8-2 ロテン風呂2

「情熱的なプロポーズはありがたいのですが、その辺りは奥様にもご相談しませんとなんとも……ちょっと、業務進行も聞いて参ります」


 明らかにその場を逃げ出したビヒトさん。

 カエルは溜息を吐いて私の腕を乱暴に離した。


「ちょっと考えて行動しないと、取り返しのつかないことになるぞ」

「これでも人を見てるつもりだけど……行き遅れになるよりはもらってもらえる方がいいなぁ」

「本当に20歳だっていうなら、充分行き遅れてんじゃないのか」


 カエルに鼻で笑われた! どういうこと?!


「だいたい、ビヒト『でもいい』って、ビヒトに失礼だろ」


 はっ、と気付く。


「ビヒトさんがいいって言わなきゃ駄目だった!」

「本気でビヒトの嫁に行くと?」


 呆れ顔でカエルが聞く。


「なんで? カッコイイし紳士だし、独身だし問題ないよね?」


 答えた途端、もの凄く苦い顔を彼はした。

 何が苦いのか、私には想像もつかない。歳の差婚はこういうところでは珍しくないのが普通じゃないの?

 黙り込んでしまったカエルに、私は付け足しておく。


「……相手が嫌だっていうのに、押しかけるつもりまでは無いよ?」


 カツカツと、やや急ぎ足でビヒトさんが戻ってくる。


「おふたりとも、奥様がとりあえず風呂に行くようにと」

「――はぁ?!」

「『ぐだぐだ言ってるうちに汗が冷えて風邪をひいたら馬鹿らしいから、3人で入ってしまいなさい』と」


 肩を竦めて、鍵をちらつかせる。


「ユエ様がいいとおっしゃるのだから、役得と甘えてしまいましょう」


 さすが、年の功か、ビヒトさんはにっこりと笑って言い切った。

 嫁入りは何処かに消えてしまったみたいだけど、とにかくお風呂に入れるよ!


「ビヒトさん、大好き!」


 3度目の突進は本人に軽やかに避けられて、転びそうになる。


「お気持ちは有難く。若返った気になれますな」


 ほっほっと笑いながら、ビヒトさんは階段を登って行った。




 カエルはずっと不機嫌だった。本気で怒ると黙り込むタイプの人がいるが、まさにそれだ。

 私のことを怒っているのか、テリエル嬢の決定に異議があるのか、怒りの元がわからなくてこちらも困る。


 温泉に続くドアを開けると、左右の棚に沐浴着やタオルが並んでいる小部屋があり、そこから各々着替えを持ってさらに進む。

 しばらく渡り廊下が続き、不意に開けた所に出たかと思ったら、目の前に湯気の立つ温泉が見えた。10人くらいは余裕で入れそうな岩風呂だ。

 左右に分かれて小さな脱衣所がある。


 沐浴着に着替えて脱衣所を出ると、ビヒトさんが木箱から手桶を出すところだった。

 なるほど、と私も手桶を取り出してかけ湯する。下半身から、徐々に上半身だ。

 露天だから、お湯の温度は少し熱めに感じる。そろそろと足を入れ、徐々に体を沈めると沐浴着がぴりっと熱さを伝えた。


 うっふふ〜。極楽極楽♪


「随分手馴れてるのですな」


 タオルを頭に乗せて鼻歌を歌っていたら、ビヒトさんが不思議そうに尋ねる。


「好きですから。お風呂。みんなで入るなら、マナーは大事ですし」

「このような風呂に、みなが入れる環境で?」

「そういう所もありましたよ。家のお風呂は温泉じゃなかったですけどね。ここはあちこちに温泉が湧いてるんですか?」

「何ヶ所かあるようですが、入れるように整備されたのはここくらいでしょうな。水は豊富な土地故、大衆浴場みたいなものは村に1つあるのですが」


 銭湯があるのか。この村を興した人の中に日本人かローマ人が混じってたんじゃないでしょうね。

 そう思って村と言われた方を向いてみる。

 教会の鐘がかろうじて見えるくらいだった。木々の葉に視界を阻まれているのだ。

 これ、秋には紅葉するのかな。

 そういえば。


「教会に行くって言ってましたけど、何をするんですか? お祈りとか知りませんけど……」

「こちらにおいでの神官さんは『神眼』の加護持ちでいらっしゃられるので、嘘偽りがないか宣誓にかけられるのですよ。ついでにユエ様が加護をお持ちかどうかも視て頂きます」


 人間嘘発見器ってこと? 余計なことは言わぬが花だね。


「『神眼』って凄そうですけど、もっと中央の方に居なくていいんですかね」

「さぁ……オトゥシーク教の中のことは私には分かりかねます。数年前に総主教が変わりましたから、その影響かもしれませんね」


 ふぅん、と適当に相槌を打って、ちらりとカエルに目をやる。

 ひとり逆サイドに離れて入っているのだが、まだ不機嫌そうだ。若い娘と混浴できるなんて、役得だと思えないのかねー?

 あれ? 若いと思われてない? いやいや。まさかまさか。


「カエルって、女嫌い?」


 小声でビヒトさんに聞いてみる。

 きょとん、とした後悪い笑顔になって、ビヒトさんも小声になった。


「どうでしょう。ご縁は、あまりなかったですね。奥様に研究のためと今まで色々されてますので、もしかしたらその辺がトラウマに……」

「聞こえてるぞっ」


 いらっとしたカエルの声に、2人で笑う。

 一瞬だけ、家族で温泉にいるような気分になった。


 仕事に戻るビヒトさんに合わせて早めに上がり、ほかほかの余韻に浸っているうちに晩御飯の時間になって食堂へ下りた。

 給仕中のカエルは不機嫌の欠片もなく、穏やかな微笑みを浮かべていた。公私をきっぱりと分けるその姿勢は、褒めるべきところなのだろう。


 今日はアレッタの姿もあって、テリエル嬢への給仕は彼女が行っていた。

 ビヒトさんはカエルを逐一チェックしていて、視線が厳しい。

 私はフォークとナイフに慣れてきたものの、まだまだぎこちない。お箸が恋しくなっていた。

 あんなに便利なものは無い。豆類に逃げられることもない。くそう。


「カエル、お箸作って」


 お皿の上の小さなお豆をフォークで刺せずにイライラしながら、理不尽なことを口走る。

 細かい物やこういう取り難いものは残しても問題ないようなのだが、お米の一粒まで綺麗に食べなさいと躾けられた身としては、どうにも気になって仕方がない。


「――はい? 何を……」

「……ごめん。なんでもない」


 イライラがピークだったので、もう手掴みでぽいっと口に入れてやった。もちろんその場の全員に睨まれたけど、気付かない振りをした。


「何を作れって?」


 食後のお茶を飲んでると、執事の皮を脱ぎ捨てたカエルが仏頂面で聞いてきた。

 お茶を片手にテーブルに腰掛けようとしてアレッタに注意されている。仕方なさそうに隣の椅子に腰かけて、こちらを見た。


「……いや、あればいいなってくらいで……無理にとは……」

「俺が作れそうな物なのか?」


 ナイフや短剣を扱うくらいだから、多分できると思うんだけど。


「私よりは上手そう。このくらいの長さで、細い棒を2本作って欲しいの。片方の先を細くした形で」

「串みたいなもんか?」

「そんなに細くなくていいよ。危ないから先は尖らせすぎないでね。んー。小指よりちょっと細いくらいの太さで。出来る?」

「難しくはないが……何に使うもんだ?」

「ご飯食べるときに使う道具。暇な時でいいよ。豆にイラついて口に出ただけだから」

「豆?」


 カエルの頭の中は『?』で一杯になっていそうだったが、とりあえず了承してくれた。

 部屋に戻る途中談話室の前を通り過ぎようとして、はたと気付く。

 本とか置きっぱなしだ!

 2人の組手に興奮してそのまま飛び出したんだった。危ない危ない。


「か……カエル先に行ってて。私、談話室に忘れ物が……」


 カエルも昼間のことを思い出したのか、呆れ顔で手を振った。

 急いで出窓に向かい、クッションをぽふぽふ叩いて形を整え、元の位置に戻す。

 本と紙類、色鉛筆を抱えようとして、真っ暗な外の景色に意識をとられた。


 電灯の類がほとんどなく、たまに見える明かりもほの暗い。視線を上げると星が見えたが、室内の灯りが反射していて少し見づらかった。

 私はカーテンをひき、もう一度窓際に乗り上がる。少し見やすくなった星空は、けれど知っている星座1つも見つからなかった。




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