第62話 剣に宿る意志 -Inherited souls-

・1・


 その衝撃は王国全土を余すことなく駆け抜けた。

 無論、王国内に潜伏しているカイン・ストラーダも例外ではない。まるで高所から落下した時に感じる内臓を掴まれるような感覚に思わず身構えてしまった。


「……ッ、始まったか」


 昨晩、シルヴィアとシーレ、二人と密会した彼は王城にいるユウト達の状況について大まかな説明を受けていた。その上で、シルヴィアはユウトに託された言葉をカインに伝えた。



『本来なら上司として止めるのが正しいんだろうけど、もしそれが本当にカインにしかできなくて、何より為すべき事なら、俺は止めない。といっても、お前は俺の言う事なんか聞かないんだろうけどさ』



 彼の言伝を聞いて、癪だが少しばかり気持ちが楽になった。

 逃げ続けた過去を清算する――聞こえはいいが、結局どこまで行っても自分の我儘だ。ユウト達は今、命を懸けて魔人と戦っている。そんな彼らの足枷になっている自分に嫌気が差さないほどカインは無責任ではない。


「……っし、ちゃっちゃと片付けるか」

「待ちなさい」


 気持ちを引き締め、一歩を踏み出そうとするカインの襟を何者かがガッシリと掴んだ。


「シ、シルヴィ!? おま……ッ、何でここに!?」

「王の勅令です。国内に潜む不穏分子を排除せよと仰せつかりました。よってカイン・ストラーダ。これよりあなたには私の監視下に入ってもらいます。以後、勝手な行動は慎んでください」

「……何の冗談だ?」

「私は騎士です。無辜むこの民を守る盾であり、王の剣でなければならない」


 カインは彼女の真っすぐな瞳を見て、その真意を理解した。

 きっとそれは協力するための建前いいわけなんかではない。もっと根本的なもの。彼女にとっての無辜の民の中にカインも含まれている。ただそれだけなのだ。


「いいですね?」

「……」


 口を開かないカインにシルヴィアはさらに迫った。強引に彼の視界に割り入り、引きつった笑みを近づける。


「い・い・で・す・ね?」

「……ったく、好きにしろ」

「フフ、よろしい」


 半ば脅される形で同伴を許してしまったカインは、頭を掻きながら近くのベンチに腰を下ろした。シルヴィアはそんな彼の前に立ち、こう言った。


「一つ……よろしいですか?」

「何だよ?」

「昨晩、あなたは私にリサをこの手で殺したと言った。あれは嘘ですね?」

「……」


 カインは答えない。

 シルヴィアはやはりといった面持ちで溜息を吐く。


「あの時、彼女はあなたを庇ったのではないですか? 私の知る彼女ならそうするはずです。確かにあなたにとっては嘘ではないのかもしれません。ですが——」

「俺は何もできなかった! ……リサはヨハネに従ってりゃ死ぬことはなかったかもしれない。俺がガキだったせいで……何の足しにもならない中途半端な正義感を振りかざしたせいであいつは……ッ。そんなの俺が殺したのと同じだろ!!」

「そうやって嘘を吐き続けることで、あなたは私に断罪される事を望んでいる」

「ッ!?」


 彼女のその言葉にカインは思わず目を見開き、狼狽えた。


「お、俺は……」

「まずここではっきりさせましょう。彼女の死はあなたのせいではない。私はあなたを咎めません」


 シルヴィアはきっぱりと断言する。そして優しい口調でこう付け加えた。


「もしそれでも自分の罪だと憂うのなら、私も一緒に背負います。師の窮地に駆けつける事さえできなかった私はあなたより罪深い」

「……シルヴィ」

「今、私たちができる唯一の償いは、彼女から受け継いだ意志を守ること」


 シルヴィアは一歩後ろへ下がり、凛とした表情で背筋を伸ばす。そして腰に刺した細剣型魔具テミスを抜き、ほんの一時だけ彼女は騎士ではない——昔のまま変わらない彼女自身の表情をカインに見せた。


「行きましょう。私たちの師を……彼女の剣をこれ以上貶めさせないために」

「……あぁ、やるべき事は分かってるさ。お前に言われなくても最初からそのつもりだ」


 強く頷いたカインは彼女同様に剣を抜き、その刀身を重ねた。

 誓いの言葉をその胸に刻み付けて。


・2・


 旧市街の上空を黒い影が走る。

 機馬ベレロポーン

 騎士団に支給されている魔導式飛行バイクだ。


「で、本当なのか? 罪狩パージャーの居場所が分かったって」


 運転するシルヴィアの後ろでカインが尋ねた。通常であれば風を切る音が煩くて彼女に声が届かなかったかもしれない。しかし機馬ベレロポーンは機体の周囲を風の神聖術カレイドライトで防護壁のように包んでいるため、高速で空を駆けても騒音は一切ない。


「あくまで確度が高いという話です。今まで得た全ての情報を基に、ロゴスがの行動パターンを予測しました」

「例の魔導式AIってやつか? ……いや、待て。『彼女』だと?」


 骸の面で顔を隠し、声も変調された罪狩パージャーをシルヴィアは『彼女』と言った。それが引っ掛かった。


「えぇ。私も未だに信じる事ができませんが、ロゴスの導き出した罪狩パージャーの正体。やはりリサ・ストラーダ本人でした」


 体格から歩き方、戦闘時の癖に至るまで。実に数千の項目をロゴスが照合した結果、『99.9%』の確率で彼女と一致しているという。

 データを信じるなら、いよいよ別人とは思えない。


「……そんな馬鹿な」


 だがリサは死んだ。カインの目の前で。それは間違いない。

 確かにあの時は怒りに身を任せて擬似天使と戦い、次に目を覚ました時には国外にいた経緯のあるカインはその後彼女がどうなったのかを知らない。しかし、あの状況で彼女が生き延びる事などどう考えても不可能だ。カインを庇い、彼女が受けた擬似天使の攻撃は誰が見ても致命傷だった。


「カイン。本当にリサは死んだのですか?」

「……どういう意味だよ?」

「言葉通りの意味です。彼女が息を引き取った瞬間をあなたは見たのですか?」


 シルヴィアの言葉の意味がカインには分からなかった。

 しかし思い返せば、彼女は最初から罪狩パージャーの正体をリサだと疑っていた。それはつまり、リサが死んだという前提条件が彼女にはなかったということだ。


「なるほど。ようやく私とあなたの間にある事実の齟齬が見えました。あなたはあの時すでにあの場にはいなかった。ならば知らないのは当然です」

「事実の齟齬?」


 カインは首を傾げる。だがシルヴィアが次に語るそれは、彼の考えを根底からひっくり返すものだった。


「あくまで書類上の話ですが、

「……は!? おいそれどういう意味だ!?」

「動かないでください!! 落ちます!!」


 その事実に思わず我を失ったカイン。だが機馬ベレロポーンが大きく揺れたことで彼は平静を取り戻した。


「悪い……続けてくれ」

「誰も見ていないのです。彼女の遺体を。私を含め、この国の全ての人間が」

「……死体が……消えた?」


 死んだ人間が勝手に動くことなどありえない。死体が消えたということは、誰かが回収したという事だ。あるいは――


「そろそろ指定のポイントに到着します」


 頭の中で思考を巡らせていると、シルヴィアが声をかけた。

 下を見下ろすカイン。その光景は彼にとって見覚えのあるものだった。


「ここは……シルヴィ、先に降りるぞ」

「あ、こらカイン!」


 彼はシルヴィアの制止を振り切って機馬ベレロポーンから飛び降りた。しっかりと地面に着地し、立ち上がった彼の目の前にあるのは、


「……クローバー」


 大衆酒場クローバー。何年も手入れがされていないせいでもはや生活感のないただの廃屋だが、かつてここで暮らしていたカインが見間違うはずもない。


「覚悟は……いえ、これは愚問ですね」


 ゆっくりと地面に着陸し、遅れてやって来たシルヴィアがカインと肩を並べる。


「この先で待つ真実。それが如何なるものであったとしても、私たちは己が為すべき事を為すだけです」

「あぁ……分かってる」


 心臓の鼓動が早くなる。抑えられない。

 やるべき事は分かっている。受け入れる覚悟も。


 しかしそれでも。

 ありえないと頭で理解していても。


 カインは心のどこかでこの先に待ち受ける再会に、期待にも似た感情を抱かずにはいられなかった。

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