青春は桜のように

青春は桜のように



「きみ、このままだと一生童貞で終わっちゃうよ」

 俺の学校に転校生がやってきたらしい。ふたつ隣のクラスで、友達の中にはわざわざ教室まで見に行った奴もいた。けど興味のなかった俺は、昼休みになりいつも通りに弁当を空けようとしていたのに。

「は? バカにしてんの?」

 初めて見る女に半ば強引に連れ出され、人のいない理科準備室にまでやってきていた。

 女の奥にいる人体標本が、無表情で、しかし俺を嘲笑っているかのようにこちらを見つめている。

「そういうわけじゃなくて。これは純然たる事実なの」

「どう聞いてもバカにしてるとしか思えないんだが。そもそも、誰だよお前」

 なぜ俺が童貞だと知っている、なんてことは言わないようにしながら、俺は不機嫌を演出する。

 もしかして告白でもされるのか、なんてことを考えていた俺をよそに、女は飄々と話していく。

「あ、ごめんなさい。自己紹介、してなかったっけ。わたしは桐島梨香。今日からここの生徒になりました」

 いたずらっぽく笑うその顔が可愛くて、俺は目を逸らす。窓の外はやけに晴れ晴れとしていて、何だか腹が立った。

「で、話は終わったのか? 俺ははやく飯を食いたいんだけど」

「何その反応。転校生の女の子に声をかけられたんだから、もっとロマンチックな展開に出来ないの?」

「かけられた内容が違ったら俺だって食いついてたかもな」

 桐島は頬を膨らませて仏頂面をつくる。それに反応するのも癪で、俺は見なかったことにした。

「んじゃ、戻るわ」

 これ以上は耐えかねて、そそくさと教室を後にする。

「あっ、じゃあ帰り一緒に帰ろう。待ってるから!」

 スライド式のドアを音を立てながら開けたところに、声をかけられる。

 俺は顔だけ向けて、相手の表情を確認した。桐島は屈託ない笑顔を浮かべていた。でも、やっぱり後ろの人体標本も俺を嘲笑っているような気がして、桐島の笑顔を素敵だとは思えなかった。


 ――――――――――


 自分のクラスに戻って、言葉にしがたい苛立ちと一緒にため息を吐き出す。

「ん、おかえり。ついに脱童貞か?」

「うるせえ。お前のおかず全部奪うぞ」

 俺が桐島に連れて行かれるのを見ていた友人の雅人が、開口一番おちょくってきた。自分の弁当箱を開けてから、そいつのからあげをひとつ誘拐する。

「マジで持ってくのかよ。ひでえ」

 ははは、とうるさく笑うだけで、返せとは言ってこなかった。

「さっきの転校生だろ? 何話してたんだ?」

「俺は一生童貞らしい」

「なんだそれ」

 やはりうるさく笑うだけで、言及はしてこない。こいつの空気の読めるところは俺も割と好きだし、そこがそれなりにモテる理由なんだろうな。

 俺は弁当をかき込んで、さっきまでの出来事を忘れることにした。

 桐島との話を早々に切り上げたおかげで、弁当を食べ終わった後、いつも通りにゆっくりすることが出来た。友人たちとどうでもいい話をしながらスマホをいじり、午後からの授業が始まるのを待った。

 いざ授業が始まると、俺は早々に居眠りを始めた友人を尻目に、教師の単調な声に耳を傾ける。

 雅人に、「お前って意外と真面目だよなぁ」と言われたことがあるのを思い出す。意外は余計だ、なんてふざけて終わったが、俺からしてみれば不真面目に生きている方が不思議だった。

 適度に真面目に勉強をして、社会に出てから舐められない程度の学歴を手に入れて、収入的に不自由のない職業について。それが普通で、利口な生き方だと思っている。雅人は要領が良いからどうにかするだろうが、そうではない奴もいる。

 ふと、終業を告げる音が校内に響き渡った。

 授業と授業の間の小休止は、スマホをいじって時間を潰す。そしてまた授業が始まり、黙々とこなす。

 そうしていると放課後はあっという間に訪れる。

「おーい裕、帰ろうぜ」

 誰よりもはやく帰宅の準備を済ませて、雅人がやってきた。

「帰ったらあれやろうぜ」

「あぁ、だな」

 雅人が誘ってきたのは、いま俺たちがハマっているオンラインゲームだった。お前もたまには息抜きしろよと無理やり始めさせられたゲームだったが、俺も思いの外ハマってしまい、いまではほぼ毎日やっていた。

「そういや、勉強は大丈夫なのか?」

「誘ってきたのはお前だろ。……大丈夫だよ。両立出来ないほどバカじゃないからな」

「はは、さすが真面目くん」

 るせー、と返事して、俺たちの会話はそこで一旦止まる。

 その一瞬の沈黙に、割って入ってくる声があった。

「あっ、ねえ! 何で帰ろうとしてるの!」

 何事かと俺が振り向くと、雅人もつられて顔だけ後ろに向ける。

「もー、一緒に帰ろうっていったじゃん」

 こちらに大股で近付いてくる声の主をよく見てみると、それは例の転校生、桐島梨香だった。

「おいおい裕。そういうことなら先に言えよ」

「待て、違う」

 ニタニタとする雅人に苛立ちながら短く否定する。

 訳を説明しようとするが、その前に桐島が眼前まで詰め寄ってきてしまい、それ以上の言葉を発する機会を失ってしまう。

「約束は破るものじゃないよ、裕くん」

 桐島に名前を呼ばれて、内心こっそりと雅人を恨んだ。俺はまだこいつに名前を教えていなかったのに。

「じゃあ俺は先に帰ってゲームやってるわ。出来るタイミングに連絡くれよ。……まぁ今日はなしでもいいけど」

 やはりニタニタと腹の立つ笑みを浮かべ、宣言通り雅人はさっさと歩いていってしまった。

 あいつの空気の読めるところは俺も好きだが、もしかすると長所と短所は表裏一体なのかもしれない。それを痛感させられる。

「いまの、裕くんのお友達? もしかして先に約束してたの?」

「いまさら訊くのか」

 普通は二人で歩いてる時点で気にかけるだろうに。とまでは言葉にしなかったが、代わりに視線で訴えかけることにした。

 すると、桐島は「ごめんね」と謝罪を口にした。こいつにもそんな殊勝な精神があるんだな、と思ったのもつかの間、桐島の言葉はまだ止まらなかった。

「お友達に謝るのは明日――は土曜日か。月曜日にして、とりあえず帰ろうか」

「結局一緒に帰るつもりなのかよ」

「もちろん。まだ話したいことがあるんだ」

 このまま走ってでも逃げることは可能だが、そこまでの労力を割いてまで桐島を避ける理由が見当たらなかった。俺は仕方なく、普段と同じペースで歩くことにした。

「ねえ、ちょっと、歩くの早いよ」

「俺は普通に歩いてるだけだ」

 そんなんだから彼女出来ないんだよ。小声でそう言ってるのが聞こえてきた。俺は呆れた顔をしてみせる。

「子供っぽいなぁ。大人の裕くんはきっととっても格好いいのになぁ」

 俺は思わず足を止める。

 格好いいという単語に反応したわけではなく、子供っぽいという言葉に腹を立ててしまっただけだった。

 別に大人っぽく思われたいわけでも、格好よく見られたいわけでもない。ただ、小馬鹿にされるのは癪だから、このまま思うつぼになるのと天秤にかけて、少しだけ歩く速度を緩めることにした。

「さすが。格好いいよ」

「うるせえ」

 手のひらで踊らされてるようで、むしゃくしゃした。でも、怒りのままに行動するのは嫌いだった。無意味で、疲れるだけだ。

 歩幅を合わせてから、沈黙が続いた。

 話したいことがある、なんて言っておいて何も話し出さない。少しして、俺がしびれを切らして話を振ってしまった。

「で、話したいことがあるんじゃないのか」

 桐島はにまり、と頬を上げる。むふふ、と聞こえてきそうなその顔を見て、数秒前の自分を殴りたくなった。

「いやあ、裕くんもついにわたしに興味を示してくれたかあ」

「話がないなら歩幅戻すぞ。あと裕くんっての腹立つからやめろ」

「ごめんごめん。……じゃあ、裕さん?」

「それもきもい。何で同い年のやつにさん付けされないといけないんだ」

 こんな会話をするために俺は呼び止められたのか、と思い始めた頃、桐島はようやく「じゃあ本題に入るけど」と声音を神妙にした。

 少しだけ身構えて続きを待つ俺をよそに、桐島は軽快なステップで俺の前へと躍り出る。手を後ろで組み、上半身を少しだけ前方に屈めさせて、ようやく意思を伝える音を奏でる。

「わたしね――実は、未来から来たの」

 桃色の花弁がよく目に付くようになってきた季節。草木の匂いを乗せた風が、桐島と俺の間に数枚の花を舞い上がらせる。

 そういえば、この花は夢見草なんて名前もあるんだっけ。そんなどうでもいい情報が頭をよぎる。

「あれ、ねえ、反応は?」

「……おちょくってんのか?」

 ようやくひねり出した言葉はそれだった。

 春風になびくセミロング、セーラー服。桃色で飾られた背景。桐島の愛嬌がある笑顔。そんなワンシーンを目の当たりにして、さらに告げられた言葉そのものに当惑していた。レスポンスがままならなかった。

「ふざけてるわけじゃないよ。本当。んー、どうしたら信じてくれるかな……」

「どうしたって信じるわけないだろ。そんなの」

「あはは、だよね」

 桐島はその場でくるりと半回転して、俺に背を向ける。そのまま歩き出したから、俺も思い出したように足を動かした。

 俺が戸惑っていたのは告白を信じたからじゃない。あまりにバカらしくて、呆れたからだ。例えば俺が未来に連れて行かれでもしたら信じざるを得ないが、そんなことまずありえない。

「そうだ。わたし、きみのことをよく知ってるんだ」

「へえ」

「名字は遠藤。遠藤裕。平凡で堅実な人生を望んでる。両親とも健在の一人っ子!」

 どう? としたり顔で振り向いた。

「そんなの、学校の誰かに聞けばすぐにでも分かるようなことだろ」

 桐島は人差し指を立てて下唇に押し当てて、むー、と唸る。間を置いてから、何かを閃いたかのように、人差し指が立ったままの右手を頭の辺りまで掲げた。

「恋愛にそもそも興味がない! あと、幸せについてなんてこれっぽっちも考えたことがないよね! これは友達にも話してないし、証明にならない?」

 俺は思わず口ごもる。けど、否定しようと言葉を探す。

「……話した感じからの当てずっぽうだろ」

「でも当たってるよね」

 桐島の顔はどうだと言わんばかりににんまりとしていた。

 確かに当たっている。俺は恋愛になんて興味がないし、幸福のことなんて考えたこともない。俺にとってはどうでもいいことだ。

 けど、それを見透かしているところで、桐島が未来人である証明にはならない。

「バカらしい」

「ひどいなぁ。まぁ、信じてもらえるとも思ってなかったけど。……っと、裕くんの家、もう近くだよね?」

 言われて周りを見てみると、自宅まですぐのところまでやってきていた。

 俺は思わず舌打ちをする。

「言っとくが、いまのところ、お前は頭のおかしいストーカーにしか見えないぞ」

「あはは、確かに」

 俺の悪態に返ってきたのは、ただの笑顔だった。

 俺は呆れて、さっさと帰って雅人に連絡を入れようと思った。普段の歩幅に戻して、家の前に着いた時、また背後から声をかけられる。

「ねえ、明日は空いてる?」

「明日はバイト」

「じゃあ明後日は?」

「……忙しい」

 返事に窮しつつもとっさに出したものがそれだった。なぜ俺はこうも嘘が下手なのだろうと、自分の分かりやすさを憎む。

「あはは、やっぱり嘘が下手だね。そこは変わらない」

 その物言いには、なぜだか苛立ちも薄ら寒さも感じなかった。冷静に聞けば気持ち悪いその言葉は、あまりに違和感なくこぼれて来たせいか自然なものに思えた。

「日曜日、来ても良い? この時代の街を案内してよ」

「その時に俺が起きて家にいたらな」

「ありがと! 逃げないでよ?」

 ぞんざいな返事に笑顔を見せる桐島は、最後に念を押してから手を振った。

 俺はその手には応じず、家の扉を開いた。後ろから「また日曜日!」と声が聞こえてきたが、そのまま扉を閉める。

 扉を隔てると、家の中はとても静かだった。当然ながら親はまだ仕事で帰ってきていないようだ。

「……疲れた」

 自室に入ってため息を漏らしながらカバンを放り投げる。

 親が帰ってくるまでゲームでもしていよう。俺はパソコンを立ち上げて、雅人に電話をかける。

 それからの俺の一日は、いつも通り緩やかに平凡に終わった。


 ――――――――――


 土曜日はバイトとゲームと勉強で時間を潰して、日を跨いでから眠りについた。

 適度な疲労感を得て気持ちよく寝ていると、インターホンの音で起こされる。眠気に任せて無視していると、さらに二回、心地よくない音が響き渡る。

 時計を見ると、十一時だった。まだ寝ていたかったが、これではさすがに寝てられないと身を起こす。

 誰だよこんな時間に、と内心で苛立ちながら、ゆっくりと意識が鮮明になっていく。

 そう言えば、日曜日に来るとか言ってたな。

 今になって桐島との話を思い出して、俺は寝間着姿のまま一階に向かう。

「裕。友達が来てるけど今起きたの?」

「ん、あぁ。ちょっと。母さんは戻ってて良いよ」

 どうやら先に母さんが対応してくれていたみたいだったけど、俺は素っ気なく言う。

 約束してたならちゃんと守りなさいよ、とすれ違いざまに言われて、はいはいと気のない返事をする。

「おはよう、裕くん」

「あぁ」

 玄関に上がって待っていた桐島は、責めるでもなく笑顔で挨拶を投げかけてきた。

「じゃあ約束。出かけよっか!」

「はいはい。準備するからちょっと待っててくれ」

「どれくらいかかる?」

「三十分」

 俺の真顔での返答に、あははと快活に笑う。

 さすがに三十分もここで立たせるのはバツが悪いので、俺は家に上がるように提案する。さすがに部屋には入れたくないのでリビングで待っててもらおうとしたら、母さんがすでに飲み物を用意していた。

「ありがとうございます!」

「いえいえ。ゆっくりしてってね」

「はい。裕くんの準備が終わるまでお邪魔しますね」

 ごめんね、だらしない子で。なんて母さんが言っているのを聞かなかったことにして俺は準備を始める。

 ざっとシャワーを浴びて、着替えて、一応軽く髪の毛をセットする。帰ってきてからだと面倒だなと思って、悠長に明日の学校の段取りもしておいた。

 準備を終わらせてリビングに戻ると、桐島は母さんと話をしていた。

「終わったけど」

「あ、おかえり」

 談笑で盛り上がってた二人は、揃ってこちらに顔を向ける。

「裕。あまり女の子を待たせるものじゃないよ」

「次から気を付けるから」

 すごく良い子じゃない、なんて言いながら、母さんはごめんねぇと桐島に笑いかける。

「いえ、わたしが時間も伝えずに来たのもありますから。じゃあ今日のところは失礼しますね」

 桐島は母さんとの話を切り上げると優しく椅子の音を立てる。

「じゃあ行こっか。案内よろしく!」

「あいよ」

 お邪魔しましたという声をきっかけに、俺たちは動き出した。

 家を出て、並んで繁華街へと向かう。道中、会話はすべて桐島が先に口を開いて、それに俺が適当に答えるというものだった。

「裕くん、普段は何してるの?」

「ゲームと読書と勉強とバイト」

「それで楽しいの?」

「別に楽しさは求めてない」

 寂しい人生だなあ! と大仰なリアクションが返ってくる。

「バイトしてるのって、お金が欲しいから?」

「貯金のついでに社会勉強するため」

「へえ。学生の頃は真面目だったんだね、裕くんって」

 将来、俺は不真面目になるかのような言い草に思わず反応してしまう。

「未来の俺はどんな奴なんだよ?」

「あれ、わたしが未来から来たって信じてくれた?」

「そういうわけじゃなくて。お前の中で大人の俺は不真面目な奴なのかって気になっただけ」

「それは残念。未来の裕くんはね、何ていうか、憑き物が落ちた感じ? 肩の力が抜けて、今よりはよっぽど楽しそうに生きてたよ」

 今も別につまらないわけではないんだが。とは思ったが、確かに楽しくもないので黙ることにした。

「誰か好きな子はいないの?」

「いない」

「可愛いなって思う子は?」

「いないな」

「……男の子の方が好きなの?」

「なんでそうなる。お前も言ってたろ。恋愛だとかそういうのに興味がないだけだ」

 色褪せてるなあ、と口を尖らせながらぼやかれる。

 確かに色なんてない人生だが、俺はそれでも良いと思ってるし、他人にとやかく言われるようなことではない。

 彼女はいるのか。はやく誰かと付き合えよ。そんなことばかりを言ってくる連中が、俺は正直苦手だった。あたかも幸福はそこにしかないとでも言うような風潮が嫌いだった。

 思わずため息をつく。

「……本当に興味ないんだね」

「そう言ってるだろ」

 俺の心情を察したのか、納得は行っていないようだがこれ以上の追求はやめたようだった。

「ねえ、もうお昼だけど、この辺だと何が美味しいの?」

「美味しいものねえ……」

 普段外食なんてしないから、ぱっと出てこない。考えても分からない。

 黙って考えていると、しびれを切らした桐島が俺の顔を覗き込む。

「まさか、食にもそんなに興味ないとか言わないよね?」

「ぶっちゃけそんなにない」

「えー! じゃあ何を楽しみに生きてるの?」

「ずいぶん失礼な問いかけだな」

「ごめんごめん」

 平謝りを聞き流しながら、律儀に答えるべく少しだけ考える。

「本読んでる時は割と楽しい」

「あー、確かに未来の裕くんもよく小説読んでたよ」

 へえ、と空返事をする。

 そう言えば、こいつはどれだけ先の未来から、どうやって来たのだろうと、ふと疑問が浮かぶ。訊ねてみようとしたところ、桐島の大きな声に遮られる。

「あ! ねえ! あの店! あそこでお昼ご飯にしない?」

 指し示された方を見てみると、そこにあったのはスープカレーの店だった。

「別にどこでもいいぞ」

「じゃああそこで決まり! 行こ!」

 手を引かれ急かされながら、考える。

 こいつは何者で、何のために俺に絡んでくるんだろう。

 カランカラン、というありきたりな音を響かせて入店する。

「いらっしゃいませ」

 店員がマニュアル通りに人数を確認し、俺たちは適当な席に座る。テーブルに置かれたメニューを見ると、どれも四桁以上の値段で、別にファミレスでも良かったんじゃないのかと内心で文句をつける。

 注文を終えて、今度は俺から口を開く。

「なあ。お前って何年後から来た設定なんだ?」

「設定じゃないよ。んーとね……十五年後だね」

 指折り数えながらの返答を聞いて、それに自分の年齢を足してみる。

「じゃあ俺は三十二歳か」

「うん。大人の裕くんは余裕があって格好いいよ」

 あはは、と桐島の頬が緩む。今までの笑顔と違って何だかへにゃっとしている。

「ふーん……って、待てよ。でもお前は十七だよな?」

「そうだよ?」

「三十二歳と十七歳が知り合いだったのか?」

 一体どういう関係なんだよ、と将来の自分に不信感が生まれる。

「聞きたい?」

「……一応」

 思わせぶりなその態度に、少しだけ戸惑いながらも続きを促す。

「わたしと裕さんはね、図書館で出会ったの。わたしは学校の課題で本を探してたんだけど、量が多くて。まとめて運ぼうとしてばら撒いちゃったんだよね。そこに大丈夫? って声をかけてくれたのが裕さんだったんだ。で、最初はそれだけでその後は話さなかったんだけど、次また図書館に行ったら、やっぱり裕さんもまたいて。あ、あの時の、ってよく話すようになったの」

 未来の俺との出会いを語る桐島はどことなく熱を帯びていて、まるで恋をする少女そのものだった。

 未来人なんて到底信じられない彼女の背景を無視すれば、妄想癖のひどい危ない女だが、桐島が口にする「裕さん」は、俺には向けられていない。本当にここにはいない誰かに向けられているようで、俺は言葉にし難い感情に襲われる。

 何と返したものか悩んでいると、注文したスープカレーがやってくる。

 桐島は直前までの熱を隠して、カレーの匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

「うん、美味しそう。当たりかもね、ここ」

「そうだな」

 見て、匂いを感じてみれば、確かにうまそうだ。

 話は一旦置いて、俺たちはスプーンを手に取り口へ運んだ。美味しい。

「うん、美味しい!」

 桐島はオーバーにもわざわざ感動を言葉にした。

「裕くん、これで楽しみがひとつ増えたね」

「ま、そうだな」

 機会があればまた来ようとは思ったので、肯定してみると、桐島は意外そうな顔をしてからやはり、あははと笑った。

 時折会話を挟みながら食事を進める。

 少し遅れて桐島が食べ終わると、「美味しかったね」と笑いかけてくる。そうだな、とだけ返して会計に移る。

 二人分の料金を払おうとすると、「いいよ、わたしも出すから」と言われるが、雅人の言っていた「女に金を出させるのは論外」という言葉を思い出す。そんなことはないと思うが、俺もどちらかと言えば男が払うべきだと考えているので、俺が出すからと財布をしまわせる。

「そういうとこは紳士的なんだね」

「どういう意味だよ」

「褒めてるんだよ」

 桐島は何だか機嫌良さそうにしている。それを見る俺も、気分は悪くなかった。

 スープカレー屋を出て、次は服を見たいというので付き合うことになった。

「ねえ、裕くんは楽しい?」

「まあまあ」

 突然の問いに、俺は曖昧に答える。素直に楽しいと言うのは、照れくさいし、何だか悔しいから。けど桐島は満足気に微笑んで、服の吟味に戻る。

 それから三、四時間。ひたすら色んな店を回って、たまに本当に気に入ったものがあれば買って、という時間を過ごした。

 俺は断ったのに、お揃いのストラップを買わされたことだけは少し不満だった。

「ちゃんと使ってね、それ」

「学校ではお断りだぞ」

「んー、仕方ないなぁ。学校は勘弁してあげよう」

「そりゃどうも」

 ニコニコと軽快に歩く桐島に付いていく。

「今日はこのくらいにしておこうか」

 腕時計を見て、十六時を過ぎているのを確認する。

「そうだな」

「じゃ、お疲れ様。ごめんね、無理に付き合わせて」

「謝るくらいなら最初からやるなよ」

「社交辞令だよ」

 軽く笑い合う。

 気が付いて、送っていかなくていいかと訊ねる。

「大丈夫。わたしが泊まってるホテル、すぐ近くだから」

「ホテル?」

「うん。この時代にわたしの帰る場所なんてないからね」

 そう言えば、そうなるのか。徹底したキャラ作りだな、と一瞬だけ思うが、今日一日付き合わされて、そこを疑う気もなくなった。信じたわけでもないが、そうだと仮定するくらいなら良い気がしてきた。

「そうか。じゃあ気を付けろよ」

「ありがと。何か急に優しくなったね」

「これが普通なんだよ」

 じゃあまた明日、と解散する。

 何となく振り向いてみると、桐島は一人でスキップ気味に歩いていた。愉快な奴だな、と思って俺は家路についた。


 ――――――――――


 桐島と初めて出かけてから二週間近くが過ぎた。

「おはよ!」

「うい」

 朝、校門近くまでやってくると、後ろから肩を叩かれる。

 確認するまでもなくその主は桐島で、俺は適当な返事をする。

「何回言ってもその返事なんだね」

「めんどいから」

 あれから毎日、当たり前のようにこの時間に遭遇しては駄弁りながら教室へと向かっていた。毎回適当な返事をしていると、三回目くらいに「一回くらいちゃんとおはようって言ってよ」と笑われたが、挨拶に変わりはないだろうと直していない。

「今週の土日はバイト入ってるの?」

「日曜は入ってる」

 最初こそ鬱陶しく思っていた桐島のことも、最近はそこまで気にならなくなっていた。予定を訊かれて素直に答えるくらいには、仲良くなっている。

「じゃあ土曜日また出かけようよ!」

「あー……まあいいよ」

 特にやることはないだろうかと考えてから了承する。桐島は屈託ない笑顔を浮かべて喜んでみせる。

「やった! じゃあどこ行こっか」

「そうだな。別にどこでも」

「んもー、たまには考えてよ。男の子がリードするものでしょう?」

 先週の花見だってわたしの提案だよ、と愚痴のようなことを言ってくる。けど、俺には行きたいところなんてないし、どこに行けば良いのかなんてボキャブラリーもない。

「仕方ない。じゃあ今日の帰りまでに考えておいて! 宿題ね!」

 話しているうちに教室に着いていて、桐島はそう話を保留して「みんなおはよー!」と元気に教室へと消えていった。

 しかし、どうしたものか。宿題などと言われてしまったが、正解が分からない。

 悩みながら自分のクラスに入ると、雅人が先に来ていてすでに席に着いていた。

「おっ、おはー」

「うい」

 机にカバンをかけながら軽い挨拶を交わす。

 そうだ、雅人に相談しよう。と考えていると、何だか腹の立つ雅人の笑みに遮られる。

「今日も転校生と登校か?」

「だから、校門で会うだけだよ」

 数日前に俺と桐島が一緒に歩いてるのを見てから、たまにこうしてからかってくるようになった。裕にもついに春が来たかぁ、とまるで保護者のような目を向けてくる。そういうわけでもないし、余計なお世話だ。

 こいつに桐島との出かけ先を相談したいが、この調子だとさらに茶化されるのがオチだろう。でも悔しいことに、ほかにあてもなく自分で考えるのも困難だ。

「そんなことより、お前なら女友達と出かける時にどこ行く?」

 致し方なく、友達という単語をさり気なく強調しておきながら訊ねる。雅人は意外そうに目を丸くする。

「え、まさか転校生とデート?」

「デートではない」

「はは、まあそういうことにしとくか」

「デートではない」

 そこは決して譲れないので、念押しで繰り返す。

 何だかんだで親切な雅人は茶化しをやめて、そうだなあと顎に手をあてる。

「映画見たり、飯食ったり、カラオケ行ったり……今なら花見とかか?」

 満開の時期は終わったけどな、と補足も付いてくる。

「まあ、そんなもんだよなあ」

 どれも定番と言った感じで、それらを提案しても「普通!」と笑われるだろう。

「あとは相手が何を好きなのかとかだけど、最悪どこでも良いんじゃね? 問題はお前が楽しませてやれるかだろ」

 それを聞いて、それなりにモテる雅人とそうではない俺とでは理解し合えないんだろうという結論に至った。きっと、雅人のような類に含まれない人間は、今指摘されたところをこなせずにつまずくのだろう。

 しかし、桐島が何を好きか、か。

 思えば、あいつが何を好きなのかとか、どんなことに興味があるのかとかについてまったくと言っていいほど知らない。聞いてみようと考えたこともなかったが、こういう時に苦労することになるとは。

「さんきゅ。それ参考にして適当に考えるわ」

「おう、頑張れ」

 雅人の他人事らしく適当な激励を受け取って、俺は一限目の準備を始める。ホームルーム開始のチャイムが鳴り響き担任が入ってくると、教室はにわかに静かになる。

 俺は、教師の話を聞き流しながら、桐島から与えられた宿題について考えて過ごす。

 放課後になると、雅人は「じゃ先帰るわ」とさっさといなくなってしまい、俺は桐島と二人で帰路につく。

「宿題、ちゃんと解いてくれた?」

「一応」

 改まってこういう場を設けられると、さすがに緊張する。間抜けな時間だな、と一人で笑う。

「よし! じゃあ聞かせて! どこに連れてってくれるの?」

「……図書館」

 逡巡しながらも、俺なりの解答を提示する。これならテストの方がよほど簡単だなと、桐島の反応をうかがう。

「図書館かあ」

 桐島は前を向いたまま、何かを噛みしめるようにつぶやいた。感情が読めなくて、どういう反応なのか判断しにくい。

 耐え難い感覚に襲われるが、言葉はすぐに続いた。

「いいね! わたしの予想と違って、すごくいい!」

「どんな予想してたんだよ」

 好反応だったことに安堵するが、それを隠して心外な様子をつくる。

「映画とかボーリングとか普通な感じで来るかなって予想してたんだけど」

 ゲームセンターなんて言われたらどうしようかと思ったよ、なんて楽しそうに笑う。

 ド定番を提案しても普通だと笑われるという俺の予想は当たっていたらしい。危なかった、と胸をなでおろす。

「土曜日は図書館ね! 約束!」

「了解」

 出会ってから何度目かの約束という言葉を使って、土曜日の予定を埋めた。

 それからの帰り道、俺たちは何気ない会話で盛り上がっていた。


 ――――――――――


 土曜日。午後から出かけるという話になっていた。

 俺は余裕を持って起きて、準備を済ませておく。昼飯を食べて、ちょうどいい時間になる。

 現地集合とのことだから、家を出てまっすぐ図書館に向かう。

 すぐ近くまでやってきて腕時計を確認すると、時間の十分前だった。しかし、腕時計から顔を上げて視界を広げると、桐島がこちらに気付いて手を大きく振っている様子が見えた。

 俺は手を振り返すこともせず、そのままの速度で歩いて桐島の前までやってくる。

「早いな」

「時間の三十分前には着いちゃってたからね」

「じゃあそこそこ待ってたのか。悪いな」

「別にいいよ。十分前に来てるんだからむしろ合格」

 何だか上からの物言いだな、とは思うが口には出さない。

 黙って歩き出すと付いてくるので、そのまま図書館に入っていく。

「図書館に来るのは初めてだな」

「そうなの?」

「普段は本屋で買うだけだしな」

 図書館ってこんな感じなんだな、と周りを観察しながら館内を歩く。すると、少し後ろをゆっくりと歩いていた桐島が口を開く。

「ここ、やっぱり裕さんと会った図書館だ」

「え?」

 はっきりと聞こえていたけど、一瞬でも間を置きたくて聞こえていなかったとばかりに間抜けた声を出す。

「うん。わたしの知ってるのと外装とか中の配置みたいのはちょっと違うけど、やっぱりここ。わたしと裕さんが出会った場所」

 未来の話をしているのに、過去に思いをはせるような儚い笑顔が俺の前に咲いた。

「へえ。じゃあ将来、俺はずっと地元にいるんだな」

 地元の図書館で出会ったとなると、そういうことになる。別にここに思い入れがあるとか、そんなわけではないけど、自分でもよく分からない嬉しさがこみ上げてくる。

「そうだったんだね。裕さん、昔のことそんな詳しくは教えてくれなかったから」

 分かる気がする。俺は自分のことを話すのが好きじゃないから。大人になってもそういうところは変わらないんだな。

 ふと、自分が桐島の話を疑うのをやめていたことに気が付いた。本人がネタバラシでもしない限り疑っていても仕方ないというのもあるが、桐島の言う事なら信用しても悪い気はしないからかもしれない。

 それからしばらく、俺たちは無言だった。各々気になる本を探して、持ち寄って、座って読んで。居心地は悪くなく、むしろ良いと言っても間違いじゃなかった。

「ねえ裕くん。今、楽しい?」

「なんだ急に」

「んー、何となく」

 俺は本から視線を外して顔を上げる。桐島は本に顔を落としたままだった。

「まあまあかな。つまらなくはない」

 意図を推し量れず、照れくささもあって婉曲な表現をする。

 俺の答えに桐島は顔を上げて、にまーっと笑う。

「そっかあ。それは良かった」

「なんだよ。そこはかとなく腹が立つんだが」

「まあそう言わないで。恋愛に興味ないとか言ってたのに、楽しいと思ってくれてるのが嬉しくって」

 余計なお世話だ、と頬杖をついて自然を装って視線を逸らす。

 突如出てきた恋愛という言葉に動揺したのかもしれない。活字に目を通すけど、紙面を上滑りするだけで内容が入ってこない。

「これで裕くんも彼女が出来るね!」

「だから余計なお世話だ」

 本当に、余計なお世話だと思う。今、この瞬間を楽しいと思っていようとも、俺はきっとこの先に誰かと付き合いたいと考えることはないだろう。きっと、大人の俺もそうして、桐島の言う通り童貞のまま歳を取っているに違いない。

「わたしね、そろそろ帰ろうと思うんだ」

「――は?」

 急な告白に、頭がまともに働いてくれなかった。用事があるから今日のところは帰宅するのか。そんな的外れなことが浮かぶ。

「わたしが過去に来たのも、裕さんって学生時代はどんなだったんだろうって。恋愛には興味ない、どうでもいいんだ、って言ってて、本当に心から楽しく人生を送れてたのかなって気になったからなんだ」

 そう語る桐島の表情はどことなく物憂げで悲しげで、見ていられなかった。

 俺はへえ、と気の抜けた返事しか出来ず、桐島の言葉を待つばかりだった。

「でも、わたしで申し訳ないけど、こうして女の子とお出かけして楽しめるなら大丈夫なんだろうなって。もう心残りはないから、戻ろうと思ってるんだ」

「……そうか。まあ、そうだよな。未来から来てるってんなら、いつかは帰らないといけないわけだ」

「そういうこと。急にごめんね」

 本当に急だな。もう少しならいられるんじゃないのか。――帰ってほしくない。

 色々と思うことはあったが、そのどれも喉から上にはやってきてくれない。

 少し考えて、俺はようやく言葉をひねり出す。

「じゃあ、今日はもうお開きにするか」

「……うん、そうだね。裕くんの家までは一緒に歩いても良い?」

「別になんでもいいぞ」

「ありがと」

 俺たちは立ち上がって、本を棚に戻し、図書館を出る。

 道中、俺たちはどうでもいい話をした。別れなんてないことかのように、普通の話を続けた。

 途中に桜並木があって「もう桜も散ってくるね」と、宙をたゆたう花弁を見ながら物思いにふける。

 何かの本で見た、夢見草という表現。綺麗で人を魅了するくせに、すぐに散ってしまうその夢を、一枚だけひらりと手のひらで受け止めた。

「先週の桜、綺麗だったね」

「そうだな」

 俺は一枚の花弁をそっと優しく握ってから、開いて落とす。

 気が付くともう家に着いていて、安らげるはずの自宅が、夢の終点のように思えた。

「じゃあ裕くん。ばいばい」

「ああ。じゃあな」

 桐島は笑顔で手を振ってくる。俺は表情を変えず、小さく手を上げる。

 くるりと身を翻して、桐島はさっさと歩いていってしまう。

 その背が小さくなる前に、一言だけ文句を言ってやろうと思い至った。俺はなあ、と声をかける。

「俺、多分これからも誰とも付き合わねえぞ」

「え! 何で! 今更言われても困るんだけど!」

 一瞬だけ言葉が詰まりそうになるけど、無理やり押し出して言いたいことをぶつけてやる。

「お前のこと、結構好きみたいでさ。きっとほかに相手も見つけられない。だから大人の俺も、お前と会ったんだろ」

 お前のせいみたいなもんだぞ、と最後に付け加えると、桐島は顔を真っ赤にして、けれど静かに優しくつぶやいた。

「それ、もっと早く言ってほしかったなあ」

 もっと早く、というのがいつから見てなのかが分からなくて、俺はあえて何も言わなかった。

「んー、そっか。でも、じゃあ、裕さんも実は楽しい人生を送れてたのかな」

「だろうな」

 桐島の目が少しだけ潤んでいる。何となく察しは付いていたが、きっと将来、二人はいつか会えなくなるのかもしれない。理由は分からないが、だから桐島は俺に会いに来たんだろう。

「ねえ、最後にお願いがあるんだけど」

「なんだ?」

「下の名前で、梨香って呼んでくれる? 裕くんってば、ずっと桐島なんだもん。悲しくなっちゃう」

 そう言えばそうだなと言われて気が付く。そのくらいなら良いだろうと、俺はすぐに要望に応える。

「梨香」

「……へへ、ありがと」

 潤んでいた瞳から、ついに容量を越えた水分がこぼれ落ちる。

 梨香は焦ったようにくるりと振り返る。

「じゃあ、本当にばいばい!」

「おう。……またな」

 悩んだ結果、別れの言葉はそれを選んだ。顔だけ振り返って優しく微笑む梨香には、少し酷な言葉だったかもしれない。

 次の日の朝から、学校前で梨香と合流することはなくなった。


 ――――――――――


 世間一般で初恋と呼ばれるものを経験してから十五年。俺は三十二歳になって、それなりに仕事に精を出して、趣味に時間を使い、自分では不満のない人生を送っていた。

 去年頃から頻繁に図書館に通うようになり、ジャンルを問わず様々な本を読み漁るのが日課となっている。

 今日は何を読もうかと物色していると、近くでバサバサという、何かをばら撒く音が聞こえてきた。

 俺は年甲斐もなく、その音に心臓をどきりと大きく跳ねさせて高揚する。

 ああ、もう十五年か。長かったような、短かったような。

 俺は平静を繕いながら、ゆっくりと音のした方へと歩いていく。

「大丈夫?」

 散らかった本を一冊、手に取りながら音を立てた主に声をかける。

「え、あ、はい。大丈夫です。すみません」

 不意に声をかけられて驚いた様子で、けれどハキハキと返事をする。

 見た目も、声も、何も変わらない。俺はずいぶんと歳を食ってしまったというのに。

「運ぶの手伝うよ。こんなに多いと大変だろ?」

「ありがとうございます。ちょっと欲張っちゃいました」

 へへへ、と照れをごまかすような笑みを浮かべる。

 女の子が本を運ぶのを手伝って、俺はじゃあ気を付けてとだけ言って、その場を離れた。

 本当はもっと話していたかった。けどこれから用事があって、これ以上一緒にいると時間を忘れてしまいそうだから、仕方なく図書館を後にした。

 ああ、明日は予定なかったな。それなら、明日も図書館に来ないといけないな。

 俺はあの日の夢の続きをようやく見ることが出来たんだと、自然と口角が上がる。桜は散ったとしても、また咲くものだ。

 俺は確かに幸福だ。

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青春は桜のように @johndoe101

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