行間1-1 -囚われの花嫁-

・1・


 里の北部にある竹林地帯。その最奥に石動いするぎ邸はある。

 結界で全域を覆われている里と同じように、この森自体にも複数の魔術による結界が張られている。

 目的は外部との隔絶。


「……、……」


 そんな石動邸のさらに奥。

 不動の間と呼ばれる、当主のみが入ることを許された精神の鍛練場が存在する。

 中には何もない。板張りの壁や床のみで構成された薄暗い無音の空間だ。

 名立たる代々の当主たちは、この場所で三日三晩瞑想をすることで鋼の精神を養ってきた。


 そんな音のない場所で、水が滴り落ちる音が響いた。


「……ん……」


 白装束に身を包んだ御巫刹那は、頭からバケツの水を浴びたように全身びしょ濡れのまま目を覚ました。

「……私、どれくらい……」

 自分がどれくらい気を失っていたのか――見当もつかない。

 光源が蝋燭の光のみのこの部屋からは、外の様子を知ることは不可能。今の今まで意識を失っていたこともあり、完全に時間の感覚は狂っていた。

「……」

 脱力しきった体に力が戻ると、ジャラジャラと金属がこすれる音が鳴り響く。音の正体は部屋の四方から伸びた頑強な鎖だ。鉄鎖が刹那の両腕両足を縛り、部屋の中央に彼女を拘束しているのだ。

 後ろで結んでいた髪は解け、解放された長い髪が肌にべったりと張り付いて気持ち悪い。汗なのか、それとも水なのか。刹那の喉をスーッとそれは艶めかしく伝う。



「よう刹那ぁー。今日も元気にしてたかぁ?」



 その時、外界から閉ざされていた不動の間の重い扉が音を立てて開いた。

 自らの手中に収めた刹那を見て満足顔の石動曹叡は、ゆっくりと室内に足を踏み入れる。

 そしてもう一人。人の形で顕現した伊弉諾いざなぎ本人が、彼に付き従うように無言で扉をくぐった。


「……」

「おぉこわっ」


 まるでお前のような男と口を利くつもりはない。未だ気高さを失わない刹那の瞳はそう語っている。曹叡が一歩、こちらに近づく度に、彼女の眼光に刃のような切れ味が宿っていった。


「いい場所だろう? ここ。ガキの頃はよく放り込まれたもんさ。半ば監禁状態で丸一日な。ククク……だが今やお前を俺色に染め上げるためだけの調教部屋だ。安心しろ。本家の連中は今頃、お前が花嫁修業の真っ最中だと思い込んでる」

「……この……下衆野郎……」


 小さく……掠れた声で呻く刹那。

 それを聞き逃さなかった曹叡の唇は歪む。折れない心。未だ健在のその反抗的な姿勢を楽しんでいるかのように。

「どんなに硬い刃でも、叩き続ければいずれは折れる。強ければ強いほど、甘美な音を奏でてな」

 薄暗い光。そして濡れた肌にぴったりと張り付いた衣服や長髪が、豊満な肉体に煽情的な彩を与える。刹那を見下ろす曹叡の手が、彼女の胸部に伸びたのは当然のことだった。

 だがその時、


 バチィッッッッッ!!


 甲高い音と共に、青白い閃光が二人の間に割って入った。

 刹那が操る雷の魔法だ。

「チッ……まだ魔力が残ってやがるのか」

 稲妻は彼女を守るように空を切り裂く。それは卑しい男の魔の手から己を守る最後の砦だった。

「だが――」

 なおのこと曹叡は笑う。


 次の瞬間、青き雷槍が狂ったように暴れだした。


「あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」


 もがき苦しむ刹那。

 体は痙攣したように小刻みに震え、これまでにないほど鎖がジャラジャラと派手な音を奏でる。

「ハハハハハ!!」

 乱れる雷がその勢いを失うと、ガクッと刹那の体から一気に力が抜けた。

「どうだ? 禍払いの霊水の味は!?」

「う……ッ……」

 刹那の服を濡らすこの水は、ただの水ではない。

 文字通り魔を払う聖水である。

 彼女の魔力に反応し、必要以上にそれを引き出す。いや、搾り出しているのだ。まるで脱水作用を持つ塩のように、その身に宿る魔力が空になるまで無慈悲にそれは続く。

 水滴が一つ零れ落ちる度に、刹那は自分の精神が削り取られていく感覚に襲われる。

「まぁいいさ。お楽しみは後に取っておこう。もう三日もすればお前は正式に俺のものになる。その時には空っぽになったお前をこの俺が存分に満たしてやるよ」

 得意げにそう言った曹叡は新たな霊水を刹那の頭からかけ流して、不動の間から出て行った。




「生憎……こっちはあんたなんかに興味はないのよ……」

 完全に閉じた扉へ向かって吐き捨てるように、刹那は呻く。

 そして彼にも。


「あんたも……なんとか言いなさいよ。伊弉諾」


 急激に魔力を搾り出され今にも気を失いそうな刹那は、霞む眼で傍に立っているかつての相棒に声を投げかけた。

「……」

 金色と緋色の瞳を持つ少年は、暗い表情のまま立ち尽くす。


「余を恨め……今回ばかりはどうにもならぬ」


 ようやく結んでいた口を開いた伊弉諾は、囚われの花嫁を憐れむかのようにただ一言そう告げることしかできなかった。


・2・


「き・ち・くー♪」


 石動曹叡が不動の間の扉を閉めると、入れ替わるように壁に寄りかかっていた赤毛の少女が姿を現す。

「お前か……ここには来るなと言っておいたはずだが?」


「えーいいじゃんか別にー。あんたクライアントの行く末を観察するのも、私らの仕事なんだしさ♪」


 黒のマリンキャップに右半身を埋め尽くす刺青。水着のようなパンクな服装が特徴的な少女――神凪明羅かんなぎあきらは当然の権利だとでもいうように主張する。


「それよりどうさ調子の方は?」

 明羅は無遠慮に曹叡の体を触っていく。曹叡自身も不満そうな顔をするだけで、彼女に身を任せていた。

「フムフムフム……ホ~」

 先に断っておくと、明羅には曹叡という男に対する興味など微塵もない。興味があるのは彼にだ。


「オッケー♪ 明羅が提供した疑似神格ちゃんはちゃんと定着してるしてる♪」


 明羅は曹叡の胸に埋め込まれたクリスタルのような、輝く鉱石をなぞるように撫でた。

 疑似神格。これが全ての元凶。

 落ちこぼれも同然だった曹叡が刹那をも上回る適合を成し遂げ、伊弉諾を手にした。それを可能にしたのは、神さえも誤認させる異端の術式システム


「こんなのはまだ始まりにすぎない」


 曹叡は密着する明羅を払い、自らの野望に瞳をギラつかせる。


「俺はこの里に変革をもたらす存在。古き体制を排して、純粋な力でもってこの国を支配する」


 力は手に入れた。誰であろうと跪かせる圧倒的な神の力だ。

 分家だ国家の陰だと、一生日の目を見ることのない裏方で終わるなんてありえない。その気になれば、御巫の力はこの日本という国さえ容易に落とすことができるというのに。


 君臨すること。

 それが石動曹叡という男の膨れ上がった欲望の形。


「ま、明羅はデータが取れれば何でもいいけどさ」

 やることが終わった明羅はくるりと回れ右をして、興味なさげに不動の間を去る。

「あ……」

 しかしふと、彼女は足を止めた。

「どうした?」




「……吉野ユウト」




 思い出したように、明羅はとある男の名を口にする。

「来てるよ、この里に。そこのお姉さんのオ・モ・イ・ビ・ト♡」

 それはまるで悪魔の囁きのように。


「殺しちゃえば今度こそ、ポッキリ折れちゃうかもねー」


 少女はただの一言で、曹叡の心にまた一つ新たな欲望の種火を植え付ける。

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