第4話 対峙
月虚(げっこ)は、洋服に着替えて外出した。いつものハンチング帽に、首には、レモン色のストール、白い網目が入った長袖のシャツ、黒いジーンズに白と黒の先端が尖った革靴。左手首には、シルバーの腕時計が嵌められている。自宅から東東北へ徒歩数十分、叢を歩いていくと、段々草の密度が少なくなっていく。そして漸く向こうの景色が伺える程になった。手を使わなくても避けるだけでよくなり、開けた場所に出た。小さな草を踏みながら、歩く。前方には川が流れている。あちら側に渡ることは非常に困難な行水だ。上には、膨大な、見るものを圧倒させるコンクリートの巨大な橋がある。しかしまだ完成していないらしい、入り口は鎖と赤色のコーンが立てられていて、立ち入り禁止とされている。側には、柱が続いている。方向は、ダウンタウンだ。ダウンタウンは、セントラルシティから車で一時間は掛かる離れた都市だ。セントラル程ではないが、とても賑やかで、華やかな街。アインランドでは有名で、セントラルの次を行く、といってもいいだろう。時間は経過していくのだ、息つく時も、瞬きをしている間にも。街並みは変わり、発展していくもので、こうして、自分の意識しない場所で、風景も変化していく。少しの余韻を残しつつ。それは少しの希望と、寂しさも含まれている。変わりゆく季節と共に。月虚は、坂下にあるコンクリートの壁を見た。そして大橋の柱に向かう。―――人影がある。橋の下は陰り、陽を遮断され肌寒い。音が反響する。その人物と距離を空けて、足を止める。柱に凭れ掛かり、俯いている男は、気配に気付いている様子ではあったが、ピクリとも反応を示さない。ややあって、口を開いたのは、月虚だった。
「どうしたのですか、それは」
どうした、というのも、男の容姿。髪は乱れており、服は気崩れている。口元は、血が流れていた。まるで喧嘩の後だ。いや、若しくはそうなのか。男は、喋らない。意識はあるようだが、動こうとはしなかった。目を細め、月虚は、無言で男を見下ろす。暫くして、
「…マジ、うぜぇな……」
烈(れつ)は溜め息を吐いて、月虚を鋭く睨み上げた。
「早く、どっか行け」
「何故?」
「邪魔だっつってんだよ、超目障り」
「は?私が貴方の指図を受けねばならない理由が全く見当たらないのですが」
月虚は、嘲るように言う。
「貴方が強い権利を持つわけでもありません」
そんな彼に烈は、舌打ちをした。
「んなことはどうでもいい。テメェから来たんだ、優先されんのは、こっちだ」
分からないのか。強かに発言をした。
「ええ、解せませんね。貴方には貴方の、自由に行動する権利はある。しかし貴方に、私の有無を定める権限はない。そうでしょう?」
「チッ…うぜぇ…」
更に悪態を吐く烈。
「んなまどろっこしい台詞にろくな意味なんてねぇだろ。権利とか権限とか、所詮求めたところで無意味だっつの」
苛つき任せに放たれた声には、怒り以外の一切の感情も混ざっていなかった。
「頭悪いですね」
「ああ?」
「単純に、思うままにすればいい。と言っているのに」
今度は、月虚が溜め息を吐いた。
「まどろっこしい?そんなことも理解出来ないのですか。まあ役に立っていない前頭葉ですねぇ…。いえ、元より脳なんて無いのではありませんか?だから猛進する他に考えられない、そうでしょう?ああ、けれど、そうだとしたら、考えることすら不可能でしたね。私としたことが、盲点でした。…嗚呼、そうだ」
閃いた様子で、人差し指で宙を差す。
「何なら、私が確かめて差し上げましょうか。生憎、私はうやむやに完結させる事柄には嫌悪を覚えてしまうので」
頭蓋を分割して。ついでに皺の数も数えてみましょう。
くつくつと、さも可笑しそうに喉で笑う月虚。見下ろしながら、目を細めて、見下した。瞬間に頭に血が上り、烈は、一瞬ふらつくも、立ち上がった。
「上等だ、やれるもんならやってみやがれ」
引く気は毛頭なく、いつでも踏み出せる体勢を取る。これは、拳闘の合図だ。どちらが先に仕掛けるか、或いは、どちらかが火蓋を切って落とすか…。 両者は睨み合う。
―――が、暫くして、
「止めておきなさい。私は怪我人に、より深い危害を加える傾向はありません」
戦闘体制は、完全に解いたようだった。 帽子のツバを指で摘み、被り直した。腕を後方で組む。雰囲気は、穏やかになっていた。烈はというと、少々驚き、次に、納得がいかない、と不可解に顔をしかめる。
「…ふざけてんのか」
「ふざけて等いません。軽い挑発を単純に買うあなたの方がふざけないでください」
「…テメェがしてきたくせに、教えを説こうとしやがるテメェの精神が可笑しいんじゃねぇの」
「可笑しいのはあなたです。思考作用が滞っているのではありませんか?」
「…まだぬかしやがるか」
「ええ、何度でも。言ったでしょう、あなたに権限はない、と」
「随分と自己中な頭してんな。なら、俺には俺の言い分もあるだろうによ」
「そうですね。ならば一つだけ。もし仮に私とやりあっていたとして―――その足で、何が出来ますか」
―――先程、一瞬ふらついた。ただバランスを崩しただけなのではなく、負傷を示すサインだった。踏ん張れることから、重度ではなく、経度の捻挫だろうか。骨折の場合、立ち上がれはしない。威嚇し、月虚を遠ざけようとしたのは、その為か。考察するならば、そんなところだろう。見抜かれたことに対し、烈は妙に居たたまれなくなった。確かに今、争ったところで敗北するのは想像に易い。
「…」
見抜かれていた事に対し、バツが悪そうに俯く。体の向きを変えて、覚束ない足取りでその場から離れようとする烈。
「何処へ」
その姿を目で追いながら、月虚は尋ねる。
「…関係ねぇだろ」
つっけんどんに返す。
「羽休めにでも、帰ってきては如何です」
灯焔も憂慮しておりましたよ。
促すが、足音は遠退いていくだけった。勿論、期待などしていなかったが、まあ呆れたものだ、やれやれ。と、月虚は、ややあって、自宅に足を向けた。
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