第37話 いい女の条件 -Suggestion-
・1・
――午前5時30分。
ロンドン市内の一角にあるエクスピア・コーポレーション第一社員寮。
3階一番奥の部屋、306号室の扉の前に
「……ふぅ」
表札には『Yuto Yoshino』と書かれている。
彼女は当然のように懐から
中は意外と整理整頓されていた。床に物が落ちている様子もなく、制服はしっかりとアイロンがけして畳まれている。仕事用のデスクの上にはノートパソコンが一台だけ置かれており、毎日手入れをしているのか、指でなぞっても埃は付かなかった。
男性の一人暮らしと言えば、どうしても雑多な印象を持ちがちだが、ユウトは違うらしい。清潔感溢れる部屋は、女性として素直に好感が持てる。
「……フフ」
さて、
そもそもの話、御影は現在同寮の一つ上の階に住んでいる。半共同生活状態ではあるものの、決してユウトと同居しているわけではない。
では何故、彼女が合鍵を持っているのか? それは些末な問題なのでこの際置いておこう。
彼女の目的はただ一つ。
それは、朝チュンイベントの演出。
朝方に鳴くスズメの鳴き声で目が覚めると、横には女が……という例のアレだ。
眠っている間に何があったのか? 当人に空白の時間を知る術はない。
つまり、こちらに都合のいい既成事実を作り放題というわけだ。
「……ここですね」
ゆっくりと寝室の扉を開け、御影はまだ静かに眠っているユウトを確認すると、おもむろに上着を脱ぎ始めた。
(……さすがに……気恥ずかしいですが……)
ここまで来たからには引き下がれない。
同じ寮に住むようになってからというもの、御影は護衛として同居している飛角にバレない様に綿密な計画を立て、周到に準備を進めてきた。
全ては今日この日のため。
海上都市で学生だった頃と何も変わらず、彼女の中のユウトへの恋の炎は今なお燃え滾っていた。むしろ学生という身分に縛られない大人の世界に足を踏み入れてから、一層強くなったと言える。
「……今日こそ年貢の納め時です」
御影はそっとユウトの掛け布団に手を掛けた。その時――
「ユウト様に何をしているんですか?」
背後から急に鋭い声が突き刺さる。
「ッ!?」
驚く暇もなく、御影は何者かに両腕を後ろで拘束され、その場に膝を付いた。
・2・
「……ユウトさん、説明を」
「……はい」
立場はものの数分で逆転していた。
そもそも侵入者であるはずの御影の前には、理不尽にも急に叩き起こされたユウトが正座している。先ほど彼女を拘束したユウトの新たな眷属――
「プッ……アハハハハッ! ヤメテ……プッ、クク……朝っぱらから笑い殺さないで!」
ユウトが寝ていたベッドには騒ぎを聞きつけて上からやってきた飛角が、寝そべってこの愉快な状況に大爆笑していた。
「……どうしてこの子があなたの部屋に?」
「……わかりません」
ユウトは正直に答える。
真紀那の部屋は2階。レイナと同室のはずだ。
なのに気付けばユウトの部屋に潜り込んでいた。しかも裸で。
「護衛のためです。主の休息をお守りするのは眷属として当然の務めだと思って……」
ひとまず渡されたバスローブを羽織った真紀那は、大真面目に答えた。
「……何故裸?」
「玄関は鍵がかかっていたので、小鳥に
「……OK、もう結構」
無茶苦茶だ。
要するに、彼女は体内に宿した寄生型魔具、
御影は携帯端末を取り出して、レイナに電話をかける。
『ふぁ~い……レイナです。って、鳶谷博士!? お、おはようございます!』
「……おはようございます。レイナさん、悪いですが寮の西側にあなたのルームメイトの服が落ちているはずなので、回収をお願いします」
『……へ? マキにゃん……ッ、あ、はい! 了解です!!』
レイナは状況を理解すると、すぐに通話を切った。
「……これでよし」
「まさかこそこそ隠れて準備していた朝チュン作戦で、手痛いカウンターを喰らうとはねー」
「ッ!?」
飛角の何気ない言葉に、ピクッと御影の肩が震えた。彼女はベットの上の飛角に近づくと、そっと耳打ちをする。
「……何故……知っているの?」
「何故って、護衛の私がお前の行動を把握してないわけないでしょ?」
「……プライベートは業務外では?」
「はてさて……私もプライベートでたまたま偶然知っただけだしー♪」
わざとらしく明後日の方向を向いて口笛を吹く飛角。
道理で駆け付けるのが早かったわけだ。ならば例え真紀那がいなくても、彼女の横やりで御影の計画は失敗していたことだろう。
「……とにかく! あなたは自分の部屋に戻りなさい。いくら彼の眷属だからといっても、みだりに男性の部屋にホイホイ入っては――」
「「「(じーー……)」」」
気付けば、この場の全員が物言いたげな視線を御影に向けていた。
「………………コホン。それはさておき、今日は定期健診の日です。ユウトさんは他の二人も連れて10時に私の研究室に来てください……いいですね?」
飛角のニヤニヤした視線から逃れるように顔を逸らした御影は、拳を固く握りしめながらそう言う他なかった。
・3・
ユウトの部屋を出た真紀那は、俯いたまま扉の前に立ち尽くしていた。気落ちしているのか、頭部の特徴的な猫耳はパタンと力を失い垂れている。
それを見かねた飛角が彼女に声をかけた。
「どしたー? 悩みならお姉さんに言ってみ? ホレホレ」
元気のない真紀那の猫耳を、飛角は両手でプニプニと弄ぶ。
(あぁ……これ…………結構ヤバいかも……)
「私は……出過ぎた真似をしてしまったのでしょうか?」
予想以上の手触りの良さに半ばトリップしかけていた飛角は、彼女の言葉で正気に戻る。
「え? あー、んー……真紀那ってさ、ユウトの事好き?」
「……ッ、……わかりません。でも……」
「でも?」
「あの人の事を考えると……ここが温かくなります」
そっと、真紀那は胸の辺りに手を当てた。
(うわーこれはまた……重傷だ)
聞くだけでお腹一杯になりそうな甘酸っぱいこの感覚。
自分も覚えがあるだけに、飛角は小さく溜息を吐いた。
「まぁ、なんだ……」
彼女は真紀那の濡羽色の髪を優しく
「もっと適当にやればいいんじゃない?」
「……適当、ですか?」
真紀那は首を傾げる。きっと良くも悪くも、彼女には理解し難い言葉なのだろう。彼女の事情は飛角もユウトから聞いていた。
「そ、肩の力抜いてさ。ただでさえ
「……」
「心配しなくても大抵の事はあいつらが何とかするさ。だから私らはユウトが本当に困ってどうしようもない時に支えてやればいい。それが『いい女』ってもんだろう?」
ポンポンっと飛角は真紀那の頭を軽く叩くと、背を向ける。
「ま、頑張ろうや。後・輩♪」
そして一言エールを送ると、彼女は廊下の角へと消えていった。
「…………適当、に……」
真紀那は飛角の言葉を噛み締めるようにキュッと両手を握りしめると、垂れていた猫耳をピンッと張った。
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