第11話 奇蹟を呪う者 -Cursed Angel-

・1・


「さて、ザリクと言ったかな? どうだろう。僕たちと話し合う気はないかい?」

 神凪夜白はあくまでにこやかに、戦いを傍観していたザリクに提案した。

 しかし、

「愚問だな」

 向こうにその気はなさそうだ。だがすぐに襲ってこない所を見ると、やはりユウトの蒼眼の魔道士としての魔力が、彼女にとっては毒のような作用を与えているのは間違いないようだ。

「見たところ貴様もワーロックのようだな。驕りだな……今代には奇蹟が溢れすぎている」

「……奇蹟?」

 奇蹟――単なる偶然。運命。魔法、魔術、呪術といった世界の真理。人の身で神格を持つワーロックだって奇蹟の権化と言える。一体彼女の言う奇蹟とは何を指しているのか。

 その言葉にこそザリクは最大級の憎しみを込めているように感じた。


「ヴェンディダードの魔人。君たちの目的は0次元への回帰……つまりだね?」


「……ッ、ほう……聡いな。すでにそこまで見えているのか」

 無表情だったザリクの表情がわずかに変化した。

「全てじゃないさ。むしろわからないことの方が多い。人が築いた文明も。世界が組み立てたシステムも。全部なかったことにして何の意味がある?」

 0次元。

 まだあらゆる概念が存在しない、星が生まれた状態――白紙の世界だ。

 今の世界を一つのキャンパスで表すならば、生命はこれに思い思いに色を付け、塗り潰し、淘汰してきた。それは自然の流れであり、その延長線上に今の人類がある。

「人間を滅ぼしたいなら、君がその手でやった方が格段に早い。違うかい?」

 わざわざ白紙にせずとも、その手で再び塗り潰してしまえばいい。

 星を堕とすほどの力を備えた彼女だ。その気になれば一日とかからないはずだ。

「話したところで貴様らには到底理解できはしない。奇蹟を信奉する貴様ら人間にはな」

 だいぶ持ち直したのか、ザリクの声に力が戻ってきた。

 同時に、レイナは夜白の前に出る。すでに彼女の両足には魔具スレイプニールが展開されていた。

「博士」

「牽制だけでいいよ。弱っているとはいえ、あのインドラを使われると厄介だ。戦闘よりも、できればもう少し情報を引き出したい」

「はい」

 夜白の言葉に、レイナは振り返らずに静かに了承した。いつでも動けるように構えは解かず、全神経を魔人の一挙手一投足に注いで。


「君は、奇蹟を憎んでいるのかい?」

「奇蹟は……呪いだ」

「呪い?」

「そうだ、理由なき呪いだ! 一度でも縋れば逆らうことは許されず、否定された者は永遠に救われることはない。私がその証明だ!!」

 ジャラジャラと、ザリクの身を覆っていた――否、封印していた鎖が音を立てて解け始めた。


「そんなに知りたければその身に刻んでやろう。不条理という名の奇蹟のろいの味を!!」


「「!?」」

 最初の鎖が地面に堕ちたその時、夜白とレイナは同時に膝を付いた。


 


 いや、本当に止まった。ほんのコンマ数秒。間違いない。

 何が起こったのかわからない。けど確実に死が頬を撫でたことだけははっきりと理解できる。何重にも張り巡らされた夜白の魔力障壁など何の意味も介さないほどの不条理だ。

「いったい……何を……」

「どうした? 私が何かしたように見えるのか?」

「……くっ」

 何もしてない。これは――


 理由のない『死』だ。


 理解不能。

(魔法じゃない……これが、彼女の……)

 これが彼女の、外理きせきの正体。

(あの鎖で抑えていたのか)

 これ以上はまずい。今の一瞬で頭をよぎった推測。夜白のそれが正しければ、誰も抗うことはできない。

 二本目。ザリクは黒鎖に手をかけた。

「させないッ!」


 だがレイナの俊足より先に、ザリクの手を取った者がいた。


・2・


「どうかそこまでにされよ。その力を使えば、あなたはまた一人になられてしまう」


 それは少女を気遣う優しい声。漆黒の燕尾服に身を包んだ初老の男性が、かしずくように彼女の手を取っていた。


「…………シャルバ」


「新手か」

 一切の気配なく現れた男の名はシャルバ。三人目の魔人だ。

「それにいくら我らが魔人とて、死んでしまいます」

 ハッハッハと冗談のように笑う男性。その笑顔の前にザリクは折れたのか、小さくため息を吐いた。

「いい。お前の言う通りだ」

 落ち着きを取り戻したザリクの隻眼は、タウルと戦うユウトたちの方を向いた。

「あちらも頃合いか。タウル!!」

「チッ、あいよ」

 ザリクの一声で、タウルは彼女の元まで跳躍した。

「随分楽しそうに見えるな、若造よ」

 シャルバはタウルの表情を見てそう言った。

「生きてやがったかクソじじい。フッ、いやなに……この時代でもいい獲物を見つけたってだけだ」

「ほほう……それは良き時代だ。私もぜひそのような好敵手と巡り合いたいものだよ」

 そう言って、シャルバは次元の割れ目から巨大な両刃の大剣を取り出した。

「ッ!?」

 その大剣を見て、ユウトは思わず目を見開いた。

 何となくだが、剣の発するオーラが御巫刹那みかなぎせつな伊弉諾いざなぎに似ているような気がしたからだ。

 いや、それよりもさらに――

「おや蒼眼の。この須佐之男スサノオに興味がおありかな?」

「須佐之男、だと……」

「無駄話はそこまでだ。行くぞ」

「仰せのままに」

 ザリクに釘を刺されたシャルバは大剣を横一文字に振る。その所作はあまりにも美しすぎて見入ってしまうほどだった。

 遅れて景色が裂け、穴が穿たれた。夜白のネメシスと同じように『道』を開いたのだ。

 タウルに続きシャルバもどこかへと通じるその穴を通る。

 そしてザリク。

 去り際に、彼女は振り向いてこう宣言した。


「この世界は失敗作だ。奇蹟が……貴様らの理想がそうさせた。故に我らの目的は世界の再編。何が神だ。何がカーマだ。そんなものは不要! 私はこの世界を破壊し、あるべき新たな土壌を創り上げる。人の総意がどれほど氾濫しようとも決して動じない、を!」


 途方もない年月が流れようが、魔人の野望は何一つ錆付いていない。

 彼女は神を否定し、そのきせきを不要と断じる。

 それは華奢な女の子が紡ぐ言葉にしては、あまりにも憎しみに満ち溢れていた。

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