第39話 形見 -No memories, but Not alone-

・1・


 レイナ達三人がアリーナに到着した時、そこにはすでに四人の人影があった。


「来たか」


 一人はレイナたちに気付いた吉野ユウト。その後ろに夜式真紀那やじきまきなもいる。

 さらにヴィジランテの制服に袖を通した御巫刹那も彼らと共にいた。

 そしてもう一人――



「お、君たちがユウトくんの子分ちゃん達だね?」



 腰まで伸びた黒い髪。凛としたその顔立ちはどこか刹那や真紀那に通じるところがある。しかし二人と違って、彼女はその人当たりが良さそうな笑みをレイナたちに惜しみなく振りまいていた。


「げ……ッ、燕儀えんぎ……」


 ここに来て秤の顔が急に青ざめ始めた。


「あ、ハッカリンじゃん! ホントにこっち来てたんだね」


 燕儀と呼ばれたその女性は、冗談抜きで一瞬で間合いを詰めると秤の腕を取る。


(こいつ、この距離を……ッ)


 少なくとも10メートルはあったはずだ。

 なのにカインですら目の錯覚かと思ってしまうほど、彼女の何気ない身のこなしは常軌を逸していた。


「姉さん。断刃無たちばなの暗殺術使って間合い詰めるの止めなさい。みんなびっくりするでしょ」

「しくしく……ちょ~っと意識の外側から近づいただけなのに。酷いよね? ハッカリ~ン♡」


 わざとらしい泣き顔で、燕儀はすっかり借りてきた猫のように固まってしまった秤をギュッと抱きしめる。

 そして誰にも聞こえないような小さな声で、彼女の耳元にこう囁いた。


(刹ちゃんを追いかけるのは許すけど、まさか盗撮……なんてしてないよね?)

「ヒ……ッ!!」


 ガチガチという音が聞こえてくるほど震えが止まらない秤。そんな彼女を宥めるように、燕儀はその頭を優しく撫でまわしていた。


「刹那さんのお姉さん?」

「うんうんそうだよー。まぁ、正確には遠縁の親戚だけどね」


 首を傾げるレイナに、燕儀は頷いた。


「おい、まさか模擬戦の相手って……」

「はい。どうやら彼女のようです」


 カインの予想を真紀那は肯定する。

 そして全員揃ったところで、ユウトは改めて今日の訓練について話しを始めた。


「紹介するよ。彼女は橘燕儀たちばなえんぎ。刹那や真紀那と同じ御巫の関係者で、俺の眷属の一人だ」

「よろしくね♪」


 笑顔でウインクを飛ばす燕儀。釣られてレイナも挨拶を返す。

 しかしカインは違った。まるで蛇に睨まれたカエルのような痺れる感覚が彼の肌をなぞる。


(あくまで自然を装ってるが、全然隙がねぇ。さっきの瞬歩といい……何なんだ?)


 意識せずとも見てしまう相手の一挙手一投足。

 『観察』は戦いにおいて何よりも重要だということを、彼はよく理解している。

 一撃一撃が死と隣り合わせの戦場の中では予想外などあってはならない。観察とは、そうならないための穴埋め作業だ。

 石動曹叡いするぎそうえいとの戦いでは、状況が状況だっただけにやむを得ず無理を通したが、本来戦いとはギャンブルであってはならない。起こり得る全てが予測の範囲内でなければ、余裕は驕りへ。勇気はただの蛮勇と化す。

 これはカイン・ストラーダの信念セオリー……というより、日常レベルにまで染みついた癖のようなものだ。その鍛え抜いた観察眼が、今まさに警笛を鳴らしていた。


(……ちっとばかし用心した方がよさそうだな)


・2・


「真紀那。これ、久遠様からよ」

「え…………ありがとう、ございます……」


 ポカンとした表情で秤から荷物を受け取る真紀那。きっと絶縁を言い渡された御巫から、何かを貰う事態など考えもしなかったのだろう。


「何々? 何が入ってるの?」


 興味を持ったレイナが傍に寄って来た。

 真紀那は手渡された長めのバッグを開く。中にはバッグと同じ長さの袋が収められていた。


「……刀」


 それを掴んだ瞬間、慣れ親しんだ感覚で彼女は中身が何なのか瞬時に理解する。

 袋の結び目を解くと彼女の言葉通り、中から漆塗りのような朱色の光沢を放つ鞘に収められた日本刀が姿を現した。


「日本を発つ前はメモリーの状態だったんだけど、ロンドンここに来て急に刀に変わるから焦ったわ。その魔具アストラ、相当あなたと相性良いみたいね」

「……」


 真紀那は柄を握り、ゆっくりと鞘から刀を抜く。

 すると柄頭に取り付けられた鎖と、その先端にある鈴が揃って心地よい音を奏でた。


「……綺麗」


 思わずレイナの口からそんな言葉が零れ落ちる。

 まるで真紀那を所有者と認め息を吹き返すように、黄金こがね色のその刀身は輝きを胎動させる。


「………………輝夜かぐや


 ふと、誰に教えられるでもなく、真紀那はその一振りの真名を呟いた。


「そう。その刀の名は輝夜。生前、あなたの母親が使っていた魔具よ」

「母……」


 母親。

 その言葉に嬉しいでも悲しいでもない、何とも言えない表情を浮かべる真紀那。


「マキにゃん。もしかしてお母さんの事、知らないの?」

「……はい。私を生んだ時に亡くなったと聞いています」

「私も里を発つ前に記録を読んだ程度だけど、あなたの母親、相当腕の立つ剣士だったみたいよ。もちろん夜式である以上、周りからは疎まれていたようだけど、まだ当主だった頃の久遠様の下で重宝されていたらしいわ」


 秤はさらにもう一つ。真紀那にあるものを手渡す。

「……ッ」

 それは一枚の写真だった。御巫久遠とその横に立つ真紀那と同じ濡羽色の猫の耳を持つ女性の写真。一目で母親だと分かるくらい、その顔は彼女とよく似ていた。


夜式楓やじきかえで。残っているのは久遠様と写っているその写真一枚だけだから、精々大事にしなさい」


 そう言われた真紀那はキュッと唇を閉じ、一切表情を変えずに直立不動で写真を見つめ続ける。

 初めて見ることができた母親の顔。

 笑うでも涙を流すでもない。一見薄情に見えるかもしれないが、そんな彼女の背中を見守るレイナと秤の目にはしっかりと映っていた。

 表情に出ないだけで、尻尾をユラユラと嬉しそうに動かす少女の姿が。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る