6.確かな想い-Ⅱ


「今日はこの辺で野宿をしようか」


「キュウ」


 木々の枝が重なりあい薄暗くなっている森の中で、ぽっかりと穴を開けたように月明かりを取り込んでいる広場を見つけ、今日の仮宿をそこと定めた。


 キュウと一緒に旅を始めた朝から数えて、実に四日目の夜を迎えようとしていた。

 自分は髭が伸びるのは遅い方であるのだが、流石に少し髭が目立つようになっていた。

 身体中あちこちを枝などに引っ掻けて、もう服はボロボロである。


 自前の食料はとっくに尽きていたが、キュウが湧き水や川や木の実を見つけてきてくれるおかげでどうにか過ごせていた。

 夜の寒さはキュウがいれば問題ないし、何よりキュウは火種を産み出せたため、キュウが捕らえた魚を焼いて食べることも出来た。


「いやいやこれキュウが居なければ本当に僕は死んでいたんじゃ……」


「キュウッ♪」


 またどや顔をしている。

 本当に可愛いやつだ。

 非常に和む光景ではあるのだが――


(何か……嫌な予感がする)


 確信は持てない。

 だが、何かとてつもなく悪いことが起きるような気がしてならないのだ。


 旅の途中キュウに上空から森の端が見えないか確かめて貰おうと頼んでみたが、どうやら浮遊できる程度でそこまで高くは飛べないらしく、確認がとれなかった。

 正直森の出口に辿り着けるのかもわからない。


「キュ?」


 木の実を齧りながら、キュウは「どうかしたの?」とでも言うように首を傾げた。


「大丈夫、何でもないよ。早いとこ食べちゃおう」


「キュウッ♪」


 そう言ってはみたものの、どうしようもない不安感からか、食べかけの木の実を鞄にしまい、もはや旅の御守りと化した香木の枝を手に取った。


「キュ?」


 キュウが不思議そうに自分の事を見ている。

 それに答えようとしたその時――


(ッッッッッ!?)


 いつか感じたのと同じような凄まじい悪寒が背を駆け抜けた。

 そして地面が少し揺れた瞬間には、反射的にキュウを抱えるようにして前に飛び込んでいた。


 その直後――


――さっきまでキュウの居た場所が爆ぜた。


―――――――――――――――――――――――――――――


「はぁ……はぁ……大丈夫かキュウ?」


「キュ……キュウ……」


 まさに危機一髪であった。

 いや、危機自体はまだ続いている。

 武はキュウを左手で抱え、右手に枝を構えて土煙の奥に目を凝らす。


「ギヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ……」


 そこに居たのは、この森に来た初日に見たあの異形の化け物――大土竜であった。


 なるほど土竜みたいな見た目に違わず、地中での移動もお手のものと言うわけかと言った感じの半ば現実逃避気味の思考を武が巡らせていると、全身の毛を逆立てたキュウが動きを見せた。


「キューーーー!」


「おお!」


 武の小脇に抱えられたキュウが小さな頬を膨らませると、そのまま口から火炎放射の如く炎を吹き出したのだ。


 てっきり火種程度の火しか産み出せないと思っていた武は驚きと期待の混じった声をあげる。


(これならあの大土竜を倒せずとも撤退くらいはさせられるはず……)


 往々にして、動物は火を恐がると聞く。

 多少図体がでかいとは言え、キュウの放った丸太のような炎の前にはしもの怪物も恐れをなすのでは、と武はそれなりに自信のある希望を持ったのだ。

 しかし、それは甘い考えであったと僅か数秒の後に思い知らされた。


 大土竜が大口を開けたかと思うと、次の瞬間――


――炎にかぶり付き


――咀嚼し始めたのである。


 キュウが吹き出した炎の残りは半ば砕け散り、辺りに白桃色の粒子が霧散する。


 唖然とする武とキュウをよそに、大土竜はそれはそれは美味しそうにボリボリと炎だったものを咀嚼した後、舌舐りをしながら再び武たちに目を向けてきた。


 武は恐怖からか歯の根を震わせる。

 半開きになった大土竜の口からは滂沱として唾液が滴り落ちており、きっともう武たちを仕留めて馳走にありつく想像でもしているのだろう。

 大土竜の射貫くような眼光に貫かれ、武の脳が警鐘を鳴らす。


――いや、違う。


――貫かれているのは自分ではない。


――キュウを貫いている。


(狙いはキュウかッ……!?)


 どうやらあの大土竜のお目当ては武ではなく、美味しい炎を産み出すキュウのようである。

 そんなことを武が考えていると大土竜が動きを見せ、その光景に武は目を見開く。


「速ッ!?」


 目で追えない程ではないが、大土竜がその身に似合わぬ、大通りを走る自動車程の速度で武の左半身付近に爪を凪ぎ払いながら突進してきたのだ。

 虚を突かれた武であったが、まさに自動車が迫ってくるかの様なその突進を自身も驚くような反射速度で右に倒れ込む事で何とか回避した。


――いや、回避しきれてはいなかった。


「うっ……ぐぅっ……!?」


 大土竜と接触した感覚が遅れて武の脳に到達し、未だかつて体感したことの無いような痛みと熱を左肩付近から感じる。


(痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ……なんだこの痛さはッ!?)


 武があまりの痛みに左肩へと目を向けると、そこには自身の血で赤黒く染まった筋肉の断面図があった。

 血液がダラダラと二の腕を垂れているというのに、武には皮膚を伝う液体の感覚などほとんど感じられない。

 感じられるのはただひたすらな痛覚と熱、そして自身の体の一部が無くなったという喪失感。

 武の左肩はごっそりと抉られていた。


「――ッ!?」


 自身の内側と、そこから漏れ出る大量の血液を見たショックからか一瞬飛びそうになった意識を、武は気合でどうにか繋ぎ止めた。

 不幸中の幸いであったのは、大土竜の爪は骨には達しておらず、腕自体は繋がっている事であろうか。

 硬直したのか動かせそうにないが、左腕はキュウを抱えた体勢で保たれている。

 しかし、大土竜が武に与えたのは常軌を逸した痛みだけでは無かった。


――やはりあの禍禍しい爪には毒でもあるのだろうか。


 抉られた部分がいやに脈動し、感覚が徐々になくなり始めているのを武は感じていた。

 左腕が動かないのはきっとそれのせいもあるのだろう。

 目を凝らしてみると、何かどす黒い模様が傷口から出てきては少し引っ込んでを繰り返している。


 「感覚が無くなるのに痛いままとはいったいどういう了見なのか」と強がりの軽口な思考を巡らせつつ、武は自身の左腕の中で震えて動けなくなった小さな温もりを見やる。


『この小さな命を見捨てれば、ひょっとしたら自分はあの化け物から見逃して貰えるのかも知れない』


 そんな考えが武の頭を過る――しかしそれも一瞬の事であった。


(見捨てられるわけないだろっ……!)


 一瞬でもそんなことが頭に浮かんだ自身を武は叱責する。


(どれだけ救われたと思ってるっ……! キュウが居てくれた事で……僕が……どれだけっ……!)


――辛い夜に傍に居て慰めてくれた。


――日がな一日歩いても果ての見えない森での旅の中でも、キュウが居てくれたから倒れずに歩いてこれた。


――出会ってからの時間は日で表せばたったの五日だ。


――それでも――



 武の心の中は、大部分がキュウへの感謝と親愛で埋め尽くされていた。




「ふざ……けるなよっ……!」


 大土竜を睨む武の目には、怒りにも似た強い意思が感じられる。


――こんな痛みで諦めてたまるか。


――こんな訳のわからない輩に自分の"心"を奪わせてなるものか。


 そんなことは断じて容認出来ないと武の魂は叫んでいた。


「大丈夫だ。安心しろ。キュウ」


――声が震えていたかもしれない。


――それでもちゃんと言葉にして発さなければならない。


 武は思い出したのだ。

 やっと思い出せたのだ。

 そうでありたいと、そうあらねばと考えていた自身の姿を。


「僕がどうにかしてやる」


 自身の腕の中で不安げに揺れる小さな瞳を見つめ返し、武は確固たる意志を持って語りかける。


「言ったろ。僕はおまえとこの森を抜けて一緒に暮らすんだ」


――叶えたい願いがあるのだ。


――護りたい相手がいるのだ。


――護るべき想いがあるのだ。


――だから――


「僕が、おまえを、"護ってやる"」


 自身の手で"護る"のだ。

 

 今度こそ。


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