第3話 シェアハウス

眠らない街、セントラルシティ。

アインランドの中心部にある大変発展した大都市で、最先端の技術を駆使して作られた建造物がところ狭しと散らばっている。交通機関はもちろん、列なる高層ビル、娯楽施設、遊技場など、毎日人混みで溢れ返っていた。街から離れた場所に、人を覆ってしまうほど伸びた叢が鬱蒼とある。その中に、旅館を連想させる広大な一軒家があった。外装は、真新しい木の壁に、鼠色の瓦が鱗状に並べてある屋根。窓は障子に硝子を張ったものだ。男は、草を掻き分けて進み、家に辿り着く。男の服装は、まずハンチング帽を被っている。和尚の服装に似ていて、まるで色を反転させたように白い。どうやらここは、男の自宅らしく、家のドアノブを躊躇なく握り、回してドアを開け、中に入って閉めた。草履を脱いで、玄関に上がる。ギシリ、木造の床が、遠慮がちに軋んだ。柔らかい、玄関口の向かいにある提灯から発せられるオレンジ色の光が、暖かく迎え入れてくれる。突き当たりを右に曲がって、短くも長くもない廊下を歩き、居間へ入った。リビングは14畳の広さがあり、十分に寛げるスペースがある。男は、キッチンに足を運んだ。コンロに置いてある鍋を見る。野菜がふんだんにあしらわれたスープが、鍋の半分ほど残っていた。ふむ、男は顎に指を置く。―――そして思考した。男は、主に家事を切り盛りしていて、あれやこれやと計算して動いていた。この家に住んでいるのは、彼だけではなかった。約十人程と一つ屋根の下、暮らしている。俗にいうシェアハウスというものだ。料理をする際には、その人数分、あるいは余分に作って用意している。ならば、何故余っているのか。という問題が生まれる。いや、それほど重要でもない件だが…。住民は、皆働いている。休日もバラバラで、顔を会わせることなど滅多にない。しかし男は、住民の職場のシフトを把握していた。間違える筈はない。…そうだとすると、残された答えといえば、


(誰か、食べていない…?)


という結論が出たのは当たり前だ。今は午後3時頃、微妙な時間帯ではある。食事を摂るのも躊躇われる可能性はあった。作っている料理は自由に食べていいと住民には言っているので、本当に残っているだけだろう。因みに、男の手料理はピカイチ(住民談)らしい。まだ置いておくかと、男は鍋の蓋を閉めた。




居間の隣の和室に行く。この部屋は、裏庭がよく見えるので、男はとても気に入っていた。表こそ無造作に草が生えているものの、裏庭は綺麗に刈り取られていた。手を入れているのは敷地の範囲内だけで、正面は同様に背の高い草でいっぱいだ。地面が露になっている部分には、所々苔が生えていて、出前付近には詫び草が置かれている。偶然庭の一部が窪み、そこへ雨水が貯まって、池が出来ていた。水草が浮いている。生き物は…いない。本日の気候は良好で、雲一つない快晴。男は、床の間に踏み入れようとした。すると、


「月虚(げっこ)」


後ろから呼び止められる。振り返れば、黒髪の少年がいた。ハーフアップした髪に、赤い上着、ロゴの入った灰色のシャツ、白いジーンズを履いている。つり目がちの蒼い瞳は怒りを表しているように見えるが、普段もそうであることから、怒っているわけではない様子。事実、本人でさえも、ちょっとした悩みであった。


「おや、灯焔(とうえん)」


月虚はにこり、と笑う。


「今日は、バイトではありませんでしたか?」

「ん、急遽休みになった」


シフト変更があったようで、その過程を伝える。 少年―――灯焔は、問いにそのまま答えた。灯焔は、春の街と呼ばれる、メイという街でカフェ店員のアルバイトをしていた。ここより少し東南に徒歩数十分で着く、緑豊かな落ち着いた街だ。最近新しくリニューアルオープンしたカフェで、茶色ベースの明るい内装と店の雰囲気、特にオシャレ可愛い昼のランチが女性客に人気、というクチコミで話題である。オープンテラスもあるらしい。


「―――そうですか。次の休日は明明後日なんですね。分かりました」

「でもさぁ、いきなり休めとかないよなって思う。いきなり言われても、予定とか決めてないしさー」

「段取りよく、はいいかもしれませんが、休みくらいは好きに過ごしたらいいでしょう。思い付きでも、やってみてはどうですか?」

「それが難しいんだって。家でのんびりっても、遊ぶものもないし。寝るのもなぁって」


そういえば、この子は携帯ゲームや通信機器を持っていなかったか。


「何か暇潰しに買われてはいかがです?」


その言葉に、灯焔は頭を横に振る。


「ええー?いいよ、飽きたら後々置く場所に困るし」


どちらかといえば、飽き性ではなく、例えば、漫画は使い古してしまうまで読む性格だった記憶がある。飽きるのは、予測するに大分先になるのではないか、と思うが。というよりも、飽きる前提で購入するものではないだろう。月虚は考えるが、敢えて口には出さなかった。


「…んー、まぁ、適当にするよ」


諦め気味に溜め息を吐いて、苦笑する。 


「はい、それしかないですよ」


じゃあ、と灯焔は廊下に向かおうとした。月虚も「はい、では」と返して床の間へ移動しようとする。しかし、出そうとした足を止めて、灯焔は月虚を見る。


「…あのさ、」


月虚は耳を傾ける。


「あの人、元気?」


じっと、様子を窺う鋭い視線を、白い背中に注ぐ。睨んではいない筈だが、それにしては、抽象的な表現で尋ねてくるものだな。月虚は思う。


「あの人、とは?」


振り向かず、飄々と聞き返してみせれば、戸惑う気配が窺えた。


「…アンタなら、知ってるかと思って」

「曖昧な伝達では、答えようがありません」

「…」


間違ってはいない筈だ。人は皆、それぞれ考え方に相違はある。それこそ、空に浮かんでいる星の数ほど、分岐点は存在するのだ。さすれば、意見のズレが生じるのも当然だろう。それを未然に防ぐためにも、この行為は必要である。が、月虚は、そのどれにも含まれてはいない。つまり、わざと、故意に言い放った。


「はっきり言いなさい」


強く発すれば、灯焔は少し怖じ気づく。しかし、引きはしなかった。


「…烈だよ」


この少年が気にかけていたもの…それは、月虚が先ほど病院前で会った青年の事であった。烈(れつ)という男もこのシェアハウスの住民なのだが、姿を表すことはあまりなく、もし帰ってきても、また直ぐに何処かへ行方を眩ましてしまう。灯焔と鉢合わせる自体も、希にしかなかった。だから、確かめようがない。そこで、月虚に尋ねれば、欲しい情報を教えてくれるのではないか、そう考えていたのだろう。面識した数なんて片手の指で数える程しかない、ましてや、言い方は悪いが、再会したとして、 顔を合わせても大して愉快でもなさそうな相手と何故、会いたい、と思うのだろうか。他愛ない雑談を交わすことも、気軽に近付くことも許されない、非常に難儀な雰囲気を漂わせている―――烈という男は、いつでも無愛想で不機嫌、横暴な発言をし、他人の好を足蹴にする、そんな行為が目立つ、決して関わりたくはない部類に入る人間だ。目に映る人物像はそうして刷り込まれている。殆どの者が、そう感じる筈だ。特に灯焔のような、他人を思いやる心を持って接する者は、逆に滅多打ちにされてしまうのは目に見えている。


「ええ」


月虚と彼は今朝方、会ったばかりだ。その言葉に反応した灯焔。


「この家には、帰ってきてないの?」


姿を一目見たいのだろう。しかし、生憎、期待には添えられない。何せ、彼の姿はここにはない。


「はい、今はいません。そもそも、彼がいつ帰宅するかは、不規則ですし、分かりません」

「…そっか」


気持ち項垂れて、分かった、と返す。


「じゃあ、呼び止めてごめん。ありがとう」


そう言って、灯焔は和室から出ていった。月虚は、足音が遠くなっていくのと同時に、床の間に腰掛ける。お茶がないのが少々残念だと思った。暖かい陽が射して、心地がいい。月虚は瞼を閉じて、暫くゆっくりとすることにした。

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