第119話 未来の聖女のために

「せ、聖痕!? ちょっと待って、いきなり何を言ってるの!? そもそもなんで聖女でもない貴女が持っているのよ!」

 いきなりテレスティアの口から出てきた聖痕発言に、軽くパニックになりながら大きな声で反応する。

 その直後、『しまった!』と思いアリスの方へと顔を向けるも、当の本人は聖痕という言葉に心当たりがないのか、私の顔を見つめながら不思議そうに首を傾げている。


 どうやら取り越し苦労だったようね。聖戦器を作る過程で城の秘蔵書を読み漁っていたというからもしやとは思ったが、アリスが閲覧出来たエリアには聖痕が記された書物はなかったようだ。


 それにしてもアリスの前でいきなり聖痕なんて話をするんじゃないわよと、軽くテレスティアを睨み付ける。

 姉様がここにいて、今も何も言わないということから事前に話は聞いていたのだろうが、こちらにも準備というものがいろいろ必要。特にアリスには自身が生まれた環境や、セリカさんの素性すら教えていないのだ。これ以上この国で余計なトラブルはできるだけ避けたいと思うのは当然ではないだろうか。


「待って、ミリィ。先に私が事情を説明するわ。それで構いませんわよね? テレスティアさん」

「はい」

 私が思わず向けてしまった敵視の反応に、横から仲裁するかのごとく姉様が割り込んでくる。


「ごめんなさいねミリィ。貴女たちがここ数日の置かれていた事情をもっと考慮すべきだったわ」

 姉様が申し訳なさそうにポツリ、ポツリと語り出す。

 どうも姉様の話ではテレスティアと出会うのは今日が初めてではないとの事で、聖痕の話も直接言われていたわけではないが、薄々は何かを隠していると感じていたのだという。それが今日、私たちがルテア達と会っている時間帯に聖痕継承の話を聞かされたのだという。


「あの聖誕祭の事は貴女もよく知っているでしょ? あの後から私はアルジェンドと何度か秘密の会談をしていたのよ」

 聖誕祭というのは私たちが初めてロベリア達と出会った時の話だろう。あの時アルジェンドにアリスの出生の秘密を知られていると思い、その場で口封じでもしようかと本気で考えたが、最後は姉様に全てを託すという事でその場は治まった。どうやらその後でなにやらアルジェンドと遣り取りがあったという事だろう。


「アルジェンドの目的は豊かなドゥーベ王国を取り戻す事。そしてその過程で聖女の力を増幅させる聖痕は最後の切り札になる、それは貴女にだって理解はできるわよね?」

「えぇ、もちろん」

 聖痕が何かという注釈を入れたのは、隣で不思議そうに聞いているアリスを配慮しての事だろう。

 ここまでの内容を話すという事は、ある程度アリスに聖女の秘密を教えるという意味であろうが、このままセリカさんの話までされてはたまったもんじゃない。いずれセリカさんお話もする時はくるのだろうが、それは今でないと軽く姉様を睨め付ける。


「そんなに警戒しなくても大丈夫よ。聖痕を継承するのは私、流石に貴女達も今まで通りと言うわけにはいかないけれど、心配するような事にはならないわ」

「えっ?」

 私の気持ちを考慮してくれたのか、姉様が優しく諭すように説明する。

 てっきりアリスが聖痕を継承するから、聖女の理を話すものだとばかり思っていた。それはなぜいきなり姉様に?


 内容はこうだ。

 アルジェンドの目的は国の再生、その過程で力ある聖女と受け継がれし聖痕の二つは必須。だけどここに多くの問題は発生する。

 まず一つは、この国の現王族制度。

 これは今更説明する必要もないだろうが、力を失った公爵家の、しかもほぼ軟禁状態の二人にはどうする事も出来なかった。せめて王制を一度解体し、良き主導者の元で進言すれば状況を改善出来るのだろうが、王と聖女の後継である王子と王女はあのような状態。

 一刻も早く対応しなければならないというのに、二世代以上も待っている余裕は全くない。


 次に聖痕を引き継いでいるテレスティアの問題。

 彼女もそれなりの力を持っているそうだが、とても国中全てを実り豊かに出来るかと問われれば、難しいということ。それでも聖痕を継承しているのだから、時間さえかければそれなりの実りを取り戻せるのではと思うのだが、ここで最大の問題に直面する。


「先ほど聖痕と申しましたが、正確には聖痕ではございません」

 テレスティアの話では、本当の聖痕は現聖女であるマグノリアが継承したというのだが、前の聖女がマグノリアに継承させる際にある仕掛けを施したのだという。


 このままマグノリアが国の為に力尽くすとは考えられない。聖痕の力も実の妹に短剣を突きつけ、母親である前聖女に無理やり渡せと迫ったという話だから、昔にあったとされる聖女による国の圧政を恐れ、聖痕の力を無理やり二つに切り裂いたのだという。

 もしかするとマグノリアが良き聖女として成長し、いずれ引き裂かれた聖痕が再び交わる事があればと、淡い期待があったのかもしれないが、残念な事に現状は交わる事もなくマグノリアが継承した聖痕は消滅してしまったのだという。


「マグノリア様の継承したとされる聖痕は消えてしまったそうです。それが聖痕の意思かそれとも無理やり引き裂かれたせいで消滅してしまったのかは分かりません。ですがマグノリア様が初の儀式を執り行った際に、なぜか聖女の力は発現しなかったそうです」

 豊穣の儀式は別に聖女一人で行うわけではない。何人もの聖女候補生と巫女と呼ばれる補佐がいて初めて儀式が執り行えるのだ。

 少し考えてもらえればわかるのだが、大きな儀式には当然数々の準備が発生する。そんな多くの人が関わる場面で、すべての口を封じるなどまず不可能だろう。

 聖女候補生がいないドゥーベでも、流石に聖女一人で儀式を執り行えるとは思えないので、恐らく当時の現場を目にした人間は多くいたはず。それでも国民にまで噂が広まっていないのは、王制の圧力を恐怖してのことだろうが、それでも貴族間では緩く細く噂が広まっていった。


「マグノリア様は隠されていたようですが、ご自身がもともと授かっていた聖女の力さえ失われているそうです」

 皮肉なものだ。不完全な聖痕継承してしまった後遺症か、もしくは聖痕に残されていた意思かは知らないが、妹たちや母親を裏切ってまで手に入れた聖女の座を、このような形で終焉をむかえてしまったのだから。

 

「それじゃ貴女が継承している聖痕というのは、マグノリアが継承したはずの残り半分っていうこと?」

「半分、と言っていいのかどうかは分かりません。亡くなった母の話では、聖痕の一部を切り取ったということでしたので、恐らく本来ある聖痕の力の一部ではないかと」

 テレスティア母であるフリージアさんは幼少のころより体が弱かったという話なので、前聖女は切り取った聖痕の力を封印して継承させたのだという。

 そして亡くなる直前、幼いテレスティアに封印された状態で聖痕を継承させた。いつかこの国を救うための最後の希望として。


「でもそれって貴女のお母さんの話よね? テレスティアが継承したのなら封印を解いて使えるんじゃないの?」

 聖痕の力を封印したといても、解除できなければ意味がない。別に悪い人間に継承させたわけではなく、体が弱いという意味での封印ならそれほど解除方法は難しくはないだろう。いくら姉様の方が力が強いとはいえ、大切な聖痕を他国の聖女に与えるなど考えられない。


「もちろん封印を解く事自体は容易なのですが、聖痕の力を切り取った時の状況と、長く封印されていた状態で、封じられた力を解放してもおそらく使えるのは一度きり。それも長時間使い続ける事は難しいでしょう」

 なんてこと……。それじゃどの道聖痕の力は消えてしまうって事じゃない。

 万全な状態のアリスと聖戦器があれば話も変わってくるのだろうが、精霊の歌が歌えないアリスでは現状儀式は執り行えない。もしかすると姉様ならあるいはとも思えるが、もともとアリス自身が儀式を執り行う前提で作られた聖戦器だ。肝心の中央神殿が力不足では、他の四つは応えてはくれない。だがもしここに聖痕の力が存在していれば? 力を発揮できないアリスに変わって聖痕を受け継いだ姉様が儀式を執り行えれば? そんな現実が存在していればレガリアはもちろんドゥーベ王国も救えるのではないか。

 聖戦器の話はアルジェンドにも聞かせてしまっている。ここで彼を裏切り、レガリアのみを救うために利用する事も出来てしまう。こんな簡単な計算が分からない彼でもないだろうに。


「聖戦器の話は貴女も聞いてるんでしょ? アリスがこんな状態では完全な儀式は望めない。もし貴女が継承しているという聖痕をレガリアのためだけに使うとか考えなかったわけ?」

「勘違いしていただいては困ります。この聖痕はアリス様を治すために使うのです」

「!?」

 テレスティアが迷いもなく、力強い視線で私に語りかける。


「正気なの? 一度しか使えない聖痕の力を、見ず知らずの人間を治すためにつかうなんて」

 確かに聖痕の力を使えばアリスは治療できるかもしれない。だけど100%治療できると決まったわけではないのだ。

 ロベリアが掛けた術は不完全なるもの。時間が経てば次第に声を取り戻せるだろうとも言われているのだ。

 レガリアは姉様と亡くなったセリカさんのお陰ですぐにどうこうなる状態ではない。だが、ドゥーべは今すぐなんらかの処置をしなければ取り返しのつかない状況まで落ち入っているのだ。ならばまずこの国を治療するために聖痕を使い、レガリアはアリスが声を取り戻してから儀式を執行えればいい。

 勿論なんらかの盟約は取り交わす事になるだろうが、これが今考えられる最善の状態ではないだろうか。


「ん〜、やはり私の考えはおかしいのでしょうか?」

「………はぁ?」

 突如、いままでの硬い雰囲気から柔らかな表情へと変わり、可愛らしく首を傾げる姿に思わず素っ頓狂な声が飛び出してしまう。

「例えば、例えばですよ? もし生き別れたお姉さまと再会したとしましょう。だけどそのお姉さまは酷く厄介な病に掛かっていて、その病を治せる手段が自分にはある。ならば迷わず治療したいと思うのはおかしなことでしょうか?」

 いやいやいや、姉と妹の関係ではないとしても、その例えは現在置かれている状況そのものでしょ。

 テレスティアにすればアリスは従姉妹に当たるわけだし、母親が共通の人間に奪われているのだから、密かに親近感が湧いたとしても不思議ではない。だけど一国を救うよりも個人の感情を優先するってどうなのよ。


「ミリィ、一応私たちも説得はしてみたのよ。最初は私も言葉の駆け引きをしていたけれど、彼女の意思が固くて結局最後は本音を打ち明けたけれど無理だったわ」

 どこか困った雰囲気の姉様と、隣で頭をかかえるアルジェンドの姿が今の状況を語っている。

 恐らく姉様もここへと来る前に、今の私と同じようなやり取りをアルジェンド達と行っていたのだろう。だけどその駆け引きさえも吹っ飛ばすテレスティア発言に、最後は折れて従ってしまったといったところか。


「ミリアリア様はアリス様を一番理解してられる方と聞いていますが、お間違いはございませんか?」

「ん? アリスの事なら多分私が一番詳しいわよ。それがどうしたの?」

 姉様達には悪いが幼い頃から一緒に行動しているのだから、アリスの事は家族の誰よりも私が一番詳しい断言してもいい。


「それではロベリア様はどのような性格でしたか?」

「はぁ? なんでロベリアが出てくるのよ」

 突如出てきたロベリアの名前に驚くも、答えなければ先に進めない雰囲気に、仕方なく思っていた感想をそのまま口にする。


「ん〜、ワガママでおバカで少し好戦的ところもあるけど、根は悪い子じゃないわね。出会い方が違ってたら多分友達になっていたんじゃない?」

 ある意味アリスが少し捻くれた感じかなと、心の中で付け加える。


「ならば私の性格もお分かりでしょうか?」

「……」

 あちゃー、この瞬間全てを理解してしまった。

 ロベリアも大概アリスの性格に似ていた。するとセリカさんの妹であるフリージアさんの血を引くテレスティアもまた同じという事なんだろう。

 恐るべしセリカさんの血筋、恐るべしティターニア公爵家。


「参った、参りました。私の完敗よ」

 未だ不思議そうな顔をしているアリスをよそ目に、両手を上げて降伏宣言を口にする。

 ハッキリ言うが、私はアリスには敵わない。学業とか礼儀作法とかちょこっと料理とか、そんな目に見えることを言っているのではなくて、アリスと言う人物そのものに敵わないのだ。そしてこのテレスティアも何処となくアリスに似ている。

 もしかすると本音は別のところにあるのかもしれないが、今の彼女の言葉は間違いなく嘘偽りはないだろう。

 

「わかったわ、アリスの事をお願いするわね。そして約束する。この国を、誰もが笑いあえる素晴らしい国へと導くことを。この国の……この大陸を救う未来の聖女のために」

「はい、お願いされました」

 私は立ち上がり笑顔のテレスティアとあつい握手を取り交わす。

 こうして聖痕継承の儀式が執り行われる事となった。

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