第25話 鵺の器 -Sacrifice-

・1・


 御巫の里から数十km離れた山の頂上。

 そこには少なくとも数十年は人の手が加わっていない、古寺院が存在する。


「……うっ」


 神凪明羅に何らかの手段で連れ去られた夜式真紀那は、そんな寺の祭壇の前で目を覚ました。

 しかしすぐには立ち上がらない。指先一つ動かさず、彼女はまず自分の置かれた状況を確認することに全神経を注力した。

(拘束は……されていない。刀も一歩で手が届く位置にある。人の気配は――)


「おはよ、子猫ちゃん♪」

「……ッ!?」


 背後からの囁き声に弾かれるように反応した真紀那は、斜め前に跳んで無造作に置かれた自分の刀を回収し、声の主に向かって瞬時に構えた。

「キャハハ! 何その反応? 超ウケる」

 切っ先を敵に向ける真紀那。

 問いかけなど無用。この少女は間違いなく吉野ユウトの敵だ。故に彼女は有無を言わさぬ速さで駆け、祭壇に腰かける神凪明羅に向かってその刃を突き出した。


「ッッ!?」


 だがその瞬間、真紀那の背筋は凍り付く。

「いたーい♡ キャハハハ!」

 刀は確かに明羅の胸を、心臓を突き刺している。

 なのに彼女は苦しむどころか、笑っているのだ。まるでペットとじゃれているように。

 その異様な光景に、真紀那はほとんど無意識に刀を手放し、逃げるように明羅から距離を取った。

「……化け物」

「それ、君が言う? 明羅も君たちも、そんなに違いはないと思うけどなー」

 明羅は自分の胸に突き刺さった刃を握り、躊躇なく抜き取る。傷口から赤い血が流れることはなく、すぐに塞がってしまった。


「明羅はね、魑魅魍魎とか人外とか、そういうこの世にいるはずのないものを専門に研究してるんだ♪」


 それだけじゃない。真紀那が思わず『化け物』と呟いた理由は他にある。

 彼女の猫由来の嗅覚は、明羅から溢れ出るに気付いていた。


「お、分かっちゃう? そそ、明羅のポートフォリオは明羅自身♪ この体を構成するのはその研究対象ちゃんたちなのだー」


 少女かいぶつは語る。

 例えば、高い知識を有するエルフの脳。

 例えば、永遠をもたらす吸血鬼の生き血。

 例えば、全てを見通す悪魔の目。

 他にもドラゴン、鬼、精霊、妖魔、怪異に至るまで。

 ありとあらゆる異形が彼女の肉体に集約されている。


「そんなもの……いるはずが……」

「は? 魔術や魔法が存在するこの世界で何で無いって言い切れるの?」

「……ッ」

「この世界にいないなら別の世界で探せばいいし、それでも見つけられなかったら創り出せばいい。結果のために手段を選ばない。それが探究者ってものなのさ♪」


 無論、はったりの可能性はある。子供の絵空事と笑うのは容易い。だが神凪明羅は明らかに『普通』ではない。その点において疑う余地は皆無だ。

「まぁ言葉で説明するよりこっちの方が分かりやすいか♪」

 明羅が右の拳を握ると、その右腕は質量を無視して一瞬で肥大化し、赤黒い鱗に包まれる。

 次の瞬間、その剛腕が見た目にそぐわぬ素早さで真紀那に襲い掛かった。

「ぐ……かは……ッ!?」

 勢いよく壁に叩きつけられ、床に倒れ込む真紀那。動けない彼女の掌を、明羅は先程自分を貫いていた刀で突き刺した。

「う、ああああああああああっ!!」

「アハハハハッ! これでお相子だね♪」

 彼女は自分の思い通りに奏でられる苦痛の叫びに、嗜虐的な笑みを浮かべていた。


「あなたは……いったい……」


 あまりの痛みにじっとりと滲み出る汗。苦悶の表情を浮かべる真紀那は明羅を見上げた。

「ん? 明羅は明羅だよ。……ま、そう言われると元々の私なんて、今となっては髪の毛一本残ってるかどうか怪しいけどさ」

 そう言いながら、彼女は無造作に自分の髪の毛数本を抜き取り、吹いて捨てる。

「……ッ」

 背筋に怖気が走る。

 どう見ても真紀那にはこの神凪明羅という『何か』が、自分と同じとは思えなかった。

 動物の霊魂を埋め込まれただけの自分に対し、彼女は文字通り得体の知れないものの集合体。それがたまたま人の形をしているだけだ。

 人の思考など、端から持ち合わせていない。

 正真正銘の化け物。



「さてと……ちょっと予定外な事もあったけど、計画通り、吉野ユウトたちの注意が曹叡に向いてる間に、こっちはこっちでお仕事しますかにゃー」

「私に……何、を……」

 明羅の目的が全く見えない。

 自分に一体どんな価値を見出しているのか? これから何をされるのか?

 分からない。分からない事が心底怖い。

 とっくに麻痺していたはずの感覚が、真紀那を上から押し潰していく。


「心配ご無用。明羅はただ君を解放してあげるだけだから。あー、結果的には君の一族も、かな?」

「……かい、ほう……?」


 過度な緊張と出血が少女の意識を混濁させていく。今の真紀那には、わずかに聞き取れた明羅の言葉を頭の中で反芻することしかできなかった。


「そうそう。ぶっ壊したいものをぶっ壊す。指図するやつは根こそぎぶっ殺す。誰にも邪魔させない。そんな欲望に忠実な最ッ高の生き方を明羅が教えてやんよ♪」


 もう、何も聞こえない。

 少女の意識はそこでプツリと途絶えた。


・2・


ぬえは、夜式の人間一人一人に分散して封印されておる魔具アストラじゃ」


 御巫久遠の話に、全員が絶句した。

「……何よ……それ……」

 特に刹那のショックは大きかった。


「魔を払い、人を救うのが私たち御巫でしょ!? それを……何でッ!?」


 まるで人を道具のように。

 彼女は祖母に詰め寄り、問い質す。

「落ち着け刹那」

「……ユウト」

 ユウトに肩を掴まれ、振り返った刹那は力なくその場に座り込む。

 久遠を責めても意味がないことは、彼女も理解しているのだ。


「確かに、人体に寄生するタイプの魔具はごく少数ですが報告にもあります。でもほとんどの場合が生まれつきその身に宿している先天的なものです」


 ユウトは過去に読んだ魔具に関する資料の内容を思い出す。

 この世に生を受けたその瞬間、まるで神様の気まぐれとでもいうように、寄生型の魔具は天文学的確率で赤子に宿る。

 そこに血筋や遺伝、そういったものは一切関係ない。

 だから同じ一族に、しかも同じ魔具が宿り続けるなど到底考えられない。


「私たちが生まれて間もない夜式の子に施す獣写しの呪い。そんなものは端から存在しない。あれは鵺を赤子に移植するための儀式さ」

「寄生型を摘出できるんですか?」


 少なくとも現代医療ではほぼ不可能だ。

 宿主が成長するにつれて、寄生型は高い確率で生命維持に必要不可欠な体の一部として機能するようになるからだ。

 もし無理に摘出しようとすれば、宿主の命は保証できない。


「うむ……特定の条件下であればな。じゃが魔術はそこまで万能じゃない。移植にしても同じさ。分割してやっと、命の安全を保障できる。それも生まれたばかりの赤子に限り、だがね」

「えっと……そもそもどうして鵺を移植をする必要があるんですか? それも夜式の人ばかり」

 レイナの根本的な問いに、久遠は少しだけ表情を陰らせる。

「その話をする前に、少し昔話をしようかの」


・3・


 今からおよそ1000年前。

 当時、神童と呼ばれた二人の魔術師がいた。


 一人は御巫本家の娘、御巫零火みかなぎれいか

 魔人シャルバの会話の中にも出た、最初の伊弉諾いざなぎの所有者だ。


 そしてもう一人は、夜式やじきカグラ。

 当時の夜式家の当主の次男にして、伊弉冉いざなみ最初の使い手。


「二人はこの世界に最初に生まれた魔道士ワーロック、アベル・クルトハルの眷属じゃった」

「最初のワーロック……」

 ユウトは思わず拳を握りしめていた。

 これまで自分を含め、シンジや神凪夜白、それにオーレリア。ワーロックは海上都市イースト・フロートを中心に生まれてきた。


 しかし、本来はこんなに連続的に誕生するような存在では決してない。


 伊弉冉の夢が生み出した無数の平行世界。その中で幾度となく人生シミュレーションを繰り返し、調整されてきたユウトたちはいわば裏技中の裏技。

 本来であれば、世界の誕生から終焉までの間にたった一人でも生まれれば上々だという。


「アベルについての記録はほとんどない。じゃが唯一残された零火様の手記によれば、魔具は本来、その者が所有する神話級の魔法を切り離して生まれたものらしい」

 ワーロックは無限の魔力を持つ他に、殺した対象の力を根こそぎ奪うという特性を持っている。本来一つしか持ちえない魔法を複数所持していても不思議はない。

「その一つが、鵺……」

「百獣混在の怪異――鵺は確かにこの地に存在した。怪異は想像力の化身。例え討ち滅ぼしても、人々の記憶に怖れがある限り何度でも生まれ変わる。だからこそアベルは鵺を討伐し、魔具へと転生させることで二度と復活せぬようにしたのじゃろう」

 この世に『鵺』という魔具の存在があり、それを認知させれば、その席は埋まった状態になる。いくら人々の記憶に鵺が残り続けても、その信仰・畏怖は全て魔具の方へと注がれ、新しい怪異が生まれることはない。


「じゃが鵺を形作る怨念は魔具になってもなお……強すぎた」

「暴走したんだな?」

 カインの言葉に、久遠は頷く。



「ああ。そしてその手引きをした者こそが、。この里の民が夜式を憎む理由を作った張本人さ」



「「!?」」

 一同、騒然とした。

「ちょっと待って!? 裏切り者ってワーロックの眷属なの!?」

「理由なぞ今となっては知りようもないが、カグラは自分の姉を依代にして鵺を覚醒させた。じゃが制御を失った鵺は本能のままに暴れ、結果、里に甚大な被害をもたらした」

 最後の部分は、ユウトが真紀那本人から聞いた話と一致する。だがあの時、彼女の口から鵺の名は一切出てこなかった。

(鵺の存在だけはずっと秘匿されていた? なら今の物憑きへの迫害は、事件の核心を失って噂に尾ひれがついた結果なのか?)


「その後、カグラの足取りはただの一度も掴めておらん。奴は伊弉冉を持ち去って里から消えた」

「……」

 カインは自分の右腕に視線を移した。巡り巡ってその妖刀は今、彼の元にある。

「鵺はどうなったの?」

「零火様によって一度は鎮められたそうじゃ。しかし宿主を失ってもなお、鵺から生み出された魔物たちは自己増殖を続けた。親である鵺そのものを制御しない限り、災厄は終わらない。それに――」

 そこからはユウトにも推測できる。


「宿主を失った寄生型は、次の宿主を求めて移動する。そうなれば……」


 


「なるほど。お前らが鵺を継承し続けるのは」

「鵺を里の外に出さないため……」

「その通り……そしてその役目は、皮肉にも夜式にしか務まらなかった」


 一族の失態を拭うためというのももちろんだが、鵺の依代に夜式が選ばれた理由は他にある。それは彼らが持つ、他のどの一族よりも優れた才能。


 感応能力。


 強力な霊体をその身に宿し、制御する力。いわゆる神憑かみがかりだ。

 しかし夜式カグラの姉が制御できなかったように、いくら優れた感応能力を持つ夜式でも、たった一人に鵺を宿して制御することは限りなく不可能に近い。

 だから御巫はある決断を下した。


「それが夜式一族全員を使った、鵺の分割封印じゃ」

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