第51話 天使の聖血 -Angel Blood-
・1・
目まぐるしく暴れ回る極彩色の焔。
だが、不思議なことに熱さや痛みは感じない。その代わり
「よっと」
「……ッ……グッ! ッガ……ッ!!」
乱暴に投げ出され、転がり、固いものにあちこちを打ちつけて地面に大の字になったカインは、まるで息をすることを今思い出したかのように激しくむせ返る。
「お前……ッ」
「あ? 何か文句でもあんのか?」
彼は問答無用で自分をここまで運んできた人物……いや、魔人を睨みつけた。
「……文句は、ねぇよ……ゴホッゴホッ!!」
カインは口の中に入った土を咳で強引に吐き出しながら、壁を背にして座り込む。
「ただ……お前が俺を助けるなんて思ってなかっただけだ。いったいどういう風の吹き回しだよ?」
「別に助けたわけじゃねぇよ。まー……なんだ、祭りが始まった時に役者不足じゃ俺が楽しめねぇ。それだけだ」
「……祭り?」
その言葉に引っかかりを覚えはしたが、今はさっさと歩いていくタウルを追うことを優先したカインは膝に力を入れて立ち上がる。
(ここは……路地裏か?)
5年ですっかりと街並みは変わってしまった。もはや古い土地鑑では役に立たない。ただそれでも通りに出て周囲を見渡せば、自分が王城からどれくらい離れたのかおおよその見当をつけることはできた。
目測でおよそ2~3km。人通りの多さとずらっと立ち並ぶ店から、ここが王城から比較的近い商業地区だということはすぐにわかった。
「さてと、ちっとばかし時間に余裕がある。どっかで暇潰すか」
そう言って振り返ったタウルの姿を見て、カインは驚く。
「お前……」
「あ? あぁ、これか」
タウルも彼が何に驚いたのかすぐに理解したようだ。
魔人の特徴の一つである生気の抜けたような灰色の肌。だが、今のタウルは違う。
「戦い以外で人前に出る時はこうしろってシャルバの野郎がうるせぇんだよ」
タウルは少々鬱陶しそうにそう説明した。
擬態――そう呼んでいいのかはわからないが、どうやら魔人は人間社会に溶け込む術を持っているらしい。
その証拠にさっきまでとは違い、まるでモノクロ写真が色付いたように彼の肌色は人間のそれと同じだった。
「お、あそこにするか。ついて来いよカイン・ストラーダ。腹ごしらえついでにこの前の話の続きをしてやるよ」
「この前の話?」
カインの記憶とは違う、近代的な街並みの中で唯一見つけた中世の趣がある小洒落たカフェテラス。そこに腰かけたタウルはこう言った。
「お前の右腕……その中途半端な
・2・
「お父様、ライラエルです。失礼します」
冬馬がライアン王の真意を問いただしたのとほぼ同時に、透き通るような女性の声が王の間に響き渡った。
「おぉ! ライラエル、愛しの我が天使よ!!」
「「「…………は?」」」
冬馬を含めさっきまでライアン王の尊大な態度を目の当たりにしていた面々は、彼のあまりに急な変わりように言葉を失っていた。
「冬馬? みんなも。ここにいたのか」
ライラの後ろにはユウトと、彼を探しに出た真紀那とレイナの二人。そして王女の護衛で三剣の一人でもあるシーレ・ファルクスが並んでいた。
「む……貴様は」
「お父様、彼が先日お話しした日本で生まれた
「いやライラ、俺は結婚するなんて一言も……イッ!?」
案の定、背後から突き刺さる物凄いプレッシャーに背筋を凍らせるユウト。
「ホー、色々スッ飛ばしてまさかの結婚と来たか。しかもめっちゃ可愛い王女様と……フーン……この天然ジゴロ」
「……もはやそういう病なのでは? いっそのこと、私が隅から隅まで
すでに怒りを通り越し、悟ったような無表情で不穏なことを口走っている飛角と御影。それに加えて、
「……(じー)」
「隊長……」
隣に立つ真紀那とレイナの視線もグサリと胸を抉る。
そして極めつきは、まさに今悪鬼の如き形相で立ち上がったこの国の王だ。
「ほう……貴様、我が娘の求婚を断るというのか? なるほどいい度胸だ。いや、断ってくれても一向に構わん。何故なら――」
「……ッッ」
空気が軋み、叫び声を上げた。
現れたのは6色の球体。淡い光を放つそれらは、
魔術の知識を持たないユウトでも、すでにそれが冗談の範疇を逸脱しているものであることくらい分かる。
(これは……洒落にならないぞッ!)
ほとんど反射的に、ユウトは左腕に
「どちらにしても生きては帰さんか――ゴ……ッ!?」
しかし、危機は突然過ぎ去った。
背後から王の脳天を直撃した剣の鞘によって。
「あらあら、お見苦しい所をお見せして申し訳ありません。主人は娘の事になるとすぐ暴走してしまうので」
「お母様!」
ライラの母にしてバベルハイズの女王、アリア・クリシュラ・バベルハイズ。
初見では彼女がライラの母親だとは誰も思わないだろう。それほどまでに外見も雰囲気も若々しい。それこそ姉妹だと言われれば信じてしまいそうなほどに。
アリア女王は足元で完全にのびてしまった夫を気にも留めず、冬馬の前に立った。
「一心さんの息子。どんな子かと楽しみにしていたけど、想像以上の美男子で驚いちゃった♪」
「ハハ、そりゃどうも」
「先ほどの主人の言動では誤解されるかもしれないので改めてご説明しますが……確かに私たちはあなた方のお力を借りるためにこの地へお呼びしました。今、この国は再び大きな危機に直面しているのです。おそらく5年前の比ではないでしょう」
彼女はあくまで丁寧に、しかし瞳に強い意志を宿して毅然とした女王たる振る舞いを見せる。
「しかし決して一方的に利用するつもりではない事をご理解ください。5年前のあの日から、我がバベルハイズ王家とエクスピアは互いに対等な関係を築いているのですから」
女王は冬馬たちの前で深々と頭を下げる。
一国を担う者が、だ。
その意味が、その重みが、彼女の言葉が嘘ではないことを証明していた。
「委細は娘が。ライラ、よいですね?」
「はい」
ライラは胸に手を当て承知すると、ユウトの方へ振り向いた。
「場所を変えましょうか。おいしい紅茶とお菓子も用意して」
・3・
――ライラの自室。
城下町を一望できるテラスに用意された大きめのテーブルを囲うように、ユウト達はそれぞれ席についた。
「先日、私の元にとある方がやって来ました」
ライラはユウトの隣でカップをつまみ紅茶を一口飲むと、こう続けた。
「彼女は自らを魔人、そう呼んでいました」
「「ッ!?」」
ライラの話では、魔人の容姿は灰色の体に黒い鎖を巻き付け、眼帯を付けた魔法使いのような少女だという。
「ザリク……」
ロンドンでユウトが対峙した魔人。
その華奢な見た目に反し、ただの一人でワーロックと同等、もしくはそれ以上の埒外な力を見せつけた魔人達の首魁だ。
「ま、目的は十中八九この国が持つ
絶槍ベルヴェルーク。
またの名を北欧の主神オーディン。
誰もが知る最強の神の一角。その名を冠した
「いえ、確かにそれもありますが……私の前に現れた時の彼女には別の目的がありました」
ライラはほんの少しだけ表情を曇らせる。
「彼女は……私にこう尋ねたんです。『貴様の目に、私はどう映る?』、と」
「……」
ここへ来るまで、一度たりとも人前で笑顔を崩さなかった彼女をユウトはずっと見ていた。だからこそ彼は誰も気付かないようなライラの小さな変化に気付くことができた。
「えっと……ライラエル様、それってどういう意味ですか?」
レイナは手を上げて王女に質問する。彼女だけではない。きっとここにいる全員がその言葉の意味を理解できていない。
「少し、私の話をしましょう。私の身に宿る
「わかった」
頷いて席を立ったシーレは自身の右手に炎を発生させ、それを短刀へと変えた。
ユウトはその力をすでに見ているが、そうでない他の面々は突然の事にびっくりしていた。
「彼女はあなた方が言うところの
真紀那の
彼女との違いはその力を自らの意思のみで制御できていること。ユウトの眷属にならなければ暴走の危険があった真紀那と違い、シーレはその力を十全に行使できる。先のユウトとの一戦でそれは証明済みだ。
「セット、プリヴェントペイン」
シーレは自身の左手に
そして次の瞬間、彼女はその左手に短刀を突き刺した。
「何をッ!?」
思わず立ち上がるユウト。彼だけではない。ライラを除くこの場の全員が、シーレの突然の奇行に目を疑った。
「大丈夫。神聖術で痛みを遮断してるから」
「そういう問題じゃ……ッ」
確かに、シーレはナイフが自分の掌を貫通しているというのに痛がる素振りを全く見せていない。だがだからと言って問題がないわけではない。あくまで痛みを消しているだけだ。流れ出る血は本物で、傷が癒えているわけではない。
「シーレ、左手をこちらに」
シーレは何も言わず、ライラに血の滴る左手を差し出した。
対してライラは貫通した短刀をシーレの手から引き抜き、それで自身の左手の人差し指を少しだけ切った。
当然、そこから玉の雫のような赤い血が溢れてくる。ライラはその血をシーレの傷口に一滴だけ零した。
すると信じられない事が起こった。
「傷が……」
それは本当に一瞬の出来事。
ライラの血がシーレの傷口に触れたその瞬間、それは消えていた。まるで最初から傷なんて存在しなかったかのように。跡形もなく。
「治癒の魔術、だよね?」
「いえ、ありえません。少なくとも私が知る治癒魔術は細胞の活性化を促すのが基本です。いくら系統が違うとはいえ、これは……あまりにも早すぎる」
レイナの言葉に、真紀那は首を横に振る。
「違う……治ったんじゃない」
ユウトの視線はシーレの足元に注がれていた。
釣られて皆もその視線の先を見る。
「……血が、消えていますね」
御影の言う通り、変わったのはシーレの傷だけではない。彼女の傷口から飛び散った赤い血までもが一滴残らず綺麗に消失しているのだ。
ユウトの赤い瞳はその事象を認識できなかった。
もし今のが魔法や魔術の類であるならば、彼のワーロックの目がその痕跡を見落とすことは絶対にありえない。
いや――
「ライラ……君は」
一つだけ存在する。
ユウトが認識できない、魔法とは違うでたらめな力が。
「えぇ、私も持っています。
ライラは静かに頷いて、そう告白した。
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