第27話 刹那の一刀 -No time of blinking-

・1・


 その時、御巫の里は異様な静けさに包まれた。

 御巫の長を前にした御前試合。

 見届けるのは御巫永遠みかなぎとわ。そして彼女が束ねる全ての分家の当主達。それだけではない。外にいる民たちもまた、映像を通してこの決闘を見ている。


 即ち、勝利とは全てを得ることに他ならない。

 里も、そこに住まう命も。そしてその未来さえ。


「刹那。悪いことは言わねぇから降参しとけ。こいつの力を知っているお前なら分かるだろ? 結婚前のお前を傷物にしたくない」

 石動曹叡は伊弉諾を鞘から抜き、勝利を確信した笑みと共にその黒き刃を刹那に向ける。

 一瞬にして空気が変わった。

 見かけ倒しではない。それほどの力を相手は有している。

 だが――


「無用な心配よ。負けないから。そもそも刀一つでくつがえる強さなら、御巫をまとめるなんて夢のまた夢よ」


 曹叡の眉がピクリと動く。

「……どうやら才能に恵まれたお前には分からせる必要があるらしい。そんなもんがゴミと思えるほどの絶対的な力ってやつを」

「曹叡、私はあんたを許さない。里に無用な争いを招いたこと……何より姉さんを斬った借りもここで返すわ」


 刹那も同じように、鞘から刀を抜いた。

 この刀は九条秤から受け取ったものだ。彼女の錬金術を用いて精製した生まれて間もない名も無き業物。

 黒い刀身以外の見た目は伊弉諾にそっくりだが、切れ味、魔力伝導率、そして硬度。その全てが伊弉諾には遠く及ばない。いや、例え如何なる名刀であったとしても、の刀の前では稚戯にも等しいだろう。


 しかし、それでも刹那の見据える先に『敗北』の文字はない。

 むしろ勝利への道筋は鮮明に開かれている。


「……」


 もはや誰もがこの戦いから目が離せない。

 一陣の風に吹かれ、舞い落ちた木の葉に誰一人気付けるはずもない。


「……ッ」


 その木の葉が地に落ちた刹那、二つの刃が交わり、火花が散った。


・2・


「始まったね」

「ええ」


 御巫刹那と石動曹叡。

 眼前で繰り広げられる二人の戦いを、永遠とわ久遠くおんは眺めていた。


「確かにこれが最善。あの子が矢面に立つことで、抵抗派……それだけじゃない。夜式やじきを争いに巻き込まなくて済む」


 久遠は娘である永遠に視線を移した。

 おそらくこうなることを彼女は予想していた。いや、望んでいた。

 着々と本家を侵食する曹叡の魔の手を振り払い、状況を打破するには耐え忍ぶことはむしろ悪手。

 求められるのはシンプルかつ、誰もが納得する極めて分かりやすい方法。

 それがこの決闘だ。


「じゃが勝算はあるのかい?」


 久遠は永遠に問う。

 あらゆる状況を考慮した上で導き出した最適解。だがそれは刹那の勝利の上に成り立つ。一度きりの決闘。シンプルすぎるが故に、負ければ即終了。保険は効かない。

 そして現状、伊弉諾という最強の戦力が曹叡の手にある以上、刹那は圧倒的不利な立場にある。

「……フフ」

 しかし、そんな状況にあっても永遠は不敵な笑みを浮かべた。


「お母様。刹那が言っていたでしょう? 刀一つでくつがえる強さなら、御巫をまとめるなど夢のまた夢、と」

「その通り」


 久遠の横に、いつの間にか細身で色白の青年が腰かけていた。

「お前さん、体はいいのかい?」

 竜胆家の当主――竜胆司りんどうつかさだ。

「ただの式なら出席するつもりはなかったんですがね。ユウト君ワーロックという劇薬が思った以上の効果を齎したようです。今はとは大きく異なる」

「竜の眼、だね?」

 竜の眼。竜胆家が代々継承する心像魔術だ。

 その力は限りなく未来視に類する。数秒先、その気になれば数日先まで見通すことができる。しかしより遠くの未来を見る程、その確度は落ちる。何故なら見えるのは切り取った時間の断片。そこに至るまでの過程は未確定のままだからだ。


(だけど……


 例えば完全な未来視があったとする。

 その力で観測した『確定した未来』を回避することはできないだろう。そこに至るまでの全てのプロセスが事細かに定められているからだ。

 だが、司が見る未来はどこまで行っても数ある可能性の一つにすぎない。何もしなければその未来がやって来るが、外的要因を加えればいくらでも変化を促せる。

 つまり、間接的に未来を選択することができるのだ。


「さて……お手並み拝見と行こうか。君たちの覚悟が、神を超えるか否か」


 この先の未来を司は見ていない。見る必要がない。

 今まさに壁を越えようとしている彼らに対して、それは無粋というものだ。


・3・


 稲妻と稲妻が交差する。

 その度に幾万の鳥のさえずりを思わせる甲高い音が鳴り響いた。


(……何故だ?)


 一撃のはずだった。


(……どうして……)


 刃を砕き、誇りを砕き、心が折れたその顔を見下ろすつもりだった。

 なのに――


(なんで決め切れない!?)


 心どころか、御巫刹那の刃が折れる事はなかった。

「……ハッ!!」

 瞬刃。

 彼女の雷を纏う牙突が曹叡の頬を掠る。

 当然、外傷はない。伊弉諾の神雷を利用した脳への干渉。それにより獲得した超反応で、自動的に発動する彼の心像魔術――天元無双があるからだ。

「……ッ」


 最強の盾がある。最強の矛がある。

 怖れる物は何もない。

 何もないはずなのに……。


(俺が……怖れているだと……ッ!?)


 彼女が刀を振るう度、全身がざわつく。正体不明の焦燥感に駆り立てられる。

「いったい何をした!?」

 伊弉諾から爆炎を迸らせ、大きく距離を開けた曹叡が叫ぶ。

「ッ!!」

 だが改めて刹那を、彼女の刀を見て、彼は息を吞んだ。


 先程生み出した神炎が――

 周囲に霧散した神雷が――


 


「……なにぃ……ッ!?」


 神格共有。

 使用者が変わっても、刹那と伊弉諾の間に繋がれた魔力パスは生きていた。まるで絆のように。強く。

 本来は魔具の力を引き出すための魔力を送る一方通行の道だが、こと今回に限っては違う。

 伊弉諾から強引に魔力を引きずり出す。

 刹那はその力を簒奪し、徐々に刃を漆黒に染め上げた。


「言ったでしょ」


 あくまで一時的なものだが、今ここに間違いなく神刀は二振りある。

 もはや最強のアドバンテージは存在しない。


「私は負けないって!!」

「ッッ!!」


 故に勝利の女神は、最後まで己の技量を信じる者にのみ微笑むのだ。


・4・


「ぐあ……ッ!!」


 勝敗を決定づける刹那の一刀。

 それは石動曹叡の天元無双――人間の限界反応速度を僅かに上回る。

 あまりの衝撃に彼の体は白壁を貫通して屋敷の外へ追い出された。


「……うッ……クソが……ッ!!」


 曹叡は斬られた自分の胸を押さえる。途中で不壊領域が間に合ったことで傷は浅いが、それでも指の間から血が滴れ落ちた。

(……何が起こりやがった?)

 ただのなまくらのはずの刀が、まるで伊弉諾のように変貌した。

 そして今の一太刀。無敵と謳われた盾を破ったその刃を、曹叡は目で捉えきれなかった。

(純粋な技量でこの俺が……負けたっていうのか!?)

 その事実が、彼の中でどす黒い怒りの感情を沸き立たせる。


「今のは姉さんの分よ。次は私の借りを返す。さっさと立ちなさい」

 刹那は壁に空いた穴の傍に立って、刀を構えた。

 喜びも焦りもない。不要な感情は全て捨て去り、ただ敵を正面に見据える。一部の隙も無いその美しい姿を月明かりが照らした。


「……クク、ククク」


 しかし、曹叡は笑っていた。そして――

「見下してんじゃねぇぞ! それで俺と同じ土俵に立ったつもりか!?」

 伊弉諾を大きく振りかぶり、紅蓮纏う無数の斬撃を放つ。

 刹那はその全てをいとも簡単に斬り伏せた。だがほんの一瞬、その表情に焦りを浮かべたのを彼は見逃さない。

「ハハ! やっぱりな! どんな手品か知らねぇが、頼みの綱は長くは持たねえみたいだな!」

「……ッ」

 その証拠に、刹那の刀は僅かに刃こぼれしていた。強すぎる伊弉諾の魔力に、器となる刀が耐え切れないのだ。加えて激しい剣戟の応酬。刃を交えるごとに内外から崩壊が進んでいる。

 それを見抜いた曹叡は、がむしゃらに大技を放ち続ける。隙だらけだが、刹那はそれらを全て受け切らなければならない。そうしなければ周囲の戦いを見届ける者たちに被害が及んでしまう。


「オラオラオラ!! さっきの威勢はどうしたぁ!!」

「この……ッ」


 刹那は一瞬の間を突いて、曹叡に近づき鍔迫り合いに持ち込む。

 これなら大技は出せない。


「あんた正気!? 一対一の決闘に周りを巻き込んで――」

「決闘? もうそんな生温い話じゃねぇ! これは革命だ! お前を叩き潰して、俺がこの里を手に入れる。俺の御巫に、弱いやつは必要ないんだよ!!」

 腕力で勝る曹叡は、強引に刹那を払いのける。

 その時、ピシッと刹那の刀に一際大きな亀裂が走った。


(……ッ、そろそろ限界……)


 むしろ良く持った方だ。九条秤の錬金術失くしてここまでの成果はありえない。彼女が寝る間も惜しんで打ってくれた虎の子の一振り。考え得る限り最高の業物だ。無駄にするわけにはいかない。

「そろそろガタが来てるようだな。これで終わりだ!!」

(ごめん! もう少しだけ耐えて!)


 曹叡が上段から。

 刹那が下段から。


 刃を走らせる。


 その直前――



「決闘じゃねぇなら、俺が混ざっても問題ねぇよな?」



 巨大な光の腕が、横から曹叡をぶん殴った。

「ぐ……ッ!?」

 彼の体は屋敷の柱を突き破り、その奥へと吹っ飛ばされる。

「……あんた、その腕……」

「勝負はあんたの勝ちだ。この場の誰も、文句は言えねぇよ」

 崩れた家屋を吹き飛ばし、曹叡が立ち上がる。言うまでもないが、天元無双のおかげで無傷だ。

「てめぇ……」

「よぉ大将。俺もこいつを壊された借りを返させてもらうぜ?」

 カイン・ストラーダは新生トリムルトを突き出し、刹那の隣で宣戦布告する。







 だがそこで、カインの動きがピタリと止まった。

「……ッ」

 腹の底から湧き上がるざわつき。言い様のない嫌悪感。

 そして肌に纏わりつく死の感触。何より――



 



 空気が変わったことに気付いたのは彼だけではない。

 刹那も、そして曹叡も同じ方角を見ていた。


 何かが近づいてきている。

 純粋な殺意の塊のような何かが。群れを成して。


「……何……この気配……」

「来るぞ!」


 次の瞬間――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る