第118話 未来の白地図

 ドゥーベ城陥落の知らせは、その日のうちにドゥーベ国内に知れ渡ることとなり、街へと飛び出し喜ぶ者、恐怖に怯えて屋敷に籠る者と、貧富の差で様々な反応が国内全土に見られたが、なぜか嘆き悲しむ者は一人としていなかったのだと言う。

 そして3日後……


「アリスの様子はどうだ?」

 ドゥーベ王国王城の一室。

 ロベリアを含む王族一同はレガリアへと護送。思いの外、国民の怒りの感情が王族へと向いていたことを配慮し、このままドゥーベ国内で拘束しておけばどこで毒殺だの暗殺だので殺されてしまうかわからないため、安全であるレガリアで一時的に幽閉することが決まった。

 まぁ、護送の際に一悶着があったにはあったが、王妃であるマグノリアの負傷と、ロベリアがめずらしく消沈した状態では逃げるにも逃げ出せず、国王とライナスをはじめ、シオンを含めた王族一同はレガリアへと運ばれていった。

 あれでもロベリアの根は悪い子じゃないから、今回の一件はあの子なりに深く反省でもしていたのだろう。リコたちが聞けば甘いと怒られるかもしれないが、違う出会い方をしていれば案外友達になれたのではとも思っている。



「大丈夫よジーク。容態の方は安定しているし、体自体は健康そのものだそうよ」

 あの日からずっと眠り続けているアリス。

 急ぎ容態を見に来た姉様の話では、ロベリアが術をかける際に何らかの失敗をやらかしたようで、これが術を掛けられた際に激しい苦しみに繋がってしまったのだとか。

 今は療養していればいずれ目は覚ますだろうとは言っていたが、失ってしまった声は取り戻せるかどうかは難しいとの話だった。


『以前セリカさんに教わったことがあるのだけれど、黙声の言霊はね、大地に染み込んだ人々の嘆きを鎮静させるために生み出されたそうなの』

 どうやら昔は大地に染み込んだ人々の怨念が夜な夜な嘆きの声として聞こえてきたのだという。そんな苦しみを解放するために生み出された言霊だが、いつしか人の声を封じるという別の使い方をされるようになってしまったのだとか。

 今回ロベリアが正常に術を完成させていれば、姉様でも解除できるはずだったのだが、妙な術が複雑に絡み合い、通常の解除方法では『上手くいかないかも』ということだった。


「それで、ティアラ様どこへ? アリスの側にいなくてもいいのか?」

「今は神殿よ。術の解除はアリスが目覚めないことには出来ないし、今はこの国の状況を改善する方が優先なんだって」

 少し思いやりがないのかと思うかもしれないが、現在ドゥーベ王国に留まっているメンバーで一番大変なのは姉様だろう。

 ドゥーベの聖女でもあるマグノリア王妃が、その仕事を放棄して20年以上も経過しているのだ。ただでさえ険しい山脈が多い国だというのに、大地は枯れ果て、食料の自給率が下がり続けている状況を改善するため、レガリアの聖女である姉様が連日豊穣の儀式を執り行っている。

 なんでも、今回の一件が始まる前からアルティオにお願いされていた『約束』らしい。

 父様達が何も言わないところを見ると、この辺りの交渉は既に前々から出来ていたのであろう。


「そうか……」

 ジークはその一言を口にすると眠るアリスに近づくと、そっと頬に手を添える。

 彼のもどかしい気持ちは私も痛いほど理解できる。何の力にもなれず、何の手助けもできない自分が許せないのだ。

 まったく、いつまで寝ているのよ。うちの眠り姫は。


「ぅ……な……へ……た」

「へ?」

「おい、今アリスが何か言わなかったか?」

 それはまるで寝言のような言葉であったが、確かに目の前でアリスの口が微かに動く。

 思わずその意味を理解してしまった私は変な声が飛び出し、言葉の意味が理解出来なかったジークは必死にアリス名前を呼び続ける。


 う、うそでしょ……人がこんなに心配しているっていうのに……。

 呆れる気持ちと嬉しい気持ちが混ざり合い、少々複雑な気分だが、私は近くにいるエレノアにあるものを用意してもらうようお願いする。

 アリスが今途切れ途切れに口にした言葉。『うぅっ、お腹減ったぁ』

 そらそうでしょ、三日間ずっと寝ていたんだからお腹減ってるでしょうけど、目覚めの最初の言葉がこれって。

 やがてジークに呼びかけに、アリスの瞼が開くのだった。




「ぁ……ん」パク

「もう、別に手足が動かないわけじゃないから自分で食べられるでしょ」

 ぷるぷる。

「まったく……はい、あーん」

「…ぁ……ん」パク、もぐもぐ


 アリスが目覚めてから2日。初日は胃が驚くだろうとスープ系の食事を食べていたが、その翌日ともなれば食欲も戻り、今は大好きなフルーツを私主導のもとで食べさせている。

 寝たきりと言っても体は健康そのものだからね、別段食事制限の必要もないとのことだが、今は念のためにとベットに入ったままで元気に食事を摂っている。


 コンコン

「どうぞ。はい、あーん」

 アリスの食事中、扉を叩く音がしたので適当に合図打ちをしながら食事を続ける。

 どうせアリスの様子を見に来た姉様だろう。豊穣の儀式もひと段落したという話だから、合間を見てはこの部屋を訪れるのは日課といってもよい。


「……はぁぁぁぁ」

「あの……リコリス様、これはもしかして一度出直したほうが……」

「えっ?」

 てっきり姉様の声が聞こえるかと思えば、そこにいたのはレガリアに残っているはずのリコとイリア。リコは呆れ顔で私たちを見つめ、イリアは私たちの様子を見てはいけなかったともいえる感じでこちらをチラチラと伺っている。


「まったく、アリスが目覚めたと聞き急ぎ駆けつけてみれば、まさかここに来てまでバカップルぶりを見せられるとは思ってもいませんでしたわ」

 今まさに『あーん』の状態で止まった私たちをみて、皮肉たっぷりに言葉を投げつけてくるリコ。

 アリスは再会出来たことでニコニコ笑顔だが、私は顔面真っ赤で固まってしまう。


「まぁ今日はいいですわ。その様子じゃ心配するようなことはなさそうですね」

 リコとしては感動の再会、というシーンなのだろうが、一番最初に目にしたのが『あーん』の状態なのだから呆れてしまうのも当然だろう。


「それでその……アリスの声は?」

 アリスに近づき、恐る恐る尋ねるリコに私は気持ちを切り替えこれまでの状況を説明した。

 まずアリスの容態は健康そのもの。

 ロベリアに掛けられた術の苦しみはどうやら一時的だったようで、肉体的には何処にも問題はないそうだ。

 だが、失われたアリスの声は未だ取り戻せていない。

 姉様の解術も、聖戦器の力を利用した解術も上手くいかなかったようで、現在ありとあらゆる方面でアリスに掛けられた術の解除方法が探されている。

 まぁ、言うなればロベリアのオリジナルのような術なので、ストレートな解除方法が見つかる可能性は低いとの話だ。


「大丈夫、と言いたいところだけれど難しいわね。術が不完全だったらしいから、時間と共に少しづつ声は出せるようにはなってきてるみたいだけれど、元に戻るまでは何十年もかかってしまうそうよ」

 それでもアリス本人が元気な姿を見せれば、私達が落ち込むわけにいかないだろう。レガリアに戻れば白銀もいるし、もしかして何か別の方法も見つかるかもしれない。

 今は一縷の希望を期待し、姉様の執り行っている儀式が終わるまでここに留まることとなっている。


「そうですか……でも、私たちがくよくよしていてはいけませんわね」

「そういうことよ」

 アリスが元気な姿を見せているんだ、私たちが落ち込んでいるわけにはいかない。


「レガリアへ戻りたいわね」

 早くあの頃に戻りたい。

 アリスの容態を考慮して、聖女である姉様の近くがいいだろうとのことでドゥーベに留まってはいるが、この国はいわばアリスが本来いなければならない場所。

 もしアリスが本来の役目に目覚めたら? この国に留まると口にすれば? いずれは私もアリスも結婚し、離れ離れにるなる定めだとしても、セリカさんの人生を奪ったこの国にだけは取られたくない。


「ぅ……ん、……か……え……ろ……ぅ」

 私の様子を心配したアリスがそっと自分の手を私の手に重ねてくる。

 そうね、帰りましょう。私たちの国へ。


 そのあと姉様の手伝いをしていたルテアが戻り、いつものように、いつもと変わらぬお茶会が始まる。リコが呆れ、イリアが笑い、ルテアが必死にフォローする。そんな様子を私とアリスはいつもと変わらぬ様子で眺めている。

 やがて来るであろう別れの時が訪れるまで、私は今この時の一瞬一瞬を心に刻み続けていくだろう。

 私たちの未来はまだ真っ白な白地図なのだから。






 その日の夜、ルテアやリコたちが割り当てらたれた部屋へと戻って行ったあと、私とアリスの部屋へ姉様がアルジェンドと見知らぬ若い女性を連れてやってきた。


 コンコン

 「初めましてミリアリア様、そしてアリス様。私はアルジェンドの妹、テレスティア・ティターニアと申します」

 一人私たちの方へと近づき、淑女の挨拶をするテレスティア。

 ドゥーベ王国を代表するティターニア公爵家は、代々聖女の血を外へと出さないために、出ていく人間すべての力を封じ続けてきたのだという。そのため現在この国で確認出来ている聖女候補生は、現聖女マグノリアの娘であるロベリアと、ティターニア公爵家に属するテレスティアの二人だけ。男児をいれればもう少し人数も増えるのだろうが、今この時代で聖女の力を使えるのはこの二人だけといえよう。

 本当はここにアリスも含まれるのだけれど、本人はもちろん大半の人間は事情を知らないのだから、彼女がドゥーベ王国に残された唯一の聖女候補となってしまう。


「初めまして、こちらの自己紹介は必要なさそうね」

「はい」

 私は警戒を解かないまま、簡単な挨拶のみで対応する。


「それで、ドゥーベ王国の聖女候補様がこんな夜分になんのご用かしら?」

 姉様が二人をここに連れてきたという事は、それなりの意味と信用があっての事なのだろう。だが、申し訳ないが私はアルジェンドを含むこの国の人間は一切信用をしていない。

 そんな私の心情を知ってか、テレスティアは深くお辞儀をするとともに私の前でこう口にする。


「亡き聖女様からお預かりした、聖痕をお渡しに参りました」

 驚愕の内容を告げるのだった。

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