第24話 本当の役割 -No one knows truth without me-

・1・


 ――今からおよそ八時間前。午前一時を回った頃。


 ギィィっと軋むような音を立てて、石動邸最奥・不動の間の扉が開いた。

 耳障りなその音で、浅い眠りについていた御巫刹那の意識が覚醒する。


「……誰?」


 石動曹叡ではないことはすぐにわかった。

 身に纏う気配が全然違う。今まで感じたことのない類の気配。と言っても感覚的なもので説明するのは非常に難しいが、強いて言葉で表すのなら『音のない炎』……だろうか。


 恐ろしいほどに荒々しく、しかし恐ろしいほどに理性的。

 一切無駄がないのに、全てを備えている。


 一体どれだけの死線を越えればここまでの域に到達できるというのか?

 そもそも人間に成し得るのか?

 それはまさに、剣士の到達点と呼べるほどに洗練され尽くしていた。

 だから刃を交えなくても分かってしまう。

(……私じゃ、勝てない……)

 あまりにも果てしない自分との差に、もはや恐怖を感じるのも馬鹿馬鹿しい。


「ほう……そんな状態でも私との力量の差を理解できるか。……なるほど。伊弉諾いざなぎが気に入るのも納得がいく。君はかつての我が好敵手……御巫零火みかなぎれいかによく似ている」


 初老の男性の声。どこか懐かしんでいるような優しい口調。

 顔を上げてもひどい衰弱のせいで視界がぼやけて、男の顔はよく見えない。

「であればあるいは……」



 男がそう言った次の瞬間、刹那を縛る不壊の鎖が粉々に砕け散った。



「……ッ」

 拘束が解け、ドチャっと水っぽい音を立てて力なく倒れる刹那。

 男は手に持つ巨大な剣で仰ぐように、ゆっくりと何もない空間を一文字に斬る。その時生じた風圧は、刹那の全身を余すことなく駆け抜けた。


 そして、またしても信じられないことが起きた。


「……え?」

 気付けば彼女の体をあれだけ蝕んでいた禍払いの霊水は、まるで蒸発したように消え失せていたのだ。

(体が軽い。意識もはっきりしてる)

 刹那は自分を助けた男を見上げた。今度ははっきりと彼の姿を視認できる。


 灰色の肌に燕尾服を着た初老の男性。

 その手に持つ白き大剣が尋常ではないこともすぐに理解する。


「……私に、何をしたの?」

「ハッハッハッ。なに、老いぼれのちょっとしたお節介とでも思えばいい。此度のヤツの目的はこの地に巣くう『ぬえ』。それも大詰めに差し掛かった今、小娘一人逃がしたところで問題はあるまい」

 悪戯っぽい笑みを浮かべ、男は答える。

 口ではそう言っているが、まるで番狂わせを期待しているかのように。

「……鵺?」

「零火の末裔よ。あとは君次第だ。見事みごと己が刀を取り戻し、再び私の前に立ってみせろ。その時が来たら全身全霊でこの須佐之男スサノオでお相手しよう」

 そう言い残すと、男は踵を返した。

「待って!」

「期待しているよ。御巫刹那」

 刹那の静止に振り返らず、男は大剣で空間を斬り裂き、その奥へと消えていった。


・2・


「ってことがあったのよ」


 一度別れ、動きやすい服に着替えた刹那は、先ほどの部屋に戻ってユウトに石動邸を抜けるまでの経緯を説明した。

(ちなみに刹那の帰還を聞きつけ誰よりも早く飛んできた九条秤は、着替え中の彼女とばったり遭遇。過剰な刹那様成分摂取のため、今は鼻血を出して寝込んでいる)


「……須佐之男スサノオ。魔人が何で……」

 燕尾服の男。イギリスで遭遇した魔人の中にそのような容姿をした者がいた。名前は確か、シャルバだ。

「ユウト?」

 深刻そうに考え込んでいるユウトを見て、刹那は首を傾げる。

「あ、あぁそうだった。刹那は知らないんだよな」

 三年も話していないのだ。それも当然だろう。特に監禁されていたせいで、ここ最近の外の事情を彼女は全く知らないはずだ。

 ユウトは、自分がエクスピアに所属して世界中の魔具を集めていること。三ヶ月ほど前に現れた魔人の事。橘燕儀の容態。そして竜胆司が接触してきて、刹那の危機を伝えてくれたことなどを掻い摘んで説明することにした。


***


「そう。じゃああの男はあんたたちの敵ってわけね」

「あぁ。何で刹那を助けたのかはわからないけど……」


「そんなことよりアンタ、どうしてここに俺たちがいるってわかった?」


 突然、カインはそう尋ねてきた。どうやら彼は刹那を疑っているようだ。

 ここは明日の襲撃に備えて作られた臨時拠点。スパイとして抵抗派に潜り込んでいた神無月織江さえ知らない所を見ると、仲間内でも公にはされていないはずだ。

 なのにどうしてこの場所を突き止められたのか。先の神凪明羅の件もある。彼が疑うのももっともだ。


「別にあんたたちがいるなんて知らなかったわよ。私は森の中で不自然に人が集まってる場所を見に来ただけ」

「そうか、刹那なら……」

 刹那の答えに、ユウトと御巫久遠は納得した。

「私の魔法は雷を自在に操れる。体に流れている生体電気を探れば、一定の範囲にいる生物の位置はある程度把握できるわ」


 原則、魔法は『ルーンの腕輪』という特殊な魔力増幅装置がなければ、人間には扱うことができない。その理由は大きく分けて二つ。魔力の絶対量の不足。そして事象として目に見える形に変換コンバートするイメージを人間が備えていないからだ。


 しかし彼女はその枠には当てはまらない。

 御巫刹那は生まれながらに魔法を使える天性の素質を持っているのだ。雷を手足と変わらないレベルで操作することができる彼女の魔法は、単に攻撃として使えるだけに留まらず、防御、索敵、機械操作、肉体強化に至るまで、その用途は多岐にわたる。


「ていうか、あんたたちこそ誰よ?」

「わ、私たちは……ッ! えと……この人の部下っていうか。勝手にいなくなった隊長が心配で追いかけてきました!」

 刹那の問いに、レイナが割り込んで答えた。

「隊長って……。こんな可愛い子侍らせて……ユウト、あんたも随分偉くなったわね?」

「は、ハハハ……(何故だろう? 視線が痛い……)」

「……バカ」

 刹那はユウトに聞こえないくらい小さな声で、拗ねたようにそう呟いていた。



「隊長、それよりマキにゃんを助けないと!」

「あ、あぁ……でもその前に――」


 ユウトは振り向いて、未だ囲炉裏の前に座っている御巫久遠の前に立った。

「何はともあれよかったじゃないか。刹那と無事に再会できて」

「まだ何も解決していません。石動曹叡を倒して伊弉諾を取り返さない限り、刹那は何度でも人柱にされる」

「そうさね……里全体の事を考えるなら、私も永遠とわも、何度でも同じ決断を繰り返さなければならない。不本意ではあるけどね」

 その言葉に嘘はない。ユウトにはそれが分かる。


 だが嘘ではないだけで、


「石動曹叡の事は俺たちが何とかします。だから話してください」

「何をだい?」


「夜式真紀那……いや、彼女だけじゃない。夜式とぬえ、その関係について」


 久遠の問いにユウトははっきりと、確信を持って答える。

「おかしなことを言う。それはお前さんたちの領分ではないはずだろう?」

 ユウトの言葉に、囲炉裏の火を眺めていた久遠が顔を上げた。その表情はいつにも増して険しいものになっていた。


「誰に頼まれたからじゃない。これは俺自身の意思です」

 ユウトは久遠に一切怯むことなく続ける。

「例え石動曹叡を倒しても、もしあなたたちが同じ決断を繰り返すというのなら、あの子は……あの子の一族はこれからも笑顔になることはない」

「……」


「俺は夜式も見捨てない。この里に来て……そう決めた」


 この里に来て、ユウトはずっと違和感を感じていた。

 確かに夜式は里に仇なす大罪を犯したのかもしれない。しかしそれはあくまで大昔の話。それも真紀那の話によると一個人の犯行だ。

 そんなものを末代まで償わせても意味がない。ましてや数年前まで伊弉諾を求め、お家同士の抗争が常だったこの里が、裏切り者の一族を今日まで生かす理由を見つける方が難しい。

 もちろん竜胆司や御巫久遠の言葉に嘘はない。彼らの善意は本物だ。それはユウトの魔法――理想写しイデア・トレースに流れ込んでくる彼らの感情が証明している。

 だがその一方で、久遠が何かを隠しているのもまた事実だ。 


「ユウト……」

 刹那だけでなく、レイナやカインまで。ユウトの言葉を聞いて久遠を見つめている。

「お婆ちゃん。夜式の事は私も母様から聞いてるわ。お婆ちゃんが竜胆家と一緒になって、陰ながらあの子たちを保護いることも何となく予想はしてた」

 刹那もユウトの隣に立ち、祖母に向けるには少し厳しい目つきで問いただす。

「でも鵺は知らない。いったい何を隠しているの?」

「……知ったところで、お前には何もできないよ? むしろこの里の事を嫌いになるかもしれない。この私と同じように」

 ひどく重い溜息を付きながら、それでも聞きたいのかと、久遠は二人に覚悟を問う。

「……ッ」

 知りたい、とすぐに言い出せなかった刹那の手を、隣にいたユウトが優しく握った。

 ユウトと目が合った刹那は頷き、再び祖母に向き直る。

「覚悟の上よ」

 その強い意志を宿す瞳に今度こそ観念したのか、久遠は立ち上がった。


「……はぁ。ま、鵺の名が出た時点で隠しきれるわけないね。仕方がない。話すよ。夜式が犯した罪。そして今の夜式のについて」

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