第2話 手向けの花

そこは白い建物だった。

巨大で長方形のシンプルな見た目の箱が何個も敷き詰められていて、大きさは長いものもあれば、短いものもある。短いとはいっても、人からすれば、視界に留まらない程の等身はあった。二番目に大きな箱の高い部分には、緑の十字架が飾られていた。十字架のすぐ下には、この建物の名前が浮き彫りになっている。まだ新しいのか、壁には、雨風による汚れや染みはあまり見当たらない。少し黄ばんでいるくらいだ。出入り口は広く、開放的で、行き交う人々を快く迎え入れてくれる。自動ドアは忙しなく開閉を繰り返していた。中に入ると、外の賑わいとは一変し、静かだった。薬特有の臭いが鼻を掠める。白い制服を着た人達が、クリップボードを持ち、足早に歩いていく。私服の人は、歩いていたり、椅子に腰掛けていたり、喋っていたりと様々だ。中には、白い制服を纏った人と会話している人もいた。不規則な歩行をする人々をすり抜け、右奥にある通路を進めば、より静けさは増していき、たまにすれ違うだけで、だんだん人はいなくなっていった。藍色の髪をした男は、エレベーターのボタンを押す。手には、一輪の花が握られていた。大粒の花弁が連なった、桃色の花だ。茎は、それなりにしっかりとしている。音が鳴ると、ドアが開いた。乗り込んで、またボタンを押す。矢印は上だ。12階にランプが点る。ややあって、到着を知らせる『チン』という音が鳴り、ドアがスライドした。踏み出せば、しんとした、人気の全くない、カーテンを閉めきった灰暗い廊下。物音一つしない。歩けば、コツ…コツ…、と一人分の足音が静寂の中に響く。そして辿り着いたのはひとつの病室だった。入り口には、『関係者以外立ち入り禁止』という札が掛けられている。構わず、音を発てないようゆっくりと開けると、やはり薄暗く、陰惨とした空気があった。窓の下には、ベッドがある。男は歩み寄り、顔を見た。


そこには、一人の少女が横たわっていた。黒髪のショートカット、白い肌、幼さが残る顔付きから、歳は14程だろうか。口には、呼吸器が取り付けられている。長い睫毛は、その瞳を隠しているようだった。暗い室内の中、規則的な音を発する心電図だけが、妙に存在を主張している。少女の命を左右する明かり、であった。不意に男が手を上げかけたが、動きを止め、拳を緩く握って、力なく下ろす。


―――少女は眠り続けていた。

―――数年もの間、ずっと。


踵を返すと、出入り口に向かった。男は振り返らず、病室を後にする。



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アインランド北西にある街、ライズリーフ。その更に北に位置する、山林に隠れるように佇んでいるライズ・ホスピタル。


敷地内に目一杯敷かれた芝生は、青々としていて、手入れがよく行き渡っている。案内するように、木々の隙間から続く通路。 その部分だけ、地面が露になっている。藍色の髪をした男は、広場のベンチに座り、煙草を吹かしていた。左耳に金色のピアスが三つ、右耳に同じものが一つ、髪は左に流して分けている。真ん中だけ染めているようで、黒いメッシュが印象的だ。吐いた煙が、浮かんでは宙をたゆたい、空気に溶け込んでいく。一連を見詰めた後、再度口を付けようとした。が、それは、頭上から現れた指先によって叶わなかった。煙草を掬われ、ぐっと眉を潜める。確かめずとも、男には、背後にいる人物が分かるのだ。


「…またテメェか」


低音で呟く。男の後ろには、ハンチング帽を被った背丈の高い、白い和服の男がいた。イメージとしては、和尚の服装に似ていて、色を反転させたような感じだ。彼の名は、月虚(げっこ)。いつも敬語を使い、物腰の柔らかそうな笑みを浮かべている。


「こんなものを吸っていると、身体に良くないですよ。烈さん」


月虚は、笑いながら注意をする。藍色の髪をした男―――烈(れつ)は、指摘をされ、不愉快そうに舌打ちをした。切れ長の瞳が、更に細められる。


「チッ…、うるせぇな…」

「おやおや、親切は無下にするものではなく、素直に受けるべきですよ?」

「あ?親切だぁ?いらん世話だっつの」

「まぁ、今時の若者ときたら。なんと冷たいのでしょう。人の心遣いを切り捨てるなんて」

「ジジィか、テメェは」


この二人は、どうやら知り合いのようで、やりとりには慣れが窺える。容赦のない口調だ。月虚は、煙草を地面に落とすと、火を消す為に踏みにじった。


「そうではありません」


月虚は、視線を広場の中央に向ける。相変わらず、人は多い。見舞いに訪れた両親を待つ子供達は、設置されている噴水の周りを主に、芝生の上を自由に走り回り、遊んでいた。看護婦が見守っているので、問題はないだろう。


「あなたが子供で、沸点が低いだけです」

「誰のせいだ」

「ほら、ムキになる。そこが子供だと言っているのですがね」


その言葉に反論しかけて、気付いた。これでは、埒があかない。続けていても、延々とこの同じような会話が繰り返されるだけだ。烈はベンチから腰を上げて、立ち去ろうとする。


「―――大体、テメェには関係ねぇだろうが」


それだけを残して、歩いていく。月虚は、背中を眺めながら、烈が手に持っている花を視界に写す。


「…それは、手向けの花ですか?」


そう問い掛ける。烈の足取りが一瞬、止まりかけたように緩くなった気がした。しかし気のせいだったか、何ともなく、そのままの歩調で離れていった。


「お大事に」

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