第2話 異形の右腕 -Deus Eater-

・1・


「うあ……ッ!」


 イスカの小さな体躯がまた宙を舞う。そしてすぐに重力が彼女を地面へと勢いよく叩きつけた。


『どうシタ? 毛ほどモきかンゾ』


 山羊頭のネフィリムの表情が不気味に歪む。嗤っているのか、獲物をいたぶるのを楽しむように、ギリギリと低い唸り声をあげた。

「……強い」

 全身を這う鈍い痛みに呻き声をあげるイスカ。

 彼女が弱いのではない。彼女の体の中にあるナノマシンは驚異的な再生能力を宿主に付与する。その再生力で幾度となく鍛え上げられた筋力は魔獣を素手で引き千切るほどだ。

 故にこの差は相手にある。ただ暴れるだけで戦況が容易に傾くほどの圧倒的な力をこの化け物は有しているのだ。


「イスカちゃん! ……くそッ!」


 今度こそイスカでは手に負えないと判断した冬馬は、ネビロスリングを装着した。

「……ッ! トーマ、ダメ」

 イスカが手を伸ばしたその時――



 ドガシャアアアン!!



 ガラスが割れ、鉄が押し潰されスクラップになる音がした。

「「!!」」

 イスカでも、ましてや冬馬でもない。

 どこからともなく表れた銀色のバンが弾丸のような速度で山羊頭にめり込み、右腕に包帯を巻いた青年が中からドアをけ破って飛び出したのだ。


『グ、っ……!?』

「その醜い顔を整形してやるよ」


 涼しい顔で着地した彼は被ったフードを払い、リボルバーの引き金を引く。狙いは車体下部のガソリンタンク。そこから極小の火花が散り、そして次の瞬間それは餌を得たようにネフィリムの全身を覆うほどの鮮やかな爆炎へと急成長した。


『小癪ナ!!』


 だが、ネフィリムは健在だった。顔の半分が焼け爛れ、肉が露わになっているが、ダメージ自体はさほど大したものではなさそうだ。

「ちょっとはハンサムになったんじゃねぇか?」

『減らズ口ヲ。数多ノ猛者を喰ライ魔王ト呼ばレタこの我を――』

「ここは人間様の領域だ。暴れるならちゃんとショバ代払え」

 カインがそう言うと、ネフィリムは手にした大斧を大きく振り上げた。

『死ネ!!』

 振り下ろされる死。だがカインは冷静だった。人間ごときの体で、この巨大な斧を防ぎきれるのか。そんな疑問すら抱かない。

 彼にとってこんなもの、何の脅威でもない。


(……遅ぇ)


 慌てず、よく見て、カインは背中に背負った灰色の刃に金の装飾が施された大剣――神機ライズギアトリムルトを左腕で掴み、突きを繰り出す。

 剣先と斧刃がぶつかった衝撃で、周囲の空気が震えた。カインはそのまま片手でネフィリムの斧を弾き飛ばした。


『何ッ!?』


 敵は次に両手で巨斧を地面に叩きつけてくる。当然だが、一度でも巻き込まれればそのまま死に直結する。きっと元が人だとわからないくらいグシャグシャになることだろう。

 当たれば、の話だが。

 カインは後方に飛びながらそれを華麗に回避し、空中で三つ葉のクローバーのレリーフが刻まれた大口径リボルバー――神機シャムロックに持ち替えて撃ちまくった。

 三角形上に組み上げられた三つのバレルが同時に火を噴く。それは普通ならばありえない形状だ。何より常人では一発撃つだけで腕がもげるほどの破壊力を持つ。だがカインであれば問題ない。一撃の破壊力を優先して連射性能は低いものの、弾丸の補充は使用者の魔力がある限り不要。コンマ1秒の誤差で射出された弾丸は狙った場所に連続で、寸分違わずぶち当たり、いかなる対象をも破壊する。

「チッ……硬いな」

 だがそのシャムロックの威力を以てしても、あの巨体にはせいぜい針を刺す程度のもののようだ。勘がいいのか目やわずかに見える傷口を狙っても斧でガードされてしまう。いずれにせよこれでは決定打にはなりえない。


『所詮ハ玩具ヨ!』

「それはどうかな?」


 カインは不敵に笑う。奥の手はまだある。

 彼はポケットから取り出したメモリーを弾丸として装填し、もう一度銃を構えた。


『Agni ... Loading』


「喰らえッ!」

 銃口から吐き出されたのは太陽の如き炎の塊だった。

『何ッ!?』

 炎弾はネフィリムの右の斧を圧倒的熱量で溶解させた。

『ク、コノ力は……人間のモノではナイ!!』


 神機ライズギア。それはネビロスリングの後継機として開発された魔具を制御するための限定制御武装スタビライズ・ウェポン

 魔具の待機形態であるロストメモリーを装填することで、適合していない者でも力の一部を取り出し、使役することができる。

 今のは『アグニ』という魔具の力を抽出し、弾丸として放出したものだ。


『Agni ... Loading』


 今度はトリムルトにロストメモリーを装填し、灼熱を帯びたカインの刀身が残ったもう一つの斧を切り裂いた。


『■■■■■■■■■■■■ッ!!』


 怪物は咆哮する。熱気が周囲を蹂躙し、肌を刺す痛みにさすがのカインも思わず背筋をざわつかせた。

「お喋りは終わりか? 奇遇だな」

 だが絶対に余裕は崩さない。これは彼の流儀スタイルだ。

『ホザケ!』


(チンタラするつもりはねぇ……一気に片付ける)


 小さく息を吐き、カインは包帯に包まれた右腕をネフィリムに向かって突き出した。


 すると


『ッ!?』

 カインを踏みつぶそうと下ろされた足が何かに捕まれて静止している。


 それは赤い光で構成されただ。


 包帯から解放されたのは、人肌とは思えぬ赤黒の鱗か外殻を思わせる右腕。乾いた大地のような亀裂から光が漏れ出ている。

 その右腕から霊体のように伸びた『第三の腕』。


 神喰デウス・イーター


 この腕はそう呼ばれている。

「吹っ飛べ!!」

 ネフィリムの巨足をがっしりと掴み、カインは放り投げる。頭から地面に衝突したネフィリムは呻き声をあげ、間髪入れずに滑り込むように接近したカインの右腕が再び発光した。

「決めるぜ」

 巨大な山羊頭のネフィリムに合わせるようにさらに巨大化した神喰うでが、そのまま地面から引き抜くようにネフィリムの巨体を持ち上げる。


 ネフィリムは抵抗するが、神喰の方が力で勝っていた。


「くたばれッ!!」


 第三の腕が掴み上げた頭蓋を宙で放し、その顔面に鉄槌が振り下ろされた。地響きと共に洞窟内が激しく揺れる。


 カインは視界を遮る土煙を払い敵を確認する。

 まだ息絶えてはいない。ネフィリムはよろよろと立ち上がった。

「結構タフだな……けどそれならもう一回痛い目あわせるだけだ」

 敵は挑発には乗らず、カインの右腕を睨みつけた。

『グ……ッ、人間。何だソノ右腕は……まるで我ラの……!』

「魔獣じゃねぇ。俺はれっきとした人間だ。お前らと一緒にすんな」

 反論すると、ネフィリムは苦笑した。

『戯言ヲ! そんな馬鹿ゲタ力、人間の域ヲ――』


 その時、ネフィリムの言葉が止まった。


『な、に……』

 怪物の足に何かが触れている。

「?」

 石像だ。遺跡で発見された石像が歯車の壊れた機械のように耳障りな音を立てて動き、ネフィリムの踵にしがみついていた。


『お、おおおッッッ! オオオオオオオオオオオオオオオ!!』


 突如ネフィリムは今までにないほどの絶叫を上げた。それは紛れもなく恐怖からくるものだ。

 石像に掴まれた怪物の足がブクブクと波打ち――

「……なに、が?」

 まるで掃除機のように。

 ネフィリムの巨体が石像に吸い込まれていく。

(喰ってる、のか?)

 一体あの小さな体のどこに? そんな疑問すら抱けないほどそれは一瞬の事だった。あっという間に山羊頭のネフィリムの姿は跡形もなく消えてしまった。


「……この場合、討伐したことにはなるのか?」


 カインはゆっくりと石像に近づいて呟く。

 目の前でネフィリムを喰らったばかりの石像は今はもう動かない。目と鼻の先の彼の言葉に応える様子もなかった。


「……何なんだ」


 残されたのは、先ほどまで死闘を繰り広げていたのが嘘のような静けさだけだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る