第36話 表舞台の裏側 -Fixer-

・1・


 御巫永遠みかなぎとわとの謁見が終わり、真紀那を眷属とする儀式を終えたのち、ユウトはそのまま刹那達の待つ客間へと案内された。

 そして正式に客人として扱われることになった彼らはこの日、本家でお世話になることが決まった。






 そして現在――

 時刻は22時を過ぎた頃。


「ユウト、起きてる?」

「刹那? ああ……起きてるよ」


 障子越しから聞こえてきた刹那の声に、返事をするユウト。

 彼女はそっと戸を開き、ユウトの部屋に入ってきた。


「ちょっと待っててくれ。今冬馬たちに提出する報告書を――」


 小型端末に集中していた彼の視界の両端から、スッと細くしなやかな腕が伸びる。

「……ッ!?」

 同時に、背中に柔らかい感触と心地よい温もり。そして湯あみ後特有のいい香りが鼻孔をくすぐった。

「せ、刹那さん!?」

「ん……いいから……ちょっとの間こうさせて」

 いきなり後ろから抱きついてきた刹那に驚きを隠せないユウトは、緊張のあまり思わず声を引きつらせる。だが当の本人はそんな彼の反応など気にせず、その背中に顔を埋め、両腕にギュッと力を入れた。


 しばらく、無言の時が流れる。

 聞こえるのは、妙に鳴り響くお互いの心臓の鼓動だけ。


「………………助けに来てくれて……ありがと」


 唐突に、刹那はそう言った。

 恥ずかしいのか、感謝を口にした途端に彼女の腕の力が僅かに強まるのを感じた。


「フッ……まぁ結局、俺が助け出す前に刹那は自分で抜け出してたけどな。伊弉諾いざなぎも自分で取り返したし。さすがというか何というか……」

「あれは……ッ」

「でも、無事で本当によかった」

「…………」


 ギュッと、さらに腕の力が強まる。


夜式やじきのこと……全然知らなかった。ううん……知ろうともしなかった。姉さんの時と同じ……私は……ッ」

 彼女の声は少しだけ震えていた。


 人の世を護る退魔の一族。

 表舞台に立つことは決してない。誰かに称賛されることもない。しかしそれでもその命を燃やし、連綿と受け継がれてきた護国の魂は紛うことなき本物だ。

 刹那はその揺ぎ無い正義を信じ続けてきた。

 だが、そこにあるのは決して綺麗なものだけではないことも、彼女は知っている。


 伊弉諾を巡ってお家同士が血を流し、その果てに悲劇が起きた断刃無たちばな

 鵺を封印するため、一族そのものを贄とした夜式やじき


 例えそれが最も合理的で、これ以上ない正解だったとしても――


「どれだけ大層な大義があったって、誰かの人生を犠牲にするやり方、私……好きになれそうにない」

「俺もだよ」


 ユウトはくるりと刹那の方を向いて、彼女の体を抱きしめた。

「……ッ」

 最初は驚く刹那だったが、すぐに彼女もユウトの背中に腕を回し、自ら抱き寄せる。

「これから変えていこう。大丈夫。刹那ならできるさ。何たってお前は俺の憧れだから」

「……うん」


 見つめ合う二人。

 お互いの吐息を直に感じながら、

 熱を帯びた瞳に魅せられながら、

 自然とその距離は――



「吉野様、失礼いたします」



 その時、開けっ放しだった障子戸から真紀那が顔を覗かせた。

「「!!?」」

 心臓が跳ね上がった二人は、急いで互いに背中を向ける。

「こ、ここここれはその……ッ!?」

「真紀那!?」

「?」

 急に慌て始めた二人の様子に、真紀那は首を傾げる。

「えっと……まずは入りなよ。そこだと夜風が当たる」

「はい、吉野様」

 新たな主から許しを得た彼女は、部屋に足を踏み入れた。

「ユウトでいいよ。これから長い付き合いになるんだし。言葉ももっと楽にしていい」

「………………わ、かりました……ユウト……様?」

 若干歯切れが悪い。慎重に言葉を選びすぎて、上目遣いで尋ねるような語調になっていた。これでもきっと、かしずくことが常だった彼女なりに最大限努力した結果なのだろう。

「真紀那、でいいわよね? ユウトから話は聞いてるわ。よろしくね」

「はい、刹那様。若輩の身ではありますが、精一杯尽くしてまいります」

 刹那に対しても深く頭を下げ、やはりどこか余所余所しい。同じ眷属同士というより、まだ本家の人間として彼女を見ているのかもしれない。

 刹那はユウトと顔を見合わせる。本当はもっとフランクに接してくれて構わないと二人とも思っているのだが、彼女が慣れるまでもうしばらく待つ必要がありそうだ。


「で、何か用事?」

「はい」


 ユウトの言葉に頷いた真紀那はその場で立ち上がると、


「……ッ!?」

「ちょ……ッ!!」


 シュルシュルと聞こえる衣擦れの音。

 二人が止める間もなく、あっという間にシャツを脱ぎ捨て下着を露わにした彼女は、そのまま迷いなく今度はスカートのホックを外そうとする。


「ちょっと待ちなさいッ!!」


 先に我に返った刹那が、真紀那の腕を掴んで止める。


「……何でしょうか?」

「一応確認するけど……今から何するつもり?」

ですが?」


 さも当然のように答える真紀那。

 ギロッと、振り返った刹那の鋭利な眼光がユウトに突き刺さる。

 それは間違いなく、「アンタの指示じゃないでしょうね?」という疑いの視線だ。

「……ッ」

 肩をビクつかせたユウトはすぐさま首を横に振った。実際、彼は真紀那に何も命令していない。

「いい? 真紀那。こいつの眷属になったからって、別にそこまでしなくてもいいのよ?」

 刹那は真紀那の肩を掴んで、正しい眷属の在り方を説く。だがしかし、

「ですが、竜胆様はこう仰っていらっしゃいました」



『夜伽? ははっ、僕には必要ないよ。他の分家はどうか知らないけど、僕は君を一人の人間として引き取った。云わば娘も同然だ。そういうのは君自身が見初めた相手にするといい。君にはそういう男性はいないのかい?』



「えーっと……つまり、アンタはこいつの事……」

 嫌な予感がする、と言わんばかりに刹那が肩を震わせる。

「………………」

「「…………」」

 唖然。無言が全てを物語っている。

 それ以前に、いったい誰が想像できただろうか?

 普通の女の子のように恥じらう彼女の顔など。


「ユ~ウ~トォ~ッ!! アンタいい加減にしなさいよ!!」

「えぇッ!?」


 フフっと、少女は笑う。

 誰にも気付かれないほど、本当に小さな笑みを溢す。

 そこには以前の機械のような冷たさはなく、『夜式真紀那やじきまきな』という確かな人間味が生まれつつあった。


・2・


 そんなユウトたちを遠くから眺める存在がいた。


「邪魔するよ」

「これはこれは、久遠様」


 ユウトたちの部屋から庭を挟んだ別棟。その2階に用意された客間の窓際に腰を下ろしていた竜胆司りんどうつかさは、御巫久遠の来訪を歓迎する。

 彼はすぐにその場を立って丁重に持て成そうとしたが、久遠はそれを手で制した。


「構わないよ。こんな時間だ。菓子など出されても腹に堪える」

「これは失敬」


 そう言うと、司は再び向こう側のユウトたちを眺め始める。

 久遠には彼の表情が、ひどく満足そうに見えていた。


「一つ、お前さんに聞いておかねばならんことがあってね」

「僕に答えられることであれば何なりと」


 回答する意思を確認した久遠は、司に問う。





「今回の一件……?」





 司は何も言わない。それは肯定と捉えても構わないという意思の表れだ。

「……お前さん、いったいどこまでえていた?」

「ハハッ、久遠様。僕の竜の眼はそこまで万能ではないですよ。少なくともこの結果ではなかった……僕が視た未来いまは」


 竜の眼。

 竜胆が極めし心像魔術――未来の可能性を観測できる魔術だ。


「ただ、石動曹叡いするぎそうえいに接触してきた神凪明羅かんなぎあきらという少女。彼女、最初は僕のところに来たんですよ」


 もちろん、司が招待したわけではない。

 彼女は里を覆う結界、さらには厳重な警備の目さえ嘲笑うように容易く擦り抜け、司の前に現れたのだ。


「彼女は僕に言った。僕の体を蝕むこの病を治して、伊弉諾いざなぎを制御できる力を提供すると」

「……ふむ」


 にわかには信じ難い。そんな馬鹿げた狂言、それこそ神様の奇蹟でもなければ実現できるはずがない。何せ相手は正真正銘の神なのだから。

 だが事実として、神凪明羅はその言葉の通りに曹叡を伊弉諾の適合者にしてみせた。


「無論、僕は断りました」

「何故だい?」

 良し悪しはともかく、話を聞く限り司にとって……いては竜胆にとってメリットしかないはずだ。


「交渉の余地がなかったから、としか言いようがないですね」


 司は半ば呆れたように笑う。


「彼女と深く関わったことで訪れる僕の可能性みらいは、いつも決まって。どんな選択をしても破滅へと続く。あんなのは初めてでしたよ」


 恐ろしかった、というのが本音だ。

 あんなものが人間であるものか。可愛らしいのは見た目と言動だけで、中身は死の臭いを隠そうともしない得体の知れない化け物モンスター。それが司の明羅に対する正直な印象だった。


「だけど僕は、同時にこれを好機と見た」

「お前さんが申し出を断ることで、その娘が次に曹叡を狙うと分かっていたってところかね?」

 司は答えない。小さく微笑むだけだ。


吉野君かれにも言いましたが、遅かれ早かれこの里は変革の時を迎えていた。彼女の存在はそれを早めたにすぎない」


 そう言った司の表情からはもう、笑みは消えていた。

 司の言う『好機』とは、彼が生きている間にこの里の膿を出し切ることが可能になったということ。例えそれが正道から外れた手段だとしても。


吉野ユウトワーロックを投入したのは正解でした。今僕たちが歩むこの世界線みちは、考え得る限り最高のものだ」


 何百年と続いた夜式の呪いに終止符が打たれ、時が経つにつれ広がる宗家と分家の綻びは、その力を示した御巫刹那の下でいずれ修繕されるだろう。


「全て石動曹叡という生贄ぎせいの上に成り立っている。お前さんのそれは、先人たちの過ちを繰り返しているだけじゃないかい?」

「過ちでしか通せない正義もある。あなたもよくご存じのはずだ。なに、僕が墓まで持って行けばいい話ですよ」

「……」

 久遠はそれ以上何も言わなかった。

 おそらくもう、誰も彼を咎めることはできないだろう。何より久遠が彼の罪を追求することは、再び混乱の時代を招くことに繋がりかねない。

 個の正義か、それとも里の未来か。

 久遠はその二つを天秤に掛けなければならないのだ。


「全く……この歳でとんでもない貧乏くじを引かされるとはね」


 そう愚痴りながらゆっくりと立ち上がって、彼女は部屋を去って行った。

 一人になった司は、夜空を見上げた。窓際に背中を預け、ゆっくりと息を吐いて脱力する。


「本当にその通りですよ。今の僕にできるのはせいぜいここまでなんて……」


 彼は呟く。

 まるで自分たちはようやく本当の『災厄』――その入り口スタートラインに足を踏み入れたのだとでも言うように。

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