第57話 追憶 〜懐疑〜 -Who is ...-

・1・


「ハァッ!」

「そこッ!」


 剣と剣が激しくぶつかり合う音。とどまる所を知らない二人の攻防の激しさは、その音だけでも想像に難くない。いまやもう、この音も何度耳にしたかわからない。それほどまでに彼らにとってこれは当たり前の日常となっていた。

 あれからもうすぐ2年になる。

 リサの下で修業を重ねたカインとシルヴィアは見違えるほど成長した。それはもちろん剣技だけではない。

 カインはこの2年でぐんぐん身長を伸ばした。筋肉も無駄なくしなやかに発達し、背中も一段と大きくなった。もう小さなガキだったのは過去の話。まだまだ育ち盛りだが、すでにカインの方がリサを見下ろすことができるようになった。

 同様にシルヴィアも小麦色の綺麗な髪を伸ばし、より美しさと凛々しさに磨きがかかっていた。騎士学校では常にトップの成績を維持し、若手筆頭の立場を不動のものにしている。

 そしてもう一つ、彼女にとって大きな転機もあった。半年前、彼女の父が騎士団長を務めるフラムベルグ騎士団にシルヴィアは見事仮入団を果たしたのだ。尊敬する父に近づく念願の第一歩。もちろん父親が騎士団長だからといって優遇されることなど一切なかった。むしろその逆。他の入団希望者よりも遥かに厳しい目で見られたようだ。そうやって幾度いくたびも課される厳しい試験や実技の数々。その全てに満点に近い成績を証明し続けたシルヴィアを『親の七光り』などと蔑むものは誰一人いなかった。


「今朝はここまでにしましょう。私は湯浴みを済ませて屯所へ向かいます。クルトを待たせていますので」

「相変わらずクソ真面目だな、シルヴィ。騎士になったっつっても、成人するまでは任務も何もないだろ?」


 いつしかカインはシルヴィアの事を愛称で呼ぶようになっていた。シルヴィアもそれを受け入れている。


「この身は依然、未熟の身。やるべきことはたくさんあります。それにそういうカインこそ、毎日私の修行に付き合ってくれているではないですか」

「うっせー、俺はただ腕を鈍らせたくないだけだ」


 修行中に解けた右腕の包帯をキュッと巻き直しながら、カインはぼやく。


「形状を誤認させる神聖術カレイドライト、ですか……。カイン、その右腕をいつまで隠し続けるつもりなのですか?」

「……」


 この白い包帯はカインのためにリサが用意してくれたものだ。巻きつけることで彼の異形の右腕を普通の人間のそれと同じ外見に偽装することができる。実際に形を変えているわけではなく、あくまで見る者の認識を操作するだけ。

 この右腕がどういう理由でこんな醜い姿をしているのか?

 どうやったら元に戻すことが叶うのか?

 未だに手掛かりさえ見つかっていない。


「その腕はただ醜いだけではない。お前がその気になれば騎士にだって――」

「こいつは見世物じゃねぇ」

「……ッ、そう……ですね」


 カインが一言そう答えると、シルヴィアは引き下がるしかない。結局のところ、全ては彼の意思次第なのだから。

 やや空気が気まずくなってしまったそんな時、表の店に客が来たことを告げる呼び鈴の音が聞こえてきた。


「誰だこんな時間に? まだ店は開けてないぞ」


 リサは用事があるとかで早朝から出かけている。今、店には誰もいない。


「シルヴィ、後片付け頼む。終わったらそのまま出発してくれていい。俺は客の相手をしてくる」

「承りました」


 カインは手早く右腕に包帯を巻きあげ、道場を後にした。


・2・


「どちら様? 店はまだ――」


 扉を開けたところで、カインは言葉を止めた。


「おはようございます。突然の訪問で申し訳ありません。君は……」

「カイン。カイン・ストラーダだ」


 見た所、教会の関係者だろうか。白い祭服を着た初老の男性がそこには立っていた。


「これはこれはご丁寧に。私はグレゴリー。『ヨハネの神託』という団体で司祭をやっている者です」

「……」


 ヨハネの神託。

 ここバベルハイズで活動する新興宗教団体だ。新興といってもその歴史はカインが生まれるよりずっと前から存在し、現在もこの国においてはかなりの知名度・規模を誇っている。当然、カインもその名を耳にしたことくらいはあった。

 バベルハイズには王族以外に明確な身分制度は存在しないが、その代わり魔術の才覚次第では優遇される。神聖術カレイドライトの発展を重視する何代か前の国王が定めた才能に投資するための制度だ。だが明言こそされていないが、それはつまりエリートであることがそのまま身分に直結するという意味も持つ。そして理由は様々だが、そういった才能を持つ者たちは大抵の場合名家であることが多い。

 ヨハネの神託は、才能に恵まれない者たちにとっての一種の駆け込み寺のような存在だ。神の愛は平等だと謳い、人々に対して無償で魔術の指導や進むべき道を提示したりなど慈善活動を主としている。今ではこの教団から騎士になった者も少なくないという。


「で? 用件は?」

「リサ殿はおられますかな?」


 明らかにぶっきらぼうに尋ねたカインに対し、グレゴリー司祭は優しく答える。


「生憎、リサは用事で出かけてる。そろそろ帰ってくるはずなんだが」

「なるほど……では申し訳ないが彼女に私がここへ訪れたことを伝えてもらってもいいかな?」

「まぁ、それくらいなら……」

「ありがとう。ではどうかよろしくお願いします」


 そうにこやかに礼を言うと、グレゴリー司祭はその場を立ち去った。


・3・


「客人はもうよいのですか?」


 道場の清掃を終え、裏口から店内に入ってきたシルヴィアがカインに尋ねる。


「あぁ、リサに言伝を頼んで帰ったよ」

「ヨハネの司祭ですか。あまりリサと接点があるようには思えませんが……」

「何だっていいさ。興味ねぇ」


 カインはくるりと踵を返してそう言った。


「では私はそろそろ出発します。リサによろしく言っておいてください」

「あぁ」


 支度を終えたシルヴィアが外への扉を開こうとしたその時、彼女のポケットから小さな振動音が聞こえてきた。


「失礼、騎士に支給される魔術通信用の魔石アミュレットです」


 シルヴィアはポケットからまるで宝石のような緑色のそれを取り出すと、魔石に刻まれた術式を起動する。すると魔石からかすかに人の声が聞こえ始めた。


「こっちも店開きの準備しておくか」


 時刻はもうすぐ午前8時。

 この時間になってもリサが帰ってこないことが少々気になるが、カインは彼女が戻った時にすぐに店を始められるように準備を開始することにした。

 そう思った矢先——


「何だって!?」


 突然、シルヴィアの酷く驚いた声が店内に響いた。


「……はい……はい、了解しました。至急そちらへ向かいます」

「何かあったのか? 珍しく大声なんか出して」


 魔石をしまったシルヴィアは、先ほどまでとは打って変わったひどく深刻な表情で振り返る。しかし、なかなか口を開かなかった。


「……何だよ?」


 しばらくして頭の中で状況を整理できたのか、彼女はゆっくりと言葉にしていく。


「今しがた……


 王族に特別関心があるわけではないが、それでも事態の重大さはカインにだってわかる。そもそも卓越した実力を持つ近衛騎士に守られている王女を襲える人間なんてそうはいない。


(……まさか……な……)


 一瞬、胸糞悪い予感が脳裏をよぎった。

 絶対にありえない。

 そう心の中で何度も否定しつつも、カインはこの胸騒ぎを抑えることができなかった。

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