第31話 目覚めし夢幻 -Trick Star-

・1・


 パキッ。


 石動曹叡の刃と真正面から衝突したカインの右腕に亀裂が走った。

「フッ……」

 曹叡は勝利を確信する。

 彼の思惑通り小さかった亀裂は加速度的に広がり、神喰デウス・イーターは粉々に砕け散った。


「それが最後の隠し玉だったようだが、今の俺にそんな小細工は……ッ!?」


 そこで曹叡の言葉が途切れる。

 何かがおかしい。言い様のない違和感が彼を襲った。

「……ッ!!」

 違和感の正体。それは亀裂そのもの。

 右腕が砕けても、なおそれは広がり続けていたのだ。

 輝く夜空も、静謐な石庭も、屋敷を燃やす紅蓮の炎も、何もない虚空さえ――



 壊れたのはカインの右腕ではない。



「な、何がどうなってる……ッ!?」

 ガシャンと鏡が割れるような音を立て、曹叡は夢から覚める。気付いた時には、目の前で右腕を失ったはずのカインの姿がどこにもなかった。

「……がっ!?」

 突如何の前触れもなく、大きな破裂音が曹叡の背後を襲った。伊弉諾いざなぎの炸裂装甲が反応したのだ。

(ッ……後ろからだと!?)

 彼は振り返りざまに背後を斬りつけるが、そこには誰もいない。すると今度は曹叡の右足の装甲が激しく火花を散らした。

「ッ!?」

 次は左肩。その次は胴体。

 見えない斬撃に、炸裂装甲は次々と反応していく。

 しかも、


(鎧が……ッ!)


 魔装の鎧が徐々に削られている。最初は小さな傷程度だったが、何度も斬り付けられることで鎧自体が悲鳴を上げていた。

 もちろん、普通では考えられないことだ。

 如何なる兵器・魔術においても、神の力が劣ることなどありえない。

 もしあるとすればそれは――


(まさか、あのガキも魔装をッ!?)


 直後、その予想を裏付けるかのように、曹叡の左手甲が音を立てて砕け散った。

「ッ!!」

 それだけではない。不可視の刃は鎧に守られていた彼の左腕を裂き、肉を抉っていく。

「ぐ……ッああああああああああああああああああああ!!」

 すぐさま不壊魔術を発動したため切断とまではいかなかったが、肘の靭帯を切られたせいで、彼の左腕はだらんと力なくぶら下がっていた。


「う、ぐッ……ハッ、ざまぁ見ろ……ようやく一撃くれてやったぜ」


 皮肉めいた言葉。

 蜃気楼のように歪んだ景色の中から、カインはその姿を現した。

「て、めぇ……ッ!!」

 刹那に続き二度までも。

 最強の盾に傷を付けられた曹叡の目が血走る。


「……ッ、種は割れた。こっからは俺の反撃ターンだ!」


 白く発光する右腕。その手に掴む『漆黒の大鎌』を構えたカインは、息も絶え絶えに地を蹴った。


・2・


「馬鹿な!? 伊弉冉いざなみじゃと!!」


 御巫久遠は自分の目を疑った。

 当然だ。伊弉諾いざなぎと対を為すその刀は、何百年も前に里から失われていたのだから。


「やっぱり……宗像むなかた君たちが回収していたのね」


 刹那は久遠の隣でそう言った。

「3年前、刹那君たちがいたという海上都市……その核となっていたもの」

 彼女たちと共に、カインと曹叡の戦いを見ていた竜胆司も口を開く。

「あぁ……じゃがこの子と断刃無たちばなの娘の報告では、あの刀は吉野ユウトの手で完全に破壊されたはず……」

「破壊されてもその神性が失われたとは限らない。資格ある者が使えば、復元は可能でしょう。現にかつて二つに分かたれた伊弉諾は、刹那君の手で再び一つになった」

「ふむ……あの小僧がね……」

 久遠は顎に指を当て、何かを考え込む。その視線の先にカインを見据えながら。


「見たところまだ完全には掌握しきれていないようだね。あれは魔装じゃない。せいぜい半魔装ってところさ」


 久遠の言う通り、純粋な魔装であれば、その見た目に大きな変化が伴うもの。曹叡の黒鎧がまさにそれだ。

 魔具に封じられた権能を神衣かむいとして纏うことで、所有者自身を神と同一の存在だと定義する。それにより、全盛期の力を完全に解放することが可能になる。それが魔装だ。

 だがカインの場合、その変化は彼の異形の右腕を中心に始まり、肩口、左腕。そして、伊弉冉の刃が形を変えた漆黒の大鎌。そこで止まっている。


「あれで、半分……」


 刹那は固唾を呑む。

 実際、幻と現実を逆転させる伊弉冉の力はあまりに強大だ。3年前の海上都市では、たった一本の刀に多くの人間が翻弄され続けた。当然、彼女もそれを身をもって体験している。


伊弉諾いざなぎ伊弉冉いざなみ……よもや二本の神刀が再び対峙する日が来ようとは……」


 戦いはさらに苛烈さを増す。

 その余波は、周囲から無尽蔵に襲い掛かる鵺の落とし子すら容易に滅するほど。

 もはやこの場の誰であろうと、この死戦に割り込むことは許されない。

 どちらかが地に伏す、その時まで。


・3・


「ハアッ!!」


 突貫してくるカインに対し、曹叡が横一文字に伊弉諾で斬り裂いた。

 炎が逆巻き、雷が踊る。

 破壊の権化たるその一撃に、少年の姿はいとも簡単に砕かれた。


「そっちじゃねえよ!!」

「ぐ……ッ!?」


 再びありえない方向から鎌刃を浴びる曹叡。何度も攻撃を受け続け、もはや炸裂装甲はその力を失いかけていた。

「このぉぉ!!」

 今度こそ、曹叡の刃がカインを捉えた。命を奪う確かな手応えが、彼に勝利を確信させる。


(取った!! ……ッ!?)


 だが、胴を二つに切断された少年の姿は虚空へと溶けていく。

 斬ったのは幻影。それも本物と見抜けぬほど精巧な。


「お前の不壊魔術は確かに無敵だが、付け入る隙はある」


 冷え切った夜の空気に、カインの声が響き渡った。


「その破壊不可能の盾を全身に張れない以上、お前はその難しい魔術をピンポイントで展開する必要がある。だが本来、実戦ではそんな半端なもん使い物にならねぇ。それこそ、伊弉諾の力で手に入れた超反応チートでもなけりゃな」

「ぐ……ッ!」


 曹叡がいくらカインを斬り付けても、それはただの幻。全て無意味と化す。

 しかし例え幻であっても、伊弉冉が生み出す幻はただの幻に留まらない。


 現実を侵食する夢幻。


 それは確かな質量と鋭さを持ち、この世に存在する。

 『偽物』であっても、決して『まやかし』ではないのだ。


「人間の脳に最も情報を与えているのは視覚だ。お前の目に映った瞬間、超反応はお前が認識するよりも速く脳に命令を送る。これがご自慢のたてのトリックだ」


 命令を受けた脳は、攻撃の着弾点を速やかに演算。ほぼ無意識に、適切な場所に不壊領域を展開する。その速度はおよそ0.2秒。人間の限界反応速度ギリギリ。

 見て、認識して、頭で考えて魔術を行使していては絶対に辿り着けない領域だ。


「種さえ分かればこっちのもんだ。要は不壊領域を展開させなければいい。俺はあの刹那みたく強引に『速さ』で超えることはできねぇが、この刀を使えばお前の認識外から攻撃できる」


 認識外――すなわち曹叡の五感。特に視覚に映らなければ、そもそも超反応は働かない。

 人を惑わす伊弉冉の力は、まさに彼にとってこれ以上ない天敵と言えるだろう。

 それだけではない。無尽蔵に現れる幻影は、彼の脳に莫大な数の処理を強いる。

 間違った演算は当然、間違った答えを導き出す。魔術はタダではない。無意識下で処理される度に、曹叡は無意味に魔力を消耗し続けることになる。そしてそれを彼自身の意思で止めることはできない。


「俺は……ッ! 俺は選ばれた存在だ!! こんなガキに……ッ!!」


 繰り返される死角からの連撃。だが、曹叡もバカではない。

 相手は必ず死角から仕掛けてくる。ならばそれを逆手に取ればいい。

「ッ……喰らえッ!!」

 彼はわざと絶好の死角を作り、そこへカインを誘導。鎧から伸びた鋼鉄の触手で広範囲にわたって地面を串刺しにする。逃げ場はない。


 だが、――


「何ッ!?」

 カインは串刺しになどなっていなかった。

 彼を護るように、周囲に現れた虚影の剣が要所要所で触手の軌道を変えていたのだ。


『Messiah ... Loading』


「しま……ッ」

 ゼロ距離から放たれる極熱の弾丸。それはすでに無力化された炸裂装甲を破り、曹叡の体を拡散するエネルギーが吹き飛ばした。

「ぐあ……ッ、まだ……まだだ!! 俺の力はこんなもんじゃない!!」

「チッ……案外根性あるじゃねぇか」

 掌から放たれる伊弉諾の雷。カインはそれを物ともせず駆け抜けた。

 彼の右腕が、曹叡の壊れかけの胸部の鎧を掴む。

「ッ!?」

 次の瞬間、カインはネフィリムばけものの巨体すら容易に持ち上げるその膂力で、曹叡を投げ飛ばした。


「『力』に執着するお前の考え方。正直、理解できないわけじゃない」


 宙に投げ出された曹叡に狙いを定めるカイン。

 曹叡も空中で態勢を立て直し、身構える。

 しかし、すでに地を蹴ったカインは自身の幻影を含め、三方向に走り出していた。


「ぐ……ッ!」

「けどな、そんな独りよがりの『力』じゃ、先は短いらしいぜ? ……癪だがな」


 魔人と戦い、己の弱さを痛感した。

 吉野ユウトの背中を見て、彼の強さを実感した。

 認めるわけじゃない。だが、変わらなければならないのは確かだ。さらなる高みに足を踏み入れるために。そしてそのための理由も。


「俺が本当の『力』ってやつを教育レクチャーしてやるよ」


 神喰みぎうでが熱い。

 まだこの力を全く制御できていない。少しでも気を抜けば、トランプで組み立てた城のように全て瓦解する。

(認めるよ。俺はまだまだ弱い……だがな!!)

 負けるつもりはさらさらない。足掻いてでも、喰らいついてでも、勝利を掴む。

 今の自分は、あの時無力だった自分より確実に一歩前に進んでいる。その感覚がさらにカインを昂らせた。


「おのれ……ッ!!」


 がむしゃらに赤い斬撃を振りまく曹叡。

 三人のカイン達は縦横無尽に空を駆け回り、その全てを破壊。肉薄し、次々と曹叡を空へと斬り上げていく。


決まりフィナーレだッ!!」


 紅き月を背に分身達が一つに重なり、漆黒の刃による止めの一撃が、伊弉諾の黒鎧を打ち砕いた。

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