第55話 追憶 ~家族~ -From the beast to a human-
・1・
リサ・ストラーダ。
当時、成人して間もなかった彼女は城下町で小さな酒場を営んでいた。孤児だったカインは金と食料を盗むためその店に忍び込み、そしてあっさりと彼女に捕まってしまった。
それから紆余曲折を経て、カインは半ば無理やり彼女に引き取られることになる。醜い右腕のせいで『悪魔の子』と呼ばれ、虐げられてきた彼にとって、誰かの下で世話になるなど心休まるはずもない。常に監視されているようなものだ。だから始めはそれはもう強く反抗した。
だが今ならよくわかる。問題児を監視下に置いていたわけじゃない。カインはリサに守られていたのだと。
あのまま野盗紛いの事を続けていれば、いずれ騎士団がカインを捕まえていた。いくら
若くして
・2・
――8年前。
早朝、カンッと木刀同士がぶつかる小気味の好い音が木霊した。
リサが経営する酒場『クローバー』の裏には、日本の剣道場を模して建てられた小屋がある。彼女曰く、将来自分に子供ができた時、その子供に自分の剣を教えるための修練場を作りたかったらしい。
「ッ!!」
「遅い遅い。もっと思いっきり踏み込め!」
力任せに鋭く振り下ろされるカインの木刀をリサは絡め取るようにいなし、いとも簡単に彼の手から木刀を
「この……ッ!」
武器を失った彼が自身の右腕を赤く発光させたその刹那、リサの鋭い突きがカインのみぞおちを襲った。
「ぐ……ぼッ……」
ミシミシ、と体の中で骨が悲鳴を上げる音が全身を駆け抜けた。同時に呼吸ができなくなる。まるで呼吸の仕方そのものを忘れてしまったかのように。
「安易に右腕に頼るな! 何のためにお前に剣を教えてやってると思ってる? 簡単に自分の得物を手放すなって言ってんだろ!」
「この……クソババ――」
「誰がババアだって?」
「いッ!?」
あまりの激痛に呻いていたカインがようやく顔を上げた時にはすでに、リサは彼の目と鼻の先で木刀を振り上げていた。引きつった笑みを浮かべながら。
「私はまだ21だっての!!」
傍から見れば完全に虐待と取られかねない痛々しい光景だが、カインはこんなことを彼女に引き取られてからほぼ毎日続けさせられていた。
木刀とはいえ、リサの剣に手加減の文字は一切ない。例え骨が折れようが、内臓を痛めようが、治癒魔術で何とかなる。それが彼女の教育方針だった。
「いっ! 痛い!! リサ、わ、悪かったって!!」
「何も考えずに力を使うならそこらの獣と同じだ。人間でいたいなら、何のためにその力を使うか考えろ!」
「ならやっぱアンタ人間じゃねぇ!!」
そのせいか3ヶ月経った頃には、カインの体は徐々にリサの扱きに対応し始めていた。単純な体力向上はもちろん、始めは全く見えなかった彼女の太刀筋が、今なら僅かだが認識できる。だからと言って彼女の剣を防げるわけではないのだが……。
「ったくしょーがねーな。10秒待ってやるから木刀拾え」
彼女は咥えていた煙草を口から放し、吐息と共に白煙を天井へと放つ。
「あ、また右腕使う素振り見せたら今度はマジで脳天叩き割るから」
「く、クソーーーーーッ!!」
今日もカインはがむしゃらに叫びながら、剣を振るう。
飢えた獣ではなく、一人の人間として。
・3・
「……」
「ん、どした? そんなに呆けて」
剣道場の中心で満身創痍で仰向けに倒れているカインに、リサは声をかけた。
「……いや……今日は……気を失っていない自分に、驚いてる……」
未だ息切れの苦しさは残るものの、いつもならとっくに気を失っていたはず。なのに今日は初めてちゃんと意識を保ったまま、彼女の指導を耐え切ることができた。
「当たり前だろ。そうなるようにちゃんと考えてメニュー組んでんだよ。つーか、そこがゴールじゃないぞ? 余裕でこなせてこその訓練だ。まだまだこれから少しずつ負荷を強めて――」
「……鬼ゴリラ」
「今なんつった?」
悪魔の腕が幼稚に見える程のリサのアイアンクローがカインの頭蓋を締め付ける。思わず「どっちが悪魔だ!」と叫びたくなったが、彼女はすぐに指の力を弱め、カインは尻もちをついた。
「っと、朝食の時間だ。カイン、行くぞー」
「……わかった」
***
朝食で出されるのはいつも決まって焼いたチーズを乗せたトースト2枚とサラダ。それと一杯のホットミルクだ。孤児だった頃はこれだけの量を食べるためには丸一日ゴミ箱を漁って金目の物を探すか、どこかから盗むかしなければならなかった。
だから、何と言えばいいのか……とにかく気持ちが悪かった。
「……なぁ」
「ん?」
カインは食事の手を止め、リサに尋ねる。
「どうして俺を引き取ったんだ? アンタに何の得もないだろ?」
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……。
こんなに簡単に温かい食事にありつけることが。
こんなに簡単に満たされることが。
毎日毎日、今まで生きるために必死でやってきた自分の行動全てが否定されていく。惨めな自分が心底気持ち悪い。
初めて感じるこの
それもこれも全部この女のせいだ。この女が現れてから、カインの世界はすっかり変わってしまった。
「んー……予行演習、かな」
「は?」
だというのに、当の本人は何でもないかのようにあっさりと呟く。
それどころか全く想像もしなかった答えに、カインの方が呆気に取られていた。
「私はさ、少し前まで騎士団所属だったわけよ。それも副団長。どうだ? すごいだろう?」
リサは無邪気な笑みを浮かべる。まるで子供のような自慢顔だ。正直腹が立つ。
「じゃあ何で今はちっぽけな酒場なんてやってんだよ? 騎士様やってた方が将来安泰じゃねぇのか?」
「ちっぽけで悪かったな」
「い……ッ」
ドンッ、とテーブルが小さく揺れる。テーブルの下でリサがカインの脛を蹴ったからだ。
騎士はこの国において治安を司る。他国で言えば軍や警察に近い組織だ。
加えて望めば誰でもなれる職業では決してない。魔法と剣、そのどちらにも高い技量・適正を求められる。エリート中のエリート達で構成される非常に狭き門だ。
「ん? あー、それはこれだ」
そう言うと彼女は何の恥じらいもなく、急に上着をたくし上げた。
「……ブッ!?」
「お? 今頃お姉さんの体に欲情したのか? 案外お前も男だな~、このマセガキ」
「いきなり目の前で脱ぎ出したら誰でもこうなるわ!!」
カインは反論するが、すぐにリサの体のある一点に目が留まった。
「おい、それ……」
「これが騎士団を止めた理由」
彼女の胸下、心臓に近い位置。そこに何かが突き刺さったような大きな傷跡があった。絹のような白い肌だけに、その跡は異様に目立つ。
「まぁ……なんだ、ちょっと任務でヘマしてな」
彼女の話では死んでもおかしくない致命傷だったらしいが、今はもう傷の方はとっくに癒えているようだ。問題は後遺症だ。
負傷した時、心臓奥深くに血栓ができてしまったらしい。現状、いかなる魔術を用いても、完全に治療することは不可能だという。一度傷ついた彼女の心臓は、もはや手術の負荷に耐えることができないのだ。
魔術は手段の一つであって、都合のいい『万能』ではない。
「心配しなくても薬を飲んでりゃとりあえず死にはしねぇよ。まぁ、こんなものに頼らなきゃいけないくらい私の心臓がヤバいのは事実だけどな」
得体の知れない緑色の液体が入ったボトルをカインに見せるリサ。どうやら彼女が持つそれが心臓の薬らしい。
「後悔は、ないのかよ? アンタなら他にいくらでもやりようはあっただろ? それこそ俺なんかいない方がもっと……」
「後悔ねぇ……まぁ、元々お堅い騎士が私に合ってるようには思ってなかったからなぁ。今みたいに適当にやってる方が楽ってもんさ」
「……ッ」
リサの言葉に、カインは無言で立ち上がる。
「おい、まだ飯残ってるぞ?」
「…………いい加減にしろよ」
「?」
気付けばカインはテーブルの上に置かれた温かい食事を激情に駆られて思いっきり払いのけていた。
「俺を匿ってるせいで、アンタが周りからどんな目で見られてるか知ってるだろ!!」
カインは知っている。
リサ・ストラーダは悪魔の子を育てる魔女だと、巷でそう囁かれていることを。リサ本人は元々騎士団時代から人望の厚い人間だった。彼女と知り合う前のカインでさえ、その名を何度も耳にするほどに。だが、ここ最近の彼女に関する噂はどれも悪いものばかり。ろくに調べもせず邪推だけが先行し、店へ来る者も徐々に少なくなっていた。その理由は考えるまでもなくカインだ。
「どうして俺なんかを……ッ」
自分をどうこう言われるのはいい。例えゴミクズ呼ばわれされたとしても、カインにとって他人は敵でしかない。どこまで行っても戯言だ。ただ――
「俺とアンタは赤の他人同士だ! 血の繋がりなんてない……他人なんだからさっさと捨てちまえよ! こっちも迷惑なんだよ!!」
自分と他人との間に引いた絶対の境界線。その線を超えて無遠慮に内側へと侵入してきた彼女は、忌々しいことにいつの間にかカインにとって『別の何か』へと変貌していた。正直、どう接すればいいのかわからない。
「お前の言いたい事はよーくわかった」
リサは静かに立ち上がり、カインの前で仁王立ちした。そして鋭い眼差しといかつい形相で彼を見下ろす。
「……ッ」
普段とは違う本物の気迫に鳥肌が立つカイン。だがこれでいい。リサが自分を敵とみなしてくれさえすれば、こちらも大手を振ってこの家を出て行ける。
しかし、そうはなってくれなかった。
「……え……」
状況が理解できなかった。
いつも以上にボコボコにされる覚悟はあった。それだけ拒絶の言葉を浴びせたつもりだった。なのにどうしてか、カインはリサに抱きしめられていた。とても強く。
「……何やってんだよ、リサ」
「ん? こうやって抱きしめてやると落ち着くだろ?」
彼女の体温、心臓の鼓動、そして抱きしめる腕の強さをはっきりと感じた。それらは不思議とカインの緊張を徐々に解いていく。
「いいんだよ。言いたい事があればどんどん言葉にしていけ。全部吐き出しちまえ。それは子供の特権だ」
「……」
「血が繋がってなくても、予行演習でも、お前はもう私のだ。私の子供だ。愚痴くらい付き合ってやるから……な?」
その言葉を聞いた瞬間、カインの頭の中にあった拒絶の言葉は全て吹き飛んでしまった。それどころか目頭が一気に熱くなってきた。
(あぁ……クソ……ッ)
カインはようやく理解する。
有象無象の敵とは違う、得体の知れないこの違和感の正体は――
線を越えて内側に入ってきた者に感じるこの温もりは――
彼が心の内で無意識に求め続けてきた『家族』という名の繋がりそのものだということを。
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