第15話 物憑き -Stray cat-

・1・


 孤児院を後にし、自分を迎えに来たと言う少女の背中を追うユウト。


「えっと、君は」

夜式真紀那やじきまきなです」


 真紀那は振り返ることなく名乗った。


「その服、学生なのかい?」

「高校一年生です」

「……」


 会話が膨らまない。全ての回答が一言で完結するからだ。

 その後それ以上の会話はなく、ユウトは黙って真紀那の横に並んだ。彼女は一度ユウトを見上げたが、歩を緩めることはなく、すぐに前を向いた。

 歩くたびに、彼女の黒い艶やかな長髪が揺れる。時折覗かせる横顔は、どこか刹那を彷彿とさせる。目の感じなんて彼女にそっくりだ。

 夜式やじき。彼女もまた御巫の分家。それも孤児だった織江とは違い、本家の血を引いているのかもしれない。



 程なくして二人は人のいる道に出た。

 しかし、ユウトはそこである違和感に気付いて足を止める。

「あれ? こんな道……」

 ほんの僅か前のことだ。忘れるわけがない。


 孤児院に至るまでに、


 孤児院までは一本道で、周りはただ田んぼが広がるだけの場所だったはずだ。それが今や古風な住居が立ち並ぶ大通りへと様変わりしている。

「御巫の里に入りました」

(……魔術)

 個の奇蹟を具現化する魔法とは違う。万人が扱える異能の体系。

 ユウトは今それを目の当たりにした。

 道すがら聞いた真紀那の話によると、御巫の里は見る者の認識を阻害する結界でその全土を覆われているらしく、主に里が持つ表に出せない魔術的物品や禁書の管理。それらを狙う国内外の賊を寄せ付けない役割も担っているのだそうだ。


(衛星写真で森が見えたのは、俺たちが画面越しから『見た』からか)


 ふと周りを見渡すと、里の住人が生活の中で普通に魔術を行使している姿が見えてくる。

 火を起こす者。

 式神を操り重い荷物を運搬する者。

 見たこともない怪しい物品を売っている者。

 刹那のように刀を所持している剣士風の者さえいた。

 一見すると、古風な風景も相まって時代劇の舞台に迷い込んだのではないかと勘違いしてしまいそうだ。

「ここが……」

 千年以上もの間、魔術と共に生きた日本の裏側。そして日本とは全くの別世界。

 それがこの御巫の里という場所なのだ。


「こちらです」


 真紀那が白い石造りの壁を右に曲がろうとしたとき、何かにぶつかったのか、彼女は尻もちをついて倒れた。


「お、おい大丈……こいつ、物憑ものつきじゃないか!」


 ぶつかった男グループの一人は最初は優しそうな面持ちだったのに、真紀那のを見て態度を一変させた。



「猫、耳……?」



 ユウトも自分の目を疑った。

 帽子を落とした彼女の頭部には黒い猫のような耳がついており、スカートの中からは尻尾が覗いていたのだ。

「……ッ!」

 真紀那はすぐに帽子を手繰り寄せ、まるでその耳を隠すように頭に押し付ける。

 だがもう遅かった。

「この……よくも堂々と里を歩けるな! いったい何様だッ!?」

 ぶつかった男は急に激昂し、膝をついたままの真紀那を容赦なく蹴りつけた。

「う……ッ……」

 受け身もろくに取れず地面に転がる彼女に追い打ちをかけるように、後ろにいた残り二人もその表情に明確な敵意を露わにして、彼女に迫る。

「……ッ」

 真紀那は思いっきり目を瞑って、まもなく訪れる激痛に備えて体を強張らせた。


「……え?」


 しかしその時が訪れることはなかった。


「な、何だ貴様は!?」

「何やってんだ!? 相手は子供だぞ!」


 両手を広げたユウトが真紀那を守るように立ち塞がったのだ。

 男たちはユウトの身なりを見ると、

「見ない顔だな。貴様、里の人間ではないな? どうやって入り込んだ!?」

 今度はユウトに敵意を向け、腰に差した刀に手をかける。

(……ッ、やるしかないのか)

 ユウトも左腕に理想写しイデア・トレースの籠手を展開する。相手が武器を使うのなら、これを使うしかない。ましてや魔術も心得ているのなら猶更だ。

「だ……ダメですッ!」

 真紀那がユウトを止めようとしたその時――


「そこまでにしな」


「「「!?」」」

 声が文字通りの重圧となって、全員に降り注いだ。

(なんだ、この力……)

 ぶつかってきた男たちのように膝を付くことはなかったが、まるで足に大きな杭でも打たれたかのような感覚にユウトは苦悶する。


「まったく。妙な魔力を感じて来てみれば」


 声の主はユウトの後ろにいた。

「……久遠くおんさま」

 真紀那は恐る恐る、頭を下げて彼女の名を口にした。ぶつかってきた男たちも同様にだ。

 カタカタと車輪の音が妙に鳴り響く。まるでそれ以外の音を許さないとでもいうように。

 現れたのは、式神が引く人力車に腰かけた老婆だった。

「ほう。お前さんが」

「?」

 ユウトを見下ろす老婆。

 感情が読めない底なしの瞳。気を抜けば一瞬で心が奪われそうになる。

「この男は客人だよ」

「ですが……!」

「儂に異を唱えるのかい? 若造」

「……し、失礼いたしました」

「さぁ散った散った。これは相談役としての命令だよ」

 断る権利は男たちにはない。柄から手を離した男たちはユウトの横を抜け、去っていく。

 だが、


「裏切り者の末裔が……」


 男の一人が真紀那の横を通る際、小さく吐き捨てるようにそう呟いていた。


***


「助けていただいたこと、感謝します」

 男たちが完全に見えなくなった後、ユウトは老婆――御巫久遠みかなぎくおんに頭を下げた。


「お前さんがうちの大事な孫娘とを交わした魔道士ワーロックだね?」


「……ッ!? いや、それは……ッ」

 いきなり飛び込んできた「契り」というワードに反応して、ユウトは顔を少しだけ熱くして言葉を詰まらせる。

「……ん? 今、孫娘って――」

 だがそんなユウトなどお構いなしに、老婆は今度は真紀那に声をかける。

「夜式の娘よ。少々軽率だったね。屋敷の道中とはいえ、ここにお前さんがいることを良く思わない連中は多い」

「……申し訳ございません」

 彼女は未だに頭を下げ続けていた。

「……まぁいいさ。しっかりと務めを果たすんだよ」

「はい」

 まるで確認するようにそれだけ言い残すと、久遠は式神に命令してその場を去っていった。


「怪我はないか?」

 ユウトは地面に額を押し当てたままの真紀那に手を差し伸べた。

「いえ……いつものことなので」

 しかし彼女はその手を取ることはなく、静かに立ち上がる。蹴られた際に地面で擦りむいた傷口からは、ジワジワと血が滲み出ていた。

(いつもって……)


 あんな仕打ちが、彼女の日常だというのか?


 人間扱いなどされていなかった。まるでああすることが正当化されているとでもいうように。

 圧倒的なまでの理不尽。

 なのにどうしてそんな平気な顔でいられるのか。どうして泣かないのか。何より彼女が一度として抵抗する素振りを見せなかったことがユウトは気になっていた。

 しかし心を閉ざした彼女に、今はこれ以上掛ける言葉が見つからない。


 真紀那は服や髪、額に付いた土を軽く叩くと、ユウトの後ろを指さした。

「あそこが竜胆様のお屋敷です」

 彼女の指した方向。そこには確かに厳かな大きな門が見える。

「……竜胆、司」

 まずは彼から話を聞かなければならない。


 ここは日本であって、その範疇にはない。


 自分が思っている以上に、この場所のことを何一つ理解していない。

 それを再認識したユウトは、屋敷の入り口を目指す。


・2・

 

『どうだった? 最高時速7000キロオーバーの空の旅は』

「……もう……乗りたくないです……」


 通信越しに聞こえてくる神凪夜白の声に、レイナ・バーンズはぐったりとした調子で答えた。

 カインとレイナの二人は、すでに日本の関西国際空港に到着していた。

 エクスピアが所有する超音速ジェット機を使って、イギリスからたったの一時間半。常識外れの早さだが、飛行中の機内もまた常識外れだった。

 というのも宇宙飛行士もびっくりの過剰すぎる耐Gスーツでまともに身動きは取れず、機内は耳が痛くなるほどの爆音で埋め尽くされる。環境だけでも最悪なのに、120%の対策を講じてもなお体にかかる負荷は相当なもので、乗り切るにはただひたすらに耐えるしかないときた。

 まさに地獄以外の何物でもない拷問飛行。短いはずの一時間も途方もなく長く感じる。


「だらしねぇ。いつもスレイプニールで馬鹿みたいに飛んでるだろ?」

『あのジェットはレイナ君の魔具アストラを解析して設計したものでね。でも恥ずかしい話、最高瞬間速度は君の方が上だよ?』

「自分で飛ぶのとあれじゃあ全然違うんです!!」

 レイナは何でもないように言う二人の言葉を全力で否定した。

「ていうかなんでカイン君は平気なの!?」

 彼女の言葉は横において、カインは左手で端末を展開した。立体的に開かれたマップを見ながら、目的のポイントを確認する。

「まずは空港を出るか」


「まさかの無視!? ……あれ? そういえば私たち、無事に出られるの?」


 レイナは主にカインを見ながらそう呟いた。

 彼女の魔具は待機状態のメモリーにすれば問題はないかもしれないが、カインの場合は違う。

 背中に大剣型。懐にはリボルバー型の神機ライズギア。おまけに包帯で隠してはいるが、怪しさ満点の人外の右腕。

「…………」


 完全にアウトだ。


 どう見てもこの日本という国に喧嘩売っているようにしか見えない。こんな恰好では確実に保安検査場で引っかかる。そして同じ制服を着ているレイナも間違いなく疑われるだろう。

『ハハ、心配しなくてももう手配してるよ』

「はぁ~、よかった」

 夜白の気配りにレイナはほっと胸を撫で下ろした。

「相変わらず怖いくらい抜け目がねぇな」

 一見親切に見えるが、まるで気付かぬうちに掌で踊らされているようなこの感覚。カインがこの神凪夜白という女を警戒視する理由の一つだ。

『誉め言葉として受け取っておくよ』

 皮肉をスルリと躱し、彼女は続けた。


『君たちにはまず、現地のエージェントと合流してもらう。車で指定のポイントまで運んでもらったら、後は君たち次第だ。何とかユウト君を見つけてくれ』


 その言葉に、置いて行かれた彼の部下二人は頷くのだった。

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