第56話 追憶 ~好敵手~ -Opposite attraction-

・1・


 リサに引き取られて、早くも1年が経過しようとしていた。

 そんなある日——


「……で?」

「ん? どした?」


 こんな状況だというのに予想通りというか、いつも通りというか、そんなリサの反応にカインは溜息を吐いた。


「何で俺がの相手をしなきゃならねぇんだ?」


 彼が突き出した木刀の先には、突然やってきた来訪者が静かに佇んでいた。カインと同じくらいの歳をした身なりの良い少女。それなりの身分を持つ者だということは一目でわかる。

 事の発端は数分前。

 ようやく慣れてきた朝の訓練をよそに、カインは唐突にリサに呼び出された。そして何の説明もなく木刀を手渡され道場に入ると、そこで彼女が待ち構えていたのだ。かなり不機嫌な様子で。


「『こいつ』ではありません。私はシルヴィア。誇り高きフラムベルグの娘です」

「ッ、……リサ」

「ま、そういうことだ。彼女はシルヴィア・オースティリア。現フラムベルグ騎士団団長の一人娘だ」


 この国には『三剣』と呼ばれる3つの特別な騎士階級が存在する。

 『シュヴァイツァー』、『ファルクス』、そして『フラムベルグ』。

 中でもフラムベルグは別格だ。その名を持つことそれ自体が、ある一つの事実を如実に表している。


 最強の騎士であること。

 この国において、『フラムベルグ』を名乗る条件はただそれだけだ。


「オースティリア家は代々、例外なくフラムベルグの名を襲名している家系だ。つーかそもそも大昔に三剣が襲名制に変わるってんで、当時のフラムベルグが改名したのがオースティリアだ。つまり実質、この国最強の血統ってわけだ。ついでに言うと、この子も例に漏れず天才だ」

「だから、何でそんなヤツと俺が手合わせしないといけねぇんだよ?」


 聞けば聞くほど、目の前の少女——シルヴィアはカインとは真逆の人間だった。

 家柄に恵まれ、才能にも恵まれ、将来さえも約束されている。リサに拾われて少しはまともな人間になれたとはいえ、本来彼が関わるような存在ではない。


「ん? あー、それは……だな」


 リサの目が泳いでいる。

 彼女がカインに厄介事を押し付けようとする時は決まってこうだ。


「私がストラーダ卿に弟子入りする事を認めていただくためです」

「は?」


 シルヴィアのその言葉に、カインは思わず呆気に取られる。

 弟子入りしたければ勝手にすればいい。それはリサとシルヴィアの問題だ。カインには何の関係もない。


「シルヴィア嬢、何度も言ってるが私はもう騎士を退いた身だ。卿なんて呼ばれる立場じゃない。弟子も取るつもりはないんだよ」

「では彼は? 彼に剣の指導をするのは何故ですか? 私と彼でいったい何が違うというのです?」


 シルヴィアはカインを指差して言及する。どうやら彼女はカインがリサの弟子だと思っているらしい。だからリサが弟子入りを認めないのだと考えたのだろう。


「俺は別にリサの弟子になった覚えはないぞ? だいたい、剣だっでこいつが勝手に——」

「それが知りたいなら、まずはこいつを剣で打ち負かしてみな」


 唐突にリサはカインの頭に手を乗せてそう答えた。


「私が教えてるのは、あくまで生きるために必要な事だけだ。技や強さじゃない。ただ、それでも今やこいつの剣はちょっとしたもんだ。嫌々ながらも私の扱きに付いてこれるくらいの根性は持ってるやがる」

「……」


 リサの言葉に、シルヴィアは半信半疑といった様子。そんな彼女に対して、リサは続けてある条件を提示した。


「もしカインに勝てたら、弟子の件、考えてもいい。どうする?」


 ここまで来てようやくカインはハッと気付いた。そして左手に持つ木刀に目を向ける。


「おいリサ、あんた始めから——」

「承知しました。その提案、謹んでお受けしましょう」


 時すでに遅し。巻き込まれた当事者が反論する間も無く、相手の方が先に了承してしまった。


・2・


「何だよ、まだ機嫌が悪いのか?」

「……別に」


 試合開始は正午から。カインとリサはまず日課である道場の掃除をすることにした。その間、シルヴィアには道場横の倉庫で鍛錬用の武具を選んでもらっている。


「まぁそうカッカするなよ。いい機会じゃねえか」

「どういう意味だ?」

「言葉の通りだよ。カイン、お前はそろそろ友達の一人や二人作れ。そんで目一杯大事にしろ。それはお前にとって掛け替えのない財産だ。目に見えないし、形もないものだけど、いつかきっとお前を助けてくれる」


 そう言って、リサはニッと笑う。


(友達……)


 そんなもの、今までの人生で一人もいない。欲しいとも思わなかった。自分の事で精一杯だったから。

 でも今なら——


「何ならこの試合に勝ってシルヴィア嬢のハートを射止めて、ラブラブカップルになってくれてもいいぞ? 私としてはそっちの方が面白——保護者として嬉しい」

「今、本音が漏れてたぞ?」


 呆れた目つきでカインは溜息を吐く。

 しかし、さっきの彼女の言葉だけは心に深く刻み込むことにした。


(そういうのも悪くない……のかもな)


 行く先も、足元さえまともに見えなかったあの時とはもう違うのだから。


・3・


 先ほどまでの賑やかさとは打って変わり、静謐な空間には二人の剣士が立っていた。


「いいか? ルールは簡単だ。相手に負けを認めさせるか、続行不可能な状態に追い込むかだ。ま、この辺の裁量は私がやる。気にせず思いっきりやれ。多少の怪我なら私がすぐ治してやる」


 向かい合う二人の間で、リサはルールを宣言する。


「素人相手に不本意ではありますが、剣を交える以上、手加減はしません」

「いいのか? 手加減しといた方が負けた時に言い訳できるぞ?」

「……ッ」


 ほんの一瞬、シルヴィアは眉間にしわを寄せたが、すぐに元の落ち着きを取り戻して剣を構えた。


細剣レイピアか)


 もちろん訓練用のため、刃には安全加工を施されている。

 カインは一通りの剣の性質をリサから教わっている。彼女を相手にそれぞれ実戦経験もある。刀身の細いレイピアは一見貧弱そうに見えるが、それは大きな間違いだ。実際は刺突だけでなく他の剣同様に斬撃も可能だし、手元を守るナックルガードと呼ばれる部位を使えば敵を殴るといった戦法も取れる。確かに攻撃力という側面では他に及ばないが、それを補って余りあるスピードとバリエーションは使い手の力量次第で最強の一振りへと変貌する。

 対してカインが持つ得物は、極東の島国で『刀』と呼ばれる片刃の長剣。こちらも細身の剣であることは同じだが、持った瞬間にズシっとくる適度な重さと振り抜きの良さをカインは評価している。


「んじゃ、行くぞ……始め!!」


 リサが右腕を振り下ろした瞬間、両者の集中力は最高潮に達する。

 最初に動いたのはシルヴィアだった。


「はぁッ!!」


 教科書通りと言わんばかりの美しく真っ直ぐな刺突。まともに構えるよりも先に、カインの体は動いていた。


「ぐ……ッ」

「私の剣を防ぎますか。どうやら口だけではないようですね」


 静かな闘志に燃える彼女の碧眼がカインを見つめる。そのまま何とか鍔迫り合いに持ち込むと、今度はカインがシルヴィアを押し始めた。単純な筋力ではやはり男である彼に分がある。


「ストラーダ卿は本来であれば『ファルクス』を名乗るべきお方。私情でお前のような男にかまけていい人間ではない!」

「それはお前の私情だろッ!」


 細剣を器用に操作してあらゆる角度から雨の如く反撃してくるシルヴィアに対し、カインは一度距離を取った。


「第一、リサがダメなら自分の親父に習えばいいじゃねぇか。最強の騎士様なんだろ?」

「お父様は弟子を取らない……オースティリアの当主は皆そうしてきました。故に全ては私次第。次のフラムベルグになるため、私は己の意思で強くならなければいけないんです!!」


 そう宣言したシルヴィアは再びあの高速刺突ラッシュの構えを取った。対するカインも構える。重心を下げて足を肩幅まで開き、切先を相手に向けたまま左腕を上げ、右腕も相手をターゲッティングするように同じ方向へ伸ばす。リサに教わった構えだ。



『いいかカイン、別段この構えがすごいってわけじゃない。構えってのは引き金トリガーみてぇなもんだ。引いた瞬間、勝負がつく。それが理想だ。だから構えたらまず相手を一撃で仕留める算段に全力を注げ。後は引き金を引くだけで体は勝手に動く』



 彼女はそう言っていた。確かに構えを取ると思考がクリアになる。自分でも驚くほど冷静にシルヴィアの剣筋を脳内でリピート、トレースして最適な一撃を割り出せるほどに。


「次で仕留めます」

「こっちのセリフだ」


 無音。お互いの息遣いさえ聞こえない。全神経を剣先の一点に注ぐ。

 そして次の瞬間——


・4・


「アハハハハハハハハハハハ!!」


 試合を終えた二人は、お互いに背を向けて蹲っていた。

 事の一部始終を見ていたリサは腹を抱えて大笑いする。


「ク……ッ、不覚です……」

「……正直……悪かった」


 最後の一撃。雌雄を決するはずだったそれはお互いに不発という結果に終わった。理由は主にカインの方にある。彼が踏み出した最初の一歩で道場の床が抜け落ちたのだ。支えを失ったカインは前へと転倒。そのまま押し倒す形でシルヴィアの唇を奪ってしまった、というわけだ。


「ひーッ! ひーッ! お腹痛い……予想外すぎて笑える!!」

「笑いすぎだ!」「笑いすぎです!」


 声を揃えて怒鳴る二人を見て、リサはさらに大声で笑い出した。


「まぁ、今のは明らかに事故ですし、これ以上は不問としましょう。後日改めて——」

「オッケーオッケー、合格だ」

「……はい?」


 予想だにしなかったリサの言葉に、シルヴィアは思わず首を傾げた。


「弟子にしてあげるってこと。こんなに早くカインと仲良くできるんだ。断る理由の方がないってもんさ」

「「……」」


 カインとシルヴィアは互いに顔を合わせる。両者共に酷く疲れた様子が表情から見て取れた。




 今日この日、カイン・ストラーダにとって初めて友達——いや、好敵手ライバルと呼べる存在が誕生した。少し前のカインでは考えられなかった事だ。それを素直に受け入れられたのは、他でもないリサの言葉。彼女の教えが彼をより人として成長させた結果なのだろう。

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