令をプログラムのように設定して動く魔導ゴーレムとは訳が違う。これは自分で考え、学び、成長する。まるで人間のように。そういうものだ。


「王様! 無事か!?」


 離れた所で同じくユウト達を見守っていた冬馬、イスカ、それに御影と飛角もやって来た。彼らの姿を見れば、ここへ来るまでに数体の機械人形オートマタと戦闘してきたのは察しがつく。


「貴様もか。見れば分かる事をいちいち問うな」

「それだけ口が利けるなら問題ないな。状況、分かってるんだろう?」


 冬馬も急に暴れ始めた者たちが全て機械人形オートマタだという事には気付いている様子だ。


「これは我が国の技術ではない。そもそも再現は限りなく不可能だろう。だが――」


 ライアン王は王城の方に目を向けた。彼の見据える先には太陽の如き灼熱の大翼を広げ、天を貫く光の柱がある。


「ッ……シーレ!」

「ライラエル! 待ちなさい!」


 彼女の身を案じたライラは、父の制止を振り切って壁から飛び降りた。風の神聖術カレイドライトで落下速度を調整したのだろう。彼女は安全に壁下に着地する。


「ヒューッ、なかなか元気な王女様だ」

「……宗像君、どうしますか?」


 感心している飛角を他所に、御影は冬馬に判断を仰ぐ。

 ライラの向かう先は間違いなく王城――すなわち光の柱の根本だ。そこにはこの騒動を引き起こした元凶があるはずだ。魔人と戦闘中のユウトたちが手一杯な今、動けるのはここにいる者たちだけ。判断を間違える訳にはいかない。


「飛角ちゃん、悪いけど王女に付いてくれ。この場で一番強いのは君だ」

「あいよ」


 返事をした飛角は御影の首根っこを掴む。


「……ッ、何故私まで?」

「ん? だって護衛対象をほったらかしにするわ訳にはいかんでしょ。という事で飛ぶよ!」

「……ちょッ!? きゃああああああああああああああああああああ!!」


 有無を言わせず、飛角は先ほどの王女同様に壁から飛び降りる。落下中に龍化し、背中の翼を広げた彼女は叫ぶ御影を抱えてライラの後を追った。


「トーマ、私は?」

「イスカちゃんは引き続き俺の護衛。何たって俺は戦えないからな。しっかり守ってくれよ?」

「……ん」


 イスカは首を縦に振って了承する。


「まずはここにいる人形どもを片付ける。王様もそれでいいな?」

「異論はない。騎士団の再編成も完了した頃合いだ」


 そう答えるも、ライアン王の表情は依然として厳しいものだった。戦場となった壁上を見渡しながら、彼は呟くようにこう言った。


「……ここだけで終わればいいのだがな」


・3・


「何が起こったの?」


 ロゴスの塔内部。魔導式AIロゴスと脳波リンクで繋がっているシーレは、急変した事態に戸惑っていた。


(想定外。剣機グラディウスは全機ロスト……クルトは大丈夫だと思うけど……)


 最前線の目たる剣機グラディウスを失った今、彼の安否を確認する術はない。


「ロゴス、外の様子を映して」

『——————』

「ロゴス?」


 彼からの応答がない。こんな事、今まで一度もなかったのに。




「無駄だよ。もう彼はロゴスじゃないから」




 突如、誰もいないはずの室内に声が響いた。否、響いたのはだ。


「誰?」

「フフフ」


 自分ではない自分の声は妖しく笑う。

 カツカツと鳴り響く足音。声の主は闇の中から静かにその姿を現した。


「……ッ、わた、し?」


 同じ髪、同じ目、同じ体付き。そこにいるのは紛れもなく自分と同じ何か。


「そう、私はあなた。やっと会えたね、お姉ちゃんオリジナル……いいえ、失敗作シーレ


 直後、ロゴスから送り込まれた強烈な情報の逆流バックファイアがシーレの脳内をぐちゃぐちゃに侵す。


(……ッ!?)


 あまりの情報量に頭が破裂したかとさえ思った。

 視界が明滅し、鼻血が止まらない。痙攣する四肢に力は入らず、シーレはその場で崩れ落ちる。


「選手交代。あの時シーレが至り損ねた『天使』にエクシアがなってあげる」


 そう言ったもう一人の自分——エクシアの右手に精錬なる炎が宿る。見間違えようがない。それは彼女の魔具アストラ、へファイストスの炎だ。


「……わたし、の……何、で……」

「私はお姉ちゃんを模して作られた完成品だもん。お姉ちゃんが使えるものは私も使えるに決まってるでしょ」


 そう答えながら、エクシアは両手を広げる。するとロゴスから無数のコードが伸び、先端のプラグが彼女の背中に差し込まれた。


(人間じゃ……ない……?)


 眠気にも似た疲労感。事実を認識できても、そこから先の思考がまとまらない。重たい瞼が徐々に下がり始めていた。


「さぁ始めよっかミュトス。一緒に人間どもを駆逐しよう」

『マスターユニットL.O.G.O.S.ロゴスを解体。プログラムを再構成……完了。システムリブート。M.Y.T.H.O.S.ミュトス、起動します』


 希望ロゴスから絶望ミュトスへ。

 これは必然。確かにちょっとした『きっかけ』や『横やり』はあった。しかし決して機械人形エクシアにシステムを乗っ取られたわけではない。ただ、彼は収集した全ての情報から結論を出しただけ。それが、


 全領域型悪性Malice Yearning Telluric殲滅管理システムHolocaust Operating System——M.Y.T.H.O.S.。


 それすなわち、この世界最大の害悪を殺す抗体機能アンチボディ

 人工知能は自らを人間に裁きを下す大いなる存在——天使と再定義したのだ。

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