20.遠征任務-Ⅱ


「アイラちゃん達……遅いな……」


「ピィピィ……」


 普段にも増して一段と騒がしい都市壁の門前で一人の少女が一本の木を背にして待ちぼうけをくらっていた。


 背中まで伸びた透き通るような翡翠色の髪はアポロ色のリボンでワンサイドアップにされており、深窓の令嬢といった風貌ながらもどこか活発そうな雰囲気を醸し出している。

 一抹の不安を抱えて揺れる琥珀のような瞳は、万人の目を惹き付けて離さない。


 両の腰には全長の短めな白いマスケット銃がそれぞれ下げられており、恐らくそれが彼女の武器なのであろう。

 肩の上には髪の色と似た翠色の小鳥が乗っており、何か呆れたように目を細めている。


 また、辺りには彼女と同じ淡い青を基調としたデザインの制服を着た人々で溢れかえっており、そんな人混みの中でも良い意味で人の目を惹く彼女の容姿ならばすぐに発見されそうなものだが、待ち人達がまだ到着していないのならば、見つけてもらえないのも致し方ない。


 時折不躾な視線を感じるがそれももう彼女には慣れたものである。

 『ソフィア・リブルス・ラグルスフェルト』、それが彼女の名前だ。

 四大貴族にして、ヴェルジード帝国の東を治めるラグルスフェルト家の長女であるソフィアは自分が生まれのために顔が知れており、人の目を集めてしまうのを理解していた。

 実際にはその容姿も理由のひとつなのだが、それはソフィアの知るところではない


 もうすぐ集合時間になってしまうとソフィアが気を揉んでいると、待ちわびていた声音が彼女の耳に届く。


「ソフィアー! ごめんね遅くなって……」


「わりぃわりぃ。ちょっとトラブルがあってな」


「なーにがトラブルよ! 人助けも良いけどタイミングってものを考えなさいよ! 今日は試験なのよ! 試験!」


「兄貴が言ってたんだ。『男なら、泣いてる奴を見つけたら真っ先にその涙を止めるために動くんだ』ってな」


「その結果ソフィア泣かす羽目になってたかもしれないでしょうが」


 金髪をソフィアと色違いの赤いリボンでツインテールにした少し背の低い少女は隣を歩く少年に空色の目を細めさせながら文句を良いつつ、ソフィアの前まで辿り着いた。

 彼女はソフィアの幼馴染かつ親友である『アイラ・グランツ』だ。


「兄貴は『良いことも悪いことも、やったことはいつか自分に還ってくる』とも言ってたからな! 良いことしたから間に合うと俺は信じてたぜ!」


 アイラの隣に立つツンツンとした茶髪と力強い目付きが特徴的な少年がそう口にする。

 彼の名は『サキト・アヤサキ』。

 彼もまた、ソフィアの特に仲の良い友人の一人である。

 ソフィアやアイラとは、ほぼすべての人が十二歳からの三年間通い基本的な四則演算などの教養を身に着ける『子期学院』の時代から六年来の付き合いだ。


 今は三人とも、子期学院よりも高度な事や一部の戦闘技術などを学ぶ高等学院に通っている。


「サキト、あんたねぇ……」


「あはは……大丈夫だよアイラちゃん。二人ともちゃんと間に合って良かったよ」


 何故ソフィアはこの二人の事を待っていたのか。

 それはソフィアとこの二人が高等学院卒業に必要な『依頼』の科目を受講する際に組むパーティのメンバーだからである。

 今日からその依頼の科目の最終試験として、十日間程の日程で遠征依頼をこなすのだ。

 目的地はソフィア達のいる帝都ヴェルジードから北西に三日ほど歩いた地点にあるカラハダル大森林で、辺りにいる制服を着た者達も、十八歳を向かえて高等学院の卒業試験の最終科目を受けるために集まっている生徒達だ。


 ソフィア達は無事集合時間までに集まることが出来たため、あとは引率の兵士を待つだけである。


「はあ~っ! こうして遠征の準備してるところを見てっと、やっと筆記科目から開放されたんだって実感が湧いてくんな!」


「サキトが留年しないように勉強を見てやってた私たちの身にもなりなさいよ。ねーソフィア」


「言うて、アイラも結構ギリギリだったじゃねーか」


「う、うるさいわね!」


「まあまあ、アイラちゃんもサキトくんも落ち着いて」


「ピィ……」


 そんな二人のやりとりに苦笑しているソフィアの肩で、彼女の契約精霊である『ロンド』は「やれやれ……」とでも言うかのように鳴き声を洩らすのであった。


 ソフィアがそんな二人との会話を楽しんでいると――


 「また――――」


 どこからか小さな声が聞こえてきた。

 聞き逃していてもおかしくはないような小さな声であったが、ソフィアの耳には届いていた――いや、届いてしまった。


 ソフィアは沈鬱な表情で下を向く。

 サキトとアイラは聞こえていなかったようだが、ソフィアの表情から何が起こったのかを察した。


「気にすることないわよソフィア! ねえ、サキト」


「ああ、俺たちも気にしねぇしな」


「うん……ごめんね、二人とも」


 少し暗い空気が流れ始めたその時――


「やあやあ! 君たちが私が担当する生徒だな!」


 やたらと大きな声を出す小太りの男と、その横に並んで中肉中背の金縁の分厚い丸眼鏡をかけたスキンヘッドで色黒の男が三人に近づいてきた。

 黒い軍服を着ているところを見るに、恐らくソフィア達のパーティの引率をする兵士なのだろう。


「ふむふむ。君がサキト君で、君がアイラ君。そして貴女がソフィア嬢でありますな! 私はこれから君たちを引率することとなる『モブロス・ルナス・エスロイド』上等兵である! まあ私の実力ならばすぐにもっと上の階級に上がるだろうから、口の聞き方には気をつけたまえよ!」


 どこか尊大な態度のモブロスに対して「そんなに声を張る必要はあるのだろうか」というような感想を三人が一様に抱いていると、金縁丸眼鏡の男がブリッジを中指で押し上げながら口を開いた。


「モブロス殿、彼らが驚いていますからもう少し声量を落とした方が良いですよ。ああ、自分も今回君たちを引率することになった『ソル・エスト』上等兵だ。よろしく頼むよ」


「よ、よろしくお願いします」


 突然の事に呆気に取られていた三人のうちで、最初に現実に戻ってきたソフィアが返事を返すと慌ててアイラとサキトも返事をした。


「さて、君たちの得意分野は予め教員の方々に聞いている。自分達の事について詳しくは大森林へ移動をしながら説明しようと思う。今回の試験についてはもう既に詳細の通達を受けてはいると思うけど、それも一応説明はいるかい?」


「はい、お願いします」


「よし、では早速移動を開始しよ――」


「待つのだソル殿!」


「……ん? モブロス殿、何か問題がありましたかな?」


 出発の宣言をしようとしたソルをモブロスが止める。


「私は将来的に上に立つ人間ですので、念のため経験を積んでおきたいのですよ。今回の遠征の指揮は私に執らせていただいてもかまわないかな?」


「……よろしいですよ」


「礼を言おう。では皆のもの! いざ出発だ!」


 こんなに大きな声を出す必要は本当にあるのだろうかと、ソフィアが再びそんな感想を抱いてモブロスとソルに続いて歩き出すと、後ろから近づいてきたアイラが耳打ちをしてきた。


「あの小太りの方さ、ミドルネームが"ルナス"ってことは貴族よね?」


「うん。エスロイド家は確か防衛省の官僚だったと思う」


「そんなことまで覚えてるなんてすごいわね。まあということは貴族のぼんぼんがコネで入った感じかしらね……」


「あ、アイラちゃん……あんまりそんな言い方しない方が……」


 二人がそんな話をしているとソルの困惑気味な声が聞こえてきた。


「も、モブロス殿!? 何故馬など用意しているのですか!?」


 この遠征は"徒歩"での移動のはずだが、どうやらモブロスは馬を"自身の分だけ"用意しているようだ。


「指揮官であるこの私が歩くなんていうことは非効率的ですからな! なーに心配などいりませんぞ! ちゃんと皆の進行速度には合わせます故な!」


 訳のわからない理由を述べているが、どうやら本気で一人だけ馬に乗って行くつもりのようだ。


「ねえソフィア……」


「なあにアイラちゃん……」


「やっぱりコネのぼんぼんじゃないかな……」


「……うん。……そうかもね」


「カラハダル大森林までくらい走ればいいじゃんな? そしたら少しくらい痩せるだろうに」


「サキトくんはそれ、本人に言わないようにね……」


「ピィ……」


 先が思いやられると、そんなロンドの声が聞こえそうであった。


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