第29話 妄執の果て -The king made by delusion-
・1・
「……ッ、何!?」
紅い月。
その下で巨大な鬼と数多の獣が咆哮し、大地を揺らす。
静寂に包まれていた夜は、一瞬にして身の毛もよだつ殺気に塗り潰された。
「来るぞ!!」
カインが叫ぶのと同時に、屋敷の白壁を飛び越えた漆黒の獣たちが雪崩のように一斉に襲い掛かってきた。
「ッ!」
カインは腰の銃型神機シャムロックを、刹那は雷撃の槍を飛ばし、牙を剥く黒獣たちを可能な限り撃ち落とす。だがそれでも氷山の一角。群れの進行はとどまる所を知らない。
「何をぼさっとしてるんだい!!」
「衛士は前へ! 結界班は速やかに認識阻害から断界に移行。一匹たりとも里の外へ出してはなりません! その他戦える者は山を下りて民を守りなさい!」
状況を理解できずにいた式の参列者たちは、久遠と永遠の声で目が覚めたように我に返る。そして各々自分がやるべきことを為すために走り出した。
「間に合わなかったか」
「お母様。これが
「私もこの目で見るのは初めてだよ。だが伝承通りなら……かなりまずいね。曹叡の私兵共。お前たちも働きな」
久遠は振り返らず、背後に声を放った。そこには黒の忍び装束に身を包む者が一人。鬼影隊の隊士だ。大方何か不都合があった際、久遠や永遠を人質に取るように曹叡から命令されていたのだろう。
「……我らは……」
「今は派閥同士で争ってる場合じゃないだろう! くだらない理由で獣共に家族を殺されたいのかい!? 命より大事なものがあるなら、悩む時間は無駄でしかないよ!!」
彼女の言葉に、隊士は口ごもる。
「……何老いぼれの言葉に耳を傾けてやがる?」
「……ッ」
何一つ、自分の思い通りにならない。その焦りと怒りは石動曹叡の声を格段に荒げる。隊士は僅かに体を震わせたが、しばらくして何かを決意したように背を向け、その場から消えてしまった。
「ッ……おい戻って来い! 俺の命令に従え!!」
彼だけではない。
他にも隠れ潜んでいた複数の気配が、蜘蛛の子を散らすように散開していく。
「……脆いね。所詮、力で押さえつける支配なんてこんなもんさ」
抵抗派も石動派も関係ない。
守りたいもののため、石動曹叡に従うしか選択肢のなかった彼らは、この窮地に立ってようやく気付いたのだ。
――抗うこと。
それは誰もが最初から見えていたはずなのに、目を背けていた0番目の選択肢。
運命を受け入れるだけの奴隷では、何も救えない。
最初に救うべきだったのは、諦めていた自分自身。
己の手で運命を切り開いてみせた御巫刹那の姿は、彼らにとってその証明に他ならない。
・2・
「終わりよ、曹叡」
刹那は曹叡の前に立つ。
「この一件、もうとっくにあんたの手から離れてる。自分が
「……ッ」
「あんたも文句ないわね?」
彼女はもう一人にも声をかけた。
『あぁ』
すると曹叡が握っている
『余の力を借りるではなく、強引に奪って我が物顔で使うか……フッ、神をも恐れぬその剛毅。相変わらずだのう……主様』
黄金と緋色の瞳を持つ少年のような風貌。
それにそぐわぬ老人のような口調と不遜極まりない態度。
「あら、随分素直になったじゃない。ようやく私の事、認める気になったのかしら?」
『フンッ……
それでも刹那には、彼がどこか笑っているように見えた。
「……ふざけるな」
石動曹叡はゆっくりと立ち上がる。その体から炎のように揺らぐどす黒いオーラを迸らせて。
「どいつもこいつも俺をコケにしやがって……俺が利用されている? そんなことどうでもいいんだよ!」
彼はボロボロになった自分の上着を掴み、剥ぎ取るように脱ぎ捨てた。
「ッ!? ……何よ、それ?」
それを見た刹那の瞳が驚愕に見開かれる。
彼の胸には、水晶のような何かが埋め込まれていた。その何かは奥底から怪しげな紫紺の光を放ち、同時に浮き出た血管が全身を回り……いや逆だ。水晶が曹叡の血肉を喰らっている。寄生しているのだ。
「才能がない。ただそれだけで散々苦汁を舐めさせられてきた。何の苦労も知らず、全てを手に入れてきたお前には分からないだろうがな!!」
吐き捨てるように叫ぶその憎悪を喰らい、胸の水晶は暗い輝きを増す。
「毎日毎日……寝る間も惜しんで修行して修行して修行して! 足掻いて足掻いて……足掻き続けて、死ぬ気で才能を掴もうとした!」
その言葉に嘘はない。
必死に訴えかけるその瞳に嘘はない。
「なのに……ッ、俺がそうやってやっと手に入れた
比較の対象は常に歴代の猛者たち。すでに無き過去の栄光に縋る者達の妄執が、彼をここまで歪めてしまった。
「……曹叡」
「だから俺はここまで捨てたッ! あの女に相応のものを支払って、俺は
曹叡は胸の水晶を掴む。腕の筋肉の締まり具合から、相当の力で水晶を掴んでいるのは間違いない。
「う……うおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
そうして彼は激痛に歯を食い縛りながら、水晶を自身の体から強引に剥ぎ取った。
そして次の瞬間、曹叡は剥ぎ取った水晶を喰い始めた。
「ッ!? 何を!?」
バリボリと音を立て、口から大量の血を垂れ流しながら、水晶の欠片は曹叡の体に取り込まれていく。より深い所まで。
「……うッ!!」
ドクンッ!!
その胎動は近くにいた刹那たちだけではない。里全体に響き渡る。
「俺は……オレ……ハ……ッ!!」
曹叡の体がどんどん膨張していく。
まるで体の中で大爆発が起こっているとでもいうように。
『……ッ、まずいぞ主様……』
「どうしたの!?」
膝を付いて苦しむ伊弉諾。刹那は彼に寄り添った。
『あの水晶が余を縛っていた
ついに耐え切れず、伊弉諾は叫び声を上げる。途端に彼の存在は崩れ、その光は曹叡に再び取り込まれてしまった。
「伊弉諾!! ……ッ!?」
一瞬、眩暈が刹那を襲う。
今、彼女と伊弉諾を繋いでいたものが完全に途切れたのを感じたのだ。
「ッ……どいてろ!!」
怯んだ刹那を背に、カインは前に出る。
右の拳を握り、
だが、間に合わない。
「……魔、装」
それよりも僅かに早く、禍々しい極光は臨界点に到達した。
・3・
「織江さん! 目を覚まして!!」
「Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」
夜空を覆い、レイナの視界を塗り潰すほどの巨大な鬼の掌。
風を纏い、槍のように突き刺す彼女の蹴りがそれを貫いた。
「ッ!?」
だが、掌に穴をあけた程度ではどうにもならない。信じられないほどの超速再生がすぐに穴を塞いでしまうのだ。
今の彼女――堕天ラクシャーサを形成するのはこの大地全て。尽きることのない無限のリソースが、彼女に不死にも近い性質を与えていた。
(ダメだ……こんな攻撃じゃいくらやっても切りがない)
レイナの最大の武器は、他の追随を許さぬそのスピード。そしてそのスピードから生み出される圧倒的な攻撃力だ。
だがそれは、あくまで対人戦での話。
50メートルは軽く超える巨体に対して、一撃で削れるのはせいぜい2%から5%といったところか。しかしそれも尋常ならざる再生力であっという間に0に戻る。
求められるのは、一撃で100を削れる力。
(そんなの私に……)
『ちょちょッ、ちょっと! 何あの巨人!?』
「わひゃッ!?」
耳元で急に声が聞こえて、レイナは飛び上がる。
「この声、秤……さん?」
声は目の前を舞う形代から聞こえてくる。操っているのは
『レイナね? これは通信用の簡易式神よ。まぁ音が鳴る紙切れだと思えばいいわ。それ以上のことはできないし』
「はぁ……」
おそらく視覚情報は彼女の持つ遠視の魔眼が補っているのだろう。
『それよりあれ――』
「ッ!?」
上から降り注ぐ隕石の如き巨大な拳。それは無数の小さな拳に分裂し、大地を破砕する雨となる。レイナは式神を掴んでそれら全てをギリギリで躱しきった。
「あれは織江さんです! 何か変な機械を使ってあんな姿に……私も何が何だか全然わからなくて」
『あの子……ッ! まずい……何とか止められないの!?』
とはいえレイナには、この状況を打破できる手札がない。
だが口籠る彼女に、秤はさらに声を張り上げた。
『何が何でもここで止めなさい!!』
何故なら――
『このまま進むと織江の孤児院が巻き込まれるわよ!!』
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