第7話 守る背中 -Great soul-

・1・


 上空には魔女がいた。


 先端の尖った鍔広の帽子に、左目を覆う眼帯。罪人のように黒い鎖を体に巻き付けた灰色の肌をした魔女――いや、おそらく彼女も魔人だ。


「チッ……ザリク、いたのか」

「フッ、久しいなタウル。目覚めて早々暴れるとは実にお前らしい。探す手間が省けた」

 ザリクと呼ばれた少女の魔人は、焔の魔人タウルの側にゆっくりと舞い降りる。

「……魔人が、二人」

 ユウトは呻く。身を焼き尽くす熱は消えたにも拘らず、体はまだ無意味な消耗を強いられる。他ならぬあの少女の存在がそうさせていた。


『Bullet Dupe ... Mix!!』


 ユウトの掌に収束する魔力球。それが七つに分裂し、魔人たちに向かって飛ぶ。

 魔人の隻眼がユウトを捉えたその瞬間――

「……!!」

 まるで心臓を掴まれたような悪寒がユウトの背中を駆け抜けた。

 直後、魔人に衝突するはずだった魔法は、彼らの体にことごとく吸収されてしまった。

「魔法を、吸収した!?」

 まるで植物が水を得るように。ユウトの魔力が彼らの力へと変換されていく。

「この上質な魔力。ワーロック……ドルジが腕輪を使って生み出したのか」

「腕輪……ルーンの腕輪のことか!?」

 ザリクはユウトの言葉に応えない。その代わりに、今度は彼女の指先に眩い光が収束し始めた。

(まずい……ッ!!)

 ユウトは素早くカインとレイナの前に移動し、盾の魔法を発動させる。


『Defender』


 直後、光は熱線となって三人に襲い掛かった。

「ぐ……ッ!」

 規格外の熱さ。破格の重さ。

 その一撃は何もかもが埒外すぎた。


 だが、


 服がちぎれ、血が滲み、足が震えても、ユウトは決して膝をつかない。背後にいる二人を守るために。

「チッ……」

 カインは右腕を唸らせる。巨大な第三の光の腕を出現させ、ユウトの盾を後ろから後押しした。

「助かる」

「いいからそのまま踏ん張ってろ! 死ぬぞ!」

 力を合わせ、徐々にユウトたちは熱線を押し返していく。

「……あたしも、何か」

 だがレイナのスレイプニールでは助力にならない。それを一番よくわかっている彼女は血が滲むほど拳を握っていた。


「ほう。万物を灰燼と化すインドラの光を耐えるか。たがこれはどうかな?」

「……ッ、冗談だろ」


 カインは目を見開いた。

 ザリクの左手から、さらなる巨大なエネルギーの塊が出現したのだ。

 空を塗り潰す極光。それはまるで破滅を告げる彗星のようだった。


『Unlimited』


 ユウトも対抗する。

 その両の瞳が赤く輝き、限界という言葉の外に君臨する超越者ワーロックの力に、後ろにいたカインとレイナは戦慄する。


『Overdrive!!!!』


 だがそれさえ嘲笑うかのように、禍々しい光は全てを圧し潰していく。


・2・


 暗い。

 水底にゆっくりと堕ちて行くような脱力感。


「……」


 最後に見たのは、吉野ユウトという男の背中だった。

 空から迫る赫々たる彗星から、自分とレイナを守ろうとする彼の背中だ。


(俺は……)


 屈辱だ。心にあるのはただそんな感情だった。

 生まれた時からこの身と共にあった黒く醜い右腕。

 当然、迫害の対象となったカインにとって、唯一信じられるものは『力』だった。


 自分自身を守るための圧倒的な力。


 大前提として、吉野ユウトとカイン・ストラーダは対極にある。

 だから彼はユウトのことが気に食わなかった。

 確かな力を持っているにも拘らず、それを他人のために使うなどと大真面目に言える彼のことが。

 力は自分を守るための道具。このクソッタレの世界で生き抜くための絶対条件だ。そんな世界でずっと生きてきた自分が、彼に届かないことが屈辱だった。

 何より、彼に救われた自分自身が許せない。


(……冗談じゃねぇ)


 力だ。もっと力が欲しい。

 一体自分の何が彼に劣っているというのか?

 生きるために、必死で足掻いて足掻いて足掻いて……足掻き抜いた。

 何が足りない? 何があの男を強者たらしめる?

 吉野ユウトの綺麗事を借りるなら、人は大切なもののため、仲間のためならどこまでも強くなれるという。


 上等だ。


 そんなくだらないものでさえ血肉と変えられるのなら、今まで包んできた自分の殻なんていくらでも捨ててやる。

 自分に力がなかったから。そんな後悔だけは死んでも御免だ。何より――


「クソッタレが……何から何までおいしい所を持って行かれてたまるかよ!」


 かっこ悪い自分で終わらせるつもりはない。

 全身を侵食する冷たい感覚の中で、カインの右腕に熱い血が滾る。

 力を手に入れて、守る――超えてみせる。

 そう誓った時、体の中で縦横無尽に暴れまわる理解不能の感情が慣れ親しんだ怒りへと転じ、カイン・ストラーダの意識は現実に押し上げられた。


・3・


 何の役にも立てなかった。


 レイナ・バーンズは静かに涙を堪えながら、病室のベッドで眠るカインの横に座っていた。

 幸い、というか奇跡的に大したケガはない。あの極熱地獄にあってその程度で済んだのは、間違いなく隊長である吉野ユウトのおかげだ。彼は終始、自分のことを気に掛けてくれていた。

 それが……情けない。


「ダメよ私……」

 自分の頬を思いっきり叩き、彼女は今一度自分の原点に想いを馳せる。


 幻の中にあり、科学の最奥を修めた海に浮かぶ都市。

 イースト・フロート。

 

 そう。彼女も伊弉冉事変の被害者だったのだ。


 あの日、理想を絵に描いたような未来都市が一転、地獄と化した。

 人々は狂ったようにルーンの腕輪の魔法で終わりなき魔獣との戦いに明け暮れ、その度に多くの人間が血を流した。

 憎しみという熱と力に溺れた悦楽の響き。

 人と獣の境界線が消えた時間。

 忘れたくても忘れられない。

 彼女は何もできなかった。当然、その当時腕輪は持っていたが、


 足が、動かなかった。


 一歩でも前に足を踏み出せば、自分もああなってしまうのかと恐れたから。

 戦う勇気もなければ逃げ道もない。せめて勇気だけでも持ち合わせていれば、狂って楽になれたかもしれない。

 戦場で戦士になれなかった彼女に、居場所はどこにもなかった。


 そんな時だ。レイナは


 見たところその少年は自分より2~3は年上。横顔しか見えなかったが、蒼い眼と銀の髪が特徴的だったことだけはよく覚えている。

 彼が剣を一振りしただけで、怖い魔獣は一掃された。人を狂わせる『魔法』という恐ろしい力。けど何故か、彼の魔法からはその恐怖を感じなかった。

 むしろとても暖かく、力強い。

 その背中は、レイナにとって絶望の中を生き抜くための唯一のしるべとなった。

 だから祝伊紗那の病室で、あの時の少年が吉野ユウトだと知った時は本当に驚いた。ずっと背中を追い続けた大恩人がすぐ目の前にいたのだから当前だ。

 そして、その彼にレイナはまた救われた。


「私、まるで成長してない……」


 きっとあの邂逅は単なる偶然で。

 きっと彼は誰であっても同じように助けていた。

 吉野ユウトはおそらくそういう人間だ。

 胸に宿るこの熱い、言葉にできない感情。

 恋心とは少し違う。その背中に追いつきたい衝動。


 これはそう――憧れだ。


 レイナ・バーンズは吉野ユウトに憧れて、この道を選んだのだ。

 誰かを守れる側に立つ、強い自分になるために。

 ならこんなところで蹲ってなんていられない。涙はもう止まっていた。


「負けない……私は、あの人みたいに!」

「だったらさっさと行くぞ」

「カ、カイン君!?」


 突然の不意打ちにびっくりしたレイナは思わず椅子から飛び上がった。恥ずかしい独り言を聞かれていたのではないかと気が気ではない。

 いつの間にか彼は目を覚ましていた。ひどく仏頂面なのは……いつも通りだ。

「……うん!!」

 けれどその目を見て、レイナは迷わず頷いた。


 だってそう。


 形は違えど――


 想いは同じだったから。

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