7.確かな想い-Ⅲ
もう何度目だろうか。
唸りをあげながら迫り来る硬爪を転がりながら避ける。
「くそ! また掠ったか……」
「キュウ……」
「大丈夫だ。心配すんなって」
とは言ったものの、正直ジリ貧だ。
一撃目を受けてしまったのは予想外な速さに翻弄されたからである。
ありがたいことに大土竜は視力が低く、においや音でこちらを感知しているらしく、接近した状態で攻撃し続けることはしないようだ。
あの速さで突進してくるだけだとわかってしまえば避ける事自体はまだ容易である。
最初の数撃まではそう思っていた。
(ッ!? また来たかっ!?)
最初は動かない。
動いたところで大土竜が追尾してきて、こちらの体力を余計に使うだけだからだ。
そうこう考えている間に爪を振り翳した大土竜が目の前まで迫る。
(今度は"無し"で頼むぞ……)
祈りを込めながら左へ飛びこんで避けつつ、爪の軌道を見やる。
体は確かに爪の軌道からは外れている。
しかし――
(くそっ……! "あり"か!)
大土竜の爪が"伸びた"のだ。
僅か十数センチの延び幅ではあるが、それだけ延びれば自分の体をとらえるには十分であった。
どうにか体を捻って軌道から逃れようとしたが、努力虚しくふくらはぎを抉られる。
「ダァぁアァぁぁっ……負っっっけるかぁアぁァァッ!!!」
体は既に傷だらけで、どす黒い模様が身体中に広がってきている。
傷口が地面に接する度に激痛がはしるが、立ち止まってはいられない。
寧ろ痛すぎて痛覚が麻痺してきたくらいだ。
(好都合じゃないか……)
全くそんなことは無いのだが、どうにか立ちあがって大土竜を見やる。
「ガァァ……ガァァ……」
大土竜が荒い息を吐き、爪がもとの長さに戻る。
そう、奴も疲労しているのだ。
あれだけの速度で何度も走り回っていれば、疲労もするだろう。
その中で弱点を探し、動きが鈍ったところでそこを突くなり逃げるなりする。
それが自分の考えた勝ち筋であった。
大口を叩いたわりになんとも行きあたりばったりな作戦ではあるが、それ以外には考え付かなかったのだから仕方がない。
予想外であったのは、大土竜の爪の射程が伸びるために予想以上に被弾してしまった事だろうか。
だが悪いことばかりではない。
どうやらあの爪を伸ばす能力は、走り回る事以上に燃費が悪いようなのだ。
目に見えて消耗しているのがわかる。
しかし、消耗しているのはこちらも同様である。
(血を……流しすぎた……かな……)
脚が動かない。
未だ弱点など発見できていない状態でこれは非常にまずい。
取り敢えず、大土竜が動けないことを祈るしかないのだが――
「グォォォ……」
祈り虚しく大土竜は突進の体制をとった。
(ここまで……か……)
――"共に生き延びて一緒に暮らしていく"
それが一番の望みであったが、神様はどうやらそんな贅沢は許してくれないらしい。
それでもせめて、やっと思い出せた意志と、胸のうちに広がるこの想いだけは無理にでも通させてもらおう。
「キュウ……」
「ごめんな、キュウ……。一緒に暮らすって言ったけど、無理そうだ……」
「キュウゥゥ……」
(そんな悲しそうな声出すな……決心が鈍るだろ……)
「いいか、キュウ。僕が出来るだけ時間を稼ぐから全力で逃げるんだ」
「キュ、キュイッ!! キュイッ!!!」
キュウが何度も首を横に振って否定の意思を示し、左腕にしがみつく。
ボロボロになった上着に小さな爪が離すまいと必死に絡み付く。
「頼むよ……キュウ……お願いだから……」
「ガァァァァァァァッッッッッ!!!」
どうやら大土竜はそれを許さないようだ。
ならせめて、力不足だろうと、この意志だけは――
(護るんだ……キュウだけは……絶対に……)
爪が迫る。
きっとあの長い爪は自分の体を易々と貫通するであろう。
それでも、せめて、少しでも、キュウには届かぬようにと、大土竜との間に自分の体が入るようにキュウを抱え込む。
かつて母と父がそうしてくれたように、キュウを護るのだ。
この命に変えてでも。
気休め程度でも良いからと、ずっと手離さず持っていた香木の枝を腋と腕で固定するようにして大土竜側に向ける。
絶対に護ると誓ったのだ。
だから――
「――とまれぇぇぇえぇぇえぇぇ!!!」
「キュウゥゥゥウゥゥウゥゥ!!!」
―――――――――――――――――――――――――――――
それは武の魂からの咆哮であった。
時の流れが遅くなったかのように景色が流れる。
武の構えた香木の枝の先端に大土竜の腹が触れると、枝は悲鳴をあげるように真ん中から膨張し、破裂した。
その瞬間、光の粒子が辺りに飛散する。
一瞬にして周囲に充満するほどに飛散した粒子を通じて、キュウから何か暖かなものが武に流れ込んだ。
それは武の体を駆け巡り、魂へと辿り着く。
パズルのピースがはまるように、欠けていたものを手にいれた"意志"は、魂からの願いに呼応して一つの力を顕現させた。
――"護るための力"を。
―――――――――――――――――――――――――――――
(痛みが……来ない……?)
武は瞑っていた目を開き、前を見据える。
辺りには光の粒子が舞い、強烈な香木の匂いが充満していた。
動きの鈍っていた武の手足は幾分かましに動かせるようになり、身体中に廻っていたどす黒い模様はほとんどが消えていた。
武が右手に持つ香木の枝は中心から爆ぜたようになり、武の腕の長さ程度になっている。
何より目につくのは、武まで届かず中空で動きを止めている大土竜の爪と、その先にあるものだ。
爪の先には暖かなオレンジ色に煌めく正六角形の半透明の薄壁があり、壁の正体は不明であるが、武はその壁から何か確かな繋がりを感じた。
繋がりと言えば、先程から光の粒子伝にキュウから流れ込んで来る暖かな白桃色の光もまた、武には正体のわからないものである。
「いったい……何がどうなってるんだ……?」
大土竜は鼻をヒクヒクと動かしながら、小さな眼を白くして固まっている。
どうやら気絶しているようだ。
武がそんな観察をしていると、一度武の腕から飛び出したキュウが武にタックルをして押し倒した。
いや、押し倒したと言うほど力の籠ったタックルではなかったが、助かったという実感と血を流しすぎた影響で武の体は軽く押せば倒れるような状態になっていたのだ。
「キュウッ! キュウキュウッ!!」
キュウが胸の上に乗り、何かを抗議するかの如く前足で武の顔をペシペシと叩き始める。
涙を堪えたキュウの瞳を見て、武もまた理解したのだ。
出逢ってから五日という、時間にしてみれば短い、だがとてつもなく濃縮された日々の旅の中で、武がキュウに寄せるだけの親愛をキュウもまた武に寄せてくれていたのだと。
その事実に武は、あのような行動を――後のキュウに負い目を感じさせたかもしれぬような行動を取った申し訳なさを感じつつも、それ以上に、これまでを超える程の親愛を感じるのであった。
武はまだ動く右手でキュウを抱き留め、沸き上がる想いを吐き出す。
「キュウ……本当に……生きて……無事で……良かったっ!!!」
「キュウッ! キュウッ♪」
喜びを分かち合うさなか、仰向けに倒れていた武の目に飛び込んできたのは、その小さな眼をまるで怒りを湛えたかのように真っ赤に染め、緩慢な動きではあるが、確かに動き出した大土竜であった。
爪を受け止めていた半透明の薄壁は既に掻き消えている。
(やばいっ……!? 体が動かないっ……!?)
武が自分の詰めの甘さを呪いそうになったその時、一条の紫銀が夜空を駆けたかと思うと、大土竜が跡形もなく吹き飛んだ。
「…………え?」
「ったくのぉ。膨大な魔力の反応があったから急いで来てみれば、魔物はちゃんと止めを刺さなきゃいかんだろ。えぇ? 精霊使いのボウズ!」
あまりにも突然の出来事に呆気にとられる武の目に映るのは、自身と先程まで大土竜が居た場所の間で、一本の槍を肩に担いだ筋骨隆々の老夫が肩越しに武を見て話しかけてくる姿であった。
その大きな背中はまるで、何事にも揺るがない強固な城壁のようで、武に絶対的な安心感を抱かせる。
その背を見ただけで、未だに状況を把握しきれていない武でも、自身が"助けられ"そして"助かったのだ"と理解できたのだ。
(お礼を……言わなきゃ……)
武は感謝の言葉を紡ごうとするが、血を流しすぎたためか、もう口どころか頭もろくに働かない。
(あっ……やばい……もう……意識が……)
必死の抵抗も虚しく、武は意識を失うのであった。
これが武がこの世界に来て初めて出会い、そして武にとって最も大切な存在の一人となる人物。
『セイル・レイトール』との邂逅であった。
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