第35話 夜は明け、朝が来る -Breaking Dawn-
・1・
鵺の暴走は止まった。
里中に散らばった鵺の落とし子たちは一斉に動きを止め、まるで全て幻だったかのようにその体を霧散させたという。
今ここに、鵺の百鬼夜行は幕を閉じたのだ。
現在の時刻は午前6時。
もうすぐ、誰一人として眠ることを許されなかった紅い夜が終わる。
・2・
御巫本家の客間には、御巫刹那を始め、カイン・ストラーダ、レイナ・バーンズ、そして遠見アリサの4人が待機していた。
「あ、あの~、……これから私たちどうなるんでしょうか?」
誰一人口を開かず、静まり返った部屋の空気に耐え切れなくなったのか、レイナが右手を上げて質問を投げかけた。
「悪いけど、ユウトたちと母様の話が終わらないと何とも言えないわ」
「……で、ですよねー」
そう。今まさに、ユウトと真紀那は本家大広間にて、事の顛末を伝えるため当主と謁見している最中なのだ。
刹那は良くも悪くも当主の意に背き、今回の婚儀を台無しにした経緯がある。カインとレイナは里への不法侵入。アリサに至っては、緊急時とはいえ里の結界に風穴を開けている。
なので4人とも、話が終わるまではこの部屋で待機するようにと指示が下されていた。ご丁寧に見張りも付けられ、軽い軟禁状態といった感じだ。
「ラクシャーサの所有者はその後どうですか?」
アリサは内ポケットから
「アンタ……ちゃっかり取ってきたの?」
「仕事ですから」
呆れたような顔でアリサを見る刹那。しかし、当の本人は全く気にしていない様子。
「あの子は大丈夫よ」
今は医学分野に精通している分家――
「さっき秤から連絡があったわ。もう峠は越えたみたい。後遺症もなさそうよ。今は静かに眠ってるって」
「……ッ、ハァ~ッ、よかった~」
「
刹那の言葉に心底安堵して胸を撫で下ろすレイナの隣で、今度はカインが尋ねた。
「曹叡は……」
刹那は一瞬、口籠る。だがすぐにカインに向き直った。
「あいつの消息はまだ掴めてないわ。今、里中を隈なく捜索してるけど、それでもダメみたい」
「……」
最後の最後まで落とし子の対応に皆気を取られていた、というのも当然あるだろうが、それにしてもこうまで発見できないのはいくら何でも不自然だった。すでに里外に逃亡していれば、結界魔術に何らかの痕跡が残るらしいのだが、それもない。
「伊弉諾がこちらにある以上、何かできるとは思えません」
「まぁ……そうだけど」
アリサの言葉に、刹那は少し思うところはありながらも肯定する。
「……ハァ……そもそも誰かさんが刀を奪われてさえなければ、こんな面倒な事態にはならなかったのに」
ピクッと刹那の表情が固まった。
そして壊れた機械みたくギギッと音が出そうなほどゆっくり首を回すと、ギリギリ取り繕った笑みをアリサに向ける。
「気のせいかしら? アンタ……今私に喧嘩売ってる?」
「事実を述べたまでです。……ロンドンから京都までどれだけ距離があると思ってるんですか……」
最後の方は小声で濁し、お茶を啜るアリサ。
バチバチっと、二人の鋭い視線が激しく火花を散らした。
「OK上等じゃない! その喧嘩買うわよ!? しばらく見ない間にちょっとは成長したかと思ったけど、全ッ然変わってないわね、アリサ!!」
「あなたこそ! ユウトさんは多忙の身なんですよ? 政略結婚? お家騒動? そんな話聞かされたら、『超』がつくお人好しのあの人が動かないわけないでしょう!! 何ですか!? 悲劇のヒロイン気取りですか!?」
「言ったわね!? そりゃ来てくれたのは……その……嬉しかったけど…………ってか、アンタは呼んでないじゃない!?」
「私は連絡が取れなくなったそこの二人を捜索するために、仕事で仕方なくここに来たんです!!」
ギャーギャーと口喧嘩が加速する二人を、レイナは何とか仲裁しようと試みるが、上手い言葉が出ずしどろもどろになっていた。
「アワアワアワ……」
「……アホくさ」
しばらくは終わりそうにないことを悟ったカインは、早々に目を閉じて眠ることにした。
・3・
「
「……はい」
鵺を鎮め、真紀那を救い出してから数時間も経たないうちに、ユウトと真紀那は御巫本家の大広間に招集された。
大広間には
真紀那はゆっくりと顔を上げ、永遠を見上げた。
今の彼女には物憑きだった頃の猫耳や尻尾はなく、どこにでもいる普通の女の子にしか見えない。きっと鵺を抑え込んだことで、その変身能力を自在に使えるようになったからだろう。
だが一方で、その体にはたくさんの呪符が張り付けられており、彼女は体の自由を大幅に制限されていた。
ヒソヒソと声が聞こえる。
完全な鵺をその身に宿した少女を危険視する者。
ただただ怖れる者。
値踏みするように観察する者。
すでにこの場では、さまざまな思惑が交錯を始めていた。
「今回の騒動の全容は概ね理解しました。まずは吉野ユウト殿。里を代表してあなたには心からの感謝を」
永遠はゆっくりと頭を下げた。
「鵺の暴走を止めて頂いただけでなく、母として守れなかった愛娘のために尽力してくれたことにも……本当にありがとう」
最後のその言葉だけは当主としてではなく、母としての言葉だった。
「いえ……俺、じゃなくて……私が勝手にやったことですから……」
事実、ユウトは自分の意思で刹那を助けるためにここに来た。場合によっては御巫と一戦交える覚悟もしていた所に、鵺の騒動が起こったのだ。こうして感謝されるのは、正直ユウトとしては少々むず痒いところがある。
「まぁどういう経緯であれ、お前さんの介入で此度の婚儀はおじゃんだ。可愛い孫娘の晴れ姿を拝めなかった責任は取ってもらうよ?」
「……え?」
久遠のその言葉に、ユウトは額から冷や汗を流す。
「え、えっと……それはその……?」
「コホン……お母様、その話は後程」
「えー……」
心底つまらなそうにする久遠。
彼女を
「残す問題はあなたの処遇です。夜式真紀那」
「……はい」
分かってはいたことだ。
理由や経緯はどうあれ、彼女は里がひた隠しにし続けた鵺の封印を解き、その身に宿してしまった。それだけでなく、暴走して里に甚大な被害をもたらした事実は変えられない。
今回の件で、里の人間は再び鵺を怖れるだろう。その怖れは――認知は、彼女の中の鵺を刺激する。
今はまだ、『黒い獣』が『鵺』だと知る者はほんの一握りだ。もしその名が広く知れ渡り、多くの人間に認知されでもしたら、次は昨夜の比ではない災厄が起こる可能性は十分にある。
例え今は害がなくとも、潜在的な脅威が消えたわけではないのだ。
「石動曹叡。彼が客人としてもて成していた娘の策略とはいえ、それを知るのは今ここにいる者だけ。鵺の存在を公にできない以上、あなたには然るべき罰を与えなければ里の者に示しがつきません」
永遠の言葉に、皆が一様に頷く。
寄生型魔具の性質上、真紀那を処刑することは不可能だが、だからこそ与えられる罰はより残酷さを増す。
以前よりさらに強力な封印術を始め、生きたままの凍結管理。あるいは死なないように魔術的処置をした上で、その体をバラバラにして分散するなど……。
次々と意見を出す分家当主達は皆、彼女を『人』だと認識していなかった。
「………………ふざけるなッ!!」
そんな彼らの言葉に嫌気が差したユウトは、気付けば怒鳴り声を上げていた。
「この子は生きてる! 人間なんだぞ! あんたらの好き勝手な理屈で、この子の人生を弄ぶなよ!!」
叫びは、大広間を静まり返らせた。
「これは困ったね。このままだと
久遠の言葉に、一同がざわつく。
最強の魔法使いであるワーロック。それを敵に回すということがどういうことなのか、皆理解しているのだ。
しかし彼女は気にすることなく、こう続けた。
「だが現実問題、もうその娘を自由にするのはあまりに危険すぎるんだよ。夜式全員に鵺を分散していた頃とは訳が違う」
「それは……理解しています」
今までは少額でギャンブルをしていたから、ある程度は保険が効いた。
だが、これからは常に全額ベットの選択肢しかない。
それを楽観的に捉えることなど、常人には無理な話だ。
「ではこういうのはどうでしょう?」
すっかり口を閉じてしまった当主達の中で、竜胆司が声を上げる。
彼はユウトの前に立つと、こう提案してきた。
「吉野君。どうだろう? 彼女を君の眷属にしてみるというのは?」
「……え?」
さすがに予想外だったのか、真紀那はポカンとした表情で主を見上げた。
司はそんな彼女に小さく微笑み、当主達に理由を説明する。
「
彼は永遠に向き直り、表情を伺う。
「続けてください」
彼女から許しを得たことで、司は説明を続けた。
「ならば同様に真紀那君が彼と主従の契りを交わせば、鵺を完全に制御できる可能性が見えてくるのではないでしょうか?」
「それはつまり……御巫が鵺を手放す、ということかい?」
「そもそも僕たちでは手に余って仕方がなかったものだ。彼には力がある。実績もある。適任では?」
なるほどね、と呟きながら、久遠は永遠に耳打ちをする。
そうしてしばらく考え込んだ後、永遠は御巫の長としての決定を告げる。
「長の判決を言い渡す……本日を以て、夜式を破門とします」
「「!?」」
これにはさすがに、ずっと無表情だった真紀那も驚きを隠せなかった。
「……ッ、それは……ッ、永遠様! 私はどうなっても構いません。ですが……ッ!」
立場も弁えず、気付けば彼女は異を唱えていた。
真紀那が取り乱すのも当然だった。彼女を含め、夜式はずっと管理され、奴隷のように扱われてきた。彼女たちにとって、世界とはこの里を指す。外の事など何一つ知らない夜式が御巫という親を失えば、それは死と同義なのだ。
「どうか……ッ!!」
しかし、その決定にはまだ続きがあった。
「そしてこの場にいない元物憑き達の名を『
「……ッ!?」
真紀那の思考は一瞬で真っ白になった。
ゆっくりと、慎重に、永遠の言葉を噛み砕いていく。
物憑きだった者達が名を変え、新たに御巫の傘下に入る。
ここにいない者――つまり自分以外……。
「夜式真紀那。ここにあなたの居場所はもうありません。どこへなりともお行きなさい。あなたが最後の夜式となるのです」
それは少女にとって、これ以上ない罰だ。
少女を取り巻く小さな世界は、これから跡形もなく壊れてしまう。
だが――
「真紀那」
「吉野、様……」
それは同時に、
ユウトは真紀那の体に張り付けられた呪符を剥がしていく。そしてその濡羽色の髪を優しく撫でた。
「行こう」
「………………はい。どこまでも……あなたにお仕えします」
それは同時に、少女が初めて『人』として生を享けた瞬間でもあった。
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